指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

二重あごが目立たなくなりつつある。

 今日のスイムはアップルウォッチによると32分43秒で千七十五メートルとよくわからないタイムと距離。大体千七十五メートル泳いでたら二十五メートルプールのスタートとは反対側のプールサイドにいなきゃならないのに実際にはスタートと同じサイドで泳ぎ終えてる。しかも昨日より九分も遅いなんてちょっと信じられない。バイトを終えて帰宅してアイフォンで詳細を確認すると(アイフォンに飛ばした方が詳しいデータが見られる。)千からの五十メートルを6分57秒かけて泳いだことになってる。なんだそれ?確かウォッチを止めた段階で千五十メートルと表示されててまた数え間違えたと思ったことは記憶してるのでそれからなんらかの理由でウォッチがカウントを続けたとしか思えない。それか壊れたのかも知れない。どちらにせよ百メートル毎のラップタイムを十個足すと千メートル時点で24分12秒となる。とすると昨日より三十秒遅いけどまあまあ信頼できる数字な気がする。という訳で今日のタイムはそれを採用しとく。
 高校生のときに体重がマックス八十二キロになったときからずっと二重あごでそれはそのときから十キロ以上減ったこの年まで変わらなかった。でも昨日だったか鏡で確認すると随分目立たなくなってるように見えた。完全に消えてなくなった訳じゃないんだけど明らかに小さくなってる。泳ぎ始めてそろそろ五ヶ月。体つきには穏やかに変化が見られる気がするけど二重あごもそのうちのひとつなのかも知れない。これは二十五年前に毎日二千メートルずつ泳いでてもなかった変化なのでその頃よりも運動量が多いとかプロテイン飲んでるせいとか考えることができそうだ。前にも書いたように二千メートル泳いでた頃は二十五メートル毎に立って休んでたので千メートルひと息に泳ぐ今の方が運動量が多いというのは考えられないこともないかも知れない。プロテインも推奨量の半分だけど毎日欠かさず飲んでるのでなにがしかの効果は期待していい気もする。いずれにせよ二重あごが消えたら割にすごくうれしい。健康一辺倒というのもなんか味気ないしね。
 今日はこの前バイト中に過呼吸を起こして救急搬送されたサコちゃんがシフトに入った。顔色もよかったし元気そうだしよく笑ってたし安心した。バイト辞めちゃうかもと思ってたけどこの分なら大丈夫そうだ。夕方からは久々に塾で授業。誰かに何かを教えるのってとても好きだ。特にそれでお金がもらえるような場合は。

「11ぴきのねこ」グッズについて。

 前にも書いたかも知れないけど「11ぴきのねこ」を初めて読んだのは四歳か五歳の頃でそれ以来半世紀以上のファンだ。アイルトン・セナより坂本龍一よりヒョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーより村上春樹よりずっと前からファンだ。同じ頃からのファンなのは「サンダーバード」くらいかな。小学校に上がる前何かの懸賞に応募したのが当たってサンダーバード1号のずっしり重いダイキャストモデルが送られて来たのをかすかに覚えている。すごくうれしかった。のを覚えている。あの頃はいつも母親と二人だけだったなあ。いやそれは今回とは別の話題なのでいつか触れられたら触れたい。サンダーバード五号のプラモの話とかね。これも割にいい話なんだ。
 それで「11ぴきのねこ」なんだけどいろいろなグッズが今もつくられてて僕も気に入れば買ったりする。でも絵本にないシーンをモチーフにしたグッズはさめるので買わない。馬場先生は「11ぴきのねこ」について絵本とは違うシーンを結構描かれてるみたいだ。それはお仕事なのでもちろん僕らが文句を言えた義理ではない。でもね。「11ぴきのねこ」読者の皆さまに問いたい。絵本のシーン以外に先生が描かれたねこたちってなんか違いませんか?絵本の中では絵本のドラマツルギーに素直に従ってたねこたちが二次使用ではすごい勝手な表情を浮かべるねこたちに豹変してる。物語を飛び出したねこたちだ。個人的な感想を言うとこれら飛び出したねこたちがあまり好きではない。だから買わない。そんなのかんけーねーよアイコンとして優れてるんだからアレンジして使い倒すんだよというならそれは僕の「11ぴきのねこ」じゃないんで尚更買わない。「11ぴきのねこ」は何よりも物語なのだ。物語を逸脱して単なるアイコンと化した彼らはオールドファンの自分とは関係ない。
 今日のスイムは23分41秒で千メートルと記録更新。のびしろはまだあるみたいだ。

いい日だったような気がする。

 池袋のカフェヴェローチェでまた朝食を食べようと家人と出かけた。お店のモーニングセットにはAからCのセットがあってその他にもサンドウィッチとか選べる。僕はツナマヨプラスチーズのホットサンドとドリンクが選べるAセットを毎回頼んでて家人が「今日もA?」と言うのでメロディーには乗せずに朗読みたいな感じで「じれったいじれったいいくつに見えてもあたし誰でも」と返すとひとしきり笑った後で家人が「セットA?」と尋ねるので「いやまんま今日もA」と答える。・・・ええと僕は割にこういう感じで冗談を言います。教養がないとついて来られません。すいません。わ~た~し~きょうもええ~。
 朝食後はサンシャインシティーのグラニフに行ってTシャツを見る。パルコのグラニフいつなくなったんだ?それですごいかわいいのを見つけた。「11ぴきのねこ」の一作目で魚を捕まえるためにいかだで出かけた11ぴきのシーンがモチーフ。これっていちばん初めに出たデザイン(画像をご覧下さい。この猫たちの背景なしの画像がここで言ってるいちばん初めに出たシャツの柄です。)よりかわいくね?それで二枚買ったら十パーセント安くなるということなのでそうしようと思ったら僕のサイズのLが一枚しかない。お店のおねえさんにこのサイズもう一枚ありませんかと問い合わせるとパソコンで調べてくれてもう一枚在庫があるので見て参りますと言うので待ってたら結構時間がかかった。こちらはいくら時間がかかっても構わないけどお店の人はそういう訳にも行かないだろうなあとか思い始めた頃におねえさんが戻って来て見つからないと言う。それで一枚だけ買った。二枚お買い上げで十パーセント割引になりますけど一枚でよろしいですかとはそのおねえさんが言ってくれた言葉だったんだけどまさか同じのもう一枚ありませんかと尋ねられるとは思ってなかったんだろうな。悪いことをしたかも知れない。売る気満々のおねいさんだったし。
 帰宅後はシャワーと飲んで食べて昼寝。昼寝後焼酎が切れる日なので最寄りのまいばすに行こうとしたら家人も行くと言うのでふたりでてくてく歩く。それぞれの買い物をして帰るとバイトまであまり時間がなかったので仕度をして出勤。
 ビート板って皆さんご存じかも知れない。プルブイはどうかな。

 こんなので主に足に挟んで使う。今日おじいさんとふたりのお孫さんといった感じの三人連れがプールに来てておじいさんは立派な体格に水着はほぼブーメランパンツで相当腕に覚えのあるスイマーとお見受けした。お孫さんに熱心に水泳の指導をしている。そのうちビート板を足に挟ませての練習を始めた。ところがプールではビート板を足に挟むことは禁止されている。たぶん足から外れると浮力でビート板が跳ね上がるので危険と見なされてるんだと思う。それで用意されてるプルブイを持って彼らのそばに行き禁止の旨と足に挟むならこれにして欲しい旨を伝えてプルブイを渡した。おじいさんは禁止なの?と幾分不服そうだったけどルールはルールなので従ってもらうしかない。するとしばらくして同じおじいさんからありがとうございますと声をかけられた。これとてもいいですまっすぐ泳げてということでどうやら気に入ってもらえたらしかった。監視員やっててうれしいことというのはそんなにないけどこういう形でお客さんに喜んでもらえたらそれはうれしい。その後新人のバイトさんからさっきのは何を注意してたんですかと尋ねられた。だからビート板を足に挟むのは禁止だからプルブイに替えてもらってたと答えると腑に落ちたみたいにそうなんですかーと言う。こういう新人さんがいるというのもまたうれしいことのひとつだ。自分の納得の行かない行動を先輩がとってたらそれがどういう意味なのかをすぐさま問い合わせる。積極的でとてもいい。自分が無意識に近い形で行ってることを一から十まで対象化して意識に上らせ誰かに教えるというのはとても難しいので(これはほとんどどんな「教える」という行為にも共通した難しさだと思う。)そんな風に向こうから尋ねてもらえるとほんとに助かる。この子はいい監視員にひいてはいい社会人になれると思う。といういろいろをひっくるめていい日だったような気がする。
 今日のスイムは24分56秒で千と自分としては最低ラインと考えてる25分以内をかろうじて達成した。時間をかけてなだらかにでも縮めて行きたい。

今日は何もなし。

 今日のスイムはまた数え間違えて千五十メートルを26分41秒。千メートル時点では25分33秒と昨日より一分半以上遅くなっている。確かにあまりきついと思わなかった。きついときにペースを落とすことはできるけどきつくないからと言ってペースを上げるというのは今のところ難しいみたいだ。だとしても25分を切れなかったのは痛恨。明日はどうなるかな。なんでアップルウォッチしてて泳いだ距離を数え間違えるのかと言うとノンストップで泳いでると時計を確認する暇というのがないからだ。以前は止まって休む度に距離と時間を確認していた。それができない今は結局ふりだしに戻って頭の中で距離を数えている。今日なんてまだ九百五十メートルかも知れないと思いながら一応止まって確認したら千五十メートルだったので百メートル数え間違っている。これは運動ばかりしてると頭が悪くなるから。じゃないとは思うんだけどほんとはよくわからない。ただ確実に言えることは明日からも三日に二回の確率で数え間違えるだろうということだけだ。
 二十九日の月曜はプールは割に混んだものの連休後半の昨日今日はそれほどでもない。遠出しちゃった人が多いのかも知れない。どちらにしてもバイトは楽だ。今日もこれからラスト近くまでバイト。二時間半受付の業務なのでさらに楽できるんじゃないかと思っている。

久々にラストまでバイト。

 人が足りないということで久々にラストまでバイトを入れる。帰宅して入浴して一杯飲み始めた今は例によって午後十一時過ぎ。何かまとまった文章を書くということはもうできない気がする。午前中は十一時半までバイトして帰宅してから家人と買い物に行ってもう一度帰宅してからシャワーを浴びて一杯飲んで昼食と昼寝。起きてから用があって駅前にひとりで行くと障がい者雇用枠で来てるねひちゃんが仕事を終えたのか歩いてくるのでお疲れ様と声をかけると今日大変なことになっちゃったんですようと彼女の発言の前にはほぼ必ずつく枕詞を口にする。何が大変だったのと尋ねると救急搬送された人がいると言う。お客さん?と尋ねると監視員と言うのでえっ誰と尋ねるとサコちゃんだと言う。なんでもプールサイドで急に倒れ救急車を呼んだら過呼吸ということだったそうだ。午前中一緒のシフトで元気よさそうに見えただけにこれにはびっくりした。人手が足りないと困るかなと思って予定より三十分前にバイトに入るものの人員は充分足りていて仕事に支障は出なかった。でももしかしたらサコちゃん辞めちゃうかも知れないな。すごく繊細な子だしね。力になってあげたいけどラインとかしていいのか判断に苦しむところだ。たぶんしない方がいいんじゃないかと現状思っている。
 今日のスイムは23分57秒で千。初めて24分を切った。途中すごくきつくて四百メートル過ぎた辺りでこのペースでは千は泳げないと思ったのでさすがに意識してペースを落とし少し楽になって千まで耐えた。つもりなんだけどアップルウォッチでラップを見るとそれほどペースをゆるめた形跡がない。よくわからない。でもまあ23分台に入ったのは自分でもびっくり。タイムを縮めるのか楽しく泳ぐのか今後難しい決断を迫られると思う。

充電の嵐。

 このパソコン買ったの何年前だったっけ?よく覚えてないけど二、三年前だった気がする。時々マウスカーソルが細かくフリーズするので最初すごく気になったけどそのうちに慣れた。あとソフトが立ち上がるのが異様に遅い気がする。エクセルのファイルをクリックしても立ち上がるまでに数秒かかる。若い頃と違ってそういうのをいちいち気にするのも面倒なのでやりたいようにやらせておく。でもまだある。メモリを圧迫されでもするのかただのエディターへの入力がすごく遅くなるときがある。十文字くらい入力しても何も反映されないで数秒してからタタタタっと文字列が表示される。要するにこのパソコンを使うのには結構な我慢を強いられてるということになると思う。おまけに充電が保たなくなって来た。体感で言うと買った頃の半分くらいの時間でバッテリー切れになる。もちろんどんなノートパソコンだっていつかはバッテリーが保たなくなる。あるいはどんなスマホも同じだ。ただし愛用してるタグ・ホイヤーの電池は数年単位で保ち続けている。さすがスイスウォッチということかも知れない。それに比べるとアップルウォッチのバッテリーはまー保たない。いろんなことを四六時中モニターさせてたりアイフォンとバックグラウンドで通信させてたりするので仕方ないのかも知れないけどそれにしてもちょっとひどいんじゃないかと思う。という訳でパソコンとアイフォンとアップルウォッチの充電の嵐にこのところずっと巻き込まれている。アイフォンは自宅にも塾にも充電器を置いてるのでまあまあ便利なんだけどパソコンの充電器はいつだったか壊れてしまって今はうちにある家人のものを一緒に使わせてもらってる。だからたまに塾でパソコンの作業をしようとしてバッテリーがなくて断念するなんてこともある。アップルウォッチは純正の充電器をうちに置いて使っている。塾用にとあるチェーン店で千円の充電器を買ったら何時間経ってもほとんど充電しなくてただ本体と充電器が発熱しただけだった。今日は塾に出かけようとするちょっと前にアップルウォッチからメッセージが来て充電が十パーセントを切ったということだったので充電器ごと塾へ運んで充電した。幸いなことに充電時間はアイフォンに比べても格段に短くて済む。でもまああれば便利なので塾用に純正の充電器を買うかどうか迷っている。
 と書いて来てひとつ触れておきたいことを思い出した。それはアップルウォッチにはある種の拘束性があるということだ。睡眠の質や時間をモニターしてくれるので寝るときもつけている。まずこれが考えてみるとちょっとおかしい。腕時計をつけて寝てる人ってどれだけいるんだろうか。それから消費カロリーやエクササイズの時間を記録してくれる他に一時間に一分以上立ち歩いたときにつく「スタンド」というモニター項目があってデフォルトではこれを十二時間分記録させると一日の目標を達成することになってる。これを達成させるのが日によってはなかなか難しい。まずプールサイドでは時計はつけられない(人命救助の妨げになるものは一切身につけられない)ので受付に回されるのでもない限りバイト中はモニターができない。授業の最中はモニターできるけどそれも一日にせいぜい六時間なのであと六時間分をどこで稼ぐかは結構頭の痛いところだ。だからバイト中監視員の詰め所で休んでていいときに更衣室まで歩いて行ってロッカーを開けアップルウォッチを取り出して腕につけ用もないのにその辺をうろうろ歩き回ったりしている。このときはさすがに我ながら不自然な行動だと感じるし拘束されてるってことなんだろうなと思う。でもじゃあどうすればいいかは今のところ決めかねている。そのうちに「スタンド」達成にも飽きて自分にとって唯一必要な機能であるスイムのモニターだけ使うようになるかも知れない。それが自然だと思う。早くそうなればいい。
 そのスイムは今日千メートルを24分04秒と最速記録。初めて25分を切って十日足らずで24分が切れそうなところまで来た。でもきついと言えば相当きつかった。体の刻むリズムに黙って耐えてるだけだ。ただこの前まではきついなと思ったら意識してペースダウンを心がけたけど今は最後までつき合うことができている。それだけ鍛えられてきたんだとすれば素直にうれしい。

イモラ・サーキットのタンブレロ・コーナー。

 ちょうど三十年前のことだ。F1サンマリノグランプリ。アイルトン・セナの駆るウィリアムズ・ルノーのマシンは突然コースアウトしたかと思うとその先にある壁に激突した。コースアウトから激突までに彼はマシンをかなり減速させていたと伝えられるが自分の命を守り切るには充分ではなかった。そうしてセナは亡くなってしまった。以来F1の中継は観ていない。いつからかF1を観るよりセナを観ることの方が僕にとってはるかに重要になっていたということだ。セナの走らないレースなんか観ても仕方ない。
 セナの命日なんだなと何度も思いながら今日一日を過ごした。書いたことがなかったと思うけど塾を始めたのがセナの命日である五月一日だったのはまったくの成り行きだった。塾だから新学期である四月に始めたいと思っていたのが失業給付の問題(不正受給と見なされるとすごく面倒なことになる。)とか賃貸物件の契約の問題とかがクリアできず五月にずれ込んだだけの話だった。でもそうやってやっと漕ぎ着けた創業日がたまたま五月一日になったことでこの仕事はもしかしたらうまく行くんじゃないかと思った。セナに見守られてるような気がしたから。と書いて来るといささか神がかってて自分でも引く。大体こちらはセナを知ってるけどセナはこちらのことなんか知らない。知ってるはずがない。なのに見守るもへったくれもある訳がない。でも当時はそんなものにでもすがりつきたい一心だった。これがうまく行かなかったらあとは尻尾を巻いて実家に逃げ帰るしか選択肢がなかった。子供はまだ小学生だったし家人は小説なんてまだ一行も書いてなかった。手許にあるのは愛だけで未来にあるのは不安だけだった。でもそれから今日で丸十一年が経った。その間母親に二百万弱借金したけど(という段階でアウトな気もするけど)それを除けばまあまあ暮らして行けてる。今でも不安であることには変わりない。でも常に不安であることは不安への耐性を育む。なんとかなってるならそれ以上心配したところでそれは取り越し苦労というものだ。そうだよね?親愛なるセナ。
 今日のスイムは千メートルを24分50秒と辛くも25分を切った。切るのはこれで三日連続かな?泳ぐペースは体まかせで今日も軽めにきつかった。でも自分を甘やかさない姿勢には僕も賛同したい。今日はバイト中しーちゃんとふたりきりの仕事というのがあってちょっとうれしかった。授業もこう言ってはなんだがとてもうまく行ってる。十二年目も願わくば平穏で幸せでありますように。

地獄の季節がやって来た。

 昨日も予告した通りアルチュール・ランボーとはまったく関係ありません。ついでに言うとジョン・ランボーともより一層関係ない。と思う。ジョン・ランボーの愛読書が「地獄の季節」ということが絶対にないとは言い切れないけど。
 僕らプール監視員にとっての地獄の季節とはゴールデンウィークから寒くなるまでのおよそどれくらい?温暖化を踏まえるとほとんど半年と言っていいのかな。くらいの間ということになる。要するに暑くなるとプールは混み合う。常連さんばかりなら皆さんルールをわきまえているので安心なんだけどたまにしか来ない―あるいは初めて来る―親子連れとか小中学生のグループなんかが殺到した日にゃルールは知らねえし子供は言うことなんか聞かねえしで結構容易に混沌が訪れる。具体的に数字を挙げると冬場なら一日の利用者数が百五十人を切る日もあるのに真夏になると去年の実績で言って九百人を越える日がある。およそ六倍の来場者数だ。一昨年はそこまで混まなかったんだけど去年はなんかもう新型コロナはなかったことにしようみたいな圧力もあったし矢吹丈のノーガード戦法みたいにノーガードで有象無象がプールに殺到したんだろう。言うまでもなく昨夏も新型コロナ・ウィルスはそこそこ猛威だったし家人も子供も僕も罹患したしすごく大変な目に遭った。そういうのを「ないことにする」ってすごく恐いことだと思う。多数決で病原がなくなるなら僕だって喜んで千票くらい入れるけどそれでその千票がなかったことにされたって病原がなくなる訳じゃない。そんなん当たり前じゃん。でもその当たり前のことを忘れちゃってる人が割に多い気がする。科学について言えば正しいことを教えてくれるのは科学の専門家だけであってマスコミとか同調圧力とかじゃないんだぜと思う。だから皆さんもっと慎重にね。と思う。なかったことにしてもあるものはあるのだ。
 追記。
 今日のスイムは24分42秒で千と25分を切っている。ペース的にはややきついながら体がそのペースを選ぶんならついて行くしかない。

この人には好意を持たれてるなと感じることがある。

 たいていの人とはまあまあうまくやってるんじゃないかと思う。もともと誰ともあまり深いつきあいというのを望まないのでつかず離れずという距離感になるけどそれで構わないなら割に誰とでも良好な――とまでは行かないかも知れないにせよそれほどぎくしゃくはしてない関係を築けるような気がする。たまにすごく嫌われることが若い頃からあったし実は今もあるけど例外と言っていいくらいの頻度だと思う。なぜ嫌われるかはよくわからない。特にわかりたいとも思わない。逆によくわからない好意を抱かれることもある。これも頻度としては嫌われるのと同じくらいじゃないかと思う。大したやりとりをした訳でもないのにこちらに対する好意が伝わってくる人というのがいる。自己評価が低いので何かの思い違いだろオレなんかに好意を持つ訳ないだろと何度か否定してもどうもそうじゃないみたいだと判ぜざるを得ないことがある。これも理由はよくわからない。でも嫌われてる場合と違ってできればその理由がわかるといいなと思ったりする。
 バイト先の別部署にいる女の子がそれで名前をつけておく。ヤカさんでいいかな。別にそれまで親しかった訳でも何でもないのにあるとき業務上のトラブルを偶然一緒に解決したことがありそのときにすごくフランクに話してくれる人だなという印象となんだか心の距離が近いなという印象を受けた。その後も会えば挨拶を交わしててこの前久しぶりに見かけたのでお久しぶりですねと声をかけるとわざわざこちらまでやって来てくれてしばし言葉を交わした。そのときも何かがすごく近い気がした。今日も久しぶりに会ったら向こうからお久しぶりですと声をかけてくれる。でもシフト結構入ってるんですよね僕と時間帯が合わないだけなんですよねと尋ねるとそうだと言う。お互いに対して今日はシフトに入ってないのかなとそれとなく目で探してるような連帯感があってちょっとだけ心が温かくなった。それが出勤の時の話でたまたま退勤の時刻も一緒だったので着替えながら更衣室のカーテン越しにちょっと立ち入った質問をしてみた。その部署の女の子は学生さんが大多数なんだけどヤカさんは彼女らに比べて明らかに落ち着いてるしこう言ってよければ度胸のよさみたいなものも持ってる。それでヤカさんは学生さんじゃないんですよねと尋ねた。すると大学院の博士課程に籍を置いてると言う。もう三十過ぎてるし他の学生のピチピチしたのと一緒にされても困るんですけど。なるほど。当たらずと言えども遠からずと思って何を専攻されてるんですかと尋ねると難しいなと言うのでいやじゃあそれなら尋ねません。どちらにしても立ち入ったことなのでと返すと僕は知識がないのでよくわかんなかったんだけどある条件下で消費者がどういった消費行動をとるかというのをシミュレートしたりとかそういうことらしい。他にもバイトを掛け持ちしてることとかもうひとつの会社の方が時給がいいのでこっちには来なくてもほんとは構わないこととか(じゃあわざわざいらしてるのはこっちの仕事がお好きだからですかと尋ねるとまあそうかも知れませんということだった。)今まで聞いたことのないことをいろいろ聞けた。ここで僕が何より重要だと思ってるのは彼女は僕のどの質問に対しても「お前の知ったことじゃない。」と言い放つ権利を持ってたということだ。実際自分でも随分プライベートなことに立ち入ってるなと思ってたしどこかで拒絶されても仕方ないかなと思っていた。ただこれまでに彼女から受けた印象からある程度は受け容れてもらえる気がしたしその感触は信じていいように思えた。それを頼りに少しずつ近づいて行ったということだ。そして彼女は最後まで受け容れてくれた。今日みたいに長い時間彼女と話す機会はこの先もうないかも知れない。それくらい彼女と僕には接点というものがない。でももしもまた話す機会があったなら今回よりももう少し遠慮なく彼女の懐に入って行きたいし彼女がそれを望むなら僕のことを洗いざらい話してもいいとも思う。ぶっちゃけそういう関係ってなんなんだろうね。これ以上仲良くなっても何も生まれないし何も残らない。でもお互いもうちょっと仲良くなれたらうれしいなと思っている。と思う。いや単におじ(い)さんをあんまりからかわないで欲しいって話で終わるのかな。そうじゃないといいけど。
 誰も待ってないお待ちかね!今日のスイムは24分42秒で千。久々に25分を切った。泳ぎ始めてすぐにこのペースじゃきついなと思ったんだけど前にもそういうことがあったようにペースを決めるのは僕じゃなくて僕の体なので体がそのペースを選ぶのなら僕としては従わざるを得ない。三百でも五百でも今日のペースはきついと思いそうなるとずっときつくてやっと千メートルと思ってアップルウォッチを止めると九百五十メートル。あわててあと五十泳いで千にする。それでも25分を切ってたので調子はよかったんだろう。
 あと「地獄の季節」について書きたかったんだけど力尽く。読者にファンがいるようなので付記しとくとアルチュール・ランボーとはまったく関係ありません。すいません。

ぜいたくな昼食。

 午前中バイトがなかったのでゆっくり泳ぐ。千メートルを25分31秒。気がつくといつも千五十メートル泳いでるので五十メートル減らした自分的には九百五十メートルのところでアップルウォッチを止めたら額面通り九百五十しか泳いでなくてあわててウォッチをオンにして足りない五十メートルを泳いだ。帰宅後シャワーを浴びてプロテインを飲んで出かける。ちょっと前にお寿司食べたいよねということで家人と話がまとまりスーパーで折り詰めのお寿司を買ってきたりしてうまいうまいと言いながら食べた。今日はスーパーじゃなくてお寿司の専門店(て言うかテイクアウト専門のお安いお店)でお互い好きなネタばかりを三つ買った。駅前まで戻って夕飯の仕度なんかも買って帰宅。お昼の一杯のアテがお寿司ってぜいたくだ。すごくおいしかった。たまにはぜいたくな昼食。たまにはね。

頼られることについて。

 これは今日あるブロガーさんのエントリを読んで書いてみようかなと思ったテーマだ。その方はコメントをご希望になってるんだけどコメント欄に書くほど適切な内容になるか自信がないので自分のブログに書き留めておく次第。
 頼られることについて。僕はちょっと前にも触れたように自己否定と言うかもう少し自分の実感に沿った言い方をすると自己解体(ATOKは「事故買いたい」と変換した。MS-IMEよりは信頼してるけど時々何を考えてるのかわからないことがある。)みたいなものをライフワークにしてる(つもり)なので当然自己評価はそんなに高くない。だから誰かと話してても自分のつまらない話で相手を退屈させていたり迷惑に思わせていたりしたらどうしようと割にしょっちゅう思っている。だからバイト先のそう親しくない顔なじみくらいのお客さんに話しかけられてもできる限り短めに話を切り上げるようにしている。そしてその後あの人はもうちょっと話を続けたかったのかも知れないなと感じたりする。そうできなかったことについてちょっとだけ胸が痛む。でもそれが自分という人間のあり方なんだから仕方ないよなと開き直る。特に今のバイトを始めてからはそういうことがとても多くなった。これはよく考えるとまあまあストレスになっていて人間関係からの撤退路線にさらに拍車をかけてるとも言える。でも学生さんのバイトの中にはかなりシリアスな話をたまたまふたりきりの時とかあるいはラインとかで打ち明けてくれる人もいる。人間関係のこととか将来のこととかあるいは自分の抱えてるちょっとした問題とかについて。そういうときはすごく親身になって話を聞いてる気がする。もちろん彼らの顔が自分の子供の顔に重なるからでもある。でも彼らより随分長い道のりを歩んできた者として自分が彼らの年くらいに年長の人に尋ねてみたかったことや尋ねたんだけど納得の行く答えをもらえなかったことに対して自分なりにきちんと答えてあげたいという思いも大きい。要するに年寄りは頼られたらうれしい。たぶんそれはかなり普遍的なんじゃないかと思う。ただしそれと友だちになることは別なんじゃないかという気がする。と書いてきて思うのは友だちってなんだ?ということだ。僕はそういう学生さんたちとは明らかに友だちではない。飲みに行こうと誘われることもないし誘われても行かない。だから六十代が自分より相当若い人と友だちになれるかと言うと僕に限って言えば難しいという結論になる。でもとても個人的な結論なので参考になるかどうかはわからない。だからあとはご自分で決めて欲しい。すいません。
 追記。
 この日のスイムは27分01秒でまたも千五十メートル。最後の五十メートルが1分12秒だったので千メートル時点で25分49秒。何がいけないのか全然わからないけど25分が切れない。でも千メートルノンストップで泳ぎ続けられているのでよしとする。

ひざが痛い。

 前にも書いたかも知れないけど特に思い当たる理由もないのにひざが痛むことがある。これはつい数年前から始まったことでそれまでにも確かに時々ひざが痛むことがあったけどたいていの場合は重いものを運んだ(前職ではそういうケースがよくあった。)とか要するにはっきりと物理的な理由を見つけることができた。今はそういう理由がなくても痛むことがある。それもほっとくと歩くのに支障が出るくらいひどくなってしまう。地球温暖化とか気候変動とかそういう理由に拠るんでなければこれはもう老化のせいにするしかないんじゃないかと思っている。今も左ひざがひどく痛んでいるんだけど手術した方ではないので古傷という訳でもない。午前中多少無理してバイトに入ったのもよくなかったのかも知れない。先ほど痛み止めを飲んだので効いてくれるといいなと思いながら時が過ぎるのを待っている。
 今日のスイムはまた数え間違えて26分45秒で千五十メートル。最後の五十メートルは1分11秒だったので千メートルの時点では25分34秒。昨日よりはよかった。また五十メートル当たり1秒削るのが課題だ。ただ昨日も書いたようにここのところ泳ぐこと自体が楽しくなって来たのでその楽しみを損なわない程度にがんばれればいいやという気もする。

それだけで随分楽。

 今日のバイトはシフト係のしーちゃんがグループラインで募集してたのに応える形で希望よりも三十分だけ長く入ったら一時間受付の業務に回してもらえた。三時間の勤務のうち一時間受付だとそれだけで随分楽だ。シフト係はふたりいてひとりはしーちゃんでもうひとりは従来「若造」と呼んできた男の子。この若造に任せておくと受付の仕事なんかまあ回って来ない。でもしーちゃんはすごく頻繁に受付に回してくれる。これは以前からそうだったので彼女と仲直り(という言葉がいちばん近いと思う。)できてよかったと思っている。
 スイムは千メートルに26分09秒もかかってしまった。昨日より一分以上も遅くてまあ野良スイマーだからそれほどタイムが安定しないのも無理からぬことかも知れないけど本人なりにはいささかがっかりしている。五十メートル当たり昨日より一秒以上遅れている。理由はよくわからない。疲れてるんじゃないのと家人は言うけどこれまでだって結構疲れてたのにタイムは伸びてきた。明日は今日のタイムから一分以上も縮めなければならないのかと思うとかなりうんざりする。でもまあ明日も泳ぐ。最近それほどつらくないので泳ぐのが楽しみになって来ている。
 一時72キロに近かった体重がここ数日70キロを切っている。体重が増えるのは基本的にあまり歓迎すべき事態ではないと考えている。持病もあるしね。あと一ヶ月ちょいでまた検査なのでなんとか今の状態をキープして臨みたい。腹持ちがいいと思ってたプロテインが最近は飲んでもあまり腹の足しにならない。だからしょっちゅうおなかが空いている。もともとそれほど量を食べる方ではないし間食もしないので体重を増やす要素も多くない。もしも筋肉量が増えての体重増加ならばそれはもちろん望ましい。でも体の変化というのもそう顕著には現れてなくて相変わらずおなかに脂肪はついてるしあごも二重あごだ。でもひざの上に少しだけ筋肉のかたまりが現れたのと二の腕から手首の辺りにかけてひと筋青い筋が浮くようになったのはうれしく思いながら見ている。父親の手の甲が筋張ってるのを子供心にかっこいいと思っていた。ずっとぽっちゃり型だった自分の手の甲にはなかなか筋が現れず大人になって現れても父親のような美しい曲線は描かれなかった。今でも誰かの手の甲に青筋が立ってるのを見ると反射的に美しいと感じるし自分の手の甲にはコンプレックスを抱き続けている。だから自分の体に少しでも青い筋が増えたらそれは慶賀すべきことだ。と書いてきて思い当たるのは僕は自分で思うよりずっと父親のことが好きだったのかも知れないということだ。思いつくままに青筋について書いて来たけどそれは父親への思いに端を発してるのかも知れない。考えても考えても考えても自分の心というのはよくわからない。酒中に真ありという言葉通り酔っ払って普段思いつかないようなことを思いついたとき思いがけず自分の中の「真」に気づく。ということなのかも知れない。青筋へのあこがれがそのまま父親へのあこがれ(か、その残滓)だったとしたら天国にいる(かも知れない)父親は確かに喜んでくれることだろう。僕が父親なら子供がこんなことを書いてくれたら間違いなくうれしいだろうから。

雨の日の買い物。

 今日のスイムはまた数え間違えて千五十メートルを26分05秒。五十メートル毎のスプリットタイムを確認すると千メートルから千五十までに1分08秒かかってるので千メートルの段階では24分57秒となり辛うじて25分を切った。昨日より17秒速いので計算通り五十メートル毎に大体1秒ずつ縮めたことになる。ただし現状これが限界のような気もする。すごくきついという訳でもないんだけどこれ以上ペースを上げたらきつくなるんだろうなという予感がかなり強くする。当面25分を切るくらいのタイムで現状維持できたらいいかな。と思う。
 バイトは四月後半に何回か入れた最短の時短勤務で二時間半だけ。これだといつもの安いお弁当屋さんまで行ってから帰りに最寄りのスーパーに寄って買い物してもお昼前後に帰宅することができる。でも朝からの雨が結構強まっていたのでお弁当屋さんは諦め最寄りのスーパーですべて済ますことにする。家人と塾で待ち合わせバイト用のナップサックを塾に置き買い物用のバックパックを背負って傘を差して出かける。バイト用のハーフパンツではやや肌寒いけどまあ仕方ない。昔から仕事に着て行く服とプライベートで着る服はほぼ完全に分けることにしている。たとえば今はアディダスのハーフパンツの同じものを二枚買ってありバイト用とプライベート用に分けて履いている。なんでそんな面倒なことをしてるのかを簡潔に説明することは難しい。ハレとケというのに近いかも知れない。プライベートはハレで仕事はケだ。穢れはプライベートには持ち込みたくない。だからバイトから帰るとシャワーを浴びてかなりきちんと体全体を洗う。洗った後はバイトに着て行った服は一切身につけない。洗濯するものは洗濯に回し翌日も身につけるものはそれ用の保管場所にプライベート用の服とは完全に分けて置いておく。バイト用のナップサックにしても同様だ。特定の場所に隔離しておき翌朝バイトに出かけるまで一切手を触れない。一種の強迫神経症みたいなものかも知れない。ただし今日みたいにバイトとプライベートが地続きのときは間で体を洗ったり着替えたりができないので泣く泣くバイトの格好で外出する。バイト用の服とプライベートの服の混在も許されないので多少寒くてもバイトに履いてったハーフパンツをそのまま履いて出かけなければならない。書いてみると我ながら七面倒なことをしてる気がしてくる。でもたぶん今後も譲らずにやって行くことになると思う。
 今日安かったのはトマトとゆでたイカとローストビーフ栃尾揚げ。トマトは最近安いことが多い。他の三つは賞味期限が残り少ないので値引きされていたのを買った。あととんがりコーンが安かったけどこれは家人と子供用で僕は口にしない。それと夕飯の用意。このスーパーは賞味期限によってかなりこまめに値引きする他日替わりの奉仕品みたいなのもいろいろあって買い物が楽しい。見つける喜びもあるし得した感もある。以前通ってたスーパーにはそういうメリハリみたいなものがほとんどなくて今考えると買い物が退屈だった。今行ってるスーパーはそういうところすごくよく考えられててどうせ行くんならこっちの方がいいと思わせる。ルーティンワークにもっとエンタテインメント性を。もっとも毎日のように買い物に行く家人は二軒をうまく使い分けてるようだ。この近くに住むたいていの消費者がそうであろうように。帰宅後はいつもの通り。子供のバイトが早い時間から始まるのでまずは子供の昼食を用意してもらってから夫婦で心置きなく一杯やる。明日は最短ではないものの勤務時間はそう長くないのでまた家人と待ち合わせて買い物に行く予定。気温二十七度予想でまじっすか。そう言えば地震があったんだって?全然気づかんかった。

アイスティーが飲みたい。

 何週か続けて日曜日の朝食をとりに池袋のカフェヴェローチェへ行き寒い頃はホットの少し暖かくなってからはアイスの紅茶を注文していた。それで改めてあー紅茶ってほんとにおいしいなと感じた。このブログの長ーい読者の方ならご存じと思うけど僕はもともと紅茶が好きだ。学生の頃行きつけの喫茶店でバイトしてコーヒーと紅茶の淹れ方は基本から教わった。それでよくわかったことがひとつあってそれはお店のコーヒーの味を家庭で再現するのは難しい(か不可能だ)けど紅茶は家庭でもかなりおいしいのが飲めるということだった。それで一時期何種類かの茶葉を試してみたことがあった。そのお店は確かロイヤルコペンハーゲンの茶葉を使ってたと思う。でも当時はそれが市販されてるのに出くわしたことがなくて(スマホどころかケータイすらなかった時代で調べようがなかった。)フォーションとかフォートナムアンドメイソンとかも飲んでみたけど言うほどおいしいとは思わなかった。いちばん気に入ったのはトワイニングスのヴィンテージダージリンという茶葉で結局何缶か続けてそれを買って飲んだ。コアな紅茶好きの友だちが当時いて彼はラプサンスーチョンとか飲んでた。僕の下宿にその茶葉を持って来て淹れてくれたけど申し訳ないけど僕には合わなかったとかいう思い出もある。懐かしいな。二十代前半の頃の話だ。あの頃ってそれなりにつらい思いをしながら生きてたに違いないんだけど思い出になってしまうとどこか甘やかで牧歌的な印象をつくり出す。どうしてだろうね。じゃなかった。紅茶の話だった。荻窪に住んでたからその友だちに誘われてふた駅先の吉祥寺にある多奈加亭にも度々行った。この店には何年か前にも家人と一緒に行ったことがありそれについてはこのブログでも触れてると思う。そのときはピーナツのスプレッドかなんかがおいしくて買って帰って来たんじゃなかったっけ。忙しいので吉祥寺にももう何年も行ってない。会社勤めの頃は得意先があったので二週に一遍くらいは行ってたけどね。じゃなくて紅茶の話。同じ頃ガラス製のポットをアマゾンで買ってトワイニングスのヴィンテージダージリンの茶葉も成城石井だったかなで買って家人と何回か紅茶を淹れて飲んだ。昔通りとてもおいしくてうれしかった記憶がある。でもそんなつい数年前まであったおいしさへのこだわりみたいなものはいつの間にか消え去りそこそこのものでいいから手軽に楽しみたいと思うようになってきた。正直やろうと思えばチェーンの喫茶店よりおいしい紅茶を淹れることはできる。でもそこまでの手間暇はかけたくない。昨日またアイスティーが飲みたくなったのでそれほど好みの味じゃないことはわかっていながら「午後の紅茶」のストレートティーのペットボトルを買いグラスに氷をたくさん入れて飲んだ。でも「午後の紅茶」ってよくも悪くも「午後の紅茶」の味でしかないんだよね。僕が求めるアイスティーとは明らかに輪郭が異なる。それで今日家人が洋服が見たいと言うので(近々また作家仲間さんとお茶する予定らしい。)一緒に池袋に行ったときカルディーで一リットルの紙パック入りセイロンティーを見つけて買った。うちに帰って飲んだらこれがなかなかおいしい。若干甘すぎる気がするけどそれはまあ好みにもよる。香りとほのかな渋みがいい。常備するほどじゃないけどたまにまたアイスティーが飲みたくなったら買いに行こうと思う。
 今日のスイムは千メートルを25分14秒の新記録。五十メートルにつき一秒ずつ縮めることができれば25分を切れる計算だ。少しずつ進んで行く。