『炎の眠り』ジョナサン・キャロル/浅羽莢子訳(創元推理文庫)★★★☆☆

『炎の眠り』ジョナサン・キャロル浅羽莢子訳(創元推理文庫

 『Sleeping In Flame』Jonathan Carroll,1988年。

 一応のところは『月の骨』から続くシリーズ2作目らしいのですが、ウェーバー・グレストンやカレン・ジェイムズと夢の国ロンデュアに言及されるくらいで、本書だけで独立した作品となっています。

 前半は脚本家ウォーカー・イースタリングとレゴ建築家マリス・ヨークのロマンスが綴られていました。ミュンヘンの芸術家マリスは、恋人リュックのDVから逃れてウィーンでウォーカーと暮らし始めます。ウォーカーは前妻とダブル不倫の末に離婚した経歴を持ち、マリスは恋人の暴力に脅かされているという、恋愛に失敗した二人が、運命的な出会いによって幸せを築いていけそうな様子は応援したくなります。盲目の猫オルランドの存在も癒やしです。

 ところが三分の一ほどまで来ると、一気に不穏な空気に変わります。友人の死。あらすじにも書かれている、三十年前の自分の墓。謎めいた言葉を伝える、墓地で出会った老婆。突如として視えるようになった未来予知。

 墓に彫られた名前モーリッツ・ベネディクトとは何者なのか。

 正直なところ、ここがクライマックスでした。

 ウォーカーが魔法を使えて、ヴェナスクというシャーマンに修行をつけてもらって、幾度となく違う前世の夢を見て……という、完全にファンタジー世界のおはなしになってしまうと、前半とのギャップについて行けませんでした。

 ベネディクト(とその父親カスパール)の正体に近づけそうになり、マリスにも危険が迫るに及んで、盛り返しつつありましたが失速してしまいました。

 父親はグリム童話の口承者によって創られた架空の存在であり、息子を女に取られないために、息子が生まれ変わるたびに何度も恋路の邪魔をしてきた――という真相は、当時としては新しいものだったのでしょうか。くどいわりに拍子抜けでした。

 『神戸在住』10巻で辰木さんが「どうしても理解できなくて」と言っていた、「ぼくらの息子……」という台詞は、ウォーカーの選択が気に入らない赤頭巾たちによって息子が物語の世界に連れ戻される危険を暗示しているのでしょうか。

 タイトルは火葬された友人が「炎の中で眠る」ことに由来するようです。

 ぼくは呆然としていた。目の前に、三十数年前に死んだ男の墓がある。そこに彫られた男の肖像が、ぼくだったのだ。そのとき、見知らぬ老婆が声をかけてきた。「ここにたどりつくまで、ずいぶん長いことかかったね!」 捨て児だったぼくは、自分がなにものなのか知らない。悪夢が始まった……永劫の闇を覗きこむがごとき旋律の結末。『月の骨』に続く驚愕のダーク・ファンタジィ!(カバーあらすじ)

 [amazon で見る]
 炎の眠り 

『S-Fマガジン』2024年6月号No.763【特別対談 宇多田ヒカル×小川哲】

『S-Fマガジン』2024年6月号No.763【特別対談 宇多田ヒカル×小川哲】

「特別対談 宇多田ヒカル×小川哲」
 視点の切り替え、実体験なのかよく聞かれる、などの共通点が。
 

Netflix独占配信シリーズ『三体』公開記念特集」

「『三体』ドラマ比較レビュー」加藤よしき
 Netflix版と中国テンセント版の比較。

「Audible から《三体》入門!」祐仙勇×池澤春菜
 

テリー・ビッスン追悼」

「熊が火を発見する」再録

「ビリーとアリ」「ビリーと宇宙人」テリー・ビッスン中村融(Billy and the Ants,Terry Bisson,2005/Billy and the Spacemen,2006)★★☆☆☆
 ――ビリーはアリたちを踏みつけました。ビリーは水鉄砲でアリたちを流しました。ビリーはアリたちをハンマーで叩きました。「敵発見! ドカン・ドカン・ドカン」。「お昼寝の時間よ」とビリーのお母さん。ビリーはお昼寝が大嫌いでした。ベッドに寝そべっていると、外で何かを引っかく音がします。見ると、窓の外にネズミくらいの大きさのアリがいます。ビリーはおもちゃの弓矢を射ました。お昼寝の時間が終わって裏庭に行くと、猫くらいの大きさのアリがいました。ビリーは熊手でアリを串刺しにしました。

 ブラック童話のシリーズ。初訳。
 

「ハワード・ウォルドロップ追悼」

「みっともないニワトリ」ハワード・ウォルドロップ/黒丸尚(The Ugly Chickens,Howard Waldrop,1980)★★☆☆☆
 ――ぼくはバスに乗って『世界の絶滅鳥および消えゆく鳥』をパラパラと眺めていた。「長いことそのみっともないニワトリは見てないわ」と近くで声がした。そんなことありえない。これはモーリシャス島の絶滅した鳥の絵なんだから。だがぼくはそう言う代わりに、バスから降りたご婦人の後を追った。ぼくの名はポール・リンドバール。テキサス大学鳥類学部の院生だ。ぼくはそのご婦人から情報を聞き出し、ドードー鳥を追った。

 再録。絶滅したドードー鳥のことをみっともないニワトリだと思って飼っている人たちの存在を知り、大発見をものするべくドードー鳥を目指す珍道中。導入はものすごく好きなのですが、その後の面白さがわかりませんでした。
 

「世界の妻」イン・イーシェン/鯨井久志訳(The World's Wife,Ng Yi-Sheng,2023)★★★★☆
 ――あの惑星がお見えになりますか? あなたのご主人ですよ、パンさん。改めてお悔やみ申し上げます。脱出ポッドから放り出されたご主人の腐敗の過程はきわめて常軌を逸したものでした。ご主人の最期の息が吐き出されると、その体を包む始源の大気が形成され、その後、急速な自己分解が始まりました。そして最終的に、遺体の中に化石、粘土、水という三つの層が形成されたのです。その結果、ご主人の頭部は地球のミニチュアのような特徴を備えるようになったのです。これは慰めになるでしょうか、われわれはご主人から知的生命体を発見しました。

 頭も惑星も丸いわけで、そういう発想が生まれること自体はわからないではありませんが、それを漫画ではなくSF小説にしてしまい、あまつさえ文明まで発生させてしまう頭山的な奇想には脱帽します。そのあとも凡人作家であれば新世界の発生と終焉できれいにまとめるところでしょうが、組織の責任逃れにより予想も付かない方向にボールが放り投げられる、黒い笑いのセンスがただものではありません。どうして Ng で「イン」と読むのかと思ったら、シンガポール出身なので福建語読みで「黄」を「Huang フアン」ではなく「Ng ン/イン/エン」と読むらしい。
 

「SF BOOK SCOPE」
『噓つき姫』坂崎かおるは、新鋭の初作品集。紹介文からは幻想小説っぽい好みの雰囲気がします。

『眠りの館』アンナ・カヴァン。このまま行くと、全作品刊行されそうな勢いです。
 

「SFのある文学誌(94) 鳩山郁子――純粋少年結晶〜あるいは魂の羽ばたき〜」長山靖生

大森望の新SF観光局(94) ネトフリ三体への長い道」

「乱視読者の小説千一夜(84) 夢の浮橋若島正
 イアン・バンクス『The Bridge』
 

「歌よみSF放浪記 宇宙《そら》にうたえば(1) 余白と想像力」松村由利子
 新連載。SF的な短歌を選んで解説したもの。紹介されているなかでは、松木秀「煮えたぎる大地を打たぬまま消えていたはじめての地球への雨」のスケール感にくらくらします。
 

バーレーン地下バザール」ナディア・アフィフィ/紅坂紫訳(The Bahrain Underground Bazaar,Nadia Afifi,2020)★★★☆☆
 ――末期癌を患う主人公ザーラは最期の日に備えて、他者の記憶を仮想体験できる地下バザールに通い、あらゆる種の死に方を経験してきた。ある日いつものように一人の老女の死を経験するが、その記憶は死への衝動や死後の安寧など、これまで経験したことのない事柄であふれていた。その意味を解き明かすために、老女が暮らしたヨルダン・ペトラへと壮大な旅に出る――(解説紹介文)

 今後もしも自分が大病を患ったりして死が身近になったときに刺さるかもしれません。
 

 [amazon で見る]
 SFマガジン 2024年6月号 

『ハテラス船長の航海と冒険 ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクションⅠ』ジュール・ヴェルヌ/荒原邦博訳(インスクリプト)★★☆☆☆

『ハテラス船長の航海と冒険 ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクションⅠ』ジュール・ヴェルヌ/荒原邦博訳(インスクリプト

 『Voyages et aventures du capitaine Hatteras』Jules Verne,1866年。

 すでに『気球に乗って五週間』『地底旅行』『地球から月へ』は刊行されていましたが、〈驚異の旅〉というシリーズ名が用いられたのはこの作品が初めてということだそうです。1864年連載開始、1866年に十八折判2巻本、1866年11月に八折大判挿絵入り分冊版が出ており、この翻訳は挿絵入り版を底本にしているそうなのですが、解説を読んでも出版の時系列がよくわかりません。単行本刊行時にタイトルが『Les Aventures du capitaine Hatteras』に? 執筆自体は『気球に乗って』の後だったりもするのでさらに複雑に。

 船乗りリチャード・シャンドンの許に船長のK・Zと名乗る人物から謎めいた手紙が届きます。シャンドンを副船長にして危険な調査行を計画している。ついては大金と引き替えに、小帆船フォワード号を作らせ、船長と船医を除く十六人の乗組員を用意してほしい。なお、同行させる犬もお届けする――という内容でした。船は完成し、犬と船医も到着し、目的地もわからず船長も不在のまま船は航海を開始します。姿を見せない船長に代わり、犬はいつしか船長と呼ばれるようになりました。

 そもそも船長のイニシャルがK・Zなので、はじめのうちは果たしてハテラスとK・Zは同一人物なのかすらわかりません。ようやく船長の正体が明らかになるのは100ページほど進んでから。卑怯者(笑)。だから匿名だったんですね。引き返せないところまで来てから打ち明けるとか。【※北極点を目指して探検隊を全滅させた悪名高き船長だったため、本名で乗組員を募集しても誰も応募してくれないと考えて匿名で募集していた。

 訳註によればハテラス(Hatteras)という名は「mad as a hatter」から採られており、K・Zもcrazyに通ずるのだとか。『不思議の国のアリス』でお馴染みのこの成句、英訳者はサッカレー『ペンデニス』に由来すると書いています。ヴェルヌがサッカレーを参照していたということなのでしょうか。

 ハテラスの登場によりそれまでリーダーシップを取っていたシャンドンは追いやられる形となり、対立構造というドラマが生まれます。

 ところが主役を乗っ取ったはずのハテラスが、なかなか主人公らしい活躍をしてくれません。ハテラスときたら北極点に到達したいがあまり残燃料を無視して船を駆り立て、案の定薪がなくなって生命維持のために暖を取ろうとする船員を斧で殺そうとするような、およそ共感しがたい人物なのです。名前が「mad as a hatter」から採られたという説も納得の狂人ぶりです。

 そうはありつつ陽気なドクター・クロボニーがハテラスの味方をするので、文字通りムードメイカーの言動によって、ハテラスが正しいムードが徐々に形成されてゆきます。

 それにしてもハテラス船長はネモ船長のようなカリスマ性もなく、このあとヒーローたりうるのかと危ぶんでいたところ、なんとヴェルヌは奇策を打って出ました。シャンドン副船長をハテラス船長以上の卑怯者にすることにより、シャンドン=悪、ハテラス=正義という図式を作りあげたのです。何という力業。【※燃料調達に出かけたハテラスたちを見捨てて船に火をつけ、陸路で逃亡。

 物語自体も、船から下りて燃料を探しに行くところあたりから起伏に富んだ冒険が続いてゆきます。それまでは氷山の恐怖などはあっても、ずっと船上なので単調になっていたのは否めませんでしたから。

 なのに――。なのに、ハテラス――。せっかく盛り上がってきたのに、遭難していたのを助けたアメリカ人アルタモントとお国自慢で張り合っている場合ではないでしょうに。なんてちっぽけな男。およそ船長の器ではありません。

 船長の器どころか、船員としてほぼ何もしていません。アザラシの皮をかぶってクマに立ち向かっただけ。ドクターは知識をふんだんに活用し、大工のベルはその腕を活かし、乗組員長のジョンスンはベテランらしい忠誠心で動いているというのに。

 フィリアス・フォッグもちょっとどうかと思う人でした。バービケーンやニコル大尉のいがみ合いも大概でした。それでも彼らなりにかっこいい人たちでしたし、リーデンブロック教授に至っては愛すべき頑固者キャラでした。ところがハテラスには彼らのような魅力はありません。

 ハテラスとアルタモントの対立をさっさと終わらせるよう指示したエッツェルは優秀な編集者だったのだなと感じました。訳註や解説を読むにつけてもますますその思いを強くしました。

 ただしハテラスの最後だけはエッツェルの判断ミスだと思います。どのみちハッピーエンドにならないのなら、潔く死なせてあげればよかったものを。自我を失ったまま北極の方向に歩き続けるだなんて、ギャグにしか思えませんでした。

 北極点だけ小さな島になって陸地になっている都合の良さ、どうしても領土という形でナショナリズムとハテラスの情熱を表現したかったのでしょうが、微笑ましいものがありました。

 『インド王妃の遺産』が他人の原作をヴェルヌが書き直したものだとは知りませんでした。けっこう面白い作品でしたが、ヴェルヌらしくないと言えばそうかもしれません。

 解説者が冒頭でいきなり船内の生活とコロナ禍での巣ごもりを結びつけて同時性を説いていましたが、さすがに強引すぎます。

 これだけ大部の作品なので翻訳は大変だったであろうとは思いつつ、気になった箇所がいくつか。第一部第三二章(p.288)「ドクターは彼の衣服のポケットの中を探った。空だった。だから証拠になるようなものはなかった」。「証拠」というのは「身元を証明するもの」くらいの意味かなあと思って確認してみると、原文は「document」でした。

 第二部第一章(p.298)「運のない男だ!」というジョンスンの台詞が、上から目線というか他人事のように聞こえます。「彼の運命を羨むべきなのかも」という文章を活かすために、不自然な表現になろうとも敢えて「運」という単語を入れたのかと思いきや、原文は「L'infortuné !」と「son sort !」なので関係ありませんでした。

 第二部第一一章(p.400)「『えっ!』ドクターが答えた。『クマは遠目が利くし、きわめて鋭敏な嗅覚に恵まれているからね(略)』」。驚いている場面ではありません。「Eh bien !」あたりを訳したのかと思ったら、原文は「Oh !」でした。

 第二部第一二章(p.413)「見たまえ、ポーカーが貫通しない! だんだん笑止千万になってきた!」。「ridicule」の訳としてどうこう以前に、笑止千万という言葉はこういう使い方はしないでしょう。

 [amazon で見る]
 ハテラス船長の航海と冒険 ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクションⅠ 

『猫島ハウスの騒動』若竹七海(光文社文庫)★★☆☆☆

『猫島ハウスの騒動』若竹七海光文社文庫

 初刊2006年。

 猫ばかりの島、通称・猫島。高校生の虎鉄は海岸でナイフを突き立てられた猫の剥製を見つける。たまたま観光で島を訪れていた葉崎署の刑事・駒持は、猫アレルギーに苦しみながらも事件の背後に何かが潜んでいると感じて調査を続ける。剥製は土産物屋兼書店店主でありポルノ小説の翻訳家でもある三田村成子の店で売られたものだった。買っていったのは猫目的の観光客とは思えないラテン系の男だ。

 虎鉄の幼なじみ響子は祖母の営む民宿〈猫島ハウス〉を手伝っていたが、祖父の弟・幸次郎が十八年前に起こった勧当銀行三億円強奪事件の一味だったと知り、衝撃を受けていた。宿泊客の原アカネは島に移り住むため古民宿を買って改築中だったが、積み上げておいた廃材に猫が小便をしてしまい、あまりの臭さに苦情が来ていた。アカネは猫島ハウスでラテン系の男を見かけたと言うが、宿泊客のなかにそんな男はいない。

 葉崎市シリーズの一冊。葉崎半島の海の先にある猫島が舞台です。

 いろいろイベントは起こるものの、島特有の時間感覚のゆえでしょうか、テンポは遅めでちょっともっさり気味です。猫アレルギーの本署刑事とやる気のない地元警官の凸凹コンビも、おふざけが過ぎていまいち笑い切れません。三田村成子をはじめとする魅力的なお婆さんはいるものの、群像劇というほど各キャラクターが引き立っているわけでもなく、さりとて能動的に事件を引っかき回す探偵役もいないため、全体として平板な印象を受けてしまいます。

 事件自体もさほど意外性なく終わってしまいました。あるかもしれない三億円を夢見て覚醒剤がらみの者たちが起こしたという、そのまんまの話でした。崖からの転落者とマリンバイクの衝突事故の真相に、ミステリらしい発想の転換【※崖から落ちたのではなく、崖下のほこらに三億円を探しにきているときに衝突した】がありましたが、その他のごたごたに埋もれてしまっていました。

 響子と虎鉄が疎遠になるきっかけになった修学旅行のエピソードは最後まで明かされないままでした。これまでの葉崎市シリーズで描かれた過去エピソードというわけでもなく、今後スピンオフとして書かれることになるのか、このまま謎のままなのかもよくわかりません。

 それにしても柴田よしきによる解説がひどい。コージーミステリについての薄っぺらい“私はこう思う”が書き連ねられているだけで、本書についてはほとんど言及なし。たぶん中身を読んでないでしょ、この人。

 葉崎半島の先、三十人ほどの人間と百匹以上の猫がのんきに暮らす通称・猫島。その海岸で、ナイフが突き刺さった猫のはく製が見つかる。さらに、マリンバイクで海を暴走する男が、崖から降ってきた男と衝突して死ぬという奇妙な事件が! 二つの出来事には繫がりが? 猫アレルギーの警部補、お気楽な派出所警官、ポリス猫DCらがくんずほぐれつ辿り着いた真相とは?(カバーあらすじ)

 周知の通り、猫とミステリの相性はよくて、『猫は知っていた』からシャム猫ココまで山ほどの猫ミスが世に送り出され、愛されてきた。なにしろ、ちょこっとしか登場しない猫の名前をシリーズ・タイトルにしちゃった本もあるくらいなのだ。アメリカには〈猫ミステリライター連合〉みたいな名称の団体まであって、猫ミス専門ライターが佃煮にするほどいるらいい。本書にも猫がたくさん登場(かつちゃんと活躍)するが、うち八割の名前は小説や映画に出てくる猫の名前からとってあります。ただし、出典が全部わかったら、相当の猫バカだと思う。(ノベルス版「著者のことば」)

 [amazon で見る]
 猫島ハウスの騒動 

『アラバスターの壺/女王の瞳 ルゴーネス幻想短編集』ルゴーネス/大西亮訳(光文社古典新訳文庫)★☆☆☆☆

アラバスターの壺/女王の瞳 ルゴーネス幻想短編集』ルゴーネス/大西亮訳(光文社古典新訳文庫

 『El vaso de alabastro/Los ojos de la reina』Leopoldo Lugones。

 日本オリジナルの傑作選。河出文庫ラテンアメリカ怪談集』にルゴネスの表記で「火の雨」が収録されていました。さすがに古くさくてベタなくせにピントが微妙にずれている作品ばかりだったので、途中で読むのをやめました。
 

ヒキガエル(El escuerzo,1897)★★★☆☆
 ――ある日、別荘の敷地で遊んでいたぼくは、ヒキガエルに出くわした。そいつは人を見ても逃げずに全身を膨らませて怒った。何度も石をぶつけているうちにぐったりしたヒキガエルを、ぼくは女中に見せに行った。「いますぐ焼いてしまいましょう。焼き殺さないと生き返るってこと知らないのね? アントニアの息子に何が起こったか話してあげるわ」

 さほど意味があるとは思えない額縁形式。拍子抜けするようなあっさりしたラスト。本書収録作のいくつかに共通する特徴です。確かにショッキングなのですが、唐突すぎて、怖いというより呆気に取られてしまいました。背景となる伝承か何かあるのでしょうか。
 

カバラの実践」(Kábala práctica,1897)★★☆☆☆
 ――墓地の管理人が知り合いだったおかげですべては容易でした。わが友エドゥアルドは選り抜きの骸骨を加えることで、博物学の標本室を完璧なものにしたいと望んでいました。「若い女の骸骨を加えることにしよう」……わたしはこうして、ふさいでいるカルメンの気を紛らそうと、エドゥアルドが体験した出来事を語りはじめた。エドゥアルドが眠りから覚めると椅子には若い女が座っていました。無意識のうちにガラスケースに目をやると、骸骨がどこにも見当たりません。

 この作品は額縁形式に意味があり、それは確かにぞっとします。しかしながらあまりにも唐突で、そもそも辻褄が合っているのかどうかよくわからない中途半端さがつきまといます。骨女と骨なし女で平仄が合っているといえばそうなのですが。
 

「イパリア」(Hipalia,1907)★★☆☆☆
 ――ある雨の晩、彼がイパリアを拾ったとき、彼女はまだ三歳の女の子だった。十六歳になるころには、驚くほど美しい娘に成長していた。みずからの美貌に溺れるあまり、自尊心に我を忘れてしまった。一日じゅう地下室に閉じこもり、白い壁にむかって座りつづけるのである。彼女によると、壁には、水銀を施したガラスの鏡よりも鮮明な像が映し出されるのだという。

 当人が望んでいたとおり壁に映し出された話なのですが――最後に怪異を確かめるために温度計を持ち出すあたり、ピントがずれていると思うのですが、あるいはこれがリアリティのある細部なのかもしれず、どうもすっきりしません。
 

「不可解な現象」(Un fenómeno inexplicable,1898)★★☆☆☆
 ――わたしは紹介状を手にその男に宿を借りた。食事の最中、インド駐留中の話になった。「ヨガ行者に感銘を受けたわたしは修行にとりかかりました。二年が経過するころには意識の転移が可能になりました。しかし目覚めた能力は次第に御しがたいものになっていきました。放心状態がつづくと自我の分裂が引き起こされるようになったのです。ある日のことです。意識を取り戻すと、部屋の片隅に何かの影を認めました。それはなんと猿でした」

 絵の心得がないから人間ではなく猿の形になってしまった――ではギャグになってしまうので、絵の心得がないのに猿の形が描けてしまったのが怖いということでいいのでしょう。どうも「イパリア」の温度計同様、余計な一言に思えてしまいます。
 

「チョウが?」(¿Una mariposa?,1897)★★☆☆☆
 ――フランスの学校へ入るために旅立たねばならなくなったとき、リラはいとこのアルベルトと語り合いました。ふたりが別れを告げたとき、ふたりは泣きはらしていました。アルベルトがチョウを捕るようになったのはそのころです。日がたつにつれ泣くことは少なくなり、やがてリラは単なる思い出となりました。ある昼下がり、それまで見たことのないチョウを捕まえました。細心の注意を払ってピンで留めましたが、翌朝になってもチョウは生きていました。

 死者の魂を運ぶと言われる蝶となって恋人のもとを訪れる悲恋ですが、アルベルトの方から見ると悲恋ではないところに厭らしさがあります。額縁の外で語り手の話を聞いていたアリシアが、最後に「チョウが、ですって?」とたずねるのは、リラじゃなくてチョウ?ということでしょうか、相変わらずわかりづらい。
 

「デフィニティーボ」(El "Definitivo",1907)★☆☆☆☆
 ――精神病院の庭で、狂人は語りはじめた。「ぼくはあるとき突然、病気になってしまったんです。あのデフィニティーボがやってきたときに」「デフィニティーボ?」「あなたがたには見えませんか?――ぼくはその日、夜ふけに帰宅しました。開け放していた扉から、デフィニティーボが入ってきたんです」

 「決定的なもの」を意味する「デフィニティーボ」を擬人化した掌篇。
 

アラバスターの壺」(El vaso de alabastro,1923)★☆☆☆☆
 ――ニール氏はエジプトの古代魔術に関する対話集会を開き、自分の体験をわたしに話してくれた。ハトシェプスト女王の墳墓に関わったカーナーヴォン卿が死んだ。感染症だと思われたが、現地の助手によれば、壺を開けて死の香水を吸い込んでしまったからだという。ニール氏が助かったのはほとんど嗅がなかったからだ。そのとき通り過ぎた女からえもいわれぬ香りが……。

 エジプトの死者の呪いという陳腐な内容と、またもや取って付けたような最後のひとこまでした。
 

「女王の瞳」(Los ojos de la reina,1923)★☆☆☆☆
 ――ニール氏が「突然の病のため死去した」という記事を読んで、ニール氏はあの女のためにみずから命を絶ったのだと思い当たった。女王は鏡をのぞき込んだ者を罰するため、その不吉なまなざしを、美と死のまなざしを、鏡のなかに永遠に封じ込めたのです。自殺した作業員はすっかり鏡の虜になってしまいました。

 作中でも言及されている通り、「アラバスターの壺」の続き。という蛇足。
 

「死んだ男」(El hombre muerto,1907)

「黒い鏡」(El espejo negro,1898)

「供儀の宝石」(Gemas dolorosas,1898)

「円の発見」(El descubrimiento de la circunferencia,1907)

「小さな魂《アルミータ》」(Las almitas,1936)

「ウィロラ・アケロンティア」(Viola acherontia,1899)

「ルイサ・フラスカティ」(Luisa Frascati,1907)

「オメガ波」(La fuerza Omega,1906)

「死の概念」(La idea de la muerte,1907)

「ヌラルカマル」(Nuralkámar,1936)

 [amazon で見る]
 アラバスターの壺/女王の瞳 ルゴーネス幻想短編集 


防犯カメラ