東電のバカどもの尻拭いで節電なんてゴメンだ

dubrock2011-07-09


電力使用制限令の発令されている昨今である。
カネ払って電気買ってんだから、どう使おうとコッチの勝手、なんては言ってられない世の中なのである。

にしても、暑い。
関東地方も、梅雨明けだそうだ。
別に梅雨が明けたからというワケでもないが、・・・
この暑さはなんとかならないものだろうか。

大好きなホームセンターにショッピングモールは軒並み「エコ冷房」なんつって、とても時間を潰す気になれない不快なスポット。
とはいえ、日がな一日冷房を効かせた自室に篭るというのもつまらない。
となれば、行くしかないでしょう!
というコトで、一路九十九里を目指すことにした。

九十九里」は、千葉県の東岸に位置するバカ長い砂浜のこと。
首都圏からのアクセスが良いので、“あの”キムタもサーフィンしに来たとか来なかったとか。
なんとも魅力的なスポットなのである。

で、「九十九里」と言えばだいたい皆が行くのが、九十九里有料道路を降りて右、1つ目にある“白里海岸”なのではないだろうか。
ここはアクセスの良さで結構気に入っていたのだが、最近町営の500円の有料パーキングへの誘導が露骨で、いや別に500円が惜しくて言っているのではないのだが、その“500円”というのは“海岸の清掃費”に充てるんだそうで、その割には海岸がキレイなワケでもなく、それでいて「ゴミ箱は無いからゴミは持ち帰れ」みたいな放送を、滞在中何度も聞かされる。

そんな、オメェらやることもやらねぇで、・・・

な現状に賛同できなくて、有料パーキングなんか意地でも停めるかよ(゜Д゜≡゜д゜)、ペッ
なスポットなのでありました。

そいでもって、海岸端に路駐でもかまそうかと車を寄せると、・・・
ナニ?「マナーが悪い」?
でも、駐車禁止道路ではないぞ。
地元の車はズラっと並んで駐車してるし。
そんなワケで車を寄せた途端に、・・・
来たんだよねぇ、漁師だかサーファーだか判別の付かない地元のチンピラ風情が。
そんで言うんだよ。
「ココは入れないから」って。
ドコを指して“ココ”つってるのかも分からないし、そもそもチンピラ風情が“係員です”ってツラで余所者に文句付けるっていうのも、いかにも千葉らしい狭量なハナシ。
だいたい係員なら係員らしい“格好”ってもんがあるだろうと、そんなコトを思った次第なのでありました。
(せめて名札に腕章くらいしろ、と。)

こういうコトだから、神奈川に勝てないんだよ!

って、千葉県民が一番嫌がる言葉を思い浮かべながら、次の浜辺を目指したのでありました。
(だって、こんなバカ相手にしてても時間の無駄だし。)

で、県道30号を南下して、程なく見えてきたのが、白子インターあたりの海水浴場。
たしか大網白里町から白子町に入ったところなんだな。

ここがなんと、駐車料金が“タダ”!

いや、タダだから素晴らしいとかそういうワケでもないのだが、それでいて海岸の清掃状況だって、白里海岸と遜色ないワケだし、・・・

そんなワケで、新たな快適スポットを見つけることができて、あの“チンピラ風情”に感謝しなければと思った今日この頃。
サービスレベルの低い観光地は、当然ながら淘汰されるべきと思った、九十九里海岸なのでありました。

あしたは、軽井沢かな。

「がんばろう」とか気軽に言えない

週末に奥さんの実家である宮城に行ってきた。
3月11日の震災後“初”である。

それというのも、震災直後には先方から“来るな”と言われた。
電気も水道も、ライフラインを失った状況では、いくら身内と言えども“客人”を迎える余力というものが、現地には無かったものと思われる。
被災地見舞いは時期を見て、ということとなった。

その後は“ボランティアブーム”。

これも、被災地の関係者としては避けたい事象である。
道路を渋滞させ、現地のガソリンを使い、・・・。
到底、関係者としてできることではないのである。

そして、ついにというか、ようやくというか、1000円高速の終了。

週末は未明から渋滞という常軌を逸した大移動も収束して、満を持しての被災地入りとなった。

というか、震災、被災というものを、正直甘く見ていた。

宇都宮あたりまでは仕事の関係で月1回は行く。
そして、宇都宮あたりまで行くと、屋根にブルーシートの掛かった民家が多くなるというのは把握していた。

しかし、

しかしである。

宇都宮を越えた途端に、真新しい舗装が目立つ高速道路。
よく見れば、中央分離帯のガードレールはつい最近のものである。
さらに郡山を過ぎれば、未補修のまま放置される防音壁。
「復旧」したとはいえ、“元通り”なんかではちっともないのである。

そんな現実とは裏腹に、被災地の人たちは明るい。

その“明るさ”が、妙に痛々しかったりするのである。

そして、“福島原発”については禁句。
もうすぐそこの県境まで来ている、向こう20年間不毛の地になる“かもしれない”耐え難い現実は、見えない聞こえないなのでありました。

それでも、そんな被災地を巡って出てくる言葉は“がんばろう”。
道路を直し、突き出たマンホールを元通りにすれば、見えてくる復興への道。

その“道”が、浜通りに出た途端に一転する。

宮城県の海沿いには、“仙台東部道路”とか、“常磐道”とかよばれる高速道路がある。
震災前であれば、閑散としていて制限速度なんか不要ではと思ってしまう真っ直ぐな道。
自民党道路政策の残骸。
ムダの象徴。
そんなイメージの高速道路が、今回は本来の目的外で大活躍した。

高速道路の土盛りが堤防になって、あの大津波を堰き止めたのである。

その堤防の内側で一歩足を踏み入れると、・・・

気付かないかもしれないが、“浜街道”と呼ばれる亘理から仙台新港へと続くこの道には、両側に歩道があり、その外側には“柵”があった。
道路沿いには民家もあった。
標識もあった。
そのことごとくが、姿を消している。
水田の跡には海水が残り、車種も判別できないくらいに潰れた自動車が転がる。
むかし一緒に働いた同僚の実家も、土台だけを残して跡形も無くなっていた。

これが、震災から3ヶ月を経ての現実。
震災から3ヵ月後の被災地、なのである。

息が詰まるような惨状。
言葉が出ない。

道路は仙台新港を目前に通行止めとなり、仙台市内へと誘導される。
再び“堤防”をくぐった途端に、“現実”へと戻ってきたかのような感覚に襲われる。
所々修復の跡が生々しい“イメージ通りの被災地”。
あの、車でたった20分走った先にある“現実”が、信じられない自分がいる。

手付かずの惨状を前に、不用意に“がんばろう”なんて言えない。
言えるわけがない。

それが、“現実”を目の当たりにした本音である。

週末はワンコの聖地で・・・

レイクウッズガーデンひめはるの里

週末はセンバツさんのご招待により朝も早くから高速を飛ばして、茂原にやってきた。

もばら!?

“茂原”は正直、・・・

オレの引き出しには無いなぁ。
(茂原の皆さんゴメンナサイ。(;^ω^))
“幼少期から青年期までを南房総・千葉県館山市で過ごした”が、である。
イメージは“(県の)北のほう”。
あとは、“サーキットがある(らしい)”ぐらいか。

蘇我から“千葉外房有料道路”というのが真っ直ぐ伸びている。
この道路の存在も、初めて知った次第である。
(茂原の皆さん、ホントにゴメンナサイ。(;´Д`))

そいでもって、その“外房有料”の終点から国道128に入ったあたりから、なんとな〜く誘導看板が設置されていて、着いたトコロが、

レイクウッズガーデンひめはるの里

レイクウッズガーデンひめはるの里」である。

ここで、「レイクウッズガーデンひめはるの里」について簡単に説明しておこう。
公式HPによれば、

木漏れ日揺らす湖畔からのアプローチ、咲き誇る四季折々の花、映える純白のモニュメント。
心癒される犬との出会い、そして愛犬と過ごす心豊かな時間。
「人と自然との調和の中で、多くの人に感動と癒しを」という想いを胸に誕生する「レイクウッズガーデンひめはるの里」
というコトなのだが、まあ平ったくいうと、
ワンコも入れるテーマガーデン
いや、
「万人が楽しめる整備された庭園」を、“かなり”ワンコに振ったコンセプト
といったトコロだろうか。

看板犬のコーギーさんも居るということなので、“ご挨拶”を期待しながらの入場

レイクウッズガーデンひめはるの里

である。

施設内は、象徴的な“レインボーガーデン”

レイクウッズガーデンひめはるの里

をセンターに、ドッグアドバイザー常駐の広大なドックラン、

レイクウッズガーデンひめはるの里

植物園、

レイクウッズガーデンひめはるの里

バラ園、

レイクウッズガーデンひめはるの里

ワンチコふれあいコーナーなどが配された造り。

特にこの施設で触れ合える“オーストラリアン・ラブラドゥードル”は、人懐こい性格のラブラドールにプードルなどを掛け合わせて抜け毛を極力抑え、「犬アレルギーを持つ人でも一緒に生活できる介助犬」を目指したもの。
だから、たとえ現在は犬を飼っていなくても、充分に楽しめる構成になっているのである。

そして、気に入ってもらったなら、もちろん販売も行っている。
サイズ(大・中・小)、毛色などを選ぶことができ、気になるお値段は、・・・
まあ“ちょっと高級なラブラドール”あたりの価格帯である。

ちょっとビビリのハナちゃんは、・・・

休憩中

疲れて木陰で休憩である。

園内には、こういったスペースが随所に設けられていて、結構入園者も多かったのに、他の人の存在というのが気にならない。
それでいて、やぶ蚊とかがすぐに寄ってきて、・・・
というのも無いので、安心してくつろぐことができるのである。

“くつろぐ”といえばイチオシはココ。

シェルドン・ハウス

ドックランの脇にあるドッグカフェ“シェルドン・ハウス”。
犬連れで一番問題になるのが、“人間様の食事をどうするか”(車で待たせておくか、ファストフードで済ませるか)なのだが、

シェルドン・ハウス

ここならワンチコを傍らに置いてゆっくり食事ができるようになっている。
(まぁ、“ゆっくり”できるかどうかはワンチコのお行儀次第、というハナシもあるが。)

そんなワケで、看板犬のゴールデンに見送られて

帰路

帰路に就いた一日。
(実家のゴールデンを思い出す。。。)

帰路

車に乗るなり爆睡のハナちゃんは、・・・

帰路

めでたく“ヘソ天”でのご帰宅となった。(笑)

これからの季節、海に、山に、そして、こういうところで過ごす一日というのも、良いんじゃないだろうか。

オレも疲れたー

原発で汚染水の除去ボランティア募集(ただしイケメンに限る)

dubrock2011-05-04


今年のゴールデンウイークのトレンドは“ボランティア”らしい。

津波で住居を失い、お盆までの仮設住宅入居も定かではない被災地に向けて、“何か”できること。
義援金”はその配分が決まらずに被災者の手元に届くのに時間がかかるらしいし、集めている団体の活動費として消えていく分も認められているという不透明さ。
むしろ現地でボランティア活動を行っている団体に向けて“支援金”を拠出したほうが、“善意”は効率的に活用できるなんてハナシもあって、コンビニのレジ脇に置かれた小箱につり銭の小銭を入れるというのが、必ずしも最善とは言われなくなってきた昨今。

ならば、自ら現地に赴いてガレキの撤去を手伝ってしまおう。(どうせ休みだし)

という思考パターンらしいが、・・・。

せっかくだから、ついでに港に打ち上げられた漁船でも眺めて、1000年に一度の未曾有の大災害とやらを実感してこよう。
そんな物見遊山的な意図を感じてしまうのは、ワタシだけだろうか。
(いずれGWにはドコかへお出掛けするワケやしねぇ。)

来られる被災地からすれば、「これで折角解消されつつあるガソリン不足問題が再燃する」とか、「道路に渋滞が発生する」とかいった否定的な意見があり、方やでは「観光でもいいから来てもらって、被災地に現金を落として欲しい」、「連休後も引き続いてのボランティア活動をお願いします」といった発言もあって、結局行ったほうがいいのか行かないほうがいいのか、決めかねるというのが正直なところでもある。

結果行ったほうの人が圧倒的に多かったみたいだが、“渋滞は首都高にまで繋がって80キロにも及んだ”というから、なんともご苦労様なことであった。
(被災地ボランティアバスツアーのバスが現地まで12時間掛かったとか。)
さらにさらに、復興支援策の財源確保に「1000円高速の6月廃止」なんてのまで発表されたものだから、「1000円高速最後の大型連休」みたいなふれ込みになって、ついでに関越道と中央道と東名高速も大渋滞したとか。
“通常時と異なるから(東北道の)渋滞予測はできない”と言ったJARTICが、一番状況の把握が出来ていたのではないだろうか。
(つか、渋滞を誘発するような政府の発表って、ちっとも賛同できない。“人災”である。)

個人的には、被災地に親戚の居る身ではあるが、連休初日の午前7時から始まった大渋滞に怯み、東北入りは断念した次第である。
これでは、ただドライブをしに行くようなもんだし、いくら安否確認とはいえ、来られたほうだってきっと迷惑を被るに違いないのである。

そんなワケで、

俄かボランティアは原発、GW観光は関西九州。
そんな明確な指針が必要なんじゃないかと思う、今日この頃なのでありました。

どうあれ、「そのまんま東」でなくて良かった

dubrock2011-04-10


インターネット上でこの話題に触れると、ややもすると法律違反に問われてしまう昨今。
これといった支持者が居るワケでもない身としては、ひたすらに投票締め切りを待つしかないというのが、つらいトコロでもあった。

今晩、今夜半過ぎには大勢が判明か!?

なーんて高をくくっていたが、あっさり投票締め切りと同時に当選確実が打たれてしまった。
東京都知事選挙のハナシである。

3選でも物議を醸したのに、“4選”なんてあるかよ!?

つか、臆面もなくのこのこ出てこられるこのオヤジの面の皮の厚さつったら、・・・

なのだが、今回は対戦相手に恵まれていた。

対抗馬本命は“ワタミの社長”、か。
まあそうだろう。
でも、都政は居酒屋とは違うし、そもそもこのヒトが自民党政権下のなんたら会議、かんたら委員会というのにコトあるごとに名を連ねていたあたりから、“見えない力”というか、“政策的な何か”を感ぜずには居られなかった。
つまりこのヒトが受かるというコトは、自民党復権というか、次回国政選挙での動向が窺えるというもの。

しかしながら今回は、・・・

機はまだ熟していないというコトなのだろう。
というか、安易にこのヒトに流れない東京都民のバランス感覚に拍手を送りたい。
やっぱり不自然に取り上げられる“ワタミの社長”に違和感を感じているのは、ワタシだけではなかったのであった。

その対抗に挙げられるのは、“そのまんま東

このあたりが、“イシハラ”に有利な所以というか何と言うか。
これといった選挙戦もしなかった78歳のオジイチャンでも、開票と同時に当確が打たれる最たる原因なんじゃないだろうか。

宮崎ではどうだか知らないが、東京じゃ“芸能人”なんて珍しくもなんとも無い。
というか、このヒトの“宮崎県知事”としての功績っていったい何だっただろう。

狂牛病では随分と苦労したみたいだが、起きたことに対する、起きてしまったことに対する知事としての職責なんて決まりきったもの。
「あの人でなければ」なんてものは1もなかったと思っている。

あと功績といえば観光客の誘致ぐらいのものなんだろうけど、そんなものは一過性以外の何物でもないし、そもそも1期だけ務めてとっとと去られてしまっては、とても褒められたもんじゃない。
それよりも、これでは“宮崎県知事”は東京進出の“足がかり”にされたようで、まるでヤリ逃げされた“やぐっちゃん”みたいでいけない。
やっぱり、宮崎県知事選に出馬を表明した時の、あの“ウソくささ”が拭い去られることはなかったのである。

かといって“ドクター中松”でもあるまいし、反対することに意義のある共産党さんは、ホントに反対される側になってしまったら何に反対するのだろうというか、“現実味”というものが全くもってない。

かといって、シンタローに16年も任せてしまっては、・・・

つか、任期中に死んじゃうんじゃね?

なんてなコトまで考えてしまう今回の都知事選。
どうあれしばらくの間は現状維持というコトで、とりあえず安心した今日この頃。

“投票締め切りと同時に当確”というのに一番驚いた、日曜の夜なのでありました。

計画停電の街

dubrock2011-03-21


街道筋の交差点ごとに警察官が待機していることで、付近に「計画停電」が近いことを知った。
と、次の信号は消灯していた。
付近一帯は既に停電していたのである。

じゃあ、さっきの信号は?

大きい交差点の信号は消えないのかな。
そうも思ったのだが、それもどうも違う。
よく見れば警察官が信号に発電機を接続して、“かろうじて”信号制御を行っていたのである。

とはいえ、発電機の数にも限りがある。

発電機を配備されなかった交差点では、警察官が体を張っての交通整理を行っていた。
何ともご苦労様なハナシである。


今日は朝から、首都圏の電車が“ほぼ通常運行”である。

とはいえ“ほぼ”であって“通常”ではない。
それゆえ、緻密なダイヤ編成を要する“直通運転”は行われず、運行区間ごとに行ったり来たり。

その不便さと、いつ止まるか分からない不安からか、日中の利用者はまばら。
“ガラガラ”な区間も珍しくない。

そんなモノのために、・・・

電源を切られ交通整理に追われる警察官くらい、虚しいものはないだろう。

「節電しろ」と言われれば早々に運行を諦め、「運行しろ」と言われると不完全な“平常運行”を行う。
鉄道会社には“バランス”というものが無いのだろうか。

そうやって確保された電力でもって、駅前のパチンコ店はネオンやエアコンを停止しての“節電”営業中だそうである。
その貼り紙の空々しさに笑いがこみ上げてくるのは、私だけではないみたいだ。
バランス感覚が欠落しているのは、何も鉄道会社に限ったコトではないのである。
ココは極右の石原都知事あたりに、極論を賜りたく思う今日この頃である。


それにしても福島原発については、“やっちまった”感が否めない。

あの吹き飛んだ建屋を前にして、“これも想定の範囲内”という学者の空々しさ。

地球温暖化対策にCO2削減、

モーダルシフト

電化、

エコ、エコ、エコ・・・

ここ10数年向かってきたその方向性が、ものの見事に否定されてしまった瞬間である。
これで日本国内はおろか、世界の原子力エネルギー政策が停滞、また方向転換を余儀なくされることだろう。

“絶対に安全”と豪語した原子力施設から、高濃度放射性物質が撒き散らされているのである。

おそらくこの後に行われる議論を予見して今から書いておくが、それでも原子力エネルギー開発は継続するべきだと思う。
エネルギーを輸入に頼る、頼らざるを得ない島国日本において、今後も火力発電に依存した電力供給ほど、危ういものはないのであるから。

と、ガソリンが枯渇し、ケツを拭く紙にも事欠く首都・東京から、そんなことを思っている。
不幸にも被災した方々から比べれば、ゴミみたいなハナシであるが。

Everybody Wants to Rule the World

dubrock2011-03-06


リビアがスゴいことになっているらしい。
軍が自国民を爆撃するとは、そら尋常ではないハナシだ。

カダフィさんは「武器を持っているヤツは殺す」と言い、民衆は“民主化”を唱えて暴動を起こしているらしいが、・・・

結局、独裁者が“アメリカ”に代わるだけでは?

とは、イラクのその後にしきりに言われたコトでもある。
(マスコミ各社、とくに“ジャーナリスト”(笑)を自認する面々に好まれているフレーズのようだ。)

地面を掘ると、原油が出てくる一帯。
それを外国人が欲しがり、欲しがるばかりでなく、「開発」なんつって掘るためのインフラ整備までしてくれる。
黙っていても入ってくる富。
それを、どう分配するかだけのハナシ。
民主化だなんだ言っても、結局平等な分配なんて不可能なハナシであって、配分する権限を持った人間に“富”が集中するというのは、避けられないもの。

問題は、その“権限者”がアメリカにとって都合が良いか、悪いか。

それだけなのでは、ないだろうか。

なんてワタシにとっては、正直リビアなんて知ったこっちゃない話。
問題は、それを理由として、日本国内のガソリン価格が、“ある日”を境に11円も値上がりする、その異常事態のほうなのである。

“先入れ後出し”?

だから、3ヶ月も前に仕入れた石油製品を、“今”の相場価格で流通させている?

う〜ん。
納得のいく説明とは到底思えない。
っていうか、そのことと、“付近一帯が同一価格で販売すること”とは、根っこの違う問題だと思うのだが、・・・。

それにしても、世に“ガソリンスタンド”というものは目に見えて少なくなった。
小汚いフルサービスのENEOSは嫌、店員が付きまとうESSOのセルフはもっと嫌、なんて中途半端に“ブランド”になんかに拘ると、給油できなくなる世の中だ。

“タンク1/2切ったら最初に見掛けたGSで給油”
は長距離ドライブの鉄則となったのである。

この、“淘汰に勝ち残ったGSが、必ずしも顧客にとって居心地の良い、快適なサービスを提供している訳ではない”というのが興味深いトコロ。
結局元売にとって興味があるのは、“ポンプから月間何リットルのガソリンが出るのか”であって、さらにその“平均売価はいくらか”ということ。
それらの基準によって、御眼鏡に適ったディーラーに資本を注入。
“都合の良い蛇口”として、存続することを許されていくのである。

っていうと、さっきのリビアと大差ない構図。

入り口も出口も、おおよそ“民主主義”とは真逆の理論によって、成り立っているのが“ガソリン”なのでありました。
そんなやり方に“No”を突きつけるのであれば、“使わない”というのが最も効果的。
電気自動車に電車に太陽光発電でエコライフ、みたいな流れになるのであるが、先日乗った山手線には

“電気”“電気”つったって日本であれを発電する1/3は火力発電。
自動車の何万倍ものCO2を排出しているし、もう1/3は原子力発電。
CO2の替わりに出る放射性廃棄物の投棄なんて最も深刻な環境破壊になってるし、“ソーラーパネル”を生産する時に発生するCO2がどれほどのものか考えたことがあるだろうか。
なんて偉そうに語るオッサンが居た。

「燃費の悪い車に乗っている、オレが言えるハナシじゃないけどねーw」

というのが、オッサンのこのハナシの“オチ”らしいのだが、正直全然面白くない。

“富”が集中する側に回るには、を考える今日この頃なのでありました。