First Period

最初はどこかのブログで、「歌声がくるり岸田繁に似てる」というコメントと一緒に「owari no kisetsu」が紹介されてたのを読んだのでした。
根っこがミーハーなもので、この文がなかったら簡単にアルバムを手に取ることはなかったことでしょう。
エレクトロニカとは。ポップとは。踊れる音楽とは。
そんな一般論を知るよりも前に1つのアルバムを聴き倒したことで、自分にとっての心地よい音楽の価値観が育ったと思っています。
郷愁を呼び起こすメロディーは、いつまでも私の電子音のスタンダードです。
世界遺産に決定。文句なし。』
rei harakamiさん、ありがとうございました。

Life Goes On

先週の今頃に自分の心に誓った目標は、1週間を1週間らしく生活すること。
春休みだからって寝ぼけた日々を送ってはいけないと平日は忙しく暮らしていた。あくまで自分にしては、だけど。
でも一息ついていた金曜の、その昼間から時間感覚はねじれてった。
週末の楽しみも無くなり、めまぐるしい事実と向き合ううちに何時の間にか新しい月曜日を迎えてしまった。


私の窓から見える現実は、画面が映す事実を遠ざけてしまうほどありふれたものです。
西の震災だってほとんど被害が無い所にいたので、災害の真っ只中にいる人の心境なんていくら想像してもしきれないことがとても悔しい。
そんな中で溢れる玉石混合の情報。それこそあらゆるメディアから波打って続けざまに押し寄せることで、普通の生活を送るこちらの内面が疲弊していく。
それだって二次災害だ。でも、画面じゃなくて窓の外へ向かうことで防げる。
こんな小さな人間に何が出来るかって、
すぐそこに在るありふれた現実を愛し、自分の歩みを止めないことだろう。


今週の目標が決まった。
真っ当に暮らす奴になるために、明日は履歴書を送る。

僕等の前にもう少しだけ まともな世界が降るように
あなたの前にもう少しだけ 嬉しい知らせが降るように
今日よりも 現在よりも
Mr.Children/さよなら2001年

これは人災の歌だけど、大きな平穏を願う歌。
また心から笑える、はずだ。

Look Up

見上げた先には光があった。
ステージから放射線状に放たれた、真っ直ぐな光。
各々、手を伸ばす。というよりもむしろ掴み取ろうとする。
だが光は思っているより上の方を飛んでいる。
届かない。その高さまで跳ねたって無機質なグリーンの光線に触れることはできない。分かっている。それでも近付きたい。今なら我が物にできるはず。
現実を超えた空間にいて、夜空の星をこの掌に収めたいと無邪気に願う子どもに戻ったようだった。
+++
上手いこと言えないけど忘れられない光景だったから書き留めておきたい。
マレーシア32の最後の音がライブハウスのなかを満たしていた時に、目に焼き付けたシーン。
やっぱり、自分にとっていつまで経ってもサカナクションのライブは特別なのです。
週末はライブDVDを見るつもりでいたけど、実際にその場で、自分の耳と目で感じ取ったものにしばらく浸りたい。

Brain Storm

ちょっと前にtwitterで右脳左脳診断なんてものが流れてきたのよね。
詳しくはgoogleさん辺りにちょいと尋ねれば出てくるのですが、指の組み方でインプットに使う脳、腕の組み方でアウトプットに使う脳が分かるという代物。根拠は知りません。言ってしまえば疑似科学のようなものかと。
で、それによると私はインプット左脳派のアウトプット右脳派。つまり物事を論理的に理解して感覚で伝えようとするから思ってることが伝わりにくいのだそうだ。だろうか。
確かに考えてることが上手く言葉にならないことは多い。文章がまとまる前に文頭に「なんかさ、」って付けてから発言したりもする。でもそれは天性の人見知りスキルと乏しい語彙力ゆえだと思う。あとどちらかといえば物事はなんとなくで理解している方だろう。一生をとてもアバウトに捉えて日々を暮らしている。気がする。ほらあやふやだ。
たださっきも言ったようにこの実験がどこまで信じられるかは分からないので、結果についてがたがたと申すつもりはないのです。
愕然としたのはひとしきり結果を読んだのちにインプット右脳派の人がするという指の組み方を試した瞬間。


違和感しかない。


すぐにいつもの組み方に戻した。心がざわついた。自分が当たり前のように誇っていた価値観が歪む。誰かにとっての自然を私は不自然に思う。逆もまた然りだ。こんなにも些細な癖なのに。ならば、人一人を理解するだなんて、どんなにか。

私が信じてる普通なんて不確かなものなのだ。
逆の組み手が、内面に生じた雑音が、自らの驕りを抑制する。



全然関係ないけど電子辞書で論理と引いたらすぐ下にロンリーとあるのはどういう罠だろう。すぐ下に論理演算が何食わぬ顔で鎮座していることもなおさら怪しい。
***
http://www.youtube.com/watch?v=M2cm35slKmY
ずるいな。たった1回聴いただけでサビが頭に残って口をついていた。
アルバム来月かー。

Good Mid-morning

ここの所、n度寝を繰り返してふとんを出るのは10時前後。
nには2〜4の任意の数字を代入してください。
nの数値は起床後の気だるさに比例します。
また1日の充実性に反比例します。
ここは一つ、9時には起きる人間になりたい。
洗濯物、早く干さないと夜までに乾かないし。



***
おかいもの

Letting Up Despite Great Faults / レッティング・アップ・ディスパイト・グレイト・フォールツ

Letting Up Despite Great Faults / レッティング・アップ・ディスパイト・グレイト・フォールツ

  • アーティスト: レッティング・アップ・ディスパイト・グレイト・フォールツ,Letting Up Dispite Great Faults
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HORN AGAIN

HORN AGAIN

Letting Up〜はLAのバンド。4月に来日してvijonでHIGH FADERの人たちと対バンするそうな。先にyoutubeで何度か聴いたのに、今日買うまでバンド名が覚えられなかった。訳すと「重大な過失にもかかわらず停止」、やっぱり分からないので忘れそう。
そんなことは置いといて、試聴してすぐに馴染むほどに好きな音を鳴らしてます。懐かしいメロディーと幻想的な歪みに今時のリズムが合わさって、とても愛らしい。
「極彩色でドリーミーなエレクトロ・シューゲイザー・ポップ」(ジャケ表に付いてたステッカーより)というコピーにうっかり引っかかってしまう人はぜひに。


ピロウズはRodeo star mateや前作に入ってたPrimer Beatみたいな路線で来るとばかり(個人的な期待も込めて)思ってたら意外なまでのアクの強さで、聴き込み甲斐がありそうです。このおっさん方はまだまだ聴き手を小気味よく裏切っていくのか。ライブのセットリストもここ最近のものとはガラッと変化しそう。

余談。うっかりDVD付いてない通常盤買っちゃってた。
今回のPVは演奏じゃないにしたって、はじめてだ。なんてこった。

Holy Dance

放り投げたい。



なにかしら問題に向き合ってしばらく時間が経つと、嫌気と諦めが煮詰まってこのような感情が湧きあがってくる。
問題そのものをではなく、物理的に何かをどこかへ投げてしまいたいのだ。破壊衝動ならぬ投擲衝動である。
何か、にはバリエーションがある。今手に持っている携帯電話、傍のプリントの山、こたつのテーブル。
どこか、は部屋の外、高い空、明後日の方向。挙げてみて気付いたが抽象的だ。
しかし兎角しがらみが多いこの世の中、外へ思い切り何かを放り投げることは難しいのです。
そもそも自分ノーコンですし。全身全霊でボール投げても全然飛ばずに肩痛くなるだけでしょうぞ。小中高と毎年スポーツテストやっても正しいフォームが身につかなかった人の肩の力なんて底が知れている。


いや、まあ、そんな事は別にいいじゃないか。
どうしようもなく大人気ない衝動なので、すべて脳内で処理します。
ベランダに立った(つもりの)自分は右手にあいほんをしっかりと握り締めている(気になっている)。後ろへ振りかぶった後に斜め上に向かって、一思いに、投げる。あいほんは私の手を離れ、上空へと飛ばされる。重力に逆らうが如くどこまでも空を行く。分厚い雲を突き破り、とうとう見えなくなってしまった。欲望は果たされた。清々しい顔つきで回れ右。さあ米を炊こうか。こんな日に食べるご飯はきっと美味しい。
そして2日後、街を歩く自分のほうへ降ってくる物体。間違いない。一昨日の方向からやってきたあいほんじゃないか。明後日めがけてやって来たのだ。お前元気だったか。うろたえながら両手で受け止めようとしたら誤って頭の上でワンバウンド。頭蓋骨のひりひりとした震えを知覚しながら前頭部に出来たこぶをさすり、
とここまで妄想したところでエアスローイングした肩が痛み出すのだ。


…何が言いたいのやら分からなくなってきましたが、
この文章自体が期末レポートを放り出して逃げ込んだ先だということです。
この場所はゆるく文字を綴るための安穏の地として。なにとぞ。