狭間を漂う
「○○くん、このままじゃ何者にもなれずに、身動きが取れなくなるよ」
学部生のころ、院生の先輩に言われた。
何ていうか、生き方の問題、みたいなもん。
自分の使命のようなものが、すなわち生きることと一致しているか。
それとも、それはそれ、生きることは別、なのか。
「あなたはそのどちらでもないというか、どちらなのかをわかっていない」
怒るような口調で、そう言われた。
実際、どちらでもなかったから失敗したことが多いなと思うんやけど。
いまでもそう。
「お前は自分の意見が弱いというか、常に間を取ろうとするよな」って言われることが多い。
正しいとかそうじゃないとか、いろんなことの判断とか。
自分はどちらにも属さないなぁと。
一方ではこっちに魅力を感じるけど、あっちにはあっちの良さもあるからなぁ〜とかって考える。
「いいとこがあんのはわかるけど!でもな……」っていう風にはならない。
どちらにも属していない。
そのおかげでいまでも自分がどの立場の人間なのか、自分でもわからない。
でもそれが自分であることが、最近ようやくわかってきた。
何者にもなれない。
自分以外の何かに、自分の持たないものすべてに憧れのような何かを持っていて。
それは結局一方にとっては正しいけれど他方にとっては正しくなかったり。
ただ、そのどちらの立場にも憧れる。
何かに属する人たちにとっての二人称になることができず、彼らから見ると常に三人称。
自分自身はホンマに一人称のまま。
でも、何かに縛られるよりかは楽しいんちゃうかな?って思う。
あれもいい、これもいい。
あれはかなん、これもかなん。
何かに左右されず、自分の価値基準で物事を決めていく。
味方はいなくても、敵もいない。
ふわふわーっと、何者でもない感覚。
誰かの何かになろうとすることから逃げてるだけかもしれへんけど、そうなってしまうことで得られないものを得られてると思うと、とても幸せな気がする。
フワフワ
何かと、最近疲れているなぁと感じる。
最近はいろんなことが上手く行かへんかって、今までなら「そんなときもあるわな」って思えていたことも、そう思えなかったり。
思えないから疲れるのか、疲れているからそう思えないのか。
卵が先か鶏が先かみたいな話やねんけど。
まぁ、実際に身体的な疲労がたまっているのは確か。
身の回りでバタバタとしていて、実家に帰ることが続いたり。
休みを取って、休んでない。
みたいな。
あ、体の疲れって話でいうとアパホテルのベッドは疲れを取るためのはずやのにめっちゃ体が疲れるよな。
などなど。
話は戻って。
そんな中で以前より改善されてるなーと思うことや、改善されたと感じると同時に、まだまだそこに至れていないことを感じたり。
なんだかんだで、「呪縛」のようなものからは、きっと縛られた続けるのやろうなと覚悟したり。
今回、ホンマはもうちょっと細分化して具体性を持たせた話をしようとしたんやけど。
そんな話したところで……
誰が興味あんねん!
ってギブソンさんみたいな話になるから、ちょっと控えた。
モヤモヤが晴れるまで、もうちょっと時間がかかりそうかな。
この誰にも言い難い(って書物にしてるんやけど)モヤモヤ感、何に似てるやろって思い返すとしばらく前に出た、あまりにも酷かった友人の結婚式のあり得なさに似てる気がする。
見慣れた風景
子供の頃から、太陽ってのは山の向こうから登ってきて、山の向こうに沈むもんやと思っていた。
でも、それだけじゃないらしい。
ビルの谷間に消えていくもの。
海の水平線に沈んでいくもの。
夕日じゃなくて、サンセットと洒落た呼び方をしたりするらしい。
過去に。
べっぴんなお姉さんが夕日のことをしきりにサンセットサンセット言うてるのを見て、すっごくゲンナリしたことを思い出した。
なんか、何かが無理やった。
その人に好意があったかどうかは別として、やけど。
なんか辛かったなー。
って、ぼんやり思い出しながら。
周囲を山に囲まれたとこから、山の向こうに沈む夕日を眺めるのでした。
山に登りたいとかは思わへんけど、山の見える風景は落ち着く。