キョウリュウジャーキャラクターブック2の対談記事(裏方部門)で気になったこと幾つか。


※ほぼ裏方部門に話題が集中するのでキャスト目当ての方はご注意。


次郎さんとは敵同士(の役)でいたかった、と本音を漏らす押川SA。
何故なら「敵として直接対峙する方がたくさん勉強できるから」。
勉強になる、の受け止め方一つに人となりが窺えるよう。
尊敬して止まない憧れの先輩は今後も一貫して(いかに自身が完成された匠の粋に達しようとも)
永遠の目標であり続ける特別な存在なんだろう。

押川SAによる清家ドゴルドVS岡元(次郎)トリンの剣殺陣への絶賛には、さもありなんと頷きながら
ただ現場で直接一部始終を見るのと、そのうちの大部分がカットされた編集後の映像を見るのとでは、
感動や興奮の質はずいぶん違うんだろうなとは思う。

以前から何度も指摘してきたことだが(坂本監督との対談にて奇しくも福沢アク監も同様の苦言を呈していたが)
元のアクションの流れを編集段階でメッタメタにぶった斬られると
もうSAがどんなに凄い技をやっていようがわからないし伝わらない、もとい、非常に伝わりにくくなる、
編集による加工は映像作品なら当然の工程だが、せめて元素材を最大限活かす工夫と努力には期待したいのだ。

続く竹内SAの発言にもそういうニュアンスは多分に含まれる。

変身前を演じた斉藤くんに、ブラックとしての会心の動き、一押しシーンはあったか訊かれて、
「ない!」と竹内SAが即答するのは「ステップや細かいアクションをやっても無情にカットされる」経験が
一度や二度でなく常態化しているのを不本意に感じているからで、
だからその後に、見ていた方たちにどこが良かったかを聞きたい、それで僕たちはやれてたと実感できる、
僕はもっとやれると思って臨んでいるから、等々の言葉が飛び出す。
要するに、やれるのにやらせてくれないか、やってもやってないことになるので、やりたいない、もっとやりたい、である。

そんな話を聞くと、現場でやってることと映像に仕上がった時のアクションの(質も量も)
落差はどれほどなのか、気になるわけで、
いっそディスク発売時にSAアクションの未公開映像をおまけにつけたらどうかと提案したくなる、
希少価値もつくし、レンタやめて購入する層も増えそうで、意外といいアイディアではなかろうか。

なんにせよ、竹内SAの絶品アクションがカットされて日の目を見ないのは、あまりにも勿体なさ過ぎる、
ガンガン撮って、ガンガン世間に公開すべき、
これはもう映像作品の作り手の義務や責任の領域として。

個人のアクションは、それを支える体力と運動能力のお陰だが、未来永劫に今の体力が保てるわけもなく、
つまりは過酷な時間との戦いからは誰しも逃れられない、それはSAであっても例外ではない、

数年前にも岡元SAについて同様の焦りを口にした記憶があるが、本気でトップSAのアクションを極力漏れなく「映像に残す」
(本編で使う使わないは別にして)こと再優先でやってほしい現場には。
いつかこの世から消えてしまうものだから、形にして留めておく意義もある。

推測の域を出ないが、大藤ゴールドと浅井グリーンがGロ恐竜5期に出演を希望したのも、どこかにもう少しだけ、というような
演り足りない不完全燃焼感が残っていたからかもしれず。

キョウリュウゴールドは俺がこの手で葬ってやる、くらいの気持ちで/大藤
僕から(Gロッソのグリーンを)「やらせてほしい」と希望した/浅井

余談だけれど、大藤SAのゴールドへの思い入れを「お互いに」の一言から敏感に汲み取って、
変身前の空蝉丸と変身後のゴールドの両方でドゴルドと戦いたかった!、と先んじて気遣いを示す丸山くんナイス。
意外とザ・気遣いの人らしく
終始褒め殺しかと勘違いさせるほど、力いっぱいフォローしまくって大藤SAを面食らわせてるのに、ちょっと笑った。


後進を育てることに関しての、福沢アク監と坂本監督のやり取りも興味深く。
(一部抜粋)

やっぱり、カメラありきの中でアクションすることを経験しないとね。重要なのは、どう映るか。
カメラがこういう位置に入っているのなら、こういうリアクションが映えるとか。カメラからの視線を
意識しないといけない。/福沢

ヒーローショーでやっているパフォーマンスとはまた違う。カメラに対してのパフォーマンスなんだよね。
そういうところも含めて、おじさんの僕たちが(笑)、若いアクションマンに教えてあげないと、という気持ちは強いね。/坂本


鎧武やトッキュウジャーのOPクレジットに、現在Gロで活躍中の蔦宗SAや寺本SA等の名前を見かけるのも、
TVの現場経験を積ませる目的なのは間違いなく、
これから彼らがどう成長していくのか将来がとても楽しみだし、
スーツアクションの層が厚なれば、多彩な才能が出てきてスーツアクトの可能性も広がるだろうから
是非色んなタイプの若手が育っていけばいいなと思ってる。

またまた余談だが、
アミィ役の鮎莉ちゃんの時々見せる、ちょっと不安そうに戸惑ったようなナイーブな表情の愛らしさに
ひそかにぐっときていた一人として、
鮎莉ちゃんと丸山くんの禁断の(うそうそ)兄妹ほんわか対談の和み効果にはテキメンやられたクチ。

あの二人の写真がまたツボで。
確かにアミィの役自体は女キングかもしれないが、
素の鮎莉ちゃんはもっとほわわんとした柔らか且つ穏やかな風情があって、
どちらかというと丸山空蝉丸と相性が良さそうに見える。
白状すれば個人的には金桃がしっくりくるかも。

高畑勲監督映画『かぐや姫の物語』関連ツイまとめ


12/9

かぐや姫の物語』制作ドキュメンタリが面白く、劇場に足を運んだ後で再見したら更に面白く。
面白ついでに99年の「前作」山田くん、も見て高畑監督の目指した方向性が少し理解できた気がした。
posted at 13:34:48

思うに高畑勲がアニメで追求するリアリティとは、実写では画として捉えるのに限界ある人の内面を、
完全に(または完全に近く)ただ「動きだけ」で表現してしまえる事で、つまり生身の俳優以上に
高畑監督の頭の中にある「演技プラン」を完璧に再現するには、アニメ画の「人の内面を表現する動き」と
posted at 13:35:49

アニメでなければ、アニメならではの、という(実写には何の色気も未練も示さない、というような)
方向での追求の仕方は、宮崎作品以上の徹底した信念と情熱(ともしかしたら狂気)をそこはかとなく感じる。
アニメの可能性を信じ先駆し開拓する苦労に身を投じる、その役目を引き受ける覚悟は、
posted at 13:38:08

他に誰もやる人間がいないから、に尽きるのではないかと西村PDの言に思った。誰もやらないからやるだけで
誰かがやるならわざわざ自分が出張る必要はない、自分を売り込みたいとか目立とうとか
全然そういうのではなくて、たぶん一種の責任や義務の感覚に近い辛さと痛みを伴う覚悟がそれをさせる、
posted at 13:40:00

何故(損な役回りとわかっていて)やるのか、それは愛着からだ。
現状維持に背を向け、新たなる可能性を探ろうとする信念は、その対象への愛着がつくる。
posted at 13:41:26

小さな何でもない日常の動きの積み重ねが「その人」を形作る独自の個性であり(他者からすれば)
らしさの印象となる。 またアニメでしか出来ない突飛かつ大胆な動きも含め、実写に求むべくもない
「アニメならではのリアリティ」追求の最初がおそらく『となりの山田くん』で、四コマ漫画の起承転結の
posted at 13:43:08  

間の余白を埋める動きに、いかに説得性を持たせ得るかの挑戦が、試行錯誤を伴って終始繰り広げられる。
posted at 13:44:00

山田くん、で一番可笑しかったのが、夜更けて帰宅した夫が疲れ果てた面持ちで何か軽い食事をと要求すると、
慌てず騒がず妻がバナナとどら焼きのどちらにするか聞き、反射的にそんなもん食うか!とぶつくさ拒否した夫を、
それも妻は毎度の事と受け流すようにやはり淡々とした表情で台所に戻りかけ、
posted at 13:45:50

ふと足を止めるや振り返り、ちゃぶ台にバナナのみ置き(どら焼きは台所に戻しに行く)その旦那の隣
(おそらくは妻の定位置)にどっかり座ってTVを見始める。しばし二人の動きは止まったまま。と夫が
(無意識なのか諦めからかその両方か)不意にバナナを手に取り皮を剥き食べ始める、それだけの些細な
posted at 13:48:21

流れが計算され尽くした間合いと動きの絶妙で「笑い」に昇華する。結婚スピーチとケセラセラにもニヤリだし、
生徒に問われて小学校の女性教師が私の目標は「適当」です!と胸を張るオチの毒入り自虐にも吹き出したし。
山田くんも実写でやると途端に凡庸に堕ちそうな難しい作品(元々四コマで完結する
posted at 13:50:18

些細な日常が題材なので)だろうによくぞ長編でやったものだと驚いてしまう。
posted at 13:50:50

かぐや姫制作のドキュメンタリに話を戻すと、捨丸が出刃包丁に形状が似た小刀でうりを切り分け、
妹分のたけのこ(=幼いかぐや)と共に齧り付くまでを描写したカットの試行錯誤時に、『火垂るの墓』で西瓜を
切り分ける動きが豆腐を切るみたいで変だった(悔いが残った)と高畑監督がPDに語るのだが
posted at 13:52:15

なるほどと頷きつつ、だがそれなら今回でも、一旦うりを二等分する際に小刀を地面に置き、再びその片方を
二等分すべく小刀を拾う時に、着物の胸元とかで刃についただろう泥だの砂だのを軽く拭う仕草が入っていれば、
もっとリアリティが増したのではと見ている最中から既に思いはしたんだったが、
posted at 13:55:34

そこは突っ込んではいけないのだろうか、その辺の判断の加減がよくわからないでいる。
posted at 13:56:11 

12/11

かぐや姫の物語。続き。本作を「体験」した余韻引きずり、特集組まれたユリイカ掲載の高畑監督と西村Pの
インタビュー記事だの帯に映画の宣伝コピーが躍る鈴木P著の文庫本
(中身は05年で後書きは12年の『映画道楽』)だのランダムに買い求め読み漁る。
作り手へのインタビューや作品めぐる対談は→
posted at 13:53:40  

率直簡潔スピーディに話の要点にして不明点を的確に突くので、読んでいて知的興味や関心が刺激され飽きない。
評論群にも一応目を通したがこちらは疲れが先に立つ。
論の隙のない堅牢より、語りの当意即妙なリズムに惹き込まれるのは、内容に反映する我の強弱も大いに関係ありそう。
posted at 13:55:39 

あらためて。高畑勲監督『かぐや姫の物語』。かぐや姫が求婚者らの心ない侮辱に憤怒をたぎらせ、我を忘れて
故郷の山まで走りゆくエピや、再会した捨丸と共に空へと舞い上がり、眼下の自然を悠々眺めながら飛行するエピを、
夢オチや妄想空想の類と捉える声が、少なからずあるのに驚いた。→
posted at 13:59:03

私はこの作品テーマは身体性だと思う。作品全体を支えるのは身体や心の「動き」で、ただ前半の山暮らしでは
主に身体中心の、後半の都暮らしでは心中心の「動き」に変わる。変わるのは姫が外部の「動き」に結実する内部の
「気持ちや感情の移ろい」を身体から心に閉じ込めたから。
posted at 14:02:16

姫は都人となった段階で身体と心が分離してしまった、だから憤怒でも歓喜でも同じように感情の激しい高ぶりに
身体が置き去りになる、心だけが暴走する、飛翔する、それは月の住人としての元々の能力かもしれないが、
身体性を失いつつある現代人の投影のようでもある。
posted at 14:04:23 

どう生きたいか何をしたいかわからないと悩み苛立ち、もっと生を謳歌したかったと後悔と未練の思いに涙する結末に、
映画館でも共感の嗚咽と啜り泣きがあちこちから漏れ聞こえたのは、それだけ問題設定をリアルと感じた人がいたからだろう
と思う。
posted at 14:07:42

せっかく牛車を仕立て花見に行くも、ある事から気分が落ち込み同行の媼や女童に一言「帰る」と言い放つ姫には
もう満開の桜は目に入らない。都大路で捨丸に再会した時もついに牛車から降りることはなく、盗みの罪でしたたかに
暴力をふるわれる彼の姿に、たまらず車内に引込み遠ざかるに任せた姫。→
posted at 14:14:54

この二つのエピも姫の(引いては現代人の、かもしれないが)心が身体を凌駕し支配した状態(身体性欠如)の
ややこしい苦悶を示しているように思う。
posted at 14:15:54 

かぐや姫の物語。補足。本作では地球が生で月は死の象徴、であるなら月の住人も肉体は見せかけで
本来はないに等しいのかもしれず。重さも温度も感触も何もないような気がする彼らの「まとう」肉体には。
posted at 16:59:44 

かぐや姫の物語。補足2。姫が捨丸と空を飛んだ時の俯瞰の景色にしろ、聞き及んだ10年という明確な数字にしろ、
夢や空想にしては鮮明で具体的に過ぎるから、実際に(肉体は置いてきても心で)見たり聞いたりした事と考える方が
自然だと思うのですが、どうでしょう。
posted at 17:03:44 

特撮hero関連ツイまとめ(12/23-2014/2/11)

※思考の流れの整理整頓を兼ねて。

12/23

通常の面をつけたSAの演技の、封印された素顔の代わりに動作(アクション)で表情を出すやり方に先に馴染んだ目から見る、
同じ人の素顔での同じ演技の表現過剰の煩さはだいたい察しがつくのだが、一度どんなものか確認できたら面白かろう、などと
益体もないことばかり考えてしまう。
posted at 15:39:20

東映つべはジャンパーソンとメタルダーを永久運動のように交互に配信しないものか。たまにキカイダー入れてのロボ枠希望。
GGの片腕吹っ飛ばされピンチ!のロボものお約束官能!描写の火を障害者への配慮を理由に消すなど、却って差別意識を助長拡大する
愚行で五体満足を基本と考える偏見あればこそ。
posted at 16:13:58

先週に続き竹本昇監督回はスーツとロボ全面推しでウハウハ。展開的にもキャンデリラとラッキューたんが悪事のモチベ失うとか
以前より疑問だった悪側の喜楽の意味と配置もここにきて仕掛けがうっすら見えた感。
いじめっ子とも友だちになれるかも、の希望捨てないポジ思考の大事。今の時代だからこそ。
posted at 18:56:49

今週はパティシエマッチョ姐さんも虜にしたメロン貴公子(安価なプリンスメロンを連想させると不評買うかな)の生々しい
股間の強烈ビジュアルにお話に集中できず(半分誇張)、がしかし兜や甲冑に似せた装備は上半身に集中し股間が無防備なのは
如何なものか、反則あるスポーツと違いタブーないので→
posted at 18:59:06

弱点の急所狙ってくる可能性も視野に入れスーツ設計しましょうよ、てことで 巨大ロボのデザみたくプロテクターの導入を是非に。
ガンダムみたいでカッコいいと思うんだがのう。
posted at 19:00:21

12/25

そも持って生まれた体型=個性を中傷することじたい論外だが、個性を無視しSAの体型をみな一つの鋳型に押し込めたがる昨今の
風潮が居心地悪かった私には、見事体型のバラエティに富むSA陣を揃えてきたキョウリュウの自然体な発想(と主張)は痛快だった。
説明なくとも人の多様性がひと目で分かる。
posted at 15:41:46

1/3

語れ!平成仮面ライダー本をチラ読み。白Pの「一億人なら一億分の正義がある」の相変わらず感に苦笑い。
龍騎のテーマはP自ら「正義は人それぞれ」だと以前からの繰り返しなわけですが、
個々人のエゴに基づく主張まで「正義」に含めたら定義が広すぎて収集がつかなくなる、定義する意味がなくなる、→
posted at 17:51:16

その説なら正義もピンキリなわけで一様じゃないよね、自己主張から利他の献身まで一つの概念で説明するのは乱暴だよね、
わざわざ正義と大げさな言葉使うなら人類共通の理念、他者(国)の尊厳を無闇に侵さず傷つけずその犠牲の上に繁栄を築かず、に
まで押し上げる意思と努力が不可欠じゃないのか→
posted at 17:53:43

何でもかんでも正義の一言で済ますならそも定義する意味などないではないか、言葉が塵芥より軽い、それは使う側の意識の反映、
言葉を無力にしてる側に問題があるということでしょう。→
posted at 17:56:08

ライダーの、引いてはSHT枠におけるヒーローの定義なんぞ簡単です。利他のために見返り期待せず戦う(献身する)者のこと。
自らのエゴのためではなく。だからその条件に合致しない龍騎は異端なんです。この点は頑として譲れない。なのに屁理屈総動員で
ゴリ押しし続ける。 エゴで戦う、が→
posted at 17:58:17 

描きたいなら別の枠設けてやればいい話で、無駄とまでは言わないが少なくとも幼児が最初に学ぶことじゃない。
はっきりしてるじゃないですかそんなこと。
posted at 17:59:28

1/5

再び保身と献身の狭間で揺れ、それでも目の前の人の危機をほっとけず無我夢中で献身を選択する鎧武こと紘汰を見てて、
たびたび類似を指摘される龍騎との決定的違いを再確認した。
主人公の王道ヒーロー性が重視(肯定)されるか軽視(否定)されるか、の それは違いなのだと思う。→
posted at 10:14:38  

龍騎以降の平成一期の主流(つまり井上脚本もの)は後者だった。利他最優先の王道ヒーローがいかにそのお花畑な理想に
実力が追いつかない偽善者の役立たずかを繰り返し強調してきた作品群、その代表格は龍騎でしょう、に馴染んだ脳ミソに
鎧武はどう映るのだろう。
posted at 10:20:10 

鎧武のぎりぎりのところでしっかり王道を外さない匙加減の絶妙が今後どう展開するのか見もの。
posted at 10:23:35

1/7

今週の鎧武で紘汰とミッチが大人の(企業の)エゴに利用されたくなくてベルトの処遇めぐり揉めるのが、まんま意識的視聴者の
ジレンマと重なるのは、虚淵脚本がそこを狙った上で仕込んだのか気になっている。ブランドの存続だの玩具の売上だの、実際は
身も蓋もない貪欲な利潤追求の台所事情を、→
posted at 12:37:56

伝統守るべく頑張ってますの感動物語でコーティングし、その「志」に協力するのが真のファン、とぶち上げる嘘を嘘だと見破ると
困るのが誰か、踊らされているのは誰か。
posted at 12:39:05

虚淵脚本もSHT枠は規制多くて相当苦労したらしくその鬱憤も入ってそう(とか想像逞しく)。でもTVは基本垂れ流しだから。
「見たい」能動より「見せられる」受動が先にくる場合が度々ある (人によってはそれが常態化してる)。
そのお手軽さは怖さに直結する。無意識のうちに洗脳される怖さ。
posted at 12:44:37

子供に恐怖を教えるのは必要、という主張をTVの垂れ流し属性を踏まえた上で 大人(作り手ないし企業)の身勝手な都合
(もしくは自己正当化)による強制でも押しつけでもないと本当に言えるのか疑問。
posted at 12:47:36 
 
恐怖というなら「人間とほぼ同一な存在」を「好戦的な種族」を唯一の根拠に(現実ではあり得ない話)絶対悪に仕立てる恐怖の
ほうが遥かに勝っていると思うが。フィクションといえど設定や映像のリアリティ追求が裏目に出て真実味が増してるのがまた。
差別主義者の恰好のバイブルになりそうなのもまた。
posted at 12:55:13 

「人間とほぼ同一な存在」かつ「好戦的な種族」の設定さえ変えたら問題ないのに。だが去年出版された(淡い期待をもって
買い求めた)小説版でも本編のまま、このままだった。現実に地球上で起きている内戦、民族紛争、日本対中韓
何がどこがどう違う。フィクションの無神経はどこまで許される。→
posted at 13:03:01

人の心に深い感動を残す優れた作品であればあるほど、その問題は忽せに出来ない深刻度を増すように思われる。
posted at 13:04:13 

ところで先日触れた語れ!平成仮面ライダー本は小林靖子インタビュー掲載だけでも有り難み大(ご本人フォト付)。
現状打破を掲げる新たな才能に期待する懐古とは真逆の発言に同感。リメイクに次ぐリメイクの保守志向はいい加減飽きたので
変身以外、例えばJPやメタルダーに連なるロボものとか見たい。
posted at 19:17:48

続き。小林靖子曰くの若かりし白PがBLACKに反感持って云々の件は、同じBLACKでもRXの方だったと記憶するが、もしかすると
インタビュアーとの意思疎通に多少すれ違いがあったのかも(RXが筆頭にこない辺りから勘ぐるに)。
posted at 19:18:46

ちなみに龍騎という作品の孕む「虚無と感傷」の本質は白P自身の反映だと個人的には見ていて、だがそれを次が気になる引きの
強いエンタメに仕立てたのは小林脚本の功績だと思ってる。
posted at 19:43:36

1/8

家族や恋人など自分の大切な人だけ守る、の一般ドラマや現実でざらにある等身大ヒーローのリアリズムの良さを否定はしないが、
わざわざSHTヒーローの表看板にしなくてもとは、平成一期で頻繁に登場するその手のささやかな小市民的ヒーロー
(守る対象はあくまで身内限定)を見るたび思う事だった。
posted at 11:12:20

変身の動機が「恋人のため」の龍騎の蓮をヒーローの数に勘定するなら、同じく「舞のため」が動機の鎧武のミッチも
数に加えるべきだろう。この理屈で「鎧武のヒーローは紘汰ひとり」は成立しない。作品ごとに基準を変えては比較にならない、
比較する意味がなくなる。
posted at 11:14:41

相変わらず件の語れ!本でも井上敏樹は高P作品(クウガ響鬼も)をヌルいとのたまい、俺だったら後でどんでん返しやる以外で
ヌルい話などやらんと「俺はあいつとは違うからな!」アピールをここぞとぶち上げるんだが(語ろう〜本で一緒に括られたのが
よほど嫌だったのかw) ちょっと待てよと。→
posted at 17:07:45

お言葉ですが後半も響鬼を続投してたら京介ほど分り易い「記号キャラ」でなくとも明日夢を脅かす状況ないしキャラの登場は、
前半のイジメっ子エピや次作の大魔神カノンの展開からも「あった」だろうことは想像に難くない。
むしろ「ない」と自信たっぷり断定する根拠は何なのか知りたいくらい。
posted at 17:11:13

あとヒーローの条件に、滅びの美学や報われなさを挙げるのが「らしく」もあり一面では同意もする。
ヒーローは基本的に破壊衝動と背中合わせの危うさが同居する人だから、ある時点で保身の計算なんぞ吹き飛んで突っ込んでいく
人助けに。ゴセイとの共演でゴーカイレッドが咄嗟に母子を庇ったように。→
posted at 17:16:28

整然と辻褄の合うような理屈ありきじゃなくまず身体なんだと思う、先に体が動いちゃう、だから「見返り求めず」になるのでは
ないかな結果的にも。
posted at 17:17:57 

1/9

ヒーローの破壊衝動はエゴを突き抜け「無私」に至らせる、「私」を破壊し「私たち」に同化する、だからその欲望は利他になる。
自然に。無理なく。
posted at 13:53:37 

俊樹のいう「滅びの美学」や「報われなさ」といった孤独なヒーロー特有の悲劇性は、自己陶酔から自己完結に至る終始一人芝居の
喜劇性と裏表でもある(それで同意も一面的と限定した)。
posted at 13:54:53

ヒーローが「私」を捨てて「私たち」に奉仕(献身)するのは、それだけ人を信頼している証かもしれない。
たとえ道半ばで力尽きても、後に続く者の存在を信じるから、迷わずその身を投げ出せる。
「私たち」の秘める無限の可能性に命を賭けて悔いがない。この命はきっと繋がると信じて。→
posted at 13:56:20

「私たち」の概念がヒーローの最大の強み。だから彼は何をも恐れず屈しない。「私たち」の底知れぬ力。
posted at 13:57:25 

鎧武は今後の展開で、紘汰が本能的衝動的な献身から、どんなリスクも、たとえ自らの命と引き換えても、構わない、やる、と
意思と覚悟をもってあらためて献身を選択するまでの過程、に加え、紘汰のその「熱」が次第に周囲をも巻き込み
「私たちを守る」大きな潮流となる変化まで描いてくれたら理想的。→
posted at 14:02:24

というのも現実に則したヒーローの役割を考えたらリーダーシップ論に行き着く他ないから。単独で解決、には悲劇がつきもの。
ヒーローを人身御供にしないためには人々との共闘が不可欠となる。
posted at 14:04:15

その辺りまできちんと描いて決着させたのがノーランのライジングなのであれは映画的にどうこう以前に全力で擁護しない訳には
いかない。ただ一人「私たちを守る」と決意した男の熱が、次第に皆を巻き込み、各人を傍観者から主体者にしていく流れは、
ヒーローの存在意義への最も誠実な回答だと思ってる。
posted at 14:08:40  

ヒーローの定義が特定の個人から「私たち」に目覚めた人々へ裾野が広がっていく、つまり滅びの美学の自己満足でエンドに
ならない、ヒーローは未来へ希望のバトンを手渡す役という解釈。
posted at 14:09:41 

1/28

恐竜46話。人を殺した経験のないラッキューロキャンデリラ
人を容易く殺してきたが、キャンデリラへの愛を通して生命のかけがえのなさに思い至り過去の悪行を反省したアイガロン
(彼の「沁みるわあ」の口癖が人の不幸を面白半分に茶化した非情さから「情けが沁みる」へと転換する最期の感情の→
posted at 12:07:51

振り幅のダイナミズムが秀逸)、そして他者の犠牲の上に自らの欲望を果たすことに何の躊躇もないカオス他デーボス軍の面々。
悪にも段階がある、決め手は他者の生命の扱いにある、また元は悪であっても悪を自覚し反省すれば過去は不問に付し許すのが
ヒーローだと脚本は「悪」を一枚岩にせず段階別に→
posted at 12:09:58  

描き分ける。誰に対しても(たとえ敵組織でも)悪は「存在」でなく「行為」で決まる、を徹底する。勧善懲悪とはかくありたし。
因縁の一騎打ち、アイガロンVSブラックの次はドゴルドVSゴールドがくるか(きてほしい絵ヅラ的な期待)。
posted at 12:11:30 

鎧武15話は紘汰の「ハセを殺しておきながらそれを正義だと言ったお前を許せねえ!」の叫びに尽きる。
これは実質白Pの「正義は人それぞれ」に対する反論に他ならない。人それぞれ、で済ませちゃいけないものがある、その大事な
根本を理解せずして幼児主体の子供番組は作れないし作っちゃいけない、→
posted at 12:17:05

「一億人なら一億人ぶんの正義がある」と言いながら「ライダーが怪人を倒す(勧善懲悪の構図)」は絶対厳守(語れ!本より)
とも言う迷走ぶりでは本当に心許ない。生命尊重こそ正義だとSHTで堂々言い切ることの何がそんなに不都合で躊躇を要するのか、
言い切ることで生じるリスクを気にするより→
posted at 12:19:17  

まず言い切る、主張を明確にする。とはいえ実際はたとえば龍騎においても「正義は人それぞれ」としつこく言い募るのは白Pだけで
小林脚本は「ここに正義はない」と「言い切っている」。このズレは注目に値する。→
posted at 12:26:22 

言い切ること=リスク承知で選択すること、そこまでの強い意思を示すからこそ信頼も生まれる。
どっちとも取れるような安全牌狙いはかえって不信を招くのみ。何故それがわからない。
posted at 12:28:39

2/2

大団円に向け怒涛のクライマックス前後編仕立てにした三条脚本の本気と気迫、それに十二分に応える演者スタッフの気合いと情熱、
共々に一年間の総決算に相応しい内容充実度だったキョウリュウジャー、ラス前の今回。
お馴染み変身不能からの気合い一番!素面名乗りの格好良さに加え、各人が自ら決めた→
posted at 12:59:10

持ち場を死守する展開で盛り上がり最高潮、そこにドゴルドVS空蝉丸の夢の共闘が実現、他者の身体を乗っ取らねば存在できない
「借り物人生」なハンデから悪に染まるも最期は「我が存在の誇り」を死守したドゴルドと、その武人魂を最大限に讃えたのち
自らも力尽きる空蝉丸との、長年の宿敵ながら→
posted at 13:00:17

瞬間気持ちの通じ合う互いの縁の深さに胸熱。
posted at 13:00:47 

今期Gロ公演で素面演者の皆さんを思いがけず近距離から(席が前方通路側で何度かすぐ横を通り過ぎる演出もあったりして)
目撃した実感は 「全員が想像以上の見目麗しさ」「まさにお人形のよう」に尽きるので(ほんとです)、本日の素面名乗りには
格別の感慨が生じた模様。→
posted at 13:04:01

キングもアミィもイアンもソウジもノッさんもウッチーも映像の三割いや四割増しくらいの勢いで可愛くてびっくり。
posted at 13:05:23 

もちろん本家ゴールドを目前で拝めた満足は言うまでもなく。文字通り「食い入るように」ガン見状態だった(はず)。
以下はネタバレになるかもご用心。
VSドゴルドの見せ場も本編では変身前の丸山空蝉丸だったのを、もう一度今度は変身後の大藤ゴールドに設定変えて見せてくれる
憎い配慮が嬉しかった。
posted at 13:08:38

Gロはきだ演出独自なのか以前からなのかは不明ながら、通路や空間まで縦横無尽に使い尽くす演出の、後方席にも配慮した優しさが
好感だった。贔屓の大藤ゴールドも(以下もネタバレ回避で一応ぼかした表現に)大技から鮮烈に登場するわ、前々から舞台で
見たかった技を披露してくれるわで言うことなし。
posted at 13:11:10                    

Gロ言い落し。アクションもテンションも恐竜素面メンツの元気パワーは素晴らしい。日に6回公演、土日連続で都合12回を
毎週末(3月初旬までか)演り続ける重労働、さらにファイナルツアーの準備も同時並行の過酷なスケジュールに違いなく、なのに
あの笑顔あの元気あのアクション、頭が下がります→
posted at 13:39:14 

ファイナル楽日までどうか体調崩さず怪我なく無事に駆け抜けてくれますようと陰ながら祈ってます。頑張れキョウリュウジャー
posted at 13:41:25

2/3

またまたGロキョウリュウ感想追記。もうね出しましょうやDVDでもBDでも。ファイナルツアーも映像化してるわけだし、
来られる人ばかりじゃないから誰も彼も。
演劇だってフツーに映像化されるご時世、遠方だから等様々な理由で足を運べないファンのためにも是非是非ご検討いただきたく。
posted at 20:30:20

今期Gロッソのキョウリュウジャー公演、質も熱気も素晴らしかったから演者も(素面スーツ問わず)演出もスタッフも。
せめて映像通して場の雰囲気伝えられたら素晴らしいじゃないですか、 一人でも多く見て欲しい、感激を共有したい、出来ると
思うのです、だから映像化を是非。
posted at 20:32:05

2/11

戦力外捜査官はヒーローショーの楽屋で起きたスーツアクター(本編中で簡単に「SAとは」の語彙説明もある親切設計)殺人事件の
犯人探しをアリバイ手がかりに順々に当るんだが(以下はネタバレ注意)
そうやって突き止めた犯人がですよ、なんと二人体制での代役SAで、スーツ着用し本人になりすまし→
posted at 16:00:14

時間トリックでアリバイ成立させたという話でして、つまり一旦スーツ着用したら馴染みのスタッフにも共演者にも
見分けがつかない、が前提になってるわけで、でも本当にそうかなそんなもんかなわかんないかなと、
たとえば素人の私でも権藤ティガと中村ティガの違いを見たまんまで認識したのに、→
posted at 16:04:39

馴染みの同業者が気づかないってあるのかとか、そこら辺が引っ掛かるわけで、本編中の二人も体型の見た目が違ったし
(まさにティガのように)、多少なりとも違和感はないのか、思い込み先行したらそんなもんなのか、現場の声とか聞いてみたく、
気になってしょうがなく(まったく厄介な性だ)。
posted at 16:08:55

特撮hero関連ツイまとめ(2013/10/14-11/26)

※思考の流れの整理と確認を兼ねて。その3。


10/14

ジャンパーソン。先週末に滑りこみ視聴した29&30話。父を殺された憎悪から地球上の全ロボ抹殺を企てる兄弟に対し
それでも「ロボはサポート主役はあくまで人間」だとネオギルドと共に滅ぼされる覚悟で体を張って彼らの生命を守るJPの献身。
posted at 18:00:56

ロボ設定ゆえに際立つ身も蓋もない「献身」の過酷さ。「守る」が存在意義に直結するのも人ならぬロボなればこそ。
posted at 18:01:56

悪と戦うために人間に創られたロボに心がある、はつまり当初の目的達成の有効な手段(道具)に過ぎないものが完成後は
ただの「モノ」から人と変わらぬ「存在」になる、なので真面目に考えだすと結局は人間の残酷さに行き着くという苦いオチに。
posted at 18:03:23

鎧武。日常にホログラフィな非日常が介入してくる発想にアキバレンジャー連想しつつ。妄想が現実に際どく混在しカオスに
なるのを主人公は歓迎するのか阻止するのか(普通は後者だろうが)方向性がまだ見えないのと
インベス同士のバトル二回は尺取過ぎ、理屈蹴飛ばしライダーの見せ場増やすのが吉かと。
posted at 18:09:40

「ヒーロー能力はエゴでなく皆んなを守るために使う」とか「まずは自力でやってみる(依存から自立へのススメ)」とか
「勝つために手段選ばずの卑怯を許さない」とか、番組枠意識した作りにしてきっちり保険かけて外堀埋めてるのが
地味に好感(枠ルール内でどこまでやれるか興味津々)。
posted at 18:10:41

10/21

もしや曽田博久脚本の真の凄さは 冗談のような内容でもご本人にその自覚はなく どれも真面目に取り組んでるところに
あるのではないか疑惑浮上中。→
posted at 17:33:17

ライブマンの基本憂鬱なまでのシリアス路線に曽田脚本の過剰さがもたらす可笑しみは狙ってできることじゃない。
38話で改造マゼンダが手指から放つマシンガン攻撃をメンバー5人がまんま生身で受けてみせ、平気なのは
特製防弾チョッキを着用していたからさ!などと誇らしく種明かしするのは
posted at 17:35:36

一体その手間に何の意味が!な脱力を誘わずにおかないが(←※変身すれば即解決だし)、
先日バイオマンでも敵の超電波攻撃に晒されてる仲間を助けるべくピンクが
「フルート(←彼女のトレードマークの楽器)なら超電波に影響受けず皆んなに連絡できるわ!」と叫んで
現地(お馴染みの石切り場)に赴き、崖の上から堂々吹く曲は
posted at 17:36:58

何故かバイオマンのOP、しかも冒頭部のみリピート、その音色が何の連絡になるのか明かされぬまま、ピンクは崖からジャンプし
皆と合流、司令塔ピーボからのメッセージを「口頭で」伝える。ちなみに超電波を遮るだのありがちなお約束事も発生せず。
たく底知れないぜ曽田脚本(額の汗を拭う仕草)。
posted at 17:39:21

10/27

なんと。次回キョウリュウジャーはトリンの変身態らしきシルバー登場ですと。しかも他のメンツ同様あの方が「踊られる」と。
姉さん事件です!我が贔屓SAがゴールド&シルバーで揃い踏みですぜ。いいんですかこんなご褒美頂いて
(幸せな誤解は解かぬが花)。今から胸バクバクです。
posted at 11:59:07

キョウリュウジャー追記。前回今回と巨大ロボ戦への愛と情熱が竹本昇監督の撮り方や特研のミニチュアワークに結実してて
素晴らしかった。ロボの重量感や巨大感が伝わってくる映像に仕上げた努力と拘りには頭が下がります。
伝わるから届くから作り手が普段以上に手間かけたその熱さは視聴者にちゃんと。
posted at 14:21:12

10/31

@@@(大きく頷きながら)わかりますとも、ポージングは大事な決め手の一つですとも。特に脚が気になる身としてはw
最近見てたバイオマンでの両脇に位置取りした喜多川ブルー&剱持グリーンの股関節の柔軟性を競うかのような決めポーズや、
あとギンガマンCDジャケットだかの→
posted at 16:19:22

@@@2)高岩レッドの股割りポーズとか、限界に挑戦してる壮絶さがね、感じられたりも。
うちの(うちの?)大藤ガオシルバーのOPでのメンツ並んでのポージングも格別でありましたなあ。懐かしや・・
posted at 16:21:06

11/6

常に正しさが保証された固定化ヒーローである限り、正義と勧善懲悪はワンセットでついてくる。
ヒーローと敵対する対象を善玉悪玉の単純な役割分担させた上で、正義でも勧善懲悪でもないと否定するのは詭弁だ。
戦隊やライダーがほぼ例外なく正義と勧善懲悪の論理に貫かれている事実は変えようがない。→
posted at 14:44:41

特撮ヒーロー作品は「バイオレンスを楽しむ」目的を宿命的に背負っている、暴力に正当性を持たせるためヒーローは
常に正しい側に固定化される。それが伝統やお約束という名目にすり替わる胡散臭さに自覚的であるなら
正義と勧善懲悪を否定する無意味も分かるかと思う。
posted at 14:47:57

正義と勧善懲悪の図式から脱するにはヒーローの設定を正しさの固定化から流動化へ転換させるのが不可欠で、その先鞭を
つけたのが龍騎の群像劇スタイルだろう。ただライダーが複数乱立すると当然ながらヒーローを形成する主要成分たる暴力と
他者への献身が、暴力と自身のエゴ追求に変容するわけで、→
posted at 14:50:14

ライダーの根幹をなす定義から外れる(変身ベルトが共通程度では何でもいいと節操なく認めるようなもの)問題が残る、
これは鎧武にしても同じく。
posted at 14:51:22

前々回キョウリュウの、阻止すべき企みの気配濃厚の敵とはいえ、ただ湖に釣り糸垂れてるだけのタイリョーンにレッドが
キックかましたのが微妙に引っかかっていて。
例えば釣り竿を取り上げるとか釣り糸を切るとか、直接暴力以上に有効な手段はあったはず。
演出一つでキャラの印象は劇的に変わるから。
posted at 17:57:51

11/7

絶対の域から落として相対化する必要は昨日の話題とも繋がる。ヒーローの相対化やってくれる覚悟あるだろうか鎧武に。
視聴者がヒーローに丸投げで善悪判断の権限譲渡(勧善懲悪の代行者に)しようともその度に「残念でしたー」と軽やかに
裏切り続けて欲しいなとか。
posted at 18:37:15

11/8

ぼつぼつと続けた相対化の話をもう少し。過日のウィザード特別編(飛び入り依頼された會川脚本だけを責めるのは理不尽と
そこは理解しつつも)での「仮面ライダーは正義のためじゃなく自由のために戦う」宣言の時点でとうの昔に時代とズレて
しまった(のに薄々気づきながら意味をなさない美辞麗句を→
posted at 15:36:36

盾にその「ズレ」から目を逸し続けてきた)見苦しさに否応なく直面させられ切なく涙した一人として、
絶対正義を事前に(なぜ彼という「個人」が常に正しい側に立つと保証できるか、の説明一切なく)約束されたヒーローが
活躍する「勧善懲悪を行使する権限が特定の個人に属する」路線の終焉を→
posted at 15:38:17

はっきり見届けたので、この従来の方法論がもう使えないこと、随分前から耐用年数過ぎている事実を潔く認めて、それに代わる
新たなやり方を一刻も早く打ち立てないと大変だ、と血の気の引く思いがする。
無害ならまだしも、社会全体に「強いもの」への依存が年々酷くなる一方の現代では→
posted at 15:40:12

「個人に属する勧善懲悪を行使する権限」はより一層依存症状を加速させる害悪になりかねない。
善悪判断の権限を一手に独占するヒーローはその昔、無私の精神に準ずる聖人並みの人格者に設定されることで辛うじて
成立していたが、今や一般人並みの等身大ヒーローが主流の時代に前述の問題点→
posted at 15:42:28

「なぜ彼という個人が常に正しさを保証されるか」の理由付けが曖昧なまま従来の方法論(ヒーローは常に正しい)を踏襲するのは、
筋の通らない支離滅裂でしかない。でもその(前世紀の遺物的な)支離滅裂を21世紀以降もやり続けてきたのだった騙し騙し。
大人相手なら構わない、でも子供は→
posted at 15:44:54

「それ」を素直に信じるから憧れるから、影響されるから、将来を思うと空恐ろしくなる。特撮ヒーローにつきものの「暴力」には
それをヒーローが行使していい理由に 「彼は常に正しい」が暗黙の了解的にあった、あったから視聴者は「正しい彼」の勝利を
喜び、暴力を正当な行為だと納得できた、→
posted at 15:46:26 

だがその彼とその暴力の正しさが「今でも」無条件に保証されているとは、かつてと今の時代状況の変化や受け止める人の
内面変化などを鑑みればとても言えない、そんな見えすいた嘘はつけない、またついてはならないのだと思う。見る側も作る側も
「お約束」に慣れすぎてそれが日常に溶け込みすぎて→
posted at 15:49:05

感覚が麻痺してやしないだろうか、立ち止まって考えてみる、 振り返ってみる大切もあるんじゃなかろうか。
余計なお世話、と言えるほど「のどかな」段階はとうに過ぎていると思いあえて書いてみた、 誰に届くという当てもないまま。
でも大事なことだと思うから。
posted at 15:50:13

いや設定の力だけではないな。聖人並みの人格者なら何をやろうと常に正しい、がかつては十分説得力を持ち得たからだ。
今と比べると単純素朴なフィクションの嘘が容易く成立しえた時代状況も加勢していたはず。
posted at 16:22:12

11/11

ハーバード白熱教室のリーダーシップ論「リーダーシップは実践にあり(権威やカリスマ性とは無関係)」との興味深い講義。
私の考える「ヒーローは誰であるか(人)でなく何をしたか(行為)で決まる」にも相通じる気がする。
「人でなく行為」は善悪判断にも言える。人に固執すると道を踏み外す。→
posted at 18:00:37

視点をどこに置くか、対象を何に定めるか。善も悪も不動でなく絶えず変動する、人の中で。
完璧な正しさには到達不可能、失敗や間違いこそ次なる飛躍の撥条。大事なのは失敗や間違いをしない、じゃなく、
失敗や間違いを恐れず果敢に挑戦する諦めない勇気だ。特別に備わる資質、じゃなく、誰にでも→
posted at 18:03:46 

可能性は開かれている、と伝えることだ。今の特撮ヒーロー作品に求められているのは多分これ。鎧武の子が熱く語った通りの
「誰かを(見る者を)励ます/もう一度立ち上がらせる」に繋がる中身のあるなし。
posted at 18:05:57

鎧武。「力には責任が伴う」はまさにノブレスオブリージュの精神でありこの義の実践がヒーローを生む流れ。
ヒーローがいて義を実践する、ではなく、義を実践するからヒーローだと。これが本来の順序。
posted at 18:08:53

前回で鎧武の子が一度命懸けの本気バトルに怖気づいて投げ出すエピが入るのが肝。
初期段階で主役の格好悪いとこを晒し、そこから立ち上がる流れに価値がある。ライダーになるまでの展開が555の乾巧ぽいが
こちらは「君は誰より特別」感が希薄であのシチュでフツーに「怖気づく」のが凄くいい。→
posted at 18:11:38

今後は各自それぞれ見せ場が用意されてることを期待。バナナやメロンの子もありがちな上っ面の格好付け以上の複雑な陰影や
意外な一面など画面の中で生きて呼吸している感じが出せたらもっといい。
posted at 18:14:37

惜しむらくはバトルが(意図的な仕掛けなら納得だが)チンピラ同士の凡庸な殴り合いレベルで見栄えがイマイチな点。
折角の戦国武将スタイルを生かす殺陣の組み立てを是非見てみたい。張り詰めた緊迫感だの思わず惹き込まれる間合いや緩急だの、
バトルにも今までにない新風が呼び込めれば御の字。
posted at 18:19:31

ふと。「龍騎はライダーとは別物な気がする」と繰り返し語った虚淵脚本にはでは鎧武についてはどう思うかの見解を
聞いてみたくもあり。
posted at 18:34:02

個人的にはその点と一見ハードに見えて実はべったり感傷的な重たさ暗さが張り付いてるのが良くも悪くも龍騎の印象で、
帳尻合わせ的結末の甘さも然り(あれでは積み上げたものが台無しだと真剣に怒った記憶ある)。
posted at 18:35:06

ヒーローの相対化に意味はあるが正義の相対化は今更の前提だから白けるだけだ。
正義は人それぞれ。当たり前だ、だから何だ、であっけなく終了してしまう。何も言ってないに等しい。
スタート地点を確認したに過ぎない。
だからその先の共有可能ラインを模索して初めて意味をもつのだと思う。
posted at 21:04:34

11/12

補足。ここは(正義とするより)「言い分」とか「主張」とした方が的確なので、うっかり巷間まことしやかに流通する言い回しを
引用するよりむしろ書き換えるべきだったか。「愛」などと同様に言葉本来の意味や重みが急速に失われるのは悲しく、
言葉の力を無闇に無効化する非情には極力手を貸したくないと思ってしまう。
posted at 15:19:25

言い分は人それぞれ。主張は人それぞれ。で一向構わないし正義などとやたら大上段に構えるハッタリより遥かに意味が通ってる。
posted at 15:50:57

11/23

ライブマン47話。ビアスの真の企みを知り逃亡図ったマゼンダを慌てず騒がす沈着冷静に追い詰める大藤ガッシュ
神経行き届いた動作仕草の一々にぐっと胸掴まれ陶然と見やる。
踏ん張るように大きくやや外向きに開く脚線とその時の太腿裏の筋肉の張り見たさに一時停止も辞さないミーハー心持て余し。
posted at 18:53:43

11/25

正誤(善悪)の判断基準がヒト(人)からコト(事)へ移れば、
自ずと固定化した役割分担(悪人善人だの敵味方だの)もほどけていく。
posted at 19:29:21

たぶん主人公がヒーローになるかならないかの分水嶺は何処にも何にも貢献しない、次なる創造を喚起しない、
純然たるエゴの発動は巡り巡って自らの墓穴を掘るマズいやり方だと直感的に理解できる賢さのあるなし。
posted at 19:32:28

11/26

キョウリュウジャー。私が知る限りにおいて、ではあるが、加藤監督の最高傑作!と感じた今回。
過去のあらゆる駄目出し(すまん)をことごとく無効化する出来に、なにやらもう胸一杯で。
この地道な努力の賜物に惜しみない拍手を。お疲れさまです良かったです。 #kyoryuger
posted at 15:42:43

他に美味しかった項目。一人二役で出合くんの出番多かった/忘れられがちな「強さは優しさ」の確認/
ラッキューロたん例に「敵か味方か」思考の限界を示唆/予告の目出度い(愛でたいw)十人並び/
意外と充実ゴールドの美脚ショット、こんなとこでしょうかw←煩悩まみれすぎ #kyoryuger
posted at 15:49:15

なんで1つ2つ他メンツより動きが多いんだろうか(がそこがいい)うちの金ちゃんはw 
あの膝下の脚の使い方、地面を軽快に蹴るようなスキップっぽく跳ねる足運びがキュートで毎回の密かなツボ。
posted at 15:51:40

ギガントブラギオー内の七人並びでも一時停止活用で眺めやる。もはや儀式化。
posted at 15:53:04

さらにプテライデンオー+トリケラでのピンクとの二人並びの特典までつくとは何たる贅沢仕様か(個人比)
posted at 15:54:05

 

特撮hero関連ツイまとめ(2013/9/11-10/7)

※思考の流れの整理と確認を兼ねて。ところどころ補足つき。
響鬼、ウィザード、キョウリュウジャー、ジャンパーソン、仮面ライダー、仮面ティーチャー、ライブマン、鎧武、SA、他。


9/11

筋立ての面白さを気前よく捨てた代わり、場に醸成される温かい雰囲気を大事にした岡田恵和脚本の #スターマン 。
昨日CSでやってた『響鬼』は後半だったが、脚本が全てをコントロールせず俳優の演技や演出の工夫次第で
出来が左右されるくらいの余白を用意する手法は、響鬼前半のまったり進行→
posted at 10:59:11

(一般男子高校生の視点で彼の領域たる日常と「鬼」による魔化魍退治の非日常を淡々と描写)にも通じる気がした。
posted at 11:00:16

井上俊樹脚本の引き継いだ響鬼後半は予め構成が固まってて目立った「穴」がないので映像面での意外性に乏しい、それだけ脚本が
しっかりしてる意味でもあるんだが、響鬼に関しては脚本の支配の強さは(方程式みたく理路正しく構成された展開は)
既視感伴う予定調和に繋がるのだな、前半の明確に→
posted at 11:01:45

説明のつかない、これという掴みどころのない魅力が、後半の功労賞ものの秀作(トシキの綿密な設計とこれしかないでしょな
理路正しきネタ投入は脚本としては「正攻法」だと思うし)と徹底的にソリが合わなかっただけ、明日夢を脇に退かせて群像劇
(といっても自分好みの慚鬼ー轟鬼の師弟ラインを→
posted at 11:03:16

→前面に出してたが)に仕立てた段階で作品に息づいてた当初の味わいは完全払拭され別物になった、従来の踏襲になった、つまり
脚本が作品を完全コントロールし台詞中心でどんどん展開していく類のやつに。
posted at 11:04:06

9/17

自ら望む望まないにかかわらず人並み以上の力を持つに至った者が、持たないせいで自力で窮地を脱せない他者を助ける
(力を貸す)と決意するまでの、保身と恐怖を振り切って立ち上がる勇気の描写が白眉だったウィザード最終回。
posted at 15:09:18

他者の犠牲の上に自らのエゴを成就させるのは間違いだと、笛木とソラと、念押すように二度のケースではっきり否定してみせた
ウィザードの真っ当さに、改めて打たれた。
最後の最後できっちり落とし前つけてきたねえ、やるもんだねえ(自分の中できだ脚本の株が一気に上昇)。
posted at 15:13:38

「過去に戻ろうとするお前とは違う!俺はすべてを受け入れて前に進む、コヨミの心を救うまで!」グレムリン=ソラに対し
言い放ったこれが晴人の本心であり希望。
ドラゴンは晴人が誰かのためでなく自分のために力を使うのは初めてだと評したが、
その自分のためが誰かのためでもある、ということ。
posted at 15:18:04

一方的な献身でもエゴでもなく。きだ脚本がヒーローの(ひいては個々人が社会を回しそれぞれのポジションで支える上での)
理想的あり方をきちんと描いてくれて胸熱。SHT枠の要請的見地からも申し分ない王道の着地点だったと思う。
posted at 15:18:47

9/20

実は坂本回のキョウリュウあまり好みじゃないらしいのをじわじわ自覚しまして。素面重視以外にも演出面に強く惹き込まれる
ポイントなくて毎度やってること同じだからテンション上がらずといいますか。画面から常にロボ愛ダダ漏れな竹本回とかなら
許せるのは特撮オタク魂への情状酌量が働くからか。
posted at 09:27:20

エンドルフの体を乗っ取ったドゴルドの「怒りと恨みは似たような感情」なる台詞の大雑把な分類どうなのよと
最初は気になったが、しかし考えてみれば喜怒哀楽の各キャラを悪側に設定した時点で、感情自体に善し悪しがあるのでなく、
その感情がどこから生じどこへ向かうかが重要だと持っていきたいなら→
posted at 09:28:46

まあアリなのかなと。ドゴルドの怒りキャラは言語化以前の苛々を周囲に当たり散らすタイプだから、子供にすれば
友だちの玩具を奪ったりカッとして叩いたりのレベルで理解しやすいのもあろうし。
本当は怒りも我欲のワガママから 社会悪の糾弾まであらゆる段階がありピンキリなんだが
posted at 09:29:54

→(残りの喜哀楽も同様で、たとえば何に対して「喜ぶ」のか、自分の幸福か他人の幸福かそれとも他人の不幸か、レベルは色々、
ゆえに感情自体に良し悪し判定は出来ない、となる) 子供(主に幼児)相手なので怒り=ワガママはいけません、で押し通す
単純明快さの方が番組的に相応と判断した、→
posted at 09:30:58

言葉の規定を複雑にしては子どもの理解が追いつかない配慮から、なら分からぬでもないと一応納得。
posted at 09:31:41

ジャンパーソン23話。むにむに蠢く蚕を手のひらに乗っけて平常心見せつける麗子様の女優魂。(以下続く)
posted at 14:35:02

「また犯罪を犯すに決まってる、同じネオギルドに作られた俺だから分かる」とガンギブ。なら自分を始末するのが
一番手っ取り早いはずだが、自分をも信じられずいつ暴走するか怖いくせになぜ自分だけ例外扱いなのか、その甘ったれ根性の
誤魔化し誰か指摘してやれと突っ込みつつ後半。
posted at 14:38:40

ネオギルド製ロボといえどわざわざ罪を償い更生した奴らばかり狙うのはお手軽な標的だから以外の理由があるとも思えず。
ガンギブのご都合論理の情けなさ悲しさが浮き彫りに。
ガンギブの自己中全開俺さま厨二病からの再出発は頼もしい相棒ジャンパーソンとともに幕を開けるのだった。
posted at 14:46:19

JPの放った「俺ごと(取り付いた麗々虫を)撃て!」でようやくおのれの恥ずかしいダサさに気づいたガンギブであったが、
遅いよー、でもJPの真似して「肉を斬らせて骨を断つ」戦法で名誉回復にこぎ着けたのは
ヒーローの看板背負ってる以上最低でも堅持すべきラインをクリアしたのでそこは拍手。
posted at 14:49:56

ジャンパー24話。人間モドキ=人工生命体、はモンスターだから骨の一欠片、血の一滴まで抹殺するべきと。
イカレポンチ三枝女史の困った厨二病体質。
posted at 14:53:43

人間であるなし以前に心を持つ存在なら最大限に尊重しなくては、との発想はないんだ。誰も追いつけないガチガチの未熟さ露呈。
まあ生命尊重の観点から捕食も最小限必要に留める、が基本ではありましょうが、
ざっくり展開で重いテーマ扱う罪深さも孕んでるよなあ。
posted at 14:59:32 

NGの更生ロボに寛大だったように組織の奴隷から開放し再出発を支援してやればいい、相手は「心がある」んだから
対話して様子見ればいい、決め手は心じゃないのか、心のあるなし。それが改心の余地の目安。
命令通り動く単純ロボット扱いではその心が浮かばれんだろうと思う。
posted at 15:05:22

生命の尊さの強調。生まれてきたことの哀しみ、生きていくことの哀しみ。扇澤延男脚本の本領発揮。
posted at 15:10:28

9/23

キョウリュウジャー。加藤回はズームに次ぐズームの懐かし昭和テイストが特徴。
posted at 16:38:16

ラッキューたんとゲスト怪人「混ざっちゃった」ザイホなんちゃらの関係性が、好奇心旺盛な悪戯大好き気まぐれお坊ちゃまと
その忠実なる下僕の爺やみたいで大変よろしゅう御座いました。
中でもザイホやんの「ですじゃー」の口癖がユーモラスな味わい添えててマル。
posted at 16:39:28

「助ける人を好き嫌いで選ぶほど俺は子供じゃない」たいていの子供は子供扱いされるのが嫌いだから
このソウジの台詞は効き目大。
憧れのヒーローの行動に正々堂々戦わない「卑怯」と私情に左右される「えこひいき」 はご法度であると
ただ一つの台詞で このたった一撃で 子供の心にズバッと叩きこむ見事。
posted at 16:42:13

フレーム横長に使って直線上に動き捉えてワンカットに収めたピンク&グリーンの流れるような連携攻撃の美しさ。
(ほぼアニメなド派手CG重ねに重ねて人間の肉体の動的美を台無しにしないこういうショットが一つでも多く見たいんだよっていう)
posted at 16:44:16

レッド名乗りの「カーニバルーゥ!」で背後にうようよレッドのコピーの奴らが盛り上がってんのが地味にツボ
(加藤監督のこの手のセンス嫌いじゃないっす)。
posted at 16:47:01

完成!爆裂キョウリュウジン!と叫び一回右に体を捻る動作したあと体を真っすぐ起こし前に右手を突き出すポーズ、の時の
捻りがメンバー中突出して丁寧なゴールド。一つ一つの動作が全部丁寧できちっとしてる、そこに惹かれる。
(美脚際立つ決めポーズを一時停止で恍惚と眺める←既に毎度の儀式化w)
posted at 16:49:16

お金持ち親の七光り以外何も持たないゲストの俺が俺がの自己中我儘坊っちゃんに最後に言わせた
「俺は世界の中心に立つ男だ、助けられた礼くらいするさ!」の三条脚本のお子様キラーなお見事テクにうふふとなる。
分かってますねえ。子供にとって「格好いいは正義」なのだから描きよう次第、→
posted at 16:51:47

→脚本家の影響力は甚大、だから怖い、本当に怖い、書きたいから書いた、じゃ済まされないのが
どんな色にも容易く染まる子供の柔軟な脳ミソ相手にするSHT枠の恐ろしさだと思う。
posted at 16:52:36

ウィザード。SAに関しての推測はフォーゼは永徳SAっぽくファイズは今井SAっぽくクウガはやはり富永SAだろう程度
(我が藤たんは怪人枠かも、もし緑色な身体したベージュの腰布野郎だったらどうしよう
←ちらと映った駆け出し方とヤラれ方だけ見ての心許なさ)。
posted at 16:55:30

9/27

ジャンパーソン25話は新堀ガンマン兄ことジャンゴを倒したJPへの復讐誓う青年ルーゴが、いくら攻撃しても人間である彼の命を
救おうと身を捨てて奮闘するJPの姿に打たれ、 最後はかつての恩人をJP同様身を挺して守るという心の振り幅の劇的変化が
見どころでしたが、→
posted at 17:41:15

2)早撃ちマシンに改造されたルーゴとの撃ち合いで劣勢を強いられプライド傷つき歯がゆいガンギブが、体内の認識装置外して
タイムを縮めようとするもJPが頑として許さず、のやり取りを、てっきりヒトかロボかの認識を一々やる必要なし(なのに
標準仕様では回りくどく使いづらい)→
posted at 17:45:14

3)と判断したガンギブの合理主義を、融通の効かない石頭のJPが足引っ張ってるのかと思いきや、全然違ったらしく。
やはり一回毎に認識はリセットされるらしく。なんと面倒な。苛々ガンギブに同情禁じえず。かおる改善努力ヨロ。
posted at 17:46:52

9/29

仮面ライダーの「人類の自由のため」は良くも悪くも70年代を象徴する惹句だから2013年の今「自由とは具体的に何か」を
再定義することなしに安易に借用しても無意味な言葉遊びの域を出ず先人にも失礼だろうと思うのだが
祭りなら無礼講もまかり通るとそういうことなのかな。脱力。
posted at 13:26:55

1)義とは何か(参考→ http://www.7key.jp/data/bushido/g.html…)。「打算や損得から離れた」フェアプレイ精神、
道理に適った行い、物事の筋道を通すこと、が本来の正義の定義であり特定の私利私欲を優先することではないはずなんだが、
根深い言葉への偏見の凄まじさに辟易すると同時に、
posted at 13:29:00

2)西欧由来の人間至上(中心)主義の驕りを象徴する環境汚染等が問題視され始めた70年代に登場した惹句
「人間の自由のため戦う」という、今では無神経かつ朴訥にすら響くフレーズを使いまわす目的が身内ウケ以外あるとも思えず、
劣化ネタでお手軽に熱狂できる実態こそ用心すべき兆候だろうと
posted at 13:30:14  

3)危機感通り越し再三耳にしてきたオワコンの意味を今ほど強く実感したこともなく。無理矢理な延命に次ぐ延命がもたらした
時代錯誤なホラーの「感動的だが無意味」な(目を引く派手なお飾りだけで実質何も言ってないに等しい)がらんどうの悲しさ。
posted at 13:31:03

人間が上とか絶対とか傲慢な考えじゃなしに生きとし生けるもの全ての命を平等に扱う心と行いに義は宿ると思う私は、
本物の硬派とはカーレン書いた浦沢義雄脚本の、地球人も宇宙人も更には生物から無機物まで「心あらば」分け隔てなく
フラット化するブレなさ加減だとの思いを一層強くしたことです。
posted at 13:33:34  

仮面ライダーを良し悪しにかかわらずご主人様の願いを叶えるアラジンのランプの精みたく見做されるのは非常に納得いかない、
せっかくきだ脚本でカタルシス得たのに蛇足感半端ない、脚本家の使いどころ間違えてるだろ、
會川は新規オリジナルで勝負させてやってくれ便利要員に使わないでくれと切に願う。
posted at 17:55:17

9/30

ウィザード特別編(最終エピとは認めたくないせめてもの抵抗)。繰り返すがまず冷戦構造ありきだった70年代当時と現代では
時代状況が異なるので その40年前の「人間の自由のため戦う」をそのまま借用しても 現代の権利と我儘を履き違えた
クレーム社会では火に油を注ぐだけ。他人を蹴散らしてまで→
posted at 09:46:58

2)おのれの「自由」を叫ぶ傍若無人な生き方を称揚するどんな意義があるのか、私には逆効果に思える、
「感動的だが無意味」以上に忌むべきプロパガンダに思える、子ども出汁にして特オタ向けに媚びた作りなのも胸焼けする理由。
繰り返し正義なる言葉への偏見を植え付けるその偏見をこそ見つめるべき。
posted at 10:00:30

昭和ライダーの直系なら先日終了の『仮面ティーチャー』推し。華やかなジャニ系男子揃いのビジュアル裏切る、今時珍しい
正統派の体育会系熱血ドラマは昭和オマージュに満ち満ちており、最終話での一号二号同時のライダーキックで決める
サービスぶりには感動すらしたんだったが、もっと凄いのは→
posted at 15:24:59

2)筋の根幹に暴力否定が入ってること。力には力でなくあくまで心で向き合おうとする新任教師(彼は学校秩序を保つため
暴力による鎮圧を政府から公式に許された仮面ティーチャー、だがかつてその「変身中」に目前で助けを求めた教え子を
救えなかった悔恨から暴力を封印)の設定は、70年代ヒーローを
posted at 15:26:46

3)真面目に現代の価値観で再定義したら、こうなる以外なかろうという誠実さを感じる。
暴力封印しながらアクションは格好良く見せなくちゃいけない、生徒に対してはパンチも直前で止めるとか、ヒーローの抱える
葛藤が重くてベタな作りでも その若々しい活気と熱気につい惹き込まれる、→
posted at 15:28:34

4)ライダーの正統な継承者は断然こちらに軍配挙げたい。気恥ずかしいほどの泥臭いベタな熱さがいっそ清々しいです。
posted at 15:29:10

あと見落とされがちなのは仮面ライダーといっても石ノ森漫画とTVの特撮番組とではは内容別物と割り切るべきところを
同じ土俵で論じるから無理が生じるということ。
そしてどう大人が理屈つけようといつの時代も子どもにとってライダーは正しさ(善)の象徴であり格好良さのお手本なこと。
posted at 15:58:24

真剣に知りたい、現代における人間の自由って何ですか、その答えをちゃんと用意した上で40年前の惹句を引っ張り出して
きたんですか、あえて引っ張りだすどんな必然があったんですか(オタク受け以外に)、
人間の自由のために戦う、この具体的イメージがどうやったら湧くのか教えてほしい>會川脚本。
posted at 16:17:10

※出演者も言語も視聴対象も日本向け(裏返すと他国他地域などの異文化圏に対する配慮ゼロでも特に問題なく通ってしまう)
この国で放映される映像作品における「人間の自由」とは何か、という話である当然ながら。
それは同時に日本以外ほぼ対象外の事実に目をつぶり わざとそこ含めた話に拡大させて無駄に混乱招く事に何の意味があるのか、
でもある。

悪から生まれた(悪と同質の力を有する)仮面ライダー、の図式は散々言及されてきたし 昔からのヒーローの
一つの定型であることの確認作業に近かったので、「その指摘は目から鱗」的な絶賛の声が若干盛り過ぎに見えなくもなく
(その辺の事情に本当に無知だったのかもしれないが)。
posted at 16:45:38

→だからきだ脚本より凄いはないない(あれは確認作業に過ぎないので)、きだ脚本が良かったのは一般人がヒーロー任せにせず
偶然であれ他人を救える力を持ってしまったからには自分も戦おうと立ち上がるところ、あれこそ現代に即したヒーロー像の
一つの帰結の形だと思う。 #wizard
posted at 16:46:40

10/3

ライブマンの録画消化に励んだ昨日、見たのは28〜30話連続の長石監督回。
これが目を瞠る渾身の力作で矢島特監の入魂ぶりも際立つスケールデカイわミニチュアワーク凄いわカメラワーク惹き込まれるわで、→
posted at 12:06:43

内容的にもブラック&グリーンの新加入で晴れて五人戦隊誕生→新合体メカ登場→ 総メカ合体お披露目の重要な節目回でもあり
文句なしの見応え。
posted at 12:07:40

3)何を置いても画作りの秀逸。重厚にして迫力ある巨大ロボ戦。中でもギガボルトの格好良さ←お疲れガッシュ(十中八九)。
砂煙上げて地を疾駆する合体メカ。長石監督のカメラワークの冴えに気持よく圧倒され。
こんな絵ヅラ今じゃ中々お目にかかれない。かつての凄さをあらためて実感。
posted at 12:10:28

昭和ライダー当時の時代感覚だと、
ライダーVS怪人は「自由を求める個(個人)」VS「それを管理し抑圧しコントロールしようとする公(国家)」の可視化された
単純といえば単純な対立図式だった。
それが平成ライダー一期でより個人の内面的成長にテーマの中心軸がシフトし、さらに平成二期では→
posted at 12:16:08

2)二項対立をはっきり個人の心の問題だと打ち出したのが画期的といえば画期的だった。
ライダーも怪人も1人の人間の中にある善悪の比喩的存在、だからこそライダーと怪人は「生まれが同じ」、すなわちそれは
君自身の心なのだと暗に示していた。それがダブル以降の二期の特色にして共通点だった。
posted at 12:19:54

3)ゆえに。改めてヒーロー=ライダーが今の日本で「人間の自由のために戦う」宣言をする意義はとうに失われている、と
いうこと。是が非でもそのスローガンで戦うなら紛争地域でのテロ活動くらいしか現実的に道はなく、だがそれをすれば
ライダーの存在意義を自ら否定する自滅行為となる。→
posted at 12:23:10 

4)ここまで確認してなおスローガンに拘るなら、自由でなく尊厳、人間の尊厳を守るために戦う、くらいしかないのではないか。
少なくとも「自由のために戦う」必要があれば私達一人一人が立ち上がればいいことで、だから「自由」に関して
ライダーは不要(むしろ関わってきて欲しくない)というのが
posted at 12:26:23

5)今の時代に即した、または支える考え方だろうと思う。次の鎧武も「人間の自由のため」という昭和の大仰なお題目とは
かけ離れた個々人の葛藤を扱う、たとえば一期の龍騎のような群像劇の匂いがするので、平成期同様ライダーである必然は特になく
つまり大人の事情が「自由」の正体(必然に仕立てた)
posted at 12:29:09

6)と理解すれば別段何ということもない、ただ茶番をむやみと有難がる過剰な権威主義の主役が子ども達じゃないことだけは
確かだろう(晴人じゃないがそれが「唯一の希望」なのかも)。
posted at 12:30:52

きだ脚本のウィザード最終話の良かったところさらに思い出し。他人の不幸(犠牲)の上に自分の幸福(エゴ)を築くことは
間違いだと明確に言ってのけたこと。ソラも。そして笛木も。
ちなみにこれはライブマンでも重要なメッセージの一つ(歴代の戦隊中でも抜きん出て秀作の部類はもはや確定)。
posted at 12:34:29

何故ならおのれに「義」のストッパーを課すことなく自由のみを追求する果てにあるのは目には目をの復讐の連鎖でしかないから。
欲望や衝動といった獣性の有効な自制基準をもたない(ストッパーなき)自由は、加速度的に過激さを増し最後は狂気に走るしか
道はないから。
posted at 12:42:32

「人間の自由」はヒーローから与えてもらうものでなく、私たち一人一人が自分たちのために自分たちの力で手に入れてこそ
価値があり、それを現代のインターネット社会が可能にしたとも言える。
ネット登場以前と以後での「自由」は違って当たり前、昭和的価値観をそのまま適用できなくて当たり前と思う。
posted at 13:56:05
※とりわけSNS普及以前と以後の違いは大きいと思う。

10/4

人間の自由のため戦うという革命的命題を コブシで解決が信条の仮面ライダーが背負えば 自動的に暴力の行使を
意味「してしまう」。現在の視点では70年代ライダーのスローガンは過激なテロリストと同じ。
しかも(誰も指摘しないが)かつての任侠ものの作り方と子供向け特撮も実は手法としては同じ。→
posted at 10:45:54

※断っておくがいわゆる「任侠」ものと深作以降主流化した「ヤクザ」映画は別ものなので念のため。
そこを踏まえた上でつまらん揚げ足取りメンドイので補足しておくと
後者の流れを作った深作欣二仁義なき戦いシリーズの「仁義なき」とは
従来の任侠もののセオリーをぶっ潰すという「親殺し」宣言なのだが、こちらは余談のおまけであって、
その親に相当する東映任侠路線の
「筋を通す」ため劇中内での悪役たる親分とその一派(組)を主役が最後の最後でぶっ潰す大立ち回りが
お約束的に用意される(つまり「親殺し」展開)のと、仮面ライダーとその生みの親に相当する敵組織の間でも
その同じ親殺し展開がお約束的に用意されている、という共通項を指摘したもの。ポイントは「親殺し」。

せめて任侠は善玉悪玉どちらも暴力に訴える時点で同じ穴の狢だとする達観が担保されるが、
子供向け特撮ではヒーロー側だけを無邪気に持ち上げる、その際の暗黙の了解的ストッパーがこれまでは「義」だった。
義のあるなしが善悪の境界となり、ライダーは子どもの憧れのヒーローでいられた。だが
posted at 10:47:14

その義を否定し自由のみを称揚した途端、元よりの矛盾が白日の下にさらされる。人間の自由のため戦う=暴力行使、これは
繰り返すが過激なテロリストの行動原理そのものだ、ネット行使しての無血革命が次々実現した現実に
ライダーの時代錯誤的暴力による解決方法は置いてきぼりを食らった格好だ、→
posted at 10:48:48

そう考えると今の時代ヒーローが人々に出来るのは、悪に堕ちた者を元の軌道に戻すまでサポートするという
ライ麦畑〜のホールデンが夢見たような行為じゃないかという気がする。
転けそうな子を間一髪キャッチし元の遊び場へ返してやる、是が非でも昭和の継承に拘るならそのさり気なさが鍵かもしれない。
posted at 10:51:07

10/5

ゴウライガンは変身後がCGでなく生身の演技だったことに一番驚いた&嬉しかった。どうせ(失敬)雨宮監督だから変身後は
CG仕立てだろうと踏んでたので。それとOPクレジットで役名の隣に和田三四郎と堂々SA名が併記されていたのも
(たとえ次回から牙狼形式に戻ろうと嬉しい事に変わりなく)。
posted at 17:54:44

訂正。変身後、ではないな、むしろスーツ体は変身前(素の状態)の設定なんだな>ゴウライガン。
posted at 19:03:13

※ゴウライ、確かに絵ヅラ的には面白かったのだが脚本の煩く自画自賛するわりに滑りまくる冗長さが耐え難かったので
残念ながら途中で視聴切り。これは特撮作品に限らずだが、ファン向け内向き志向の不健全さに多分当事者が一番無頓着というのか
感覚が麻痺してるというのか外野ほどには見えてないし気づいてないように思う。

今週配信のジャンパーソンは2話とも急に低年齢層意識した不思議コメディタッチへの変容にテコ入れの影を見るなど。
GGが手がかりに残した写真立て裏の走り書きを「ガンギブソンからの通信だ!」と表現するJPに
バイオマンでの「ハト連絡員」の衝撃が甦るなど。
posted at 17:57:06

@Jinginakisuki 悪から生まれたライダーが終盤で単身悪の組織に切り込むさまは 捨て身で組に殴りこみかける任侠の
お約束展開と基本的に構造は同じです。ただ善玉も悪玉も堅気の衆から断絶した日陰者扱いされる任侠ものとは違い
子供番組ではそういうシビアさは曖昧にぼかされてますが。
posted at 18:03:06

@Jinginakisuki 悪側を出自とする者がその悪の組織を潰すまでを描くという構造の基本ラインの共通項は
私には興味深いことですがそれも人それぞれで宜しいかと。勿論東映と円谷の作風を一緒だとする暴論には与しません。→
posted at 19:00:00

@Jinginakisuki →ライダーのような悪由来のヒーローは任侠路線の延長線上でアレンジ可能で東映カラーに合っていると思います。
posted at 19:00:52 

10/6

鎧武。前半で主人公の性格や家庭環境や大人になりたい葛藤を並べて視聴者の好感を共感に転じたところで、
後半は変身後のバトル展開で要領よく武器紹介しながら
扱いに不慣れなたどたどしさを視聴者も「彼への共感により」 追体験する(自然に気持ちが入る)作りの巧さ。
posted at 10:03:58

キョウリュウジャーは5人体制と素面ヒーローどちらも強化の方向なのは察した(メイン監督の意向が働いてると推測)、
がそんな中ラストでウッチーのぼっちフォローをさり気に入れてくる三条脚本のそつのなさ。
ゴールドの女子苦手感を 次回に先駆けちら出しした照れポーズのアクセントもいい感じ。
posted at 10:05:21

10/7

昨日言い落したが鎧武で何より感心したのはBパートの怒涛の玩具展開が子供の興味をそそる組み立てだったこと。
別々の二つのアイテムがくっついて最強武器になるとか変身の過程に着目&発想のユニークさとか
(さっそく再現できるフィギュアCMも登場)初回を見る限り近年になく玩具がヒットする予感。
posted at 12:10:43

特撮hero関連ツイまとめ(2013/7/1-8/20)


※思考の流れの整理と確認を兼ねて。
シュシュトリアン、サンバルカン、ジャンパーソン、キョウリュウジャー、仮面ティーチャー、ウィザード、鎧武、SA、他。


7/1

特捜ロボジャンパーソうー!(OPの鼻炎気味に聞こえる歌声が耳について離れずそのうち癖になるから予告)#Janperson
posted at 22:00:16

ジャンパーソン。頭からケツまで爆発と衝突とぶっ壊しを間断なく入れる派手さを意識した小西監督の画作りだが、
(過去初見時も思ったが)いくらパイロットでも予算オーバーしてやしないか余計な心配するほど
パト含めいったい何台の車を燃やしぶつけ壊したものやら。#Janperson
posted at 22:03:00

特撮方面に嵌り初めの頃に見たメタルダービーファイターに加えジャンパーソンはお気に入り作品の上位に確実に入る。
(ライダー戦隊以外のこの手の等身大ロボ系が激しく見てみたい願望)#Janperson
posted at 22:04:33

7/2

ジャンパーソンは93年制作だが85年ジャスピオンのキャッチコピー踏襲の時点で時代との明らかなズレが窺える
作品でもある。なにせ前年までの世の推移は90年東西ドイツ統合、91年湾岸戦争勃発、92年ユーゴ内戦、だからね。
そこへ「俺が正義だ!」がドン引き必至なのは想像に難くない。→
posted at 08:36:33

でも面白いもんは面白いのだよ、だから東映さんにはSHT枠以外で(子供にはNG判断の結果こぼれ落ちるであろう)
大人含めの全方位対象とした可能性を追求する社会的義務を果たして貰いたいのだここまで歴史築いてきた手前。
普通の映画なら他所さんでもできんだからさ。→
posted at 08:39:56 

そ、だからね、東映にしか出来ないウリを自覚し極めることにこそ未来の盤石を約束するヒントが隠されてると思いねえ
寿司喰いねえだよ、肚決めなよいい加減、ね、もういい頃合いでしょう、ここらで勝負してみてくんないかな一発ドカンと。
posted at 08:44:02

シュシュトリアン。3&4は非浦沢回。鏡餅や羽子板みたいのが飛んだり跳ねたり喋ったりしないのはやはり淋しい。
(以下感想つらつらと)
posted at 18:46:50

妖怪蜂明神(でいいのか表記)見た目はライダーだなオレンジ色した。虫モチーフだから似てくるのか。複眼とか触覚とか。
逃げる女の子を片手が注射器になったキグルミ男が追っかけ、吊り橋わざと揺らして女の子がバランス崩し倒れたところを
襲いかかる絵面のヤバさ半端ねえ。完全変態ビデヲだろあれ。
posted at 18:59:28

「トムといえども不味し」→意味:トムですら美味しくない(いわんやジェリーをや)
posted at 19:00:24 

「人に妙な屁理屈を捏ねさせ全身を硬直させる」→意味:屁理屈は硬直の始まり(硬直→融通が効かない、柔軟性に欠ける)
posted at 19:03:30 

小学生男子のショタな短パンもエッチ!と喚く妙齢女子も今はなき時代の風物詩(勢い任せで言ってみた)。
posted at 19:06:00 

さらに。シュシュトリアン4話。「荒木くん」のやや前傾姿勢のがに股走りを花子とともに呆然と見送る視聴者。
彼のあの下方向に広げた両手は何だったのか。解答例:突如身に降り掛かった災難に対する驚きを表現しています
posted at 19:07:32 

敗けたとなるや居直り胡座かいて文句垂れ出す妖怪ヘリクツ。しかも饒舌に関西弁で。「政治家も皆やってる何で俺だけ
(責められる)」お前はどこぞの市長かと。
posted at 19:10:32 

7/11

亀ペースでサンバルカン視聴中その3か4(忘れた)。33話を熱く!傑作認定したく。
建物の外壁周りに組まれた不安定極まりない足場でポーズ決めるお三方に絶句。どいつもこいつも例外なく命知らず野郎に
「させられる」当時の現場の空気に思いを馳せつつ。いいのか悪いのか。見てる分には楽しいが。
posted at 19:25:33

2)。新しい服買うより古着を仕立て直して着続ける尊さ、みたいな価値観一択で押してくる強引さが相当キテる曽田脚本。
でその母親の価値観に反抗した娘ユキが公園のゴミ箱に古着捨てたのを咄嗟に「隠してたの」と嘘つくのはさらっと流しちゃう
曽田脚本。そこは注意しようよせめて一言w
posted at 19:33:56

3)柴原シャークのもんのすごい(力説!)超絶立ちポーズに目が釘付け。
上半身の怖ろしいまでのS字カーブは一体どうなってるとばかり停止&コマ送りで凝視。
あれで腰とかに負担こないのか、あんな姿勢で大丈夫なのか(まあ一秒程度だったが)
本気でびっくりした。しばしポカーン状態。
posted at 19:38:03

4)ヘドリアン女王の町子ちゃんが「専属ドレッサー」に見込んで拉致したユキママを何度もフルネームで呼ぶから、
新堀イーグルが「助けに来ましたよお母さん!」と言った時、つい「あらカズ子と呼んで下さいなイーグルさん」みたいな返答を
妄想してしまう浦沢義雄脳(なのかこれも)。
posted at 19:39:30

再開の日をうっかり忘れないためキープしてるライブマン録画枠に入ってたゴセイVSシンケン映画。
エンディングのゴセイ天使たちの懐かしさにウル目。
posted at 22:21:51

2)日頃はスーツに特化した興味が変身前の面々の可愛らしさにおそらく初めて(だったと思う)参った戦隊。
このED曲と彼らのダンスの融合に胸キュンど真ん中撃ち抜かれるし本編のバリエも推奨マーク。
posted at 22:24:02

げ。これ思い違いだ。最初に「参った」のはゴーオンだ。走輔の突き抜けたバカっぷりとスピードルとの友情にやられたんだった。
posted at 15:29:44 7/16

7/19

サンバルカン39話のゲスト叶和貴子はこの二ヶ月後にギャバンでミミー演じる影響なのか何なのか、天然お嬢さんキャラで
まんま被ってて同じ人に見えるのと、「ついハッスルしちゃう」「ズッコケちゃう」等の死語連発なのも見どころ。
posted at 20:07:59

サンバルカン39話の裏楽しみは Bパート冒頭での柴原シャークの負傷した太ももに甲斐甲斐しく包帯を巻く
新堀イーグルの図(ナイス!)。
posted at 20:09:05

7/20

ジャンパーソン#6。
1)不慮の事故から一年もの間、遺棄された冷凍倉庫に閉じ込められた男がアイスマンと化しやがて社会への復讐に目覚めるとか、
アイディアは突飛なようで、あくまで弱者に寄り添う扇澤延男脚本の優しさが全面に出ていた第6話。
同じ人間同士で互いの生命を、存在を、尊ぶどころか→
posted at 12:49:33

2)差別だの序列だの排除だのに汲々とする卑小なエゴに突き動かされる人の哀しさ惨めさを一様に「人間らしさ」で
片付けたくない、安易に肯定したくない、いいや違う、もっともっと人間はもっといいものだと、
人と人とはもっと温かい優しさで繋がれるはずだと、思いたいし信じたい、→
posted at 12:52:09

3)人の無限の可能性を信じるから扇澤脚本にあえて同調する、諦めたくない、見限りたくない、特撮heroものの究極の良さは
そこを力強く(全力で)肯定してくれるところだと思う、夢物語にするもしないも受け手にかかってることも含めて。
希望と励ましに徹した制作姿勢の覚悟に泣く。
posted at 12:54:58

急ぎ先週分の積み残し。
お約束の名乗り「聞いて驚け!」を言いかけたのを「聞かないね!」と速攻で遮られ、何て身勝手な奴らだ!と憤慨するレッドの
「身勝手」にじわじわくる。
さらにゼツメイツの諸君が名乗り時に俺たち〜で揃えた「うちら陽気なお茶目三人衆」ポーズの破壊力。#kyoryuger
posted at 22:14:44

背の高さがバイオレット>レッドに見えるショットは足元が岩場なのを考慮すべきかと思うし、高田ブルー同様に若手SAにあえて
中高年ネタぶつける方向性と読んだ上で、バイオレットは藤井SAとの結論に達しました、でござる
(あとOPクレジットの並び順も含めて)。#kyoryuger
posted at 22:20:36

押川レッドがあんまり軽やかに藤井バイオレットをくるくる回すのでワイヤー補助あったのか知りたく。
しかも敵味方入り乱れるバトルの一コマとしてのロング撮りだから、あの絵ヅラの凄さが気づかれにくいという。
そこはもうちょっと見せてもいいよ、いやさ見せてよ>加藤監督。#kyoryuger
posted at 22:23:21

7/21

主人公の新任教師が、生徒からの暴力に形勢不利と判断するや「ちょっと待って!」と何処かへ駆け去った後で、颯爽と
仮面ティーチャーとして登場すれば、よほど鈍くない限り周囲は同一人物を疑うと思うんだが(笑)。
なので正体知られたら失職!と冒頭で脅してたのもギャグか本気か曖昧な印象に。→
posted at 12:39:17

ただ仮面ティーチャーは突っ込みどころ満載でも、暴力に暴力以外の解決の仕方を模索する豪太先生に託した作り手の志と、
アクションを「流れ」で見せてくれる真っ当さに惹かれる。→
posted at 12:40:28

→昭和と比べても平成期の本家はやたらカット割るし無駄にバストアップ多いしで流れが見えづらい不満が軽減されるのは
有り難い(もっとアクション多めだとさらに有り難みが増すんだがそれは言わないお約束か)。
posted at 12:43:33

7/22

デーボス復活以降の画面の暗さは、ロボ合体での神々しき後光背負った勇姿を強調する効果的演出で、巨大デーボスの予想外に
丸っこいデザインは、その暗い画面が過剰に煽りそうな恐怖を幼児向けに調整するための「引き算」の発想からと推測。#kyoryuger
posted at 15:12:59

中盤くらいから薄々感じてはいたが、恩師との会話シーンで見せた晴人役白石くんの自然体な台詞回しや表情に
改めて巧くなったんだなあと感慨しきり。
変な力みなく適当に素の部分を混ぜたような演技が出来るのも、あまちゃん&フォーゼの福士くん同様「勘の良さ」かと。
好感度アップ中。#wizard
posted at 15:16:01

7/24

サンバルカン。45話だっけこれ、急に飛び入り無頼キャラ(銀河一のならず者とのふれこみ)イナズマギンガー
敵組織ブラックマグマの幹部アマゾンキラーの男女の生臭い因縁が暴露される回。
その二人の互いを熟知した長年連れ添った夫婦並みのエグい会話を陰から盗み聞きするゼロガールズが、
posted at 16:37:54

総統ヘルサターンにご注進、でヘドリアン女王とアマゾンキラーの女子連携はイナズマ〜を仲間に引き入れるなど
とんでもないと拒否するも、総統は優れた戦力と見込んで快く受け入れるという男女間の亀裂が興味深い
(子供番組で急に艶っぽくなる関係性の面白さまたは無謀さw)。
posted at 16:42:17

新バルカンボールを蹴る三人中、後ろに逸れず上半身真っ直ぐ維持で体幹しっかり残してる柴原孝典シャークにどうしても目がいく。
まあ上半身が後ろに逸れないのは脚の長さの、あれだけ脚上がってるのも身体の柔軟性の証明なわけで。
柴たん独自に記号化したポーズや所作のぎこちなさがまた宜しいのです。
posted at 16:44:48

やや!だがそれを言うなら我がアイドル大藤たんも語り尽くせないほどあるよ>愛おしき記号化ポーズの数々。
ただね語りだすと暴走必至なので辛うじて抑制してます。本音は聞き手募集かけたいほどだが、まあまずいないと諦めてる
そんな奇特な御仁など(進撃の巨人のハンジに通じる少数派の切なさよ)。
posted at 17:00:03

7/25

CS録でギャバン映画。大藤シャイダーの正味2,3分程度の登場部分をコマ送り分解しリピートする熱意はどこから。
ギャバンのスーツは従来通りのアクション用設計なのに、出番の短さゆえかシャリバンシャイダーのは見た目重視の
かつてのアップ用そっくりな、かなり動き制限されそうなデザインで→
posted at 18:02:45

2)ポーズ取ってるだけならまだしも結構激しいアクション要求されてて、よくぞ動けるものと感心するわ気の毒になるわ。
若手ホープの(Gロッソでレッド役だとか今)松本シャリバンは動きのニュアンスのつけ方に生来のセンスを感じるし、
視聴者(観客)の目を引く動きが身体で「分かってる」印象。→
posted at 18:04:50

3)まだ技術面の大味な甘さ残るもたちまち克服しそうな勢いあるのが頼もしい。
対照的に大藤シャイダーはぱっと見派手さ控えめだが身のこなしの機敏さ等アクションの質の高さはさすが。
必殺技のシャイダーブルーフラッシュで剣をくるくるっと頭上で回す動作で大藤SAだと判る、あれは特徴的だと思う。
posted at 18:10:39

7/27

積み残しの多さに辟易するあまりついCS放映のネット版オーズで息抜き。里中くんの肩揉んでたの誰だよ。
伊達バース演じた押川SA出演なしとなると
後藤バース役が永徳SAならあの肩揉みバースは誰やねんの疑問消えず(小芝居のそつの無さにw余計気になる)。
posted at 16:55:38

好感度上げミッションになし崩し的に従うウヴァたんへ里中ちゃんが「まったく心がこもってない」と非情に駄目出しするのが
「お前がそれを言うか」なツッコミ必至な件。
余興とはいえ非モテ系の幻想一身に背負わされた(敢えて言うぞ)里中ごときにいいように翻弄されるのは
許せん岡田ウヴァたん贔屓。
posted at 16:57:17

ネット版オーズ。メズールの藤田SA(♂)に身体密着で迫りまくられるドクター真木(♂)の図。
双方ノーマルの身で(!)局所押し付けあう気持ち悪さ我慢してベタベタしてたかと思うとそのプロ根性に胸熱。
花丸@よく頑張りました
posted at 16:59:41

オーズに関しては高岩SAの可憐さ可愛らしさに手放しでメロメロだった(ネット版でも同じく)を告白しておく。
ゴセイの竹内レッドも然りで、カワイイ系にからっきし弱いらしい自覚あり。
posted at 17:03:07

8/1

本編CMで気になったテレマガを付録DVD目的で初購入。SA視点での収穫はシアンとグレー。
矢部&竹内(普段ブラックの)両氏の組み合わせは本編ではまず視られない貴重。
我がsizuku坊や(メットデザからの発想)こと大藤たんの「怪しい気配」でユーレイの手真似にまんまとやられるなど。
posted at 21:23:26

上空に集った恐竜スピリットたちを見上げる面々の図を飽きず眺める。やはりうちの子が一番可愛いとかいう親馬鹿な心持ちで。
あのすーっと真っ直ぐ伸びた(筋肉のむちむちしたマッチョ的盛り上がりとは無縁な人間よりはフィギュアに近い)脚の
アンドロギュノス性は滅多にない唯一無二の宝でござるよ。
posted at 21:25:17

8/2

ジャンパーソン10話。SS-N麗子様のサドっ気全開。人を願望叶う夢に陥らせ衰弱死させる計画を着々と遂行中の配下への
リクエストが、夢で腑抜けにしたJPを台に縛り付けチェーンソーで切り刻め、というもの。
扇澤延男の素知らぬ風装いぶち込まれる禁忌の大胆は長坂秀佳キカイダーに通じるか。→
posted at 17:10:45

2)だが本筋は無論そこじゃなく「夢に逃避せず現実に立ち向かえ」的なJPメッセージとほろ苦いオチにある。
丸く収めず厳しい現実直視する本作の傾向は当時の世相の反映だろうか。9話の宮下準一脚本も「逆境に負けず君よ強く生きろ」と
相次いで親を失う不幸に見舞われた少年を励ます内容だった。
posted at 17:14:08

8/4

皆のためは我のため、の「今」に即した命題をいとも軽やかに提示してみせる、しかも寒いオヤジギャグでシビアになり過ぎない
調整抜かりなく。もう特撮は三条陸が唯一の希望。「普通に作って普通に売れる」王道を軽んじず丁寧に大切に守る大事を
わかってる人は今他に誰がいるか。#kyoryuger
posted at 13:12:33

ここ最近顕著なレッド推し(モテ描写に単一での活躍シーン増)&5人レギュラー推し(ゴールド抜きの状況増)の理由を
推測するに、追加戦士人気の過熱を「想定外の困った事態」と供給側が捉えている、と考えるのが妥当な線かと。
欲得づくの大人の事情に操作される側の複雑よ。#kyoryuger
posted at 13:20:46

そもそもの疑惑の根はパンフ付属のDVD情報で知ったDC版の、レギュラー5人限定で監督とのコメンタリーや特典映像の
鳴り物入りCMにあり。キングが繰り返し「俺達は6人でキョウリュウジャー」を強調してたのは何だったのかと。
三条脚本と坂本監督の意向のズレが原因ならほんと勘弁して欲しい。
posted at 19:48:02

ところで本日のバイオレットだと取り沙汰されてるSAさんのお名前を探したんだが見つからず。まさかノンクレジット、ですか。
なにそのあり得ない意味不明。急遽決まったにせよ。いや急遽決めるな変更するなですよ、現場混乱させるはた迷惑な私情混ぜるの
禁止で宜しくお願いしたい。
posted at 19:53:59 

8/5

昨日以来のやりきれなさを吐露。1)登場回にしてエピを盛り上げる重要な立役者だったバイオレットのスーツアクター
(TL参照するに下園愛弓SAとのこと)がノンクレジットだった件。その事実がどれほどSAに、いやここは敢えて役者といおう、への
酷い仕打ちか、日頃SA偏愛を語るなら尚更→
posted at 11:05:38

2)他の誰より先んじて憤らなければ嘘だ、もし真実彼らの仕事への敬意があるなら。
posted at 11:06:08

3)応援してます、ファンです、お誕生日おめでとうございます、火の粉の降りかからない安全地帯からの寝言ならいくらでも
言えるのに何故おかしいものをおかしいと指摘のひとつも出来ないか、いやそもそも気づいてないのか、
SAの置かれた屈辱的差別的侮辱的立場に怒りを覚えないファンとは何ぞや。→
posted at 11:08:07

4)自分のエゴさえ満たされれば良くて、好きな相手の辛い立場を慮る気はさらさらないとか。役者でノンクレジットが通用するのは
誰もが知る大物くらい。無名の新人の大抜擢だし確かにそれだけでご本人は喜んでいらっしゃるのかもしれない、がSA贔屓なら
そこは一緒に「ありがたき過分なご配慮」などと
posted at 11:11:46

5)奴隷根性丸出しでヘイコラしてちゃ駄目ですそれでは何時まで経っても「個人の芸の尊重」は守られない、
「他と入れ替え可能」な正真正銘の使い捨て要員としてこれからもこういう無茶が平気でまかり通るだけ、
絶対許せない許してはいけない非道、どうして酷いことが何食わぬ顔で許されるのだ、→
posted at 11:15:55

6)顔出し役者なら、また声優なら、と考えてみたらいい、あり得ないでしょう、あり得ないと思うでしょう、そのあり得ないが
何故SAに対しては「仕方ない」に容易く変換されてしまうのか、誰も彼もちょっとは立ち止まって考えてみたらいいよ、
この扱いのあり得なさ、仕事に対する敬意の欠如を。
posted at 11:17:40

バレなし努力で夏映画の感想。観たのは初日だがパンフDVDに良くも悪くも関心奪われ今頃。
1)特撮ヒーロー作品はまずアクション、次に燃え展開と、この二点はクリア必至の課題でその基準からすると
出来は恐竜>魔法使い、しかも僅差でなく大差で、な印象。→ #kyoryuger #wizard
posted at 15:07:17

2)正確には後者はアクション自体でなく撮り方の問題で、カット数の異様な多さが勢いより事態の把握しづらさを生み、
目まぐるしく移り変わる何が起きてるかさっぱり分からんただただ煩いだけの画面を見せられる苦痛に繋がったのは、
周囲の子供の反応にも顕著で #kyoryuger #wizard
posted at 15:10:51

3)恐竜は食い入るように見てたのに魔法使いでは(最悪アクション場面でも)そわそわ落ち着かない行動や私語が一気に増えた。
何故こんな撮り方を>中澤監督。ただバイクシーンはウィザードの方に好感。アクションの流れがきちんと追えていて
自然に引き込まれた。#kyoryuger #wizard
posted at 15:14:31

4)対して坂本監督のはすでに見慣れた止め絵風にスローで見せるいつものテクだから面白味には欠ける。尺の問題もあるが
ストーリー的な見応えは確かにライダーに分があった、が肝心のアクションが魅力薄なので緩急の緩が生きない弊害、で
中盤辺りは何度か欠伸噛み殺す退屈に見舞われた。
posted at 15:16:09

5)科学の代わりに魔法が発達した別次元の世界を最初は認めながら、最終的に魔法は良くないと言い出し
その世界滅ぼしても罪悪感一切ないヒーローはどうかと思いつつ、冬映画によくある(ヒーローなのにエゴ剥き出しな)互いの
生き残りかけた組同士のシマ争いレベルに比べたら格段にましな作りだった。
posted at 15:19:02

6)冬映画でも見応えあるアクションとヒーローらしい燃え展開の両輪揃ったらいいなと本気で願ってる。
きっと(今回みたく)白Pがある程度スタッフの自由裁量に任せられれば上手くいく予感。
ダラダラ恋愛展開だの完全ジャンル履き違えたヤクザの抗争ごっこだの止めてくれたら動員さらに伸びる予感。
posted at 15:20:29

8/20

わざわざ足場の危うい高所に仮面ティーチャーを立たせるとか、細かい部分でオマージュ元たる初期の昭和ライダー
踏襲してるのが作り手のライダー愛を感じて中々良かったり。
posted at 18:03:39

足場の危うい高所といえばライブマン15話でガッシュが後楽園遊園地のジェットコースターのレール上に立たされ
飛び降りてたが今では考えられない荒業。
ついでに当時のヒーローショーで劇場の外走るジェットコースターに立ち乗りで登場し銃撃って火薬ドカーン!の話を思い出し。
危険に身を任せすぎw
posted at 18:05:39

烈車戦隊トッキュウジャー初回感想をスーツやロボやミニチュアワークや演出や脚本の観点から。


※延び延びになってた第一話(始発駅/サブタイ『特急烈車でいこう』)の感想全般を順不同で。
(第二話放映前にはどうにか間に合わせたく)
あらすじやら素面の皆さん等への言及は無い代わりに
スーツやロボやミニチュアワークや演出や脚本の観点から見ていきたいと事前予告。

※設定ミスで再アップ→後日に書き落ち等を補足した。


小林靖子節の再来を顕著に感じたのが
ゴーバスからの因縁深き幼馴染み設定、
シンケンからのスーツ中心&内部の関係性にドラマ性持たせた敵組織設定。
(血祭ドウコクと薄皮太夫の男女関係の艶っぽさに匹敵するシーンが
スーツキャラで展開されることへの期待大)
(もしオールスーツな敵組織ならオーレに匹敵するか)

◇スーツの造形について。肩周りの可動性が進化しているのに注目。
胴体部分と腕部分が従来の一体成形でなく切り替え
格段に動きやすいはず。SAの身になって考えてある親切設計がありがたい。

◇スーツ(変身後)に関しては戦隊メンツ内の基本の持ち色が
入れ替え(乗り換え)可能な新設定も実に画期的で、ゴーカイの時は過去戦士に
チェンジする際も持ち色は引き継いでいたのが(赤なら赤、という風に)
その根本の持ち色すら変わるとなると、色でシステマティックに(記号的に)
誰が誰と見分けられない分、スーツの中の人たるSA各人の身体の個性が際立ってくるわけで、
それはスーツなら誰でも同じではないことの一つの証明足りえるわけで、
本当に凄いなと。
一応スーツの色が変わってもおでこと左胸の部分に1号とか2号とか持ち番号は据え置きなので
見分けに窮することはないよう抜かりなくフォロー入ってるし。
小林靖子脚本はスーツ(演技にしろ演者にしろ)の可能性を広げるような新たな設定を
これまで何度も打ち出してくれたが、今回のアイディアも色々と面白く使えそうで楽しみ。

◇巨大ロボの造形もこれまたコロンブスの卵的というのか、ある意味盲点を突いてくる原点回帰の発想で、
列車の直線をまんま活かし、角張った初期の戦隊ロボを彷彿とさせる単純なカタチゆえ、
合体変形も含め、映像上のイメージを玩具に再現しやすいのが最大の利点。
これはバンダイ側のリサーチの勝利か、ゴーカイ以降の現役キッズにも過去戦隊への認知度が
上がり、昔の単純素朴な箱型ロボが意外にも結構ウケてる状況を踏まえての大胆なロボデザインの
変化に思えるが、実際はどうだろう、
でも長らく(いわば)ガンダム以降の流れを汲むロボの造形の方向性が劇的に変わった印象で、
うわそうきたか!と意表を突かれる新鮮味が良かった。
驚かせてほしいからいい意味で(無難が一番つまらない)。

◇ミニチュア列車の愛くるしさに目を細めながら、ビルなどの街並み再現した背景は
ジオラマのみならず実写やアニメとの合成に見えたがどうなんだろう、どちらにしてもミニサイズ列車と
違和感なく一体化してて技術の進歩に感心した。

◇内容面ではテーマに相当する「イマジネーションを鍛えて君の無限の可能性を引き出そう」を
初っ端にガツンと打ち出し本編にブレない芯を注入することで、今後の展開に安定感を確保する手腕が
相変わらず巧みだなと。
作品を通じて子供らに何を伝えたいかが明確なのは大切。
単なる暇つぶしや表層的な娯楽以上の、彼らの心に深く響くような、励ましや勇気や元気を与えるものを
備えていてほしいと願うのは、過去戦隊を振り返っても無謀な高望みとは思わない、むしろ正統派だろう。

◇以前に素面(変身前)とスーツ(変身後)では力の差をきちんと表現した方がいい、
素面で敵と互角に戦えるならスーツ体に変身する意義が失われてしまうから、という主旨の事を書いたが
この点に関しても小林脚本の配慮は行き届いていて、
ライト(1号)がザコ敵をパンチ一発で将棋倒しにしてしまうパワーの持ち主だと、まず戦隊リーダーの
特別感を強調し、だがさすがにゲスト敵には歯が立たずふっ飛ばされる流れで、相手側の力の差をきっちり見せ、
それでもライトは何度ふっ飛ばされようと「不可能を可能にする」イマジネーションの力を信じ、さらに闘志を燃やし
突っ込んでいく、そのイマジネーションの強さで勝てたのだ、という風に順序立てて持ち込むことで
素面とスーツの力の差に違和感の生じない工夫がなされている、子供相手だから矛盾も許される、ではない、
逆に子供相手だからこそ、力の差には大人より敏感なんじゃないかと思う(とこれまた以前述べたことだが)。

再びこの問題に妙に引っ掛かったのは、少し前の鎧武で、イグドラシルから脱出する時の対ザコ敵との素面バトルから
変身後のスーツバトルへ至る一連の流れに、さほど力の差を意識した撮り方がされてなかったことへの
違和感が未だに尾を引いているせいもある。

◇ところで。
関根車掌とチケットくんのカエルの歌の輪唱は響鬼へのオマージュですよねそうですよね(と信じる)。
※追記:ついでに言うと五人でエグザイル、は大魔神カノンからの発想では。(なにこの高寺P作品オマージュ感w)