小鳥の歌を聴く
年末年始は温泉の部屋に行っていた。
温泉の部屋の北側の窓は森に面している。広大かつ手入れが行き届いた小鳥が鳴く明るい森は、欧州の森を思い起こさせる。朝日が昇り明るくなっていくと小鳥たちが鳴きだす。dawn chorusと風呂場であふれ続ける温泉の水音を暖かい寝床の中で聞きながら、怠惰な朝を過ごしていた。
うとうとしながら、森の家や石の家で聞いたdawn chorusを思い出していた。
あの国で初めて迎えた春、森の家で明け方のdawn chorusで何度もたたき起こされた。陽が昇りだした瞬間に大音量で鳥たちの鳴き声が空気を物理的に震わせる。あんな小さなものたちが、こんな大音量を自然界に作り出すのか。自分の夢も聞こえない。
「焼き鳥にしてやる」と布団の中で怨嗟をつぶやいたりもしていた。
しかし、刺激に人間は斯くも馴化してしまう。
石の家に移り住んだころにはすっかり慣れてしまい、明け方の子守歌くらいになっていた。それでも、明け方に目が覚めてしまうと、石の家の裏の森に入りベンチに座ってdawn chorusを聞いていた。降るような鳥たちの声。時々キツツキが木をつつくドリル音。羊の声。触れたら手を切ってしまいそうなガラスのような夜明けの青い空気。静かだけど、騒がしい早朝の風景。
静かで耳を澄まさないと聞き逃してしまう温泉の部屋の小鳥たちの夜明けの歌を聞きながら、そんな風に懐かしんでいるけれど、実際にあの家に戻ってdawn chorusを聞いたら、やっぱり「焼き鳥にしてやる」がわたしの感想なんだろう。
思い出のカレー
最近SNSでセブンのビリヤニが話題になっている。あの人も、あの人も、あの人も食べている。
わたしはビリヤニが好きだ。
イングランドに住んでいたころ、友人や知人がよくいくカレー屋があった。イングランドのカレー屋は、バングラディッシュやパキスタンから来ている人たちが多い。何人かでグループを作り、順次イングランドに行く人を入れ替えつつお店を維持している。回転が速い店もあったが、わたしがよく行っていたカレー屋は回転が割とゆっくりだった。
はじめてその店に行ったときに、辛いものが実は苦手で、酔っぱらったような状態になることを説明すると、進められたのがビリヤニだった。バスマティ米に具材を入れてカルダモンやシナモン、クローブなどのスパイスを入れて炊き上げ、その上にパクチーやゆで卵を乗せ、ベジタブルソースで食べるのだと。初めて見たときには、「カレーonドライカレーだ」と思ったが、実においしい。松の実やアーモンドスライスの香ばしさもあり、ベジタブルソース(という野菜カレー)もスパイシーでおいしい。添えられているレタスなどの野菜を一緒に食べるとあっさりとしていくらでも食べられる。
しかし、そのビリヤニに入っていたのはKing Prawnという大きめの海老。
「うーん、これ、Prawnに変えられます?」
とウェーターに聞くと、
「もちろんできるよー。じゃあ、次回からそうするねー」
と笑顔で答えてくれた。
そして、その次からわたしが行くとKing Prawnではなく小さなPrawnをたくさんたくさん入れたビリヤニを作ってくれた。わたしがいくと、いつものだねってノリでそれが出てくる。Take awayでも同じメニューを食べていた。とにかくPrawnビリヤニを食べて、食べて、食べて。10年くらい食べていた。
そうしたら、ある日、いつものウェーターがいない。出てきたビリヤニも味が違う。そこで、あの人たちは国に帰ったのだと気が付いた。内装もカトラリーもお皿もすべて同じなのに、登場人物がすっかり入れ替わってしまった劇団の芝居の舞台のような店内で、違う味のビリヤニを食べながらもう二度と食べられないPrawnビリヤニへの追悼を静かにした。
ま、そのビリヤニもおいしかったんですけどね。
セブンのビリヤニはもちろんわたしの思い出のビリヤニとまったく違う。
でも、それでいい。みんなちがってみんないい、それがカレー。
週末断片
長い長い暗い階段を上がって、重い扉を開ける。
目の前の開けた空間と、その向こうの海。
おいしい昼食とそのあとのデザート。
お土産も買った。
夕方の空。レンズ雲。
ホワイトソースの作り方
ホワイトソースの作り方はいろいろと紹介されている。
まずは、小麦粉をバターでいためる。小麦粉はふつふつと「ハチの巣状」になるまで炒めるのではなく、そこからさらに炒めると、ある時点で小麦粉がサラサラになる。そこまで炒める。これはわたしの中では決まり。
この次の工程、牛乳を入れるところ。ここが問題。
1つ目。火にかけたまま少量ずつ牛乳を入れて伸ばしていく。このやり方はおいしいホワイトソースができるけれど、少量ずつ牛乳を入れることをさぼって、ほんのちょっとでも多めに入れると、途端にだまができてしまう。そうなるとおしまいで、フードプロセッサーにかけてもおいしくはならない。
二つ目。小麦粉をバターでいためて、かき混ぜながら牛乳を一気に入れる。このやり方は案外よくて、だまにならないことが多い。でも、出来上がりに滑らかさが足りない。それになんとなくさらっとした仕上がりになり、好みが分かれるところ。
小麦粉もバターも冷たい牛乳に入れて火にかけてよく混ぜる、という裏技っぽいのもあるけれど、小麦粉をバターでいためることで出る香ばしさが足りないので却下。
いろいろ考えて、昨夜は小麦粉を炒めたらいったん火を止め、そこに少しずつ牛乳を足していった。少しずつ牛乳を入れながらヘラでしっかりと練る。少し牛乳を入れては練る。ある程度まで牛乳が入ったところで、残りは一気に入れてももうだまにはならない。その後、火にかけてゆっくりと温めていく。このやり方は1つ目の火にかけたままと同じようなものだけど、火がついていないので落ち着いて小麦粉を練ることができる。また、牛乳の水分が飛んじゃったり、焦げたりもしない。そして、出来上がりは、とろとろでなめらか。
というわけで、わたし的ホワイトソースの作り方がようやく落ち着きました。
樹氷を見に
昨年12月に樹氷の育ち始めを見た。やっぱり育った樹氷が見たくて、ちょっとゆっくりと日程を組んで行ってきました。ホテルの部屋も少しいい部屋を取りました。
そして、できれば樹氷は雪上車で見に行きたいのですが、チケットがちょっと取りにくい…。そうしたらKがしっかりとチケットを取ってくれました。ありがとう。
雪上車で夜にライトアップされた樹氷を見に行くのもいいけれど、日中も見たいよね、と、蔵王に午後早めに出ました。しかし、ロープウェイの山頂線は強風のため運行なし。結局、滞在中は山頂線は運休になっていました。そこで、別のロープウェイに乗ったり、日帰り温泉に行ったりして楽しみました。特に日帰り温泉は雪見露天のにごり湯で、我々的には非常に贅沢な気分。
そして、いよいよ、雪上車に乗って樹氷を見に出発しました。案内の方の話では、1月に雨が降って雪が落ちてしまったそうです。それでも、思っていたよりもずっとずっと大きい。
山形のおいしいものもたくさん食べました。芋煮もおいしかったけど、「もってのほか」がおいしかった。井上ひさしの「吉里吉里人」で言及されていて食べてみたかった。こんなところで出会えるとは。
帰るときは、ホテルのチェックアウトの時間に合わせて新幹線へ。そうすると、ホームがなにやらごった返しています。そこには、蔵王の山頂で顔はめをしたじゅっき―(右)がいるではないですか。ゆるキャラが来ているということは、何か特別なことがあるに違いない。
とりあえず、ホームに並んでいる人に加わってわたしも写真を撮ってみた。
山形新幹線のE3系が6年半ぶりにシルバーカラーで登場したのだとか。
花笠音頭の演舞があったり、すごくにぎやかに送り出していただけました。沿線でも道沿いに手を振ってもらったり、米沢駅では上杉太鼓でお迎えされたりしました。なんだかスペシャルな旅の終わりとなりました。
車窓から、雪の中、木に座って新幹線を眺める母子日本猿も見つけました。
樹氷はまだ
12月初旬、仕事で山形に行った。
余裕をもって現地入りし、蔵王に行った。「樹氷はまだですよ」とチケット売り場の人に言われた。それは知っていたけれど、蔵王には以前から行きたかったので、行くのだ。
バスに揺られて、山形市の市街地を抜け、徐々に山を登りだす。
だいぶん登ったつもりだったけど、実はまだまだだった。
外は徐々に気温が下がってきており、ちらちらと雪が舞い始めていた。川から温泉の湯気が立ち上る中、ぶらぶらと蔵王山麓駅へ。
ロープウェイ乗り場はうっすら雪が積もっているくらい。人もほとんどいなくて、とても静か。ロープウェイに乗り、ゆっくりと蔵王を登っていく。
では、これが樹氷かとKが聞く。違う。
それでもよく見ると、風上に向けて海老のしっぽが育ち始めている。
地蔵山頂駅のレストランでラーメンを食べ、窓ガラスにも海老のしっぽが育っているのを見て、風の強さを感じた。
山形について、すごく寒いと思った。でも、蔵王の町はもっと寒かった。そして、樹氷山麓駅、地蔵山頂駅、とどんどん気温が下がり、風も強くなった。地蔵山頂駅ではお地蔵様にお参りができ、そのために長靴の貸し出しもしていた。しかし、ダウンコートを2枚重ねてきていたが、外に出ると北国をよくわかっていない人がどういう顛末を迎えるのかが鮮やかに想像できた。
地面を見ると、ミニ樹氷原ができていた。
樹氷はまだできていなかったけれど、見に行ってよかったなと思う。天気予報を見ては、今はどのくらいに育ったのかを毎日想像している。そして、これが2月にはどのくらいに育っているのかを考えると、わくわくする。
白熱の議論
銀のエンゼルが3枚たまったが、あと2枚が来ない。なのでアマゾンで大人の箱買いをした。そして、おかめに供えてみた。
「おかめさん、おかめさん、銀のエンゼルヨロ」
「いや。おかめは単なる猫で神じゃないから」とK。
「いや、でもご先祖パワーとかあるやん? 仏壇に供える的な」
「そっかー」
Kを論破したぞ。と思ったが。
「いや、おかめ、オレの先祖ちゃうわ。猫や」
ご先祖様かと勘違いしてました。
さらに。オリックスが9回裏でヤクルトにサヨナラ勝ちした夜。
「日本シリーズはあと1回ヤクルト勝ったら終わり?」
「いや、あと一勝でヤクルト王手って書いてあったから4勝が必要なんじゃない?」とK。
「そっかー…そうすると、残り試合は…2勝ずつの4試合…だから、あと6試合?」(一体、わたしは何をどう計算したんだ?)
「そんなにしないんじゃない? 2試合引き分けてたし」
「あー…じゃあ、あと4試合?」(一体どういう計算?)
「うーん、明日は移動日として、土日月で終わり? でも月曜で決まりも…いや、でも、もっと早く優勝決まるしねえ…」(とKもなんか真剣に考えてる)
「でも、まあ、我々が議論しても仕方ないねえ」
「議論しても絶対真実にはたどりつかんな」
そんな愉快な日常の会話。