№をつけられなくなった

 最後に日記を書いたのは4ヶ月以上前になるのか。びっくりだ。

 7月までは仕事に関する本しか読めなかったのだけれど、それはそれで楽しかった。落窪とか。宇津保は長くて逃げちゃった。

 8月は浴びるほど本を読むぞと意気込んでいたのに、いや実際読んだのだけれど、気づいたらほとんどが再読だった。『草枕』は3回も読んだ、のにいままた4回目が読みたい。なんでこんなに好きなんだろう。「救ってやる」という言葉が二箇所にわたり出てきていることに今回気がついておやと思った。どちらも夢心地の「余」の想念の中で発せられた言葉だ。「現では驚いてくれ、夢では救ってくれ」というフレーズをなんとなく思い浮かべた。どの女も存外こういうことを望んでるんじゃあるまいか。
 あと、ブーバーの『我と汝』、マルセルの『形而上学的日記』などなど。マルセルは、七年前に読んだときはさっぱりだったのが、今回ほんの少し腑に落ちる箇所があって嬉しかった。「約束」について。

 新刊で読んだのは古井由吉の『野川』だけ。芭蕉七部集の「冬の日」第一歌仙第三句を解釈しているところが気になった。
 相変わらず舌なめずりしたくなるような表現がいっぱいあって、大変よかった。

 偶然、川本喜八郎監督の連句アニメーション『冬の日』が昨日届いたので、鑑賞。うーん。連句は繋がってるだけではなくて、切れないと連ならないところがあるので、連続したアニメーションでは表せないところがあるのかなあと思った。川本喜八郎クレイアニメは素晴らしかった。

№56ヘミングウェイ老人と海」(福田恒存訳、新潮文庫
 なんでだか読む機会がいままでなくて、この休日にやっとこさ。
 「おれはお前が大好きだ、どうしてなかなか見あげたもんだ。だが、おれはかならずお前を殺してやるぞ。きょうという日が終るまでにはな」に唸った。
 福田恒存の訳がいい。解説「『老人と海』の背景」も。

№55 泉鏡花歌行灯高野聖」(新潮文庫
 非日常の世界と美しい文章を存分に味わった。『売色鴨南蛮』の、煎餅盗み食いしちゃう主人公がいとしい。どの話も、自然らしさを装うのではなく思い切り「作り話」の面白さを追求してるのが心地よかった。

よつばとひめくり2007」(メディアワークス
 9日のよつばのひまわりのような笑顔にやられたかと思ったら10日は一転して「ふぎゃあ」の泣き声。脇の「泣く子と地頭には勝てぬ」の一文がとぼけた味わいで、これはこれで微笑ましいのだけれど、やっぱりよつばは笑顔の方がいい。明日は誰かな。いやしかしこんなに楽しめるとは思わなかった。今年のいい買い物ナンバーワン。

№52 白洲正子 吉越立雄「お能の見方」(新潮社)
№53 「平家物語 三」(岩波文庫
 巻七〜巻九まで。巻九「木曽最期」素晴らしい。
№54 「平家物語 四」(岩波文庫
 巻十〜灌頂巻まで。巻十一「内侍所都入」知盛の「見るべき程の事は見つ。いまは自害せん」の「つ」の重み。「先帝身投」の「浪の下にも都のさぶらふぞ」。「能登殿最期」身投げするも熊手で髪を絡め取られて引き上げられる建礼門院
 何百年も語り継がれ命を注がれ続けてきた物語にはなんだか化物じみた迫力がある。

 「よつばとひめくり2007」ももう8日分をめくりおわった。仕事以外の本禁止、という縛りの中で一服の清涼剤心のオアシスになっていて大変ありがたい。買うかどうか迷ったけど買っといて本当によかった。
 やっぱりよつばが出るとうれしい。今日は当たりだという気になる。いまのところよつば登場は2日4日6日7日でよつば率50%。今日8日目はよつばが書いたと思われる落書き風の○で、なにやら十牛図八日目の「人牛倶忘」の円相を思わせうっかり悟ってしまいそうになった。

№51 加藤周一「『日本文学史序説』補講」
 「日本」「文学」「史」とは何かというところから話を始めてくれていたのがありがたかった。アイヌ文学を入れるか、立札に書かれた文を入れるか、などなど。
 日本人は古来自然を愛でてきたというけど、それはあくまでも「歌語として認定された自然」への愛であって、たとえば鳥だったら鶯と時鳥だけしか愛さないし、空を見上げても目に入るのは月だけで星はないのと同じ、という話が面白かった。