『幻想と怪奇』15【霊魂の不滅 心霊小説傑作選】

『幻想と怪奇』15【霊魂の不滅 心霊小説傑作選】

「欧米心霊学略年譜」

「モレル夫人の最後の降霊会」エドガー・ジェプスン/髙橋まり子訳(Mrs. Morrel's Last Seance,Edgar Jepson,1912)★★★☆☆
 ――二年前の冬、わたしはモレル夫人の降霊会にすべて出席した。調子のよくないときにはお粗末なごまかしで終わることもあったが、本物の心霊現象だと思うものもこの目で見た。そうした降霊術を行ったあと、夫人は疲労困憊していた。昨年十二月四日にも、わたしは降霊会に出席した。ほかの出席者は、まずマグナス。わたし以上に心霊現象を疑っていた男だ。それからヴィヴァレッジとウォルターズ教授。さらに五人が訪れ、最後に見覚えのないふたり連れ――ロングリッジ夫妻が到着した。修道女の恰好をしたモレル夫人が現れ、降霊会が始まった。冷気が入ってきた。夫人が向かった小部屋から、子どもが現れた。子どもはロングリッジ夫人に近づくと、「ママ!」と言った。夫人は泣き出した。「ああ、メイジー!」

 どこかで読んだことがあるような気がしたのですが、それが扉で言及されているクリスティー「最後の降霊会」だったようです。怪奇小説としてもスパッと切れ味よく終わるクリスティー作品に対し、古風な語り手による語り形式で曖昧なまま終わるところが本作品の特徴です。
 

「我が墓を見よ」マージョリー・ボウエン/伊東晶子訳(They Found My Grave,Marjorie Bowen,1938)★★★☆☆
 ――エイダ・トリンブルはうんざりしていた。霊媒はアストラ・デスティニーと名乗り、たった三十分で、エイダがこれまでの人生で聞いた分を上回るばかばかしい話をしてのけた。「感じの悪いひとね」。友人のヘレンに説き伏せられる形で降霊会に出席したが、古くさい詐欺にしか思えなかった。それでもヘレンに請われてもう一度降霊会に参加した。蓄音機から音楽が流れる。アストラはトランス状態に見えた。突然、男の声が聞こえた。ラテン語だ。「格言ですか?」『儂の墓碑銘だ』「お墓はどこに?」『明らかにはすまい。フランス語を話す者はおらんのか?』「できます」とエイダは答えていた。「お名前は?」『ガブリエル・ルトルノー』「亡くなられたのはいつ?」『一八三七年五月十二日』「何をなさっていた方ですか?」『大学教授であり、貴族であり、哲学者であり、数多の著作を残した』「題名は?」『多すぎる』。参加者によると、何か月か前にも現れた霊らしい。『ラルース百科事典』にも他の資料にもその名は見つからなかったという。

 霊媒による詐欺ではなく、霊による騙りという発想が面白い。しかしそれは、霊の噓を暴くということでした。霊との喧嘩みたいな展開が続いていただけに、突如として訪れる怖さという点では群を抜きます。
 

「世界で一番すばらしい物語」ラドヤード・キプリング/植草昌実訳("The Finest Story in the World",Rudyard Kipling,1891)★★★☆☆
 ――チャーリー・ミアーズという青年と親しくなった。小説を売り込んでもいないのに、歴史に名を残す詩人になる夢を抱いていた。彼が朗読する詩の数々を、じっと聞くのが私の役割だった。彼の母親は息子の夢に理解がない。ある夕方、すばらしい物語が浮かんできたが母親と一緒だと集中して書けないからと言って泊まりに来た。だが手は途中で止まった。朗読されたものも、お粗末なものだった。だが、書けないのは知識がないからだ。独創性や発想力はすばらしい。ガレー船の奴隷と海賊の物語だった。二十歳そこそこの銀行員が、どうして海での絢爛たる物語を語ることができるのだろう。チャーリーの構想を私が形にすることになった。次にはヴァイキングの話が出た。普段のチャーリーはロングフェローらの詩を朗読するばかりで、自分が話したことも覚えていないようだった。

 才能のない詩人の卵が作った詩よりも、前世の記憶の方が面白かった――というだけでも底意地が悪いのですが、とうとう詩作すらせずに大家の詩を朗読して感嘆するだけになるのには笑ってしまいました。偉大な芸術は恋から生まれることも多いというのに、凡才は何も生み出さず、ただ【前世の記憶】だけが消えてしまうのがひどい。
 

「ジョーンズの狂気」アルジャーノン・ブラックウッド/渦巻栗訳(The Insanity of Jones (A Study in Reincarnation),Algernon Blackwood,1907)

「遠い記憶の球体」シーベリー・クイン/熊井ひろ美訳(The Globe of Memories,Seabury Quinn,1937)

「燦めく手と手」井上雅彦

「女優だった」森青花 ★★★☆☆
 ――ふるさとでは綾部小町と呼ばれていたが、小町娘が集まってくるのが映画会社だ。通行人役。いつも通行人役。今日は社長室に呼ばれた。いよいよクビだろうか。不安がる真奈美が聞かされたのは、お盆映画のヒロイン役に決まったという報せだった。池上金男脚本、内田吐夢監督『牡丹灯籠』。今をときめく佐田啓二の相手役お露だ。初めての読み合わせこそ声が震えたが、その後は順調だった。最後の台詞では、一同が思わず涙した。「この映画はもらった」監督がぽつりと言った。翌日、撮影初日。お露が新三郎を見送るシーンだ。「あぶない!」という声がして、まなみの頭に照明器具が落ちてきた。

 『BH85』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞した作家。第一回『幻想と怪奇』ショートショート・コンテスト応募作の改稿版。実在の映画関係者が登場します。内田吐夢監督による『牡丹灯籠』映画化企画がぽしゃったという事実があってそれを下敷きにしたのか?と思わせる効果があるようです。怪談としては古式ゆかしい怪談です。
 

「降霊会奇譚」リヒャルト・フォス/前川道介訳(Das Wunderbare,Richard Voß,1908)★★★☆☆
 ――三十年ばかり前のことだ。ローマに滞在中の私は、ハラルドというデンマーク人の音楽家の青年と知り合った。妙なことにいつも白薔薇が生けてあった。その頃ローマでは心霊術の流行が見られ、ひとりの霊媒が話題になっていた。この女霊媒アスンタ・デ・マルキスの名を初めて聞いたのは、ハラルドの口からだった。ハラルドはピアノを弾きながら初恋の話をした。眼は白い薔薇に注がれていた。幼なじみのメーリッドという娘と十八のときに婚約したが、メーリッドは花の盛りに亡くなり、島で唯一の白薔薇の木も枯れてしまったという。「ぼくは再会を待っています。まもなくその奇蹟が実現するでしょう」「きみはまさかその女霊媒の力でメーリッドに再会したいと思っているのか?」。翌日、私は友人が下宿しているおかみに事情をたずねた。霊媒はハラルドに惚れているという。

 『独逸怪奇小説集成』より再録。飽くまで死んだ恋人の霊を愛する男と、男に恋をしてしまった霊媒の悲劇。こういう形で降霊術が描かれるのは珍しいと思います。
 

「モード゠イヴリン」ヘンリー・ジェイムズ/植草昌実訳(Maud-Evelyn,Henry James,1900)★★★★★
 ――人生の黄昏になって幸運が舞い込んだ、ある女性の話題になった。それを聞いたレディ・エマが口を開いた。ラヴィニアの身に起こったのは奇妙な出来事だった、と。事情を知っているのだ。……ラヴィニアが二十歳の頃でした。マーマデュークという青年と好き合っているように思えたのですが、ラヴィニアはなぜか求婚を受けませんでした。わたしはマーマデュークに、諦めずもう一度求婚するよう助言しました。マーマデュークはしばらくスイスに滞在することになりましたが、出発前には「ラヴィニア以外とは絶対に結婚しない」と伝えたそうです。旅先ではデドリック夫妻と知り合いになり、よくしてもらっていると、手紙も来たそうです。ようやく帰ってきたときには、デドリック夫妻と一緒でした。夫妻には子どもはいないはずでした。実際、ずいぶん昔に亡くなったそうです。なのに、夫妻は娘のモード゠イヴリンと〝一緒にいる〟と言っていました。「きれいな方でした」写真を見たラヴィニアはそう洩らしました。夫妻は霊媒のところに行って娘と連絡を取り、今ではマーマデュークも、夫妻と同じくモード゠イヴリンのことを考えているそうです。

 死んでしまった娘を生きているかのように扱う両親。ここまでならまだわかります。それに共感して入れ込んでしまう男、それに理解(諦め?)を示す婚約者、夢を叶えたからといって再び娘を死なせる両親、関係者が死を迎えてからも架空の家族関係を続ける男……と、どんどん狂気がエスカレートして、でも立ち止まることは出来ないのでしょう。あの時ああしていれば――では済まされない、常軌を逸した観念的な愛の物語でした。
 

「昨日の友人」相川英輔 ★★★☆☆
 ――ドアを開けた瞬間、引っ越さなかったことを強く後悔した。「――久しぶり」兼介が立っていた。二年前も同じような格好だった気がする。「……生きてたんだ」「ああ、なんとか。あのさ、よかったら一晩泊めてくれないか」浩平と巧は引っ越していていなかった、実家に顔を出すにはもう少し時間がほしいと、勝手なことを言う。二年前の八月、浩平が借りたレンタカーで海浜公園まで行った。防波堤に向かう途中で、気づくと兼介がいなくなっていた。三人で海に突き落としたのではないかと警察に疑われ、散々な目に遭った。「……あのとき、何があったんだよ?」「理解してもらえないと思う。確かに悩んではいたんだ。でも最近、正解らしきものの輪郭が少しずつ定まってきたんだ。俺さ、あのとき水になりたかったんだよ」「はっ?」

 『黄金蝶を追って』の作者。これは特集作品ではない模様。重圧に向き合わず逃げ出して悪びれない駄目人間が、願い叶って(?)逃げ出してしまいます。
 

「怪奇幻想映画レビュー
因果が巡る物語を作り続けるアイザックエスバン監督に注目せよ」斜線堂有紀

 「アイザックエスバン監督ならここにモチーフを掛け合わせ、更に捻った物語を作ってくれるだろうと映画の外側の情報まで使って観客に期待させてくれるのだ」というのは、監督の作品を追いかけていて、なおかつ総合的に考察できる人でないと出来ない観方だと思います。
 

「怪奇幻想短編の楽しみ
華氏九十二度 レイ・ブラッドベリ「熱気のうちで」ほか」木犀あこ

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 幻想と怪奇 15 

『炎の眠り』ジョナサン・キャロル/浅羽莢子訳(創元推理文庫)★★★☆☆

『炎の眠り』ジョナサン・キャロル浅羽莢子訳(創元推理文庫

 『Sleeping In Flame』Jonathan Carroll,1988年。

 一応のところは『月の骨』から続くシリーズ2作目らしいのですが、ウェーバー・グレストンやカレン・ジェイムズと夢の国ロンデュアに言及されるくらいで、本書だけで独立した作品となっています。

 前半は脚本家ウォーカー・イースタリングとレゴ建築家マリス・ヨークのロマンスが綴られていました。ミュンヘンの芸術家マリスは、恋人リュックのDVから逃れてウィーンでウォーカーと暮らし始めます。ウォーカーは前妻とダブル不倫の末に離婚した経歴を持ち、マリスは恋人の暴力に脅かされているという、恋愛に失敗した二人が、運命的な出会いによって幸せを築いていけそうな様子は応援したくなります。盲目の猫オルランドの存在も癒やしです。

 ところが三分の一ほどまで来ると、一気に不穏な空気に変わります。友人の死。あらすじにも書かれている、三十年前の自分の墓。謎めいた言葉を伝える、墓地で出会った老婆。突如として視えるようになった未来予知。

 墓に彫られた名前モーリッツ・ベネディクトとは何者なのか。

 正直なところ、ここがクライマックスでした。

 ウォーカーが魔法を使えて、ヴェナスクというシャーマンに修行をつけてもらって、幾度となく違う前世の夢を見て……という、完全にファンタジー世界のおはなしになってしまうと、前半とのギャップについて行けませんでした。

 ベネディクト(とその父親カスパール)の正体に近づけそうになり、マリスにも危険が迫るに及んで、盛り返しつつありましたが失速してしまいました。

 父親はグリム童話の口承者によって創られた架空の存在であり、息子を女に取られないために、息子が生まれ変わるたびに何度も恋路の邪魔をしてきた――という真相は、当時としては新しいものだったのでしょうか。くどいわりに拍子抜けでした。

 『神戸在住』10巻で辰木さんが「どうしても理解できなくて」と言っていた、「ぼくらの息子……」という台詞は、ウォーカーの選択が気に入らない赤頭巾たちによって息子が物語の世界に連れ戻される危険を暗示しているのでしょうか。

 タイトルは火葬された友人が「炎の中で眠る」ことに由来するようです。

 ぼくは呆然としていた。目の前に、三十数年前に死んだ男の墓がある。そこに彫られた男の肖像が、ぼくだったのだ。そのとき、見知らぬ老婆が声をかけてきた。「ここにたどりつくまで、ずいぶん長いことかかったね!」 捨て児だったぼくは、自分がなにものなのか知らない。悪夢が始まった……永劫の闇を覗きこむがごとき旋律の結末。『月の骨』に続く驚愕のダーク・ファンタジィ!(カバーあらすじ)

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 炎の眠り 

『S-Fマガジン』2024年6月号No.763【特別対談 宇多田ヒカル×小川哲】

『S-Fマガジン』2024年6月号No.763【特別対談 宇多田ヒカル×小川哲】

「特別対談 宇多田ヒカル×小川哲」
 視点の切り替え、実体験なのかよく聞かれる、などの共通点が。
 

Netflix独占配信シリーズ『三体』公開記念特集」

「『三体』ドラマ比較レビュー」加藤よしき
 Netflix版と中国テンセント版の比較。

「Audible から《三体》入門!」祐仙勇×池澤春菜
 

テリー・ビッスン追悼」

「熊が火を発見する」再録

「ビリーとアリ」「ビリーと宇宙人」テリー・ビッスン中村融(Billy and the Ants,Terry Bisson,2005/Billy and the Spacemen,2006)★★☆☆☆
 ――ビリーはアリたちを踏みつけました。ビリーは水鉄砲でアリたちを流しました。ビリーはアリたちをハンマーで叩きました。「敵発見! ドカン・ドカン・ドカン」。「お昼寝の時間よ」とビリーのお母さん。ビリーはお昼寝が大嫌いでした。ベッドに寝そべっていると、外で何かを引っかく音がします。見ると、窓の外にネズミくらいの大きさのアリがいます。ビリーはおもちゃの弓矢を射ました。お昼寝の時間が終わって裏庭に行くと、猫くらいの大きさのアリがいました。ビリーは熊手でアリを串刺しにしました。

 ブラック童話のシリーズ。初訳。
 

「ハワード・ウォルドロップ追悼」

「みっともないニワトリ」ハワード・ウォルドロップ/黒丸尚(The Ugly Chickens,Howard Waldrop,1980)★★☆☆☆
 ――ぼくはバスに乗って『世界の絶滅鳥および消えゆく鳥』をパラパラと眺めていた。「長いことそのみっともないニワトリは見てないわ」と近くで声がした。そんなことありえない。これはモーリシャス島の絶滅した鳥の絵なんだから。だがぼくはそう言う代わりに、バスから降りたご婦人の後を追った。ぼくの名はポール・リンドバール。テキサス大学鳥類学部の院生だ。ぼくはそのご婦人から情報を聞き出し、ドードー鳥を追った。

 再録。絶滅したドードー鳥のことをみっともないニワトリだと思って飼っている人たちの存在を知り、大発見をものするべくドードー鳥を目指す珍道中。導入はものすごく好きなのですが、その後の面白さがわかりませんでした。
 

「世界の妻」イン・イーシェン/鯨井久志訳(The World's Wife,Ng Yi-Sheng,2023)★★★★☆
 ――あの惑星がお見えになりますか? あなたのご主人ですよ、パンさん。改めてお悔やみ申し上げます。脱出ポッドから放り出されたご主人の腐敗の過程はきわめて常軌を逸したものでした。ご主人の最期の息が吐き出されると、その体を包む始源の大気が形成され、その後、急速な自己分解が始まりました。そして最終的に、遺体の中に化石、粘土、水という三つの層が形成されたのです。その結果、ご主人の頭部は地球のミニチュアのような特徴を備えるようになったのです。これは慰めになるでしょうか、われわれはご主人から知的生命体を発見しました。

 頭も惑星も丸いわけで、そういう発想が生まれること自体はわからないではありませんが、それを漫画ではなくSF小説にしてしまい、あまつさえ文明まで発生させてしまう頭山的な奇想には脱帽します。そのあとも凡人作家であれば新世界の発生と終焉できれいにまとめるところでしょうが、組織の責任逃れにより予想も付かない方向にボールが放り投げられる、黒い笑いのセンスがただものではありません。どうして Ng で「イン」と読むのかと思ったら、シンガポール出身なので福建語読みで「黄」を「Huang フアン」ではなく「Ng ン/イン/エン」と読むらしい。
 

「SF BOOK SCOPE」
『噓つき姫』坂崎かおるは、新鋭の初作品集。紹介文からは幻想小説っぽい好みの雰囲気がします。

『眠りの館』アンナ・カヴァン。このまま行くと、全作品刊行されそうな勢いです。
 

「SFのある文学誌(94) 鳩山郁子――純粋少年結晶〜あるいは魂の羽ばたき〜」長山靖生

大森望の新SF観光局(94) ネトフリ三体への長い道」

「乱視読者の小説千一夜(84) 夢の浮橋若島正
 イアン・バンクス『The Bridge』
 

「歌よみSF放浪記 宇宙《そら》にうたえば(1) 余白と想像力」松村由利子
 新連載。SF的な短歌を選んで解説したもの。紹介されているなかでは、松木秀「煮えたぎる大地を打たぬまま消えていたはじめての地球への雨」のスケール感にくらくらします。
 

バーレーン地下バザール」ナディア・アフィフィ/紅坂紫訳(The Bahrain Underground Bazaar,Nadia Afifi,2020)★★★☆☆
 ――末期癌を患う主人公ザーラは最期の日に備えて、他者の記憶を仮想体験できる地下バザールに通い、あらゆる種の死に方を経験してきた。ある日いつものように一人の老女の死を経験するが、その記憶は死への衝動や死後の安寧など、これまで経験したことのない事柄であふれていた。その意味を解き明かすために、老女が暮らしたヨルダン・ペトラへと壮大な旅に出る――(解説紹介文)

 今後もしも自分が大病を患ったりして死が身近になったときに刺さるかもしれません。
 

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 SFマガジン 2024年6月号 

『ハテラス船長の航海と冒険 ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクションⅠ』ジュール・ヴェルヌ/荒原邦博訳(インスクリプト)★★☆☆☆

『ハテラス船長の航海と冒険 ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクションⅠ』ジュール・ヴェルヌ/荒原邦博訳(インスクリプト

 『Voyages et aventures du capitaine Hatteras』Jules Verne,1866年。

 すでに『気球に乗って五週間』『地底旅行』『地球から月へ』は刊行されていましたが、〈驚異の旅〉というシリーズ名が用いられたのはこの作品が初めてということだそうです。1864年連載開始、1866年に十八折判2巻本、1866年11月に八折大判挿絵入り分冊版が出ており、この翻訳は挿絵入り版を底本にしているそうなのですが、解説を読んでも出版の時系列がよくわかりません。単行本刊行時にタイトルが『Les Aventures du capitaine Hatteras』に? 執筆自体は『気球に乗って』の後だったりもするのでさらに複雑に。

 船乗りリチャード・シャンドンの許に船長のK・Zと名乗る人物から謎めいた手紙が届きます。シャンドンを副船長にして危険な調査行を計画している。ついては大金と引き替えに、小帆船フォワード号を作らせ、船長と船医を除く十六人の乗組員を用意してほしい。なお、同行させる犬もお届けする――という内容でした。船は完成し、犬と船医も到着し、目的地もわからず船長も不在のまま船は航海を開始します。姿を見せない船長に代わり、犬はいつしか船長と呼ばれるようになりました。

 そもそも船長のイニシャルがK・Zなので、はじめのうちは果たしてハテラスとK・Zは同一人物なのかすらわかりません。ようやく船長の正体が明らかになるのは100ページほど進んでから。卑怯者(笑)。だから匿名だったんですね。引き返せないところまで来てから打ち明けるとか。【※北極点を目指して探検隊を全滅させた悪名高き船長だったため、本名で乗組員を募集しても誰も応募してくれないと考えて匿名で募集していた。

 訳註によればハテラス(Hatteras)という名は「mad as a hatter」から採られており、K・Zもcrazyに通ずるのだとか。『不思議の国のアリス』でお馴染みのこの成句、英訳者はサッカレー『ペンデニス』に由来すると書いています。ヴェルヌがサッカレーを参照していたということなのでしょうか。

 ハテラスの登場によりそれまでリーダーシップを取っていたシャンドンは追いやられる形となり、対立構造というドラマが生まれます。

 ところが主役を乗っ取ったはずのハテラスが、なかなか主人公らしい活躍をしてくれません。ハテラスときたら北極点に到達したいがあまり残燃料を無視して船を駆り立て、案の定薪がなくなって生命維持のために暖を取ろうとする船員を斧で殺そうとするような、およそ共感しがたい人物なのです。名前が「mad as a hatter」から採られたという説も納得の狂人ぶりです。

 そうはありつつ陽気なドクター・クロボニーがハテラスの味方をするので、文字通りムードメイカーの言動によって、ハテラスが正しいムードが徐々に形成されてゆきます。

 それにしてもハテラス船長はネモ船長のようなカリスマ性もなく、このあとヒーローたりうるのかと危ぶんでいたところ、なんとヴェルヌは奇策を打って出ました。シャンドン副船長をハテラス船長以上の卑怯者にすることにより、シャンドン=悪、ハテラス=正義という図式を作りあげたのです。何という力業。【※燃料調達に出かけたハテラスたちを見捨てて船に火をつけ、陸路で逃亡。

 物語自体も、船から下りて燃料を探しに行くところあたりから起伏に富んだ冒険が続いてゆきます。それまでは氷山の恐怖などはあっても、ずっと船上なので単調になっていたのは否めませんでしたから。

 なのに――。なのに、ハテラス――。せっかく盛り上がってきたのに、遭難していたのを助けたアメリカ人アルタモントとお国自慢で張り合っている場合ではないでしょうに。なんてちっぽけな男。およそ船長の器ではありません。

 船長の器どころか、船員としてほぼ何もしていません。アザラシの皮をかぶってクマに立ち向かっただけ。ドクターは知識をふんだんに活用し、大工のベルはその腕を活かし、乗組員長のジョンスンはベテランらしい忠誠心で動いているというのに。

 フィリアス・フォッグもちょっとどうかと思う人でした。バービケーンやニコル大尉のいがみ合いも大概でした。それでも彼らなりにかっこいい人たちでしたし、リーデンブロック教授に至っては愛すべき頑固者キャラでした。ところがハテラスには彼らのような魅力はありません。

 ハテラスとアルタモントの対立をさっさと終わらせるよう指示したエッツェルは優秀な編集者だったのだなと感じました。訳註や解説を読むにつけてもますますその思いを強くしました。

 ただしハテラスの最後だけはエッツェルの判断ミスだと思います。どのみちハッピーエンドにならないのなら、潔く死なせてあげればよかったものを。自我を失ったまま北極の方向に歩き続けるだなんて、ギャグにしか思えませんでした。

 北極点だけ小さな島になって陸地になっている都合の良さ、どうしても領土という形でナショナリズムとハテラスの情熱を表現したかったのでしょうが、微笑ましいものがありました。

 『インド王妃の遺産』が他人の原作をヴェルヌが書き直したものだとは知りませんでした。けっこう面白い作品でしたが、ヴェルヌらしくないと言えばそうかもしれません。

 解説者が冒頭でいきなり船内の生活とコロナ禍での巣ごもりを結びつけて同時性を説いていましたが、さすがに強引すぎます。

 これだけ大部の作品なので翻訳は大変だったであろうとは思いつつ、気になった箇所がいくつか。第一部第三二章(p.288)「ドクターは彼の衣服のポケットの中を探った。空だった。だから証拠になるようなものはなかった」。「証拠」というのは「身元を証明するもの」くらいの意味かなあと思って確認してみると、原文は「document」でした。

 第二部第一章(p.298)「運のない男だ!」というジョンスンの台詞が、上から目線というか他人事のように聞こえます。「彼の運命を羨むべきなのかも」という文章を活かすために、不自然な表現になろうとも敢えて「運」という単語を入れたのかと思いきや、原文は「L'infortuné !」と「son sort !」なので関係ありませんでした。

 第二部第一一章(p.400)「『えっ!』ドクターが答えた。『クマは遠目が利くし、きわめて鋭敏な嗅覚に恵まれているからね(略)』」。驚いている場面ではありません。「Eh bien !」あたりを訳したのかと思ったら、原文は「Oh !」でした。

 第二部第一二章(p.413)「見たまえ、ポーカーが貫通しない! だんだん笑止千万になってきた!」。「ridicule」の訳としてどうこう以前に、笑止千万という言葉はこういう使い方はしないでしょう。

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 ハテラス船長の航海と冒険 ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクションⅠ 

『猫島ハウスの騒動』若竹七海(光文社文庫)★★☆☆☆

『猫島ハウスの騒動』若竹七海光文社文庫

 初刊2006年。

 猫ばかりの島、通称・猫島。高校生の虎鉄は海岸でナイフを突き立てられた猫の剥製を見つける。たまたま観光で島を訪れていた葉崎署の刑事・駒持は、猫アレルギーに苦しみながらも事件の背後に何かが潜んでいると感じて調査を続ける。剥製は土産物屋兼書店店主でありポルノ小説の翻訳家でもある三田村成子の店で売られたものだった。買っていったのは猫目的の観光客とは思えないラテン系の男だ。

 虎鉄の幼なじみ響子は祖母の営む民宿〈猫島ハウス〉を手伝っていたが、祖父の弟・幸次郎が十八年前に起こった勧当銀行三億円強奪事件の一味だったと知り、衝撃を受けていた。宿泊客の原アカネは島に移り住むため古民宿を買って改築中だったが、積み上げておいた廃材に猫が小便をしてしまい、あまりの臭さに苦情が来ていた。アカネは猫島ハウスでラテン系の男を見かけたと言うが、宿泊客のなかにそんな男はいない。

 葉崎市シリーズの一冊。葉崎半島の海の先にある猫島が舞台です。

 いろいろイベントは起こるものの、島特有の時間感覚のゆえでしょうか、テンポは遅めでちょっともっさり気味です。猫アレルギーの本署刑事とやる気のない地元警官の凸凹コンビも、おふざけが過ぎていまいち笑い切れません。三田村成子をはじめとする魅力的なお婆さんはいるものの、群像劇というほど各キャラクターが引き立っているわけでもなく、さりとて能動的に事件を引っかき回す探偵役もいないため、全体として平板な印象を受けてしまいます。

 事件自体もさほど意外性なく終わってしまいました。あるかもしれない三億円を夢見て覚醒剤がらみの者たちが起こしたという、そのまんまの話でした。崖からの転落者とマリンバイクの衝突事故の真相に、ミステリらしい発想の転換【※崖から落ちたのではなく、崖下のほこらに三億円を探しにきているときに衝突した】がありましたが、その他のごたごたに埋もれてしまっていました。

 響子と虎鉄が疎遠になるきっかけになった修学旅行のエピソードは最後まで明かされないままでした。これまでの葉崎市シリーズで描かれた過去エピソードというわけでもなく、今後スピンオフとして書かれることになるのか、このまま謎のままなのかもよくわかりません。

 それにしても柴田よしきによる解説がひどい。コージーミステリについての薄っぺらい“私はこう思う”が書き連ねられているだけで、本書についてはほとんど言及なし。たぶん中身を読んでないでしょ、この人。

 葉崎半島の先、三十人ほどの人間と百匹以上の猫がのんきに暮らす通称・猫島。その海岸で、ナイフが突き刺さった猫のはく製が見つかる。さらに、マリンバイクで海を暴走する男が、崖から降ってきた男と衝突して死ぬという奇妙な事件が! 二つの出来事には繫がりが? 猫アレルギーの警部補、お気楽な派出所警官、ポリス猫DCらがくんずほぐれつ辿り着いた真相とは?(カバーあらすじ)

 周知の通り、猫とミステリの相性はよくて、『猫は知っていた』からシャム猫ココまで山ほどの猫ミスが世に送り出され、愛されてきた。なにしろ、ちょこっとしか登場しない猫の名前をシリーズ・タイトルにしちゃった本もあるくらいなのだ。アメリカには〈猫ミステリライター連合〉みたいな名称の団体まであって、猫ミス専門ライターが佃煮にするほどいるらいい。本書にも猫がたくさん登場(かつちゃんと活躍)するが、うち八割の名前は小説や映画に出てくる猫の名前からとってあります。ただし、出典が全部わかったら、相当の猫バカだと思う。(ノベルス版「著者のことば」)

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