『ミステリマガジン』2024年7月号No.765【令和の鉄道ミステリ】

『ミステリマガジン』2024年7月号No.765【令和の鉄道ミステリ】

「スティームドラゴンの奇走」霞流一

「幸運の境界」山本巧次 ★★★☆☆
 ――親の遺した不動産収入で不自由なく暮らしている芸術気取りが自宅で殺された。喜瀬川健一、三十九歳、現場にあったブロンズ像で頭を殴られていた。第一発見者は裸婦像のモデルの一人。被害者は女癖が悪いと評判で、発見者以外の二人のモデルとも付き合っていたらしい。真駒内の主婦にはアリバイがあった。三人目のモデルに会いに函館まで出張すると、北浦佐緒里は死亡推定時刻の直前まで喜瀬川と一緒にいたことを認めた。夫が不倫に気づいていたらしいとの証言から、夫に容疑がかかるが、十時に犯行現場にいたとしたら、防犯カメラに映っている十二時半に新函館北斗に戻ることは不可能だった。

 犯行可能な移動手段が存在しないという古式ゆかしいアリバイもの。とは言え、ある事情により近未来である必要があります【※新幹線札幌開通に伴う試乗車を利用した。】。トリックを成り立たせるだけなら架空の都市や鉄道が舞台でもいいと思うのですが、恐らく鉄道マニア的には来たるべき近未来で確実に存在し得るリアリティが重要なのでしょう。
 

「祝!北陸新幹線 金沢-敦賀 延伸開業 北陸を主要舞台にした鉄道ミステリ」佳多山大地

暴走機関車で楽しい旅を〜最近の鉄道ミステリ映画を中心に〜」小山正

「4番線最終列車」界賀邑里
 見覚えのある名前だと思ったら、オガツカヅオも寄稿していた『ホラーコミック レザレクション vol.1』の寄稿者でした。
 

石破茂氏インタヴュー」
 いくら鉄道好きとはいえなぜ石破氏なのかと思ったのですが、意外と言っては失礼ですが、意外なほど面白くて驚きました。普段からしゃべり慣れているからでしょうか、やはり政治家は話が上手なようです。実在する鉄道の登場するミステリを読む楽しみと現代の読者には勧められない理由、時刻表トリックと政治活動の共通点など、単なる感想ではなくポイントを押さえた着眼点なのには敬服します。
 

「無賃列車お断わり」コーネル・ウールリッチ/田村義進訳(You Pay Your Nickel,Cornell Woolrich,1936)★★★☆☆
 ――ディレイニーは始発駅に着くまで新聞を読み始めた。〝ファントム〟なる盗賊がビルで包囲されているというニュースが載っていた。ひとりで五軒のオフィスを荒らして警備員を殺し、都合五十万ドルの現金を奪いとったらしい。ディレイニーは始発駅に着くと、第三列車の後部車輛に車掌として乗りこんだ。終着に着くと最新の新聞を買った。ファントムは非常線を突破し、地下鉄を利用して逃げたらしい。一本まえの列車だった。つぎの駅で五輛が連結され、ディレイニーの持ち場はひとつ後ろの車輛にうつった。ふと乗降口を見ると見慣れぬスーツケースがある。ファントムが警官から逃げる途中で一時的に荷物を置いて、あとで回収しに来るのだと気づいた。つぎの駅。つぎの駅でもなにもなかった。つぎの駅で乗客ともめている間に、気づくと荷物がなくなっていた。ソフト帽をかぶった男が移動していた。「待て!」。途端に鋭い音とともに、扉のガラスが粉々にくだけた。

 1980年8月号掲載作の再録。追われる側ではなく追う側のサスペンスというのはちょっと珍しい気もします。しかも命を賭けてまで追う理由がよくわかりません。しかし細かいことはさておき、地下鉄という狭く限られた暗い空間内でのサスペンスには手に汗握らされました。
 

「五時四十八分発」ジョン・チーヴァー/田口俊樹訳(The Five-Forty-Eight,John Cheever,1954)★★★☆☆
 ――ブレイクがエレベーターから出ると彼女がいた。彼を待っていたらしいが、彼にはなんの用もない。そのまま無視して駅に向かった。途中、ウィンドウに彼女の姿が映った。つけられているのではないか、危害を加えようとしているのではないか。彼はバーに入ってやり過ごしたあと、駅に向かった。六ヵ月前、秘書として雇った。数日後、彼女は八ヵ月病院にはいっていたことを打ち明け、感謝を述べた。彼はその黒い髪や目に好感を持った。有能だったが、粗雑な筆跡だけは好きになれなかった。三週間後の夜、彼は彼女を酒に誘った。一時間後、服を着ながら彼女のねじれた文字を見た。翌日、彼は彼女を解雇した。彼女を見るのはそれ以来だった。列車に乗ってしばらくすると、「ブレイクさん」と声がした。彼女だった。名前も思い出した。「やあ、デントさん」彼は隣の車両に移ろうとした。「逃げようとしないで。お話がしたいだけ。動かないと殺します。お願い!」

 1982年9月号掲載作の再録。他人を軽んじて来た男が受ける手痛いしっぺ返し。いざというとき誰からも相手にされずに追い詰められてゆくのも当然です。しかしそれでも自己愛に満ちた男には響いていません。この、現実にもいる気持ち悪い人間の絶妙なリアリティが見事です。訳語でわからなかった点をいくつか。「ポケットブック」というのは、ここではハンドバッグのことを指すようです。ファッション用語としてはメジャーなのでしょうか。「チキン・リキン」とは絵本『Chicken Licken』の主人公のヒヨコ。『チキン・リトル』とも。リキンは頭に木の実がぶつかったのを、空が落ちてくると勘違いして大騒ぎする。
 

「迷宮解体新書(140)夕木春央」村上貴史
 『絞首商会の後継人』でメフィスト賞を受賞。「探偵の動機を意識することが多い」だったり、『十戒』の設定に於ける「犯人を見つけてはいけない状況下での連続殺人」だったり、なかなか着眼点が面白そうな方です。
 

「ミステリ・ヴォイスUK(143)宇宙・地球・神」松下祥子

「書評など」
『Shirley シャーリイ』は、シャーリイ・ジャクスンの伝記映画。サスペンスとしても観れるそう。

ポケミス読者よ信ずるなかれ』ダン・マクドーマンは、タイトル勝ち。文庫化されたらどうするんだろう。「メタフィクションめいた趣向を駆使した作品だが」「その根底にあるのは、オーソドックスな謎解きミステリを志向する精神」とのこと。

『両京十五日 Ⅱ 天命』馬伯庸は、『Ⅰ』に続く完結編。『ウナギの罠』ヤーン・エクストレムは、界隈では名のみ知られていたスウェーデンの密室ミステリの古典。夜の人々エドワード・アンダースンは、チャンドラーが「これまで書かれた犯罪小説のなかで最高の一冊」と評したノワール小説の古典。

『それは令和のことでした、』歌野晶午、『冬期限定ボンボンショコラ事件』米澤穂信は、いずれもベテランの新作。

◆古典新訳からは、『グリーン家殺人事件』S・S・ヴァン・ダイン、『プレイバック』レイモンド・チャンドラー。謎めいた遺作は、新訳で読んでもよくわからなかったそうです。
 

「おやじの細腕新訳まくり(35)

「クランシーと数字の謎」ロバート・L・パイク/田口俊樹訳(Clancy and Paper Clue,Robert L. Pike,1962)★★★☆☆
 ――午後九時。五二分署。マーティン巡査がひとりの男を引っ立ててきた。三人組に襲われ銃を奪われ、二人は逃げたが一人は捕まえた。だが男はいっさい口をきかなかった。9/14/60――300/11.20/26.78.という紙切れ。クランシー警部補は警部に電話した。「銃を奪われたとは、まずい時期にまずいことが起きたものだな」警部の言う通りだった。誰もが国連の警備に借り出されていた。

 ロバート・L・フィッシュの別名義。基本的には警察小説ですが、暗号めいたメモが登場し、そのメモがきっかけで犯人たちのターゲットがわかる仕掛けになっていました。【※数字は、当時のある国との為替レート
 

「華文ミステリ招待席(15)

メビウス荘園の奇妙な事件」林星晴/阿井幸作訳(莫比乌斯庄园奇案,林星晴,2023)★☆☆☆☆
 ――韋水寿《ウェイ・シュイショウ》は粒子輸送センサーをオンにし、実験ビルへテレポートした。「嘉《ジア》さん、また事件について助言をもらいたく……」「博士と呼ぶように。さて、今回はどんな事件だね?」「今回の事件はやや特殊で、不審な点が全く見当たらない自殺事件なんです。でも自殺の李湯がいくら考えても分からないんです」韋は周柏林《ジョウ・バイリン》という大衆小説家が書いた日記のリンクを送信した。鐘青司《ジョン・チンスー》という建築家が六年の歳月を費やした、メビウスの帯のような別荘地メビウス荘園に、三人の当選者が宿泊体験に招待された。周柏林、若く美しい旅行家兼撮影家の庄子謙《ジュアン・ズーチェン》、陳明生《チェン・ミンション》という間欠性爆発性障害を患っている男性だ。さっそく朝食が始まったが、鐘は歯が悪いといって白がゆしか食べなかった。その後、スノーバイクに乗って人工雪のなかを荘園を一周することになり、安全のため一人ずつ、鐘が付き添うことになった。ところが一人目の陳のときスノーバイクが故障してしまい、それ以降は転移することになった。

 著者名はリン・シンチン? 一応、SFでなければ成立不可能な館ものではあります。SF作家による館もの批判(?)に応える形で書いたそうですが、登場人物の口からそれっぽいことを言わせているだけで、作品そのものはまったく回答になっていません。著者がメビウスの輪トリック【※メビウスの輪を一周すると反転する】をやりたかっただけで、犯人がその犯行方法を選択する必然性もなければ、被害者はいずれどういう形であれ死を迎えていたとはいえ【自殺した】のは結果論ですし、館ものやトリックどうこう以前に作品としてまとまっていません。たぶん真面目に反論するつもりはなく、ネットのノリでプロレスしているだけのような気もします。

 実際、p.306では「博士がこれ以上じらす気でいたら、彼は本当に土下座しただろう」と書いた直後に「絨毯の上にひれ伏した」と書かれていて、初めは意味が取れなかったのですが、その後のAI探偵とのやり取りを読むかぎりでは、どうやらギャグで書いてあるつもりのようですし、全体も恐らくジョークなのでしょう。

 p.297で、陳明生が口の中のものを吐き出したあとであとでおかゆを六杯食べたというのも意味不明でした。トリックによって【消化できない身体になっていた】というのはわかるのですが、だからと言って吐いた直後にノーリアクションで食べ続けるのが理解不能で、【精神障害】という犯人像とも関係なさそうですし、シュールな世界を狙っているとでも考えないとまるでわかりません。

 p.293で「「陳さんはどうですか?」庄子謙さんが笑顔で尋ねた。「私も疲れたから、周さんと一緒に休んでいます」」とある直後に、鐘青司が「では陳さん、一緒に荘園スキーはどうです?」とたずねているのもしらばく理解に苦しんだのですが、これはたまたまカギカッコの前で改行されているだけで「私も疲れたから……」は陳さんの応答ではなく庄の台詞の続きなのだ、とわかるまでしばらくかかりました。
 

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 ミステリマガジン 2024年7月号 

『シャーロック・ホームズの帰還』アーサー・コナン・ドイル/延原謙訳(新潮文庫)★★★☆☆

シャーロック・ホームズの帰還』アーサー・コナン・ドイル延原謙訳(新潮文庫

 『The Return of Sherlock HolmesArthur Conan Doyle,1905年。
 

「空家の冒険」(The Adventure of the Empty House,1903)★★☆☆☆
 ――ロナルド・アデヤ卿殺害事件の調書を読むにつけても、シャーロック・ホームズの死がいかに社会の損失だったかを感じた。夕方、事件のあった家を見に行ったときにぶつかってしまった愛書家の老人が、訪ねてきた。本を拾ったお礼とぶしつけな態度を詫びたその老人に言われて本棚を眺め、振り向くとそこにホームズがいた。ホームズはモリアーティとの顛末と自分の命が狙われていること、アデヤ卿事件に一味が関わっていることを語ったのだった。

 元々『思い出』で死んでしまったはずのホームズを生きていたことにするのだから無茶な内容ではあります。ホームズ自身も、路上から狙撃されると考えていたから路上に警官を配置しておいて自分は向かいの家の窓から見張るという、わけのわからないことをしています。そうは言ってもモーラン大佐という悪役はひときわ記憶に残っていますし、あの直接対決の緊迫感はさすがというほかありません。また、ホームズがワトソンを驚かせたり蠟人形を仕掛けたりといったノリノリなのも健在でした。
 

「ノーウッドの建築士(The Adventure of the Norwood Builder,1903)★★★★☆
 ――真っ青な顔をした青年が飛び込んできた。「私が問題の、不運なジョン・ヘクター・マクファーレンです」。といってもこっちはいっこう覚えがない。「ノーウッドのジョナス・オールデカー氏殺害の容疑で逮捕されそうなんです」。新聞によると、昨夜オールデカー氏の材木置場から出火し、焼跡から黒焦の死体が見つかった。オールデカー氏の姿が見えず、訪問客が忘れていったステッキの握りからは血痕が発見された。マクファーレン青年は氏と面識がなかったが、若いころ両親に世話になったから財産をマクファーレンに遺したいということだった。

 新潮文庫版では『叡智』所収。わたしがどうしてこの作品が好きかというと、現在進行形で事件が起こっているタイプの作品が好きだから、というのがあります。警察は気づいていない手がかりに探偵だけは気づいているというパターンに、進行中の事件に犯人が余計な手を加えてしまったという型が組み合わされているのもポイントです。いわゆるトリックが扱われているのはホームズものでは意外と珍しいと思います。
 

「踊る人形」(The Adventure of the Dancing Men,1903)★★★☆☆
 ――「すると君は、南ア株へ投資しないんだね?」。ホームズの説明を聞いて拍子抜けした私に、ホームズは紙片を放って寄こした。わけのわからぬ人形がならんでいた。「なんだこれは?」「ヒルトン・キュビット氏もそれを知りたがっているのさ」。キュビット氏は昨年知り合ったエルシーという婦人と恋に落ち、「私の過去についてはいっさい申しあげられません。それでよければ」というエルシーの言葉に同意して結婚した。それが一週間前、窓敷居の上に踊り人形が描かれいるのを見つけた。そして昨日の朝、日時計の上にあったこの紙切れを見て、エルシーが卒倒してしまった。

 ワトスンの心を読むホームズが印象的です。暗号自体は単純なものですが、「子供の悪戯画」のような棒人間型のコミカルな人形には、一度見たら忘れられない味があります。一方そうした牧歌的な暗号とは裏腹に、事件は悲劇的な結末を迎えます。ホームズの失敗と言っていいでしょう。犯人は紛う方なきクズなのですが、恋愛がらみの犯罪に寛容なのがワトスンらしい(ドイルらしい)と思います。
 

「美しき自転車乗り」(The Adventure of the Solitary Cyclist,1904)★★☆☆☆
 ――ヴァイオレット・スミス嬢を知ったのは一八九五年のことだ。「父が亡くなり母と二人で貧しく暮らしていたところ、二十五年前アフリカに渡った叔父が亡くなり、本国の親戚が困っていれば面倒を見てくれるように言い遺したといいます。叔父の友人のウッドリーさんというのがいやらしいかたで、もう一人カラザーズさんは一人娘に音楽を教えてくれたら年百ポンド出すとおっしゃってくださいました。毎週土曜日に自転車で駅まで参ってロンドンへ帰ることになったのですが、寂しい場所を通りかかったおり、ふと後ろを見ると顎鬚の中年男が自転車に乗って尾けて来るのに気づきました」

 タイトルが大事だなあと思うのは、この作品は「花嫁失踪事件(独身の貴族)」や「ボスコム谷の惨劇」と同じくらい印象の薄い作品なのですが、ちゃんと自転車の話だと覚えていたところです。当時一人で自転車に乗るくらいですからスミス嬢は活動的で勝気な女性であり、それがために事件が起伏に富むものになっている感はありました。
 

「プライオリ学校」(The Adventure of the Priory School,1904)★★★★☆
 ――前内閣閣僚ホールダーネス公爵のたった一人の令息サルタイヤ少年が誘拐された。依頼人のハクステーブル博士が校長を務める進学準備校プライオリ学校から夜中のうちに姿を消したのだ。すぐに点呼を取ったところ、ハイデッガーというドイツ人教師と自転車一台も消えていた。身代金の要求もなく、街道に目撃者もいなかった。世間体を気にする傲岸な公爵ではあったが、捜査継続を認めた。だが逃走経路に犯人の形跡はなく、牛の足跡しか見つからない。

 タイトルも事件も地味なためタイヤ痕のことしか覚えていなかったのですが、ホームズ譚には珍しい、ロジックを積み重ねてゆくタイプの作品でした。少年と教師の服装の違いから失踪時の状況を推理し、自転車が使われていることから少年の逃走状況を推理し、被害者の殺害状況から少年以外の犯人像を推理し……という風に、トントン拍子に推理していきながら、肝心のその犯人の痕跡がないという状況は魅力的です。牛の足跡はミステリのトリックだと思えばしょぼいのですが、歴史ものだと思えば興味深いです。ケレンの強いホームズによる犯人指摘や、ホームズらしからぬ締めの台詞(精一杯の皮肉でしょうか)など、実は結構見どころのある作品でした。
 

「黒ピーター」(The Adventure of Black Peter,1904)★★☆☆☆
 ――朝食を食べていると、ホームズが大きなやりをかかえて戻ってきた。「どうしたんだ、ホームズ!」「肉屋へ行ってきたのさ。おかげでひと突きでは豚を刺し通せないのがわかったよ」。そこに若いホプキンズ警部が訪ねてきた。「ホームズさん、手を貸してください」「ちょうどよかった。ところで現場にあった煙草入れをどう思う?」「被害者のものです。頭文字が入ってます」。被害者はその危険な気質から黒《ブラック》ピーターと綽名されていた元船長だった。胸のまん中を銛が貫いて、背後の羽目板にまで突き刺さっていた。

 初登場の『緋色の研究』もそうでしたが、ここで実際に銛で突いて確かめようとするのがホームズにしか出来ないところです。基本的に行動の人であり、そこがホームズの魅力でもあります。「グロリア・スコット号」のような犯罪者同士の因縁が扱われていますが、被害者も加害者もどちらも救いようのないクズであったり、殺害現場が凄惨で血塗れであったりと、ユーモラスな冒頭とは裏腹に胸糞悪い話でした。
 

「犯人は二人」(The Adventure of Charles Augustus Milverton,1904)★★★★☆
 ――散歩から帰ってきたホームズは、テーブルの名刺を見るなり投げすてた。「誰なんだい?」「ロンドン一悪いやつ、恐喝の王者なのさ」「どうしてここに?」「ある高名の婦人が処置を僕に一任してきたからさ」。やがてその男が部屋に入ってきた。「エヴァ嬢の代理だとおっしゃると、条件を承認なさったのですな」「条件とは?」「七千ポンド」「応じない場合は」「結婚はお流れになるでしょう」。ホームズはミルヴァートンが帰ったあとも身うごきせずにいたが、三十分後には若い労働者に変装して出かけていった。「ワトスン君、今晩僕はミルヴァートンの家へ盗みにはいるつもりだよ」

 邦題は新潮文庫版独自のもので、ほかの訳本では「恐喝王ミルヴァートン」「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン」等となっています。ホームズが何も出来ないどころか不法侵入に結婚詐欺と法まで犯してしまう異色の作品で、圧倒的推理力も脅迫の前では無力だったようです。脅迫でこそありませんが、「ボヘミアの醜聞」でも解決のためには写真を取り戻すしかなかったことを思い出します。ただし「ボヘミア」には奪取方法にも機知があったのに対し、この作品の場合は力ずくです。それでも面白いと感じるのは、ミルヴァートンの堂々たる悪役っぷりや、夜中の侵入が冒険ものとしての魅力を遺憾なく発揮していることや、謎の貴婦人の気高さや、レストレードへの台詞に見えるユーモアなど、記憶に残る場面が数多くあるからでしょう。
 

「六つのナポレオン」(The Adventure of the Six Napoleons,1904)★★★☆☆
 ――警視庁のレストレード君が夜分に下宿へやってきた。「これはワトスンさんの領分かもしれません」「というと?」「精神病ですね。ナポレオン一世をにくむあまり、かたっぱしから石膏像を壊してまわってるんです。最初は店先の像がやられました。次に医者の自宅と分院がやられました」。翌朝、レストレードから電報が届いた。ナポレオン像をめぐってとうとう殺人事件が起こったのだ。身元不明の男のポケットからは、一枚の男の写真が出てきた。

 偏執狂だからといって胸像のある場所がわかるはずがない、だとか、庭まで来て壊しているのは壊すのが目的ではなく街灯のある場所まで運んで来たのだ、など、この作品のホームズにはロジカルな魅力があります。一方で真相披露の場面では芝居っ気のあるお茶目なホームズも見られます。派手さはないけれどホームズの魅力がコンパクトに詰まった作品でした。
 

「三人の学生」(The Adventure of the Three Students,1904)★★☆☆☆
 ――ある有名な大学町で数週間を過ごしていると、カレッジの教官ヒルトン・ソームズ君が訪ねてきた。「奨学金試験をあすに控え、ギリシャ語の試験用紙のチェックをしていて、テーブルの上においたまま席を外しました。むろん部屋の鍵はかけていきました。ところが戻ってみるとドアに鍵がさしこんであります。召使のバニスターのものにちがいありません。お茶を出しに来てそのまま忘れてしまったという話です。そろえてあった試験用紙の校正刷りが動かされていました。誰かがしのびこんで大急ぎで問題を書き写して芯を折ったらしく、削り屑が落ちていました。穏便に処理するのが私の希いです。スキャンダルは避けたいのです」

 『叡智』収録。複数の怪しい容疑者たちのなかから真犯人を探すというのは、今や謎解き小説では定番中の定番ですが、ホームズ譚では珍しいです。それでもドイルはあからさまに怪しい学生を登場させたりして、しっかりと勘所を押さえているのはさすがです。それだけに今の目で見ると型通りで面白味の乏しい作品となってしまいました。動機や犯行機会の面からではなく、犯行を決意する機会の面から犯人を特定しようとするホームズの視点がユニークでした。
 

「金縁の鼻眼鏡」(The Adventure of the Golden Pince-Nez,1904)★☆☆☆☆
 ――前途を期待されているスタンリー・ホプキンス警部の訪問を受けた。「どこが頭やら尻尾やらさっぱりなんです」数年前に越して来たコーラム教授は病弱なため一日の半分を寝床でくらし、あとの半分を杖や車いすで邸内をぶらついて過ごしていた。近所からの評判はよかった。著作のために雇った秘書ウイラビー・スミス青年が、今朝、書斎で殺されていた。女中が発見したとき、スミスは「先生、あの女です……」と言い残して事切れた。

 現場から犯人が消えるというシチュエーションは「海軍条約文書事件」と同様ですが、あちらはなぜ犯人はわざわざ呼び鈴を鳴らしたのかという謎があったのに対し、こちらにはそうした魅力は皆無です。鼻眼鏡から持ち主を推理するというのもやはりトンデモでしょう。アメリカや戦争の因縁はホームズものではお馴染みのものですが、本篇はロシアの革命主義者の因縁というのが異彩を放っています。教授や犯人を醜怪な容貌の持ち主として描いているのは、ロシアや革命に対するドイルの偏見が表れているようにも感じられます。それにしても犯人は一方的にピーチクパーチク言いたいことだけを言って勝手に退場してしまいました。わたしの持っている版ではホプキンズが「探偵」となっていますが、恐らく「刑事(detective)」の間違いでしょう。延原謙の解説では「第一の傑作といまでも推す人がある」と書かれてありますが、そうなのでしょうか?
 

「スリー・クォーターの失踪」(The Adventure of the Missing Three-Quarter,1904)★★★☆☆
 ――ホームズをものの十五分も考えこませたのは、「スリー・クォーターガ失踪シタ」という電報だった。差出人はケンブリッジ大学ラグビーチームキャプテン、シリル・オヴァートン。ところがホームズは失踪したゴドフリー・ストーントンの名前もキャプテンの名前も聞いたことがなかったのだ。ホームズがストーントンの部屋を調べていると、伯父のマウント・ジェームズ卿が現れた。探偵なんぞに払う金など無いと邪険にされるも、ホームズは部屋に残された吸取紙から、ストーントンが電報を出した相手を突き止める。だがレスリー・アームストロング博士もホームズを追い払おうとするのだった。

 『叡智』収録。ホプキンズが名前のみ再登場。事件をホームズに押しつけてます(笑)。マウント・ジェームズ卿とレスリー・アームストロング博士という、傍若無人で個性的な老人二人が登場して、どちらが悪役なのかがわかりません。結果は、一人の老人【※マウント・ジェームズ卿】がこのキャラだからこそ起こった悲劇でした。真相は許されぬ恋と悲恋というロマンチックなものだったのですが、冒頭の謎が失踪という地味なものであり、失踪したスリー・クォーターも存在感がなく、悲しいかな印象に残らない作品でした。『四つの署名』以来の犬を使った追跡だけは覚えていました。
 

「アベ農園」(The Adventure of the Abbey Grange,1904)★★★☆☆
 ――ホプキンズから応援の手紙が届いた。ケント州でサー・ユーステスが殺された。十一時過ぎまで本を読んでいた夫人が寝む前に部屋の見回りをしたところ、侵入者に殴られ気を失ってしまった。気づくと椅子に縛られ猿ぐつわを嵌められていた。物音に気づいたらしいサー・ユーステスが現れて棍棒で殴りかかったが、賊の一人に火かき棒で反撃され死んでしまった。夫人はそこで再び気を失ったという。夫人の話では、賊はどうやら巷を騒がせている三人組のランドール父子のようだ。

 読み返してみると、被害者の夫人がいきなり夫批判をしているので驚きました。これでは怪しさ満点ではありませんか。今の目から見ると、自分で若い男を捨てて社会的地位のある男と結婚しておいて何を言っているんだという感じですが、当時としては仕方のないことなのでしょう。相変わらず恋愛には甘いドイルです。三脚のワイングラスや白鳥の池、椅子の血痕、腕の跡からの身長推理など、迷推理も含めて印象的な推理がいくつもありました。「金縁の鼻眼鏡」では前途を期待されていると書かれていたホプキンズ警部が「スリー・クォーターの失踪」に続いて再登場していますが、なぜか間抜けな役回りになっています。
 

「第二の汚点」(The Adventure of the Second Stain,1904)★★☆☆☆
 ――とある年の秋の火曜日の朝、二度まで総理大臣をつとめたベリンジャー卿と新進政治家の雄ヨーロッパ省大臣のトリローニ・ホープ伯爵がベーカー街の部屋へ訪ねてきた。ある外国君主が書いた挑発的ともいえる内容の書簡が紛失したという。ヨーロッパの現状を考えれば、スパイを通じて反同盟国に渡れば、イギリスも大戦に引きずりこまれるだろう。果たしてホームズが目を付けていたスパイが殺害される事件が起こった。

 この作品といい「海軍条約文書事件」といい、揃いも揃って防犯意識が足りない人たちです。政府や国際情勢にとって重大な事件でこそありますが、文書紛失の状況に謎めいたところがないため面白味はさほどありません。しかも動機が色恋沙汰と恐喝というしょぼさです。ドイル的には国際的な重大事件でホームズの退場に花を添えるつもりだったのかもしれませんが、成功していません。その試みは「最後の挨拶」で実を結ぶことになるのでしょう。

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帰還シャーロック・ホームズの帰還 叡智シャーロック・ホームズの叡智

『されば愛しきコールガールよ 私立探偵パーデュー・シリーズ①』ロス・H・スペンサー/田中融二訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)★☆☆☆☆

『されば愛しきコールガールよ 私立探偵パーデュー・シリーズ①』ロス・H・スペンサー/田中融二訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 『The DADA Caper』Ross H. Spencer,1978年。

 何かのミステリ・ベスト本で紹介されていて、短い章のすべてにアンダーウッドじいさんという酔っ払いの警句が掲げられている、という趣向だけで面白かったので読んでみました。

 実際のところはそれほど面白くありません。せいぜい「わしの友だちで、ニトログリセリンを積んだトラックをアラスカまで運転して行く仕事を請負ったやつがいて……今でもそいつの名前をつけた谷があるよ」というのが面白かったくらいで、ほかはたいしたことは言ってません。たいしたことじゃないものを、わざわざご大層にエピグラムに掲げているのが面白いということなのかもしれませんが。

 内容はというと、コールガール(売春婦ではない)のベッツィと付き合っている迷探偵のチャンス・パーデューが事務所を馘首になって、独立後に新しい依頼を受けるたびに前の事務所の所長を犯人と間違えてトラブルを起こすという繰り返しのお約束でした。繰り返しのお約束と言えば、夜な夜な男を襲うデブおばさんというのや、パーデューが肩をすくめてばかり、というのもありました。ハードボイルドのパロディというより、コントみたいなノリでした。文章じゃなくて映像なら笑えたかもなあ。

 それでもどうやら、合衆国政府の代理人から依頼が舞い込みます。破壊活動組織DADA(デストロイ・アメリカ、デストロイ・アメリカ)が新しい活動を計画している。首領のNivlek Ystebの手がかりはない。国家の安全が危険にさらされている。ついては敵を欺くためにガールフレンドと同居してくれ……。

 一人称私立探偵小説よろしくあることないこと気取った台詞を吐き捨てますが、パーデューはすぐに脱線します(ボケます)。それはもうベタすぎて困るくらいに。FBIやCIAに続けてPTAの名を出したり、保険会社の名前をあまり似ていない殺虫剤会社と間違えたり、ほんとしょーもないです。

 しょーもないわりに、破壊活動家の正体はきっちりミステリしていて、ちょっと感心してしまいました。【※ベッツィがパーデューと一緒にいたいがために企んだインチキ依頼。首領の名前はベッツィの逆綴り

 訳者あとがきでブローティガンの名前が出て来て、あのブローティガン?と怪訝に感じたのですが、ブローティガンは『バビロンを夢見て』という私立探偵小説(?)も書いているようです。

 チャンス・パーデュー、それがおれの名前だ。私立探偵。スローガンは、なんでも引き受けます。しかし、開店そうそうなかなか依頼人はないものだ。あったにしても、ろくなもんじゃない。見かねてコールガールのベッツィが、事件の依頼人を紹介してくれた。それもやっぱりコールガールで、しかも相当セクシーだった。事件もそっちのけで、おれに迫ってくる……アメリカをほろぼそうとする秘密組織のボスを捜してくれという依頼が来たのも、そんな時だった! 独創的なスタイルで描く、一読笑殺、驚天動地のナンセンス・ハードボイルド第一弾!(カバーあらすじ)

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 されば愛しきコールガールよ 

『プラスマイナスゼロ』若竹七海(ポプラ文庫)★★★★☆

『プラスマイナスゼロ』若竹七海(ポプラ文庫)

 葉崎市シリーズ第5作。ピュアフル版は2008年ジャイブ版に書き下ろし「卒業旅行」を加えたもの。ポプラ文庫の新装版にはそれに加えてさらに書き下ろし掌篇「潮風にさよなら」が収録されています。

 容姿端麗で成績優秀だが不運なお嬢様テンコ(天知百合子)、遁走した両親に代わり貧しい祖母に育てられた不良娘ユーリ(黒岩有理)、何もかもが平均値のミサキ(崎谷美咲)。教師から「プラスとマイナスとゼロ」と呼ばれた三人組の高校生が遭遇した、刑事事件から日常の謎まで。

 わりと薄めの作品なのに8篇も収録されていることからわかるとおり、解決はあっさりしており、それが切れ味に繋がっていると思います。
 

「そして、彼女は言った〜葉崎山高校の初夏〜」★★★★☆
 ――かき氷でお腹を壊したテンコが空き家の庭で用を足そうとしたところ、女の死体を発見してしまう。遺体を放置した轢き逃げ犯はすぐに捕まった。ところがテンコが女の幽霊に取り憑かれてしまった。伝えたいことがあるから成仏できないのかと思い耳を傾けたものの、幽霊の話は愚痴ばかり。

 もしもおばさんの幽霊が現実に存在したら――。もしも女の幽霊が現実に存在したら――。ただただおしゃべりだけするだろうな。殺された恨みよりも【失恋】の恨みを根に持つだろうな。――というわけで、なぜ成仏しないのか?というWhyを扱った立派なミステリでした。ミステリとはいえ、そして事故とはいえ人を殺してしまうヒロインの存在が、黒い笑いに満ちています。
 

「青ひげのクリームソーダ〜葉崎山高校の夏休み〜」★★★★☆
 ――一学期の成績がサイアクだから社会奉仕で単位をちょろまかしたい。そんなユーリにつきあって海岸のゴミ拾いをして、台風で倒れて再建中の海の家で休憩した。この家のオーナーはオープンした直後に閉店して行方をくらましたという。さっきから水着姿の若い女がこっちを見ながら何度も通り過ぎる。「オーナーの元愛人?」「四回も結婚して、奥さまはそのつどお亡くなりになったって聞きました」「それでどーして疑われないの?」

 こういう、事態が明らかになったときにはすべてが終わっていたというタイプの作品は大好きです。ただし「そして、彼女は言った」とは違い、この事件がのちの作品内で言及されてはいないので、実際に事件があったわけではなくすべては想像だった可能性はないとは言い切れません。そういうリドルストーリーめいた切れ味も好きな作品でした。
 

「悪い予感はすぐあたる〜葉崎山高校の秋〜」★★☆☆☆
 ――葉崎山高校収穫祭はいまやたけなわだった。我が一年A組のブースは茶道部の隣。わたしは鍋のふたを開けて豚汁をかき回した。高熱で休んでいるあいだに決まっていた。漬け物用の大バケツが穴だらけになっていたし、大根も穴だらけになっていたためふろふき大根もできなかった。犯人は尾賀章介だ。少し前からパチンコでいろいろなものを狙い始めた。さっさと退学にしてくれればいいものの、停学が三日だけ。ユーリが誰かをシメにいったと男子が話している。次の瞬間、足が滑り、屏風が倒れた。押さえたわたしの腕にはリッパなあざ。

 犯人の行動原理に無理がありすぎて、それは【語り手=ミサキではないという叙述トリック】を成立させようとしたせいかと思っていたのですが、そうではなく犯人が自分の動機【※ふられた腹いせ】に気づいていなかったために自白にも無理が出ていたということが最後にわかります。なるほど、とは思うものの、そのせいで切れ味は悪くなっています。
 

「クリスマスの幽霊〜葉崎山高校の冬〜」★★★★☆
 ――もうすぐクリスマス。ユーリが見つけてきたこのバイトは歩合制だ。「イヤになっちゃうわ。酔っぱらい運転で歩道走行が許されると思う? なのにアイツの女房ときたら、見舞いに来るなり金がないだのそればっかり」西本さんはふうっと煙草の煙を吐き出した。「ところで、クリスマス・エンジェルってどういうお仕事なの?」と、反対側のベッドから和泉さんの優しい声がした。駅の階段から突き飛ばされて入院しているご高齢のご婦人だ。「クリスマス週間に、話相手をしたりキャンデーを配ったり、本の朗読もいたしますわ」とテンコが説明した。

 タイトルの「幽霊」が何を意味するのかは最後にわかる仕掛けになっていて、悪人を改心(?)させるという意味では間違いなくあの名作の流れを汲むクリスマス・ストーリーなのですが、その大元となっている動機が良心どうこうではなくアルバイトだというのが相変わらずの黒い笑いを誘います。
 

「たぶん、天使は負けない〜葉崎山高校の春〜」★★☆☆☆
 ――ユーリの思いつきで〈卒業生を送る会〉で演し物をやることになった。「シドモア富士山ってアーチストがめちゃクールでインパクトなパフォーマンスをやってんだよ」。がりがりに痩せた和服の男が「因果応報!」と叫んで蛇の頭を噛みちぎった。「どうよ。新しいだろ?」。わたしは返事に困った。だって神社で見た〈蛇女〉って見世物と同じなんだもん。しかも肉屋の店先で、シドモア富士山がブラッドソーセージを買っているのを目撃してしまった。結局、演し物は天使VS悪魔にすることにした。ところがテンコがせっかく作った天使の腕を通学路でなくしてしまった。さらにその翌日のこと……。

 高校1年の初夏から始まり、高校1年の3月で終わります。ネタがなくなってきたのかな……?と思うような出来で、言うなれば犯人が嫌がらせのために嫌がらせをしたような話でした。
 

「なれそめは道の上〜葉崎山高校、1年前の春〜」★★★☆☆
 ――山道を一心不乱に登って、四合目に到達した。葉崎山高校創立以来、一度も転ばずに卒業できたのはただ一人で、十三年前のその〈奇跡の人〉の胸像がうやうやしく飾られていた。大雨のせいかどす黒くなっている。後ろから来た黒岩さんに道をあけようとしたとき、悲鳴とともに人間が降ってきて、三人はひとかたまりになって転落した。登校してから泥を落として過ごしていたが、昼休みになって三人まとめて生徒会室に呼ばれた。「なにかご用でしょうか」「〈奇跡の人〉の胸像がなくなった。オレたちより早く登った君が隠したんだろう。あやまれば悪いようにはしない」

 若竹七海らしい、と言うべきでしょうか。殺人こそ起きないものの最後に悪意の塊だらけのエピソードをぶっ込んできました。とは言え、生徒会まわりがクズとブスばかりだからこそ、三人が結束して仲良くなれたのは確かでしょう。
 

「卒業旅行」★★★☆☆
 ――卒業旅行に行かないか、と言い出したのはユーリだった。テンコの大学入試がブジ終了した直後のことである。予算の関係で、テンコの父親が買った軽井沢の別荘に行くことになった。だが軽井沢は避暑地だ。冬に行くものではない。崖から虚空に突き出た大木に、わたしたち三人はしがみついていた。下にはゆっくりと移動している黒い影が見える。

 本篇は高校1年生のエピソードなのだから、これから2年、3年と続篇を書くことも出来たはずですが、一気に時間を飛び越えて卒業旅行のエピソードになりました。ミステリというよりは青春ものではありますが、ミステリとしては別荘消失の謎が扱われています。――が、真相はギャグ以外のなにものでもありません。死にかけながらも笑い合える三人の友情が気持ちのいい作品でした。
 

「潮風にさよなら〜新装版のあとがきにかえて〜」★★★☆☆
 ――喪服の裾を抑えながら座ろうとした瞬間、風に飛ばされたハンカチを追いかけたテンコが、体勢を崩して砂まみれになっている。人って案外変わらない? そんなわけない、か。わたしはもう高校生ではない。看護師として忙しく働いている。テンコは司法試験に五回連続で落ち、昨年ようやく合格した。不運が続いたのかと思ったら、法律用語って覚えるの大変なんです、とこぼしていた。

 社会人になったミサキたちのその後を描いたエピローグ的な作品。「卒業旅行」に続いて変わらない友情を再確認できる内容でした。

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 プラスマイナスゼロ ポプラ文庫 

『どこか、安心できる場所で 新しいイタリアの文学』パオロ・コニェッティ他/関口英子、橋本勝雄、アンドレア・ラオス編(国書刊行会)★★★☆☆

『どこか、安心できる場所で 新しいイタリアの文学』パオロ・コニェッティ他/関口英子、橋本勝雄アンドレア・ラオス編(国書刊行会

 日本オリジナルの21世紀イタリア文学アンソロジー

 小野正嗣による序文が収録されていますが、内容にがっつり踏み込んでいるうえに、無理に日本との同時性にかこつけたり、作品の社会問題にばかり焦点を当てたりと、収録作がつまらなそうにしか感じられない序文の内容に、いきなり読む気を削がれます。

 翻訳は下手ではないのですが、無味乾燥な訳文なのでどの作品も同じに見えてしまいました。現代イタリアの作家の誰も彼もがこんな薄っぺらい文体ではないはずです。
 

「雨の季節」パオロ・コニェッティ/関口英子訳(La stagioone delle piogge,Paolo Cognetti,2007)★★★☆☆
 ――あれは一九八七年の夏だった。両親の友人がトレーラーハウスを貸してくれて、僕と母はそこで過ごし、そのあいだ父はじっくりと身の振り方を考えることになった。父が別の女の人と関係を持っているのも、母が最後通牒を突きつけたことも知っていた。トレーラーハウスまで案内してくれるのは、ティトといった。森の男だ。

 父親と別居してのキャンプ、アウトドアの師との日常。子どもにとっては楽しい思い出です。それが当たり前のようになったとき、子どもにとっては素直なひとことだったのでしょうが、一線を越えさせないティトの発言は責任感のある大人のものでした。父と母の関係も、母とティトの関係も、家族三人の関係も、何かが変わりかけて変わらないまま先送りになる瞬間というのは実際ままあるのでしょう。
 

「働く男」ジョルジョ・フォンターナ/飯田亮介訳(L'uomo che lavora,Giorgio Fontana,2011)★★☆☆☆
 ――工場の前に座り、膝を抱えた男は、働いていた。鎖やロープで体を縛りもせず、プラカードも持たず、帽子を片膝にのせて働いていた。十日前のことだった。ロヴェーダが長い演説をぶったあとで、ディエゴは手を挙げた。本当は誰も手を挙げてはならぬことになっていた。「どうして残業手当は裏で支払われるんですか」沈黙が降りた。ロヴェーダへの口答えは許されていなかった。

 一見するとシュールな不条理小説のようでもありますが、ストライキを「働く」と称する社会性の強い作品で、露骨すぎて好きではありません。
 

「エリザベス」ダリオ・ヴォルトリーニ/越前貴美子訳(Elizabeth,Dario Voltolini,2010)★★★☆☆
 ――僕は門の鍵を開け、中に入ろうとしていた。門を閉めようとしたとき、若い女性が近くまで来ていて、ナイフで刺されて腸が飛び出すのを防ぐかのように、腹を押さえ右足を引きずっていた。知ったことじゃない。僕は歩き出したが、そのあと知ったことじゃないとは思えなくなり、引き返した。何でもありませんと彼女は言った。何でもないとは言いながら動けなくなっていたから、病院に連れて行くと僕は言った。彼女は行かないと言い続けた。

 最後のシーンをロマンスの始まりではなく、利用できる優しい男を捕まえたと捉えるわたしは、移民に対して偏見があるのでしょう。
 

「ママの親戚/虹彩と真珠母」ミケーレ・マーリ/橋本勝雄(La famiglia della manma/Iride e madreperla,Michele Mari,2012)★★★☆☆
 ――「ママ、お話をしてくれない?」「いいわ。アルフレッドおじさんのお話をしてあげる。もう死んじゃったの。奥さんを亡くして財産を娘二人に分けることになってね……」/独りぼっちでため息をついてばかりいる青年トリスターノが、同級生のルイーザに恋をした。高校を卒業すると思い切って手紙を認めた。美人のルイーザははすっぱで間抜けな娘だったが、アレッサンドロなる人物に惹かれていた。そこで手紙を利用して気を引こうと思いついた。……

 シェイクスピアを下敷きにしてお伽噺に語り直す――という話かと思いきや、シェイクスピア戯曲の元ネタは母親の親戚の話だというオチが待っていました。悲劇を下敷きにしているから死んでばかりなのではなく、実際に死んだ人ばっかりなんですね。「虹彩と真珠母」はトリスターノの手紙を始まりにしてリレー式に話が転がってゆきます。登場人物を紹介するときにいちいち否定的な形容詞をつけて紹介するのが無性に可笑しかったです。
 

「わたしは誰?」イジャーバ・シェーゴ/飯田亮介訳(Identità,Igiaba Scego,2007)★★☆☆☆
 ――パオロは「友人の記者のインタビューに協力してやろうよ」と呼びかけ、ファトゥとヴァレリオを罠にはめたのだった。「あの子、異人種間カップルを探してるんだ。君たち以上にミックスなカップルなんていないもんな」。記事が気に入るはずのないのは読む前からわかっていた。『蛮族の襲来……結婚生活が外国式になる時』……。

 こういう政治的正しさを題材にした作品というのは、現代の問題を切り取っているようでいて、実はもはや使い古されて古びているのではないでしょうか。またか、という感想しかないです。
 

「恋するトリエステ」ヘレナ・ヤネチェク/橋本勝雄(Trieste in love,Helena Janeczek,2018)★★★☆☆
 ――一九三七年、トリエステに一人の青年がやってきた。その二年前、師範学校の教授が婚約を解消してドイツから亡命してきた女性と暮らし始めた。青年アルベルトはその女性の弟だった。アルベルトに恋い焦がれる娘たちはどんどん増えた。

 欧文特有の、同じ人物を違う表現で言い換える場面があまりに多いので、たいして登場人物もいないのにまず人間関係の把握に苦労しました。そういった19世紀辺りの古典文学作品でも始まりそうな雰囲気が、ナチスによってばっさり断ち切られる理不尽さが鮮烈です。
 

「捨て子」ヴァレリア・パッレッラ/中嶋浩郎訳(Gli esposti,Valeria Parrella,2015)★★★★☆
 ――二十歳で修道院に入り、今は四十歳になっていた。人生の半分がシルヴィアで、あとの半分はマザー・ピアだった。夜中の三時にインターフォンが鳴り、妊娠している不法移民の娘が預けられた。娘がいなくなり、残された赤ん坊はマザー・ピアが自分の子供として育てることに決めた。

 修道院生活をイエスとの結婚生活になぞらえ、またシルヴィアとしての生活に戻ってゆく姿は、本当の意味で自立しているようで格好いい。修道生活を結婚にたとえるのも人生を本にたとえるのもありきたりかもしれませんが、ふってわいた子ども(処女懐胎?)だったりちょうど半分の文字通りの半生だったりと、按配のバランスがよいです。
 

「違いの行列/王は死んだ」アスカニオ・チェレスティーニ/中嶋浩郎訳(La fila della diversità / Il re è morto,Ascanio Celestini,2011)☆☆☆☆☆
 ――むかしむかし、あるところに小さい国があって、小さい学校がありました。たくさんの先生がいましたが、小さい政府はこんなに教えることが多いと混乱を招くと考えました。そして「一列縦隊」を教える学科だけが残されました。

 もしかしたら著者は子どもで、その子の書いた詩なのかも、と思おうとしました。ところが解説を見ると著者は大人の俳優/監督でした。こんなに幼稚でストレートな表現では諷刺にすらなっていません。
 

「隠された光」リザ・ギンズブルグ/橋本勝雄(Hidden Light,Lisa Ginzburg,2016)★★☆☆☆
 ――不動産業者のジャック・トゥルニエがミリアムとその夫セルジュ・ミレと知り合ったのは、夫婦がアパルトマンを購入したときだ。人生を外見で判断するならミリアムは完璧だった。ところがプライベートではもろく不安定で両親の意見に左右される女性だった。そうしたことの結果が離婚だった。

 意味がわかりません。夫婦のすれ違いの結果がどうして同性愛になるのか。
 

「あなたとわたし、一緒の三時間」キアラ・ヴァレリオ/粒良麻央訳(Tu e io, queste tre ore,Chiara Valerio,2011)★★★☆☆
 ――あなたの手を、脚を、顔を、この指で包む。あなたの腕の反応を待つ。わたしの腰に手がきて、吐息が響く、〈やめて、首は噛まないで!〉。ひとかけらのパン屑が、バランスを崩しかけて、いまにもあなたの口に入りたそう、ピンク色した唇の左側。パン屑のほうがわたしより可能性がある。あなたの口を独占し、舌の先に身を横たえ、歯茎じゅうをゆったりと巡るのだろう。

 本書のなかでは異色のゴス小説ですが、恐らく作者にはそうした意識はないのでしょう。
 

「愛と鏡の物語」アントニオ・モレスコ/関口英子訳(Storia d'amore e di specchi,Antonio Moresco,2002)★★★☆☆
 ――大きな団地の中庭に面した小さな一室に、誰にも知られていない作家が暮らしていた。いつものとおり自分の部屋の窓を開けた彼は、息を呑んだ。向かいの家の鏡のなかに自分の姿を見出したのである。ある日、窓とは反対側の壁に据えつけられた鏡に何気なく目をやったところ、赤地に水玉模様の服を着て微笑んでいる女性が出現した。「向かいの窓の女性だ!」。向かいの部屋の鏡に自分が映っているように、この部屋の鏡に向かいの女性が映っているのだ。

 人に知られていない作家が突如として称讃される不条理ギャグのような流れと、鏡に映ったご近所さん同士の(非)交流。ありもしないことを作りあげるのがまさしく作家なのだとしたら痛烈な皮肉です。
 

「回復」ヴィオラ・ディ・グラード/越前貴美子訳(Guarigione,Viola Di Grado,2018)★★★☆☆
 ――その家は値段も破格だった。解毒の治療を終えた私には、思い出の浸みこんでいない、クリニックみたいな新たな空間が必要だった。頭ではまだヘロインを欲していたが、体は忘れていた。実のところ、問題は麻薬じゃなかった。本当の問題は情けだった。家族の、同僚の、友達の情けに、私はプライドを傷つけられた。

 麻薬中毒からの復帰と、家族からの絶縁といった現実的な内容から一転、唐突に実体を持った天使が現れます。醒めた見方をすれば、ただの後遺症による幻覚なのだと思うのですが、それを現実のように描かれると変な感じがします。
 

「どこか、安心できる場所で」フランチェスカ・マンフレーディ/粒良麻央訳(Da qualche parte, al sicuro,Francesca Manfredi,2017)★★★★☆
 ――マルタにとってママのお腹は不思議だった。「この子、動く気配がないの。あなたはお腹にいるときからやんちゃだったのに」。ママが眠っているのを確かめて、マルタは抜き足差し足、部屋を出る。屋根裏部屋にいるとチャイムが鳴った。隣人だった。「この子は娘のヴェロニカ」。ヴェロニカとマルタは芝生に座った。「あなたのママ、妊娠してるのね。きょうだいができたらどうなるか、あなた知らないんだ。ひとりっ子っていい気分でしょ」「そう思う」「前に住んでた男の子、物置小屋に閉じ込められて、死んじゃったんだって。このうちにもあるんでしょ、物置小屋」。物置小屋に入ると、ヴェロニカが言った。「恋人ごっこしようよ」

 実験的だったり現代的だったりする作品もあるなかで、わりとオーソドックスな小説のスタイルに則った作品でした。はじめての弟/妹ができる不安や、ちょっとませた新たな友人との冒険など、子ども時代の空気が濃密に表現されています。

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