指栞(ゆびしおり)

前にも書いたかも知れないけど。

地獄の季節がやって来た。

 昨日も予告した通りアルチュール・ランボーとはまったく関係ありません。ついでに言うとジョン・ランボーともより一層関係ない。と思う。ジョン・ランボーの愛読書が「地獄の季節」ということが絶対にないとは言い切れないけど。
 僕らプール監視員にとっての地獄の季節とはゴールデンウィークから寒くなるまでのおよそどれくらい?温暖化を踏まえるとほとんど半年と言っていいのかな。くらいの間ということになる。要するに暑くなるとプールは混み合う。常連さんばかりなら皆さんルールをわきまえているので安心なんだけどたまにしか来ない―あるいは初めて来る―親子連れとか小中学生のグループなんかが殺到した日にゃルールは知らねえし子供は言うことなんか聞かねえしで結構容易に混沌が訪れる。具体的に数字を挙げると冬場なら一日の利用者数が百五十人を切る日もあるのに真夏になると去年の実績で言って九百人を越える日がある。およそ六倍の来場者数だ。一昨年はそこまで混まなかったんだけど去年はなんかもう新型コロナはなかったことにしようみたいな圧力もあったし矢吹丈のノーガード戦法みたいにノーガードで有象無象がプールに殺到したんだろう。言うまでもなく昨夏も新型コロナ・ウィルスはそこそこ猛威だったし家人も子供も僕も罹患したしすごく大変な目に遭った。そういうのを「ないことにする」ってすごく恐いことだと思う。多数決で病原がなくなるなら僕だって喜んで千票くらい入れるけどそれでその千票がなかったことにされたって病原がなくなる訳じゃない。そんなん当たり前じゃん。でもその当たり前のことを忘れちゃってる人が割に多い気がする。科学について言えば正しいことを教えてくれるのは科学の専門家だけであってマスコミとか同調圧力とかじゃないんだぜと思う。だから皆さんもっと慎重にね。と思う。なかったことにしてもあるものはあるのだ。

この人には好意を持たれてるなと感じることがある。

 たいていの人とはまあまあうまくやってるんじゃないかと思う。もともと誰ともあまり深いつきあいというのを望まないのでつかず離れずという距離感になるけどそれで構わないなら割に誰とでも良好な――とまでは行かないかも知れないにせよそれほどぎくしゃくはしてない関係を築けるような気がする。たまにすごく嫌われることが若い頃からあったし実は今もあるけど例外と言っていいくらいの頻度だと思う。なぜ嫌われるかはよくわからない。特にわかりたいとも思わない。逆によくわからない好意を抱かれることもある。これも頻度としては嫌われるのと同じくらいじゃないかと思う。大したやりとりをした訳でもないのにこちらに対する好意が伝わってくる人というのがいる。自己評価が低いので何かの思い違いだろオレなんかに好意を持つ訳ないだろと何度か否定してもどうもそうじゃないみたいだと判ぜざるを得ないことがある。これも理由はよくわからない。でも嫌われてる場合と違ってできればその理由がわかるといいなと思ったりする。
 バイト先の別部署にいる女の子がそれで名前をつけておく。ヤカさんでいいかな。別にそれまで親しかった訳でも何でもないのにあるとき業務上のトラブルを偶然一緒に解決したことがありそのときにすごくフランクに話してくれる人だなという印象となんだか心の距離が近いなという印象を受けた。その後も会えば挨拶を交わしててこの前久しぶりに見かけたのでお久しぶりですねと声をかけるとわざわざこちらまでやって来てくれてしばし言葉を交わした。そのときも何かがすごく近い気がした。今日も久しぶりに会ったら向こうからお久しぶりですと声をかけてくれる。でもシフト結構入ってるんですよね僕と時間帯が合わないだけなんですよねと尋ねるとそうだと言う。お互いに対して今日はシフトに入ってないのかなとそれとなく目で探してるような連帯感があってちょっとだけ心が温かくなった。それが出勤の時の話でたまたま退勤の時刻も一緒だったので着替えながら更衣室のカーテン越しにちょっと立ち入った質問をしてみた。その部署の女の子は学生さんが大多数なんだけどヤカさんは彼女らに比べて明らかに落ち着いてるしこう言ってよければ度胸のよさみたいなものも持ってる。それでヤカさんは学生さんじゃないんですよねと尋ねた。すると大学院の博士課程に籍を置いてると言う。もう三十過ぎてるし他の学生のピチピチしたのと一緒にされても困るんですけど。なるほど。当たらずと言えども遠からずと思って何を専攻されてるんですかと尋ねると難しいなと言うのでいやじゃあそれなら尋ねません。どちらにしても立ち入ったことなのでと返すと僕は知識がないのでよくわかんなかったんだけどある条件下で消費者がどういった消費行動をとるかというのをシミュレートしたりとかそういうことらしい。他にもバイトを掛け持ちしてることとかもうひとつの会社の方が時給がいいのでこっちには来なくてもほんとは構わないこととか(じゃあわざわざいらしてるのはこっちの仕事がお好きだからですかと尋ねるとまあそうかも知れませんということだった。)今まで聞いたことのないことをいろいろ聞けた。ここで僕が何より重要だと思ってるのは彼女は僕のどの質問に対しても「お前の知ったことじゃない。」と言い放つ権利を持ってたということだ。実際自分でも随分プライベートなことに立ち入ってるなと思ってたしどこかで拒絶されても仕方ないかなと思っていた。ただこれまでに彼女から受けた印象からある程度は受け容れてもらえる気がしたしその感触は信じていいように思えた。それを頼りに少しずつ近づいて行ったということだ。そして彼女は最後まで受け容れてくれた。今日みたいに長い時間彼女と話す機会はこの先もうないかも知れない。それくらい彼女と僕には接点というものがない。でももしもまた話す機会があったなら今回よりももう少し遠慮なく彼女の懐に入って行きたいし彼女がそれを望むなら僕のことを洗いざらい話してもいいとも思う。ぶっちゃけそういう関係ってなんなんだろうね。これ以上仲良くなっても何も生まれないし何も残らない。でもお互いもうちょっと仲良くなれたらうれしいなと思っている。と思う。いや単におじ(い)さんをあんまりからかわないで欲しいって話で終わるのかな。そうじゃないといいけど。
 誰も待ってないお待ちかね!今日のスイムは24分42秒で千。久々に25分を切った。泳ぎ始めてすぐにこのペースじゃきついなと思ったんだけど前にもそういうことがあったようにペースを決めるのは僕じゃなくて僕の体なので体がそのペースを選ぶのなら僕としては従わざるを得ない。三百でも五百でも今日のペースはきついと思いそうなるとずっときつくてやっと千メートルと思ってアップルウォッチを止めると九百五十メートル。あわててあと五十泳いで千にする。それでも25分を切ってたので調子はよかったんだろう。
 あと「地獄の季節」について書きたかったんだけど力尽く。読者にファンがいるようなので付記しとくとアルチュール・ランボーとはまったく関係ありません。すいません。

ぜいたくな昼食。

 午前中バイトがなかったのでゆっくり泳ぐ。千メートルを25分31秒。気がつくといつも千五十メートル泳いでるので五十メートル減らした自分的には九百五十メートルのところでアップルウォッチを止めたら額面通り九百五十しか泳いでなくてあわててウォッチをオンにして足りない五十メートルを泳いだ。帰宅後シャワーを浴びてプロテインを飲んで出かける。ちょっと前にお寿司食べたいよねということで家人と話がまとまりスーパーで折り詰めのお寿司を買ってきたりしてうまいうまいと言いながら食べた。今日はスーパーじゃなくてお寿司の専門店(て言うかテイクアウト専門のお安いお店)でお互い好きなネタばかりを三つ買った。駅前まで戻って夕飯の仕度なんかも買って帰宅。お昼の一杯のアテがお寿司ってぜいたくだ。すごくおいしかった。たまにはぜいたくな昼食。たまにはね。

頼られることについて。

 これは今日あるブロガーさんのエントリを読んで書いてみようかなと思ったテーマだ。その方はコメントをご希望になってるんだけどコメント欄に書くほど適切な内容になるか自信がないので自分のブログに書き留めておく次第。
 頼られることについて。僕はちょっと前にも触れたように自己否定と言うかもう少し自分の実感に沿った言い方をすると自己解体(ATOKは「事故買いたい」と変換した。MS-IMEよりは信頼してるけど時々何を考えてるのかわからないことがある。)みたいなものをライフワークにしてる(つもり)なので当然自己評価はそんなに高くない。だから誰かと話してても自分のつまらない話で相手を退屈させていたり迷惑に思わせていたりしたらどうしようと割にしょっちゅう思っている。だからバイト先のそう親しくない顔なじみくらいのお客さんに話しかけられてもできる限り短めに話を切り上げるようにしている。そしてその後あの人はもうちょっと話を続けたかったのかも知れないなと感じたりする。そうできなかったことについてちょっとだけ胸が痛む。でもそれが自分という人間のあり方なんだから仕方ないよなと開き直る。特に今のバイトを始めてからはそういうことがとても多くなった。これはよく考えるとまあまあストレスになっていて人間関係からの撤退路線にさらに拍車をかけてるとも言える。でも学生さんのバイトの中にはかなりシリアスな話をたまたまふたりきりの時とかあるいはラインとかで打ち明けてくれる人もいる。人間関係のこととか将来のこととかあるいは自分の抱えてるちょっとした問題とかについて。そういうときはすごく親身になって話を聞いてる気がする。もちろん彼らの顔が自分の子供の顔に重なるからでもある。でも彼らより随分長い道のりを歩んできた者として自分が彼らの年くらいに年長の人に尋ねてみたかったことや尋ねたんだけど納得の行く答えをもらえなかったことに対して自分なりにきちんと答えてあげたいという思いも大きい。要するに年寄りは頼られたらうれしい。たぶんそれはかなり普遍的なんじゃないかと思う。ただしそれと友だちになることは別なんじゃないかという気がする。と書いてきて思うのは友だちってなんだ?ということだ。僕はそういう学生さんたちとは明らかに友だちではない。飲みに行こうと誘われることもないし誘われても行かない。だから六十代が自分より相当若い人と友だちになれるかと言うと僕に限って言えば難しいという結論になる。でもとても個人的な結論なので参考になるかどうかはわからない。だからあとはご自分で決めて欲しい。すいません。
 追記。
 この日のスイムは27分01秒でまたも千五十メートル。最後の五十メートルが1分12秒だったので千メートル時点で25分49秒。何がいけないのか全然わからないけど25分が切れない。でも千メートルノンストップで泳ぎ続けられているのでよしとする。

ひざが痛い。

 前にも書いたかも知れないけど特に思い当たる理由もないのにひざが痛むことがある。これはつい数年前から始まったことでそれまでにも確かに時々ひざが痛むことがあったけどたいていの場合は重いものを運んだ(前職ではそういうケースがよくあった。)とか要するにはっきりと物理的な理由を見つけることができた。今はそういう理由がなくても痛むことがある。それもほっとくと歩くのに支障が出るくらいひどくなってしまう。地球温暖化とか気候変動とかそういう理由に拠るんでなければこれはもう老化のせいにするしかないんじゃないかと思っている。今も左ひざがひどく痛んでいるんだけど手術した方ではないので古傷という訳でもない。午前中多少無理してバイトに入ったのもよくなかったのかも知れない。先ほど痛み止めを飲んだので効いてくれるといいなと思いながら時が過ぎるのを待っている。
 今日のスイムはまた数え間違えて26分45秒で千五十メートル。最後の五十メートルは1分11秒だったので千メートルの時点では25分34秒。昨日よりはよかった。また五十メートル当たり1秒削るのが課題だ。ただ昨日も書いたようにここのところ泳ぐこと自体が楽しくなって来たのでその楽しみを損なわない程度にがんばれればいいやという気もする。

それだけで随分楽。

 今日のバイトはシフト係のしーちゃんがグループラインで募集してたのに応える形で希望よりも三十分だけ長く入ったら一時間受付の業務に回してもらえた。三時間の勤務のうち一時間受付だとそれだけで随分楽だ。シフト係はふたりいてひとりはしーちゃんでもうひとりは従来「若造」と呼んできた男の子。この若造に任せておくと受付の仕事なんかまあ回って来ない。でもしーちゃんはすごく頻繁に受付に回してくれる。これは以前からそうだったので彼女と仲直り(という言葉がいちばん近いと思う。)できてよかったと思っている。
 スイムは千メートルに26分09秒もかかってしまった。昨日より一分以上も遅くてまあ野良スイマーだからそれほどタイムが安定しないのも無理からぬことかも知れないけど本人なりにはいささかがっかりしている。五十メートル当たり昨日より一秒以上遅れている。理由はよくわからない。疲れてるんじゃないのと家人は言うけどこれまでだって結構疲れてたのにタイムは伸びてきた。明日は今日のタイムから一分以上も縮めなければならないのかと思うとかなりうんざりする。でもまあ明日も泳ぐ。最近それほどつらくないので泳ぐのが楽しみになって来ている。
 一時72キロに近かった体重がここ数日70キロを切っている。体重が増えるのは基本的にあまり歓迎すべき事態ではないと考えている。持病もあるしね。あと一ヶ月ちょいでまた検査なのでなんとか今の状態をキープして臨みたい。腹持ちがいいと思ってたプロテインが最近は飲んでもあまり腹の足しにならない。だからしょっちゅうおなかが空いている。もともとそれほど量を食べる方ではないし間食もしないので体重を増やす要素も多くない。もしも筋肉量が増えての体重増加ならばそれはもちろん望ましい。でも体の変化というのもそう顕著には現れてなくて相変わらずおなかに脂肪はついてるしあごも二重あごだ。でもひざの上に少しだけ筋肉のかたまりが現れたのと二の腕から手首の辺りにかけてひと筋青い筋が浮くようになったのはうれしく思いながら見ている。父親の手の甲が筋張ってるのを子供心にかっこいいと思っていた。ずっとぽっちゃり型だった自分の手の甲にはなかなか筋が現れず大人になって現れても父親のような美しい曲線は描かれなかった。今でも誰かの手の甲に青筋が立ってるのを見ると反射的に美しいと感じるし自分の手の甲にはコンプレックスを抱き続けている。だから自分の体に少しでも青い筋が増えたらそれは慶賀すべきことだ。と書いてきて思い当たるのは僕は自分で思うよりずっと父親のことが好きだったのかも知れないということだ。思いつくままに青筋について書いて来たけどそれは父親への思いに端を発してるのかも知れない。考えても考えても考えても自分の心というのはよくわからない。酒中に真ありという言葉通り酔っ払って普段思いつかないようなことを思いついたとき思いがけず自分の中の「真」に気づく。ということなのかも知れない。青筋へのあこがれがそのまま父親へのあこがれ(か、その残滓)だったとしたら天国にいる(かも知れない)父親は確かに喜んでくれることだろう。僕が父親なら子供がこんなことを書いてくれたら間違いなくうれしいだろうから。

雨の日の買い物。

 今日のスイムはまた数え間違えて千五十メートルを26分05秒。五十メートル毎のスプリットタイムを確認すると千メートルから千五十までに1分08秒かかってるので千メートルの段階では24分57秒となり辛うじて25分を切った。昨日より17秒速いので計算通り五十メートル毎に大体1秒ずつ縮めたことになる。ただし現状これが限界のような気もする。すごくきついという訳でもないんだけどこれ以上ペースを上げたらきつくなるんだろうなという予感がかなり強くする。当面25分を切るくらいのタイムで現状維持できたらいいかな。と思う。
 バイトは四月後半に何回か入れた最短の時短勤務で二時間半だけ。これだといつもの安いお弁当屋さんまで行ってから帰りに最寄りのスーパーに寄って買い物してもお昼前後に帰宅することができる。でも朝からの雨が結構強まっていたのでお弁当屋さんは諦め最寄りのスーパーですべて済ますことにする。家人と塾で待ち合わせバイト用のナップサックを塾に置き買い物用のバックパックを背負って傘を差して出かける。バイト用のハーフパンツではやや肌寒いけどまあ仕方ない。昔から仕事に着て行く服とプライベートで着る服はほぼ完全に分けることにしている。たとえば今はアディダスのハーフパンツの同じものを二枚買ってありバイト用とプライベート用に分けて履いている。なんでそんな面倒なことをしてるのかを簡潔に説明することは難しい。ハレとケというのに近いかも知れない。プライベートはハレで仕事はケだ。穢れはプライベートには持ち込みたくない。だからバイトから帰るとシャワーを浴びてかなりきちんと体全体を洗う。洗った後はバイトに着て行った服は一切身につけない。洗濯するものは洗濯に回し翌日も身につけるものはそれ用の保管場所にプライベート用の服とは完全に分けて置いておく。バイト用のナップサックにしても同様だ。特定の場所に隔離しておき翌朝バイトに出かけるまで一切手を触れない。一種の強迫神経症みたいなものかも知れない。ただし今日みたいにバイトとプライベートが地続きのときは間で体を洗ったり着替えたりができないので泣く泣くバイトの格好で外出する。バイト用の服とプライベートの服の混在も許されないので多少寒くてもバイトに履いてったハーフパンツをそのまま履いて出かけなければならない。書いてみると我ながら七面倒なことをしてる気がしてくる。でもたぶん今後も譲らずにやって行くことになると思う。
 今日安かったのはトマトとゆでたイカとローストビーフ栃尾揚げ。トマトは最近安いことが多い。他の三つは賞味期限が残り少ないので値引きされていたのを買った。あととんがりコーンが安かったけどこれは家人と子供用で僕は口にしない。それと夕飯の用意。このスーパーは賞味期限によってかなりこまめに値引きする他日替わりの奉仕品みたいなのもいろいろあって買い物が楽しい。見つける喜びもあるし得した感もある。以前通ってたスーパーにはそういうメリハリみたいなものがほとんどなくて今考えると買い物が退屈だった。今行ってるスーパーはそういうところすごくよく考えられててどうせ行くんならこっちの方がいいと思わせる。ルーティンワークにもっとエンタテインメント性を。もっとも毎日のように買い物に行く家人は二軒をうまく使い分けてるようだ。この近くに住むたいていの消費者がそうであろうように。帰宅後はいつもの通り。子供のバイトが早い時間から始まるのでまずは子供の昼食を用意してもらってから夫婦で心置きなく一杯やる。明日は最短ではないものの勤務時間はそう長くないのでまた家人と待ち合わせて買い物に行く予定。気温二十七度予想でまじっすか。そう言えば地震があったんだって?全然気づかんかった。

アイスティーが飲みたい。

 何週か続けて日曜日の朝食をとりに池袋のカフェヴェローチェへ行き寒い頃はホットの少し暖かくなってからはアイスの紅茶を注文していた。それで改めてあー紅茶ってほんとにおいしいなと感じた。このブログの長ーい読者の方ならご存じと思うけど僕はもともと紅茶が好きだ。学生の頃行きつけの喫茶店でバイトしてコーヒーと紅茶の淹れ方は基本から教わった。それでよくわかったことがひとつあってそれはお店のコーヒーの味を家庭で再現するのは難しい(か不可能だ)けど紅茶は家庭でもかなりおいしいのが飲めるということだった。それで一時期何種類かの茶葉を試してみたことがあった。そのお店は確かロイヤルコペンハーゲンの茶葉を使ってたと思う。でも当時はそれが市販されてるのに出くわしたことがなくて(スマホどころかケータイすらなかった時代で調べようがなかった。)フォーションとかフォートナムアンドメイソンとかも飲んでみたけど言うほどおいしいとは思わなかった。いちばん気に入ったのはトワイニングスのヴィンテージダージリンという茶葉で結局何缶か続けてそれを買って飲んだ。コアな紅茶好きの友だちが当時いて彼はラプサンスーチョンとか飲んでた。僕の下宿にその茶葉を持って来て淹れてくれたけど申し訳ないけど僕には合わなかったとかいう思い出もある。懐かしいな。二十代前半の頃の話だ。あの頃ってそれなりにつらい思いをしながら生きてたに違いないんだけど思い出になってしまうとどこか甘やかで牧歌的な印象をつくり出す。どうしてだろうね。じゃなかった。紅茶の話だった。荻窪に住んでたからその友だちに誘われてふた駅先の吉祥寺にある多奈加亭にも度々行った。この店には何年か前にも家人と一緒に行ったことがありそれについてはこのブログでも触れてると思う。そのときはピーナツのスプレッドかなんかがおいしくて買って帰って来たんじゃなかったっけ。忙しいので吉祥寺にももう何年も行ってない。会社勤めの頃は得意先があったので二週に一遍くらいは行ってたけどね。じゃなくて紅茶の話。同じ頃ガラス製のポットをアマゾンで買ってトワイニングスのヴィンテージダージリンの茶葉も成城石井だったかなで買って家人と何回か紅茶を淹れて飲んだ。昔通りとてもおいしくてうれしかった記憶がある。でもそんなつい数年前まであったおいしさへのこだわりみたいなものはいつの間にか消え去りそこそこのものでいいから手軽に楽しみたいと思うようになってきた。正直やろうと思えばチェーンの喫茶店よりおいしい紅茶を淹れることはできる。でもそこまでの手間暇はかけたくない。昨日またアイスティーが飲みたくなったのでそれほど好みの味じゃないことはわかっていながら「午後の紅茶」のストレートティーのペットボトルを買いグラスに氷をたくさん入れて飲んだ。でも「午後の紅茶」ってよくも悪くも「午後の紅茶」の味でしかないんだよね。僕が求めるアイスティーとは明らかに輪郭が異なる。それで今日家人が洋服が見たいと言うので(近々また作家仲間さんとお茶する予定らしい。)一緒に池袋に行ったときカルディーで一リットルの紙パック入りセイロンティーを見つけて買った。うちに帰って飲んだらこれがなかなかおいしい。若干甘すぎる気がするけどそれはまあ好みにもよる。香りとほのかな渋みがいい。常備するほどじゃないけどたまにまたアイスティーが飲みたくなったら買いに行こうと思う。
 今日のスイムは千メートルを25分14秒の新記録。五十メートルにつき一秒ずつ縮めることができれば25分を切れる計算だ。少しずつ進んで行く。

自己肯定感。

 自己肯定感の強そうな人より自分は間違ってるかも知れないと考えがちな人の方に好感を持つ。常に後者でありたいと望むし実際前者よりは後者寄りに生きてきたと思う。自己肯定の逆の自己否定という言葉もとても好きだ。だって自己を否定しなければほとんどどんな場面でも世界の実像に迫っては行けないから。世界を自分の思うがままに解釈したい自分から世界の実情にどこまでも肉薄したい自分にシフトしたいと望むなら手段は絶えざる自己否定しかない。誤解のないように言い換えると自己否定というのは突き詰めれば死への意志に行き着くようなおどろおどろしいものではない。もっとずっとささいなことだ。今の僕で言うならたとえばスイム九百メートルでつらくてやめたい自分を否定して千メートルまで泳ぐ。とかそういうのがここで言う自己否定だ。簡単に言うと現状でよしとする自分を許さないということになるんだろうか。でも最近気づいたんだけど運動というのは自己肯定感を高める。たとえば千メートル泳いでプールから上がったときは気分としては「この人を見よ」というくらいオラついてる。ただこのオラついてる自分はあまり好きではないな。結論が出ないまま明日も泳ぐ。
 書き忘れてた。今日のスイムは26分42秒で千。ただ止めたつもりのアップルウォッチが何秒かカウントを続けてたのでもう少し短いタイムだったはず。

昨日のこと。

 昨日はバイトの最後に全然別の部署の仕事に初めて入って慣れてなくてすごく疲れた。人にものを教わらなくちゃならないって場合によっては結構ストレスだよね。僕も何回か新人さんに仕事を教えて来たし感触としては割に好評で僕に教えられてとてもわかりやすかったとか言ってくれる学生さんなんかもいる。でもそのためには人知れずものすごく心を砕いてる気がする。これほど露骨に想像力というものが試される機会というのもあまりないかも知れないからだ。もちろん教えるのが本職なのでわかりやすくて当たり前。でもわかりやすく教えるということが人をとても疲弊させるというのもまた事実だ。だから最近は新人さんに教える役は極力避けるようにしている。という前置きで何が言いたいかと言うと昨日僕に仕事を教えてくれた学生さんは明らかに人にものを教え慣れてなかったということだ。悪気も悪意もない。逆に親切な人だということは充分に伝わって来る。でも教えるためのスキルが決定的に足りない。それが想像力の不足を意味するのか単なる経験不足なのかははっきり言って判断が難しい。その学生さんが後者であることを願うことはできるけど。特に個人的に彼に小さな好感を持ってただけに。
 まったくのビギナーに対して教えなければならないなら僕なら初めにゴールを示すと思う。ゴールはこれこれこういうことでそのためにこれだけの作業をします。最初にゴールを設定することでビギナーが陥るエンドレス感を軽減することができる。結末を知ればそれまでの時間を物語化することが容易になるからだ。教える側がこれをしないのは教えることに不慣れでテンパってるか教えることの本質をわかってないかのどちらかだ。これができないなら教えるには不向きだと言ってしまっていい気がする。
 という訳で生温かい違和感に包まれながら時間まで仕事をした。時間は前後するけど最近よく行くパスタハウスで昼食をとってすごくおいしかった。
 今日のスイムは27分20秒で千五十メートルと相変わらずの距離数え間違い。最後の五十メートルにかかった時間を引くと26分01秒で千。これでいいのかも知れない。大切なことは続けることだ。

食べてますよ。

今週のお題「お弁当」
 嘘だと思うならこのブログ読んで下さい。
 追記。今日のスイムは26分03秒で千と一ヶ月前なら夢のようなタイムながら今となってはまあまあ。コンスタントに25分台でありたい。

友情再び?シフト久々の午後勤務と追加バイト応募。

 今日のスイムは泳いだ距離を数え間違えて27分10秒で千五十メートル。アップルウォッチによると最後の五十メートルのタイムは1分18秒ということだからそれを引くと25分52秒で千メートル泳いだことになりまた少し記録を更新した。泳ぎながらなんか今日はきついな調子悪いのかなと思ってたけど逆に調子がよくていつもよりちょっとだけペースが速かったようだ。まあ少しずつでもタイムが縮められるようならモチベーションも上がるだろう。こうなると次は25分を切りたいと思うもんだしね。50分で二千メートル泳げるようなら二十五年前のペースに追いつけそうな気もする。少なくともそれはまったく不可能という訳でもないところまで来ている。
 バイトの昨日の朝のミーティングでシフト係のしーちゃんからいきなり今日の分のシフトを延長できないかと打診を受けた。実はずっと良好な関係を保ってきた彼女とは年末にラインでのちょっとしたやりとりが原因で疎遠になっていた。それについては書こうかどうしようか随分迷った。でもいきさつが複雑だしたぶん書いたら彼女にとっては不名誉な話になっちゃうような気がして書くのをやめていた。すごく単純に言うと彼女は明らかに僕に謝らなければならないのに謝ろうとしなかった。それで僕は結構がっかりしたという訳だ。以来彼女に向けて言葉を発しようとするとわだかまりに阻まれて何も言えなくなってしまった。すごく信頼してただけにそれが崩壊したショックは想像以上に大きかったということだと思う。でももちろんたいていのことは時が解決してくれる。最近は以前ほどじゃないけど少しはやりとりができるようになってきた。ところで僕はシフトのことで具体的な日にちと時間帯を指定されてここが人数足りないから入ることはできないかと社員から打診されるということがほとんどない。学生さんのバイトの中にはピンポイントでここに入って欲しいと打診されるケースも割とあると聞く。僕は時間が空いてれば積極的に追加のシフトにも入るし逆に言うと自分から申し出ない限りその時間帯は空いてないと思われてる節があってそのせいでそういう打診が来ないんだろう。だから昨日しーちゃんから打診を受けたのはこう言ってよければ異例の事態だった。以前よく追加のシフト募集に手を挙げてたのはしーちゃんを助けるためという側面が確かにあったし今回は面と向かって依頼を受けたことでもあるからと思って即座にいいですよと答えた。面と向かって頼まれたら断れませんと軽口のつもりで言うとじゃあ毎回こうしてお願いすれば入ってもらえるんですねと返して彼女は笑った。もちろんあのときのわだかまりが雲散霧消した訳じゃない。でも彼女の方が現状を修復したいと考えていることは少なくとも伝わって来る。まあもしかしたら僕がわだかまりを持ってることに彼女が全然気がついてない可能性もゼロではない気もするけど。という訳で今日は久々に午後までシフトに入った。そのせいで家人と買い物には行けなかった。でも四月はちょっとバイトしなさ過ぎだったのでまあいいか。それと昨日の夜しーちゃんからグループラインに送られて来た追加のシフトの募集に応じることにしたので明日も最近より長めにバイトに入る。(タイトルはAIによる候補のうちもっとも混乱してそうなのを選び絵文字を消した上句点を付しました。)

還付金が振り込まれる。

 今日スマホで銀行口座を確認したら(毎日一回は確認するようにしている。)税務署から源泉徴収されてた分の還付金が振り込まれていた。約九万円で結構大きい。確定申告しなかったらこれがすべてチャラになっちゃうんだから考えてみれば恐ろしい。それって全額税金に充てられるってことでしょ。しかも言い方によっては「不当」に。冗談じゃない。すべて老後のために貯金しとこうと思っている。具体的には年金をもらう用の口座に移す。
 ガルシア=マルケスを読み終えた後なかなかコーマック・マッカーシーに手が着かない。長編を読むときの初日には最低必ず百ページ以上読むという自分しばりがある。でないと世界観がはっきりしないままに初日が終わってしまうことがありそれは後日の読みに対してあまりいい影響を与えないと考えているからだ。だから充分な時間の取れる日でなければ長編は読み始めない。今は比較的時間に余裕がある時期ながら細切れの時間は腰を据えた読書には不向きだ。でもその日がやって来るのを虎視眈々と狙ってはいる。
 今朝のスイムは千メートルを27分14秒と昨日と比べると五十秒ばかり後退してるけど充分に満足している。消費カロリーが日に日に減っているのは泳ぐのにちょっと楽し過ぎということなのかも知れない。でもそれだけ楽な泳ぎ方を自分なりに「発見」したことの方が重要だと思っている。それがなければ千メートルを無休で泳ぐという目標も達成されることがなかった。明日もゆっくり泳いで軽めの千メートルを目指す。

去る者は追わず。

 今日のスイムは26分15秒で千と記録更新。いつもより特にきついともつらいとも思わなかったのでやはり体が変わって行きつつあるのかも知れない。ノンストップでの千メートルは四半世紀前に集中的に泳いでいたときにもできるようにならなかった。今より二十五才も若くて毎日二千メートル以上泳いでいてもこのノンストップというのは無理で二十五メートル毎に一回立って休まなければならなかった。その頃と今の決定的な違いは何かと言えばこれはもう煙草を吸ってるか否かに尽きる。要するにあの頃は肺が汚れてて酸素が今ほど効率的に取り込めず息が続かなかったということになると思う。煙草がそれほど足を引っ張ってたなんてあの頃の自分に言い聞かせても聞く耳持たなかったんじゃないかという気もするけど。禁煙するつもりなんてまったくなかったから。
 今日のバイトはちょっと訳ありで一時間だけ四人態勢になった。二人態勢も休む時間がなくて困る。でも四人態勢も余ってるひとりをどう使えばいいのか頭を悩まさなければならないのでそれはそれで困る。人数が多けりゃいいってもんじゃないので。それで通常の業務を他の三人に任せてデッキブラシでプールサイドの掃除をすることにした。こういうところ古参は自由が利く。バケツをプールに突っ込んで水をくんでまきデッキブラシでこする。頑固な汚れもあるけど赤いカビや緑の藻などはそれだけでまあまあ落ちる。ただし力いっぱいこすればの話だ。バケツだって結構重い。プールの室内は気温がすでに三十二度あるので三十分も掃除すると顔を汗が流れ落ちる。それで顔を洗って受付にいるグレートマザーまーさんのところへ行きデッキブラシも三十分が活動限界ですと言うとじゃあ一緒に受付やろうと言うので残りの時間はふたりで受付にいた。でも何もしない訳にも行かないので簡単な手仕事を見つけて来てそれをやりながらまーさんや通りがかるお客さんと話をする。それで三十分はあっという間に過ぎてバイトは上がり。塾で待ち合わせてた家人と合流してお弁当屋さんへ行ってから最寄りのスーパーで買い物して帰る。シャワーを浴びて飲んで食べて昼寝。すると小四のお母さんから今月で塾を辞めるというメールが来る。小四が辞めるのは四月に入ってすでにふたり目。小四になると学習内容が高度になるので塾に来る回数も増える。当然月謝も上がる。生徒さんが通塾回数に着いて行けないか親御さんが月謝の上げ幅に着いて行けないかどっちかは知らないけど辞めるケースも出て来る。でも小四から塾に入りたいという親御さんも多くて昨日も電話が来て来週体験授業が決まった。失った分を取り戻せたらいいなと考えている。夕方から夜にかけては普通に授業。この筋肉痛は泳いだせいじゃなくデッキブラシのせいだなきっと。

たぶんもう少し磨き上げられるべきお話だった気がする。

 ガブリエル・ガルシア=マルケスの未完の遺作。一応お話としては終わってるように見える。でもたぶんもう少し手間暇かけて磨き上げられるべきお話だった気がする。分量としては似てるんじゃないかと思われるたとえば「予告された殺人の記録」なんかと比べても物語の完成度と言うかもうちょっと肌感覚に近い言い方をすると硬度みたいなものが足りないように感じられる。もちろんそれが作者にこの作品の完成を断念させた理由だろうと推測される。晩年の作者は記憶力が低下していた上に認知症の兆候もあったと言う。でも一文一文を丹念にたどって行けばこの作者が捺した文体という刻印をほとんどすべての行から読み取ることができる。文を書くための前提となる世界観もしくは発想の次元が我々のものとは決定的に異なってることがどの行からも感じ取れる。それは往年のファンからすればやはりひとつのとてつもなく大きな喜びと言っていい。そしてそれを喜びと捉えるならこの本を手にする意義は充分過ぎるほどあると思う。ひとつだけあまり大したことじゃないかも知れないんだけど気づいたことを書き留めておく。主人公の女性が不倫相手の性器について自分の「夫ほど恵まれていない」と評するくだりがある。これは作者がこの作品は実は不倫小説なんかじゃないんだと宣言してる証のように読める。官能小説的な世界観なら不倫相手の性器は常に夫のものより恵まれていなくてはならないからだ。それをわざわざ「恵まれていない」とするところに作者の譲れない何かを目の当たりにした気がした。
 今日のスイムは千を27分23秒で昨日より遅いものの満足の行く結果。ゴーグルに水が入っちゃったので二百メートルのところで一回泳いだ距離を数え間違えて九百メートルのところで一回それぞれ短い休みを取ったけどまあほぼ千メートルを無休で泳いだ。お昼は子供が出かけてたのでおにぎりセットとカップ麺で簡単に済ます。これから夜の授業。