日本に帰って1年で学んだこと

日本に帰ってきて、もうすぐ1年が経ちます。

この1年間の時間は光速でマッハで過ぎ去った気がします。

仕事探しに失敗し、家探しに失敗し、仕事に失敗し、

いろんなことが自分が本来望んでいたものではないものを選択してきました。

いろいろ、不本意な感じで苦しみましたが、乗り越えました。



中国にいたとき、働くことは部活みたいに楽しかった。

でも、今はいろんな人とお仕事のコミュニケーションをとりながら、

自分で自分の仕事のやり方を模索している。

デザインの仕事がいくら好きでも、いくらやりたくても、

納期に間に合わせられなくて、金額が見合わなくて、

相手の意向に沿うものが作れなければ、

周りの人の信頼を得ることができないことが分かった。



日本人が組織で働くときの、コミュニケーションの流れとか、

各人の役割分担とか、仕事を必ず上げるというプロ意識とか、

誰もが当たり前に持っている責任感の強さに、改めて驚いた。



たとえどんなくだらない仕事でも、意味不明な仕事でも、やったことがないことでも、

それが自分の興味のあるなしに関わらず、自分の持ち前の仕事に関わらず、

情報収集して、やってみて、形にしようとする人たちの、プロ意識が、

本で見るどんなに美しいデザインや、巷に溢れるどんなにかっこいい広告よりも、

私の心の琴線に触れた。



デザインの仕事をしようと思って上京したのに、

今はおせちをインターネットで販売して、デザインの仕事とちょっと離れたけど、

「興味のある、好きな仕事を一生懸命やる」ことと、

「どんな仕事でも、どんな条件でも、やり遂げる」ことは、

おそらく、「どんな仕事でも、どんな条件でも、やり遂げる」ことの方が

プロフェッショナルなんだと思う。

1年前、ドラッガーの「プロフェショナルの条件」本を読んで、

自分もそうなりたいと思ったけれど、

たぶん、今目の前にある仕事をやりきったら、プロフェッショナルになれる気がする。

壁は果てしなく高いけれども。



それが、光速回転の中、失敗まみれの中で、日本でみたこと。

中国から戻って、気持ちはずっとあっちにあったから、

なかなか現実を直視できなくて、何度も日本脱出を夢見たが、

その光がおぼろげに見えたとき、やっと、視界が広がった。

それまでは何も見えなかったけれど、やっと、東京が自分のいる場所として

落ち着いて、自分の目の前に広がっている、旅の途中の空間ではなく、

定住している場所なのだと、認識できるようになった。



地に、足が、やっと、着いた。



築地から、自転車で勝鬨橋を渡って、回り道をして帰る時。

橋から広がる真っ暗な川と、そこに映えるネオンの繊細さ。

上海の夜景と違って、優しい都会の夜空。

この橋は、昔は大きな船が通るときは閉じたり開いたりしていたそうだ。

三島由紀夫鏡子の家』にそのシーンが出てくる。

東京で今まで見た橋の中で、一番美しい。


浅草橋。駅名にあるぐらいだから、大きな橋なのかと思ったら、

たかだか10メートルくらいしかない小さな橋で、小さな川に架かっている。

三島由紀夫『幸福号出帆』は、ここから主人公と妹が自分たちで買った

小さな船に乗って、東京を脱出するシーンがあるけれど、

こんな小さな岸から、出た幸福号の小ささが、逆に、

「幸福」という言葉とリンクする気がする。


昭和通りから東京駅方面に向かうと、日本橋にぶつかる。

高速道路が上にかかっているので、橋の彫刻の印象が薄くなっているが、

橋を通ると日本橋三越や、ヨーロッパ調の建物が並んで、

少し行くと、日本橋高島屋と、丸善があって、

明治と大正期のハイカラな先進的な場所だったんだろうなということを

偲ばせる面影がある。


東京は、面積はそんなに広くない。

でも、いろんなところに文化が詰まっていて、それが空間を形成している。

その広がりと多様さが、おもしろい。


外国もいいけれど、まだまだ日本も面白い。

掘り起こせば起こすほど、面白いものにぶつかる。

「日本社会」というくくりで、マスコミとか、一般的に言われていることとか、

総じてこういう感じ、という日本像は、暗くて陰湿で、落ち目な印象を受けるけれど、

そういうのを無視して、ミクロの面で、自分が遭遇する具体的なことを

総合してみた日本というのは、また別の顔を持っている。

それは、報道の外側の中国で感じたことと同じだ。

一般的に言われていることとか、報道で言われていることとか、

社会の趨勢とか、誰も分からない近未来のことなんか、

どうでもよくて、目の前にある、目の前にいる、すぐそばにある、

それらが自分及び、社会を形成している分子なら、

それが無数にあるだけで、それがいいのか悪いのか、正しいのか間違っているのか、

それはどうでもよくて、目の前にあることにどう向き合うのか、

ということに他ならないのだと思う。



自分が生まれた国籍や性別や年代は自分で選べないように、

きっと、生きることとはそうなのだと思う。

選ぶことではなく、選んだことに対してどう向き合うかということ。


それが、中国から帰国してこの1年間で学んだことです。

裁断

ある程度予測できる未来と、まったく予測できない未来。

10年後の日本…高齢化がさらに進む。
20年後の日本…格差社会、超高齢化社会、環境問題の悪化
30年後の日本…。。。

10年後の私…36歳。どこで何をしているのか分からない。
20年後の私…46歳。生きているか死んでいるかすら不明。
30年後の私…生きていれば、56歳。

悠久の時間が流れて、60億人の人間が動かす地球と、
1人の人間の小さな体と小さな頭で考える未来。

地球の未来は経験則から近未来を予測する。
人間の未来は、典型的なモデルから、自分の将来像を類推する。
そのための情報はいくらでも蓄積されている。
情報に沿えば、きっとだいたい、典型的なモデルに近づくはずだ。
そういう人を、順風満帆に生きている人、というのだろう。
だけど、そうでない人もいる。どこかで感情が邪魔をして、
もしくは感情が麻痺して、計画が破綻している人。

そういう人は、人間的に残念だけど、おおらかで面白い。
空気を吸って、吐いて、生きている感じがする。
情報を食べて、情報に沿って、情報の上を生きているのではなく。



もしかしたら、だいたい予測できそうな未来を生きる予定だったのが、
発車直前で飛び乗っちゃったもんだから、いったいどこに向かうのか
分からない電車に乗ってしまったような、選択をした。

だから、10年後の未来がまったく予想できない。
20年後なんか生きてるのか死んでるのかすら分からない。

でも、ある程度予想した枠組みの中で、現在の自分を位置づけたり、
ある平均値から現在の自分を比較すると、それはいつまでも
くだらない悩みに換わってしまう。

だったら、何も考えずに、分からない中で一生懸命生きることのほうが
どれほど毎日がキラキラしているか。

空気を吸って、吐いて、生きればそれでいいのであって、
情報に滑ったり、惑わされたり、踊らされたりする必要はない。

未来は、予測の中にあるのではなく、
今この一瞬の積み上げが、未来に変わるだけだから。


道は、自分が足を踏み出す、その場所にしかない。

いつも、閉塞感を感じたとき、空を見上げていた。


小さな世界に自分がうずもれてしまうとき、
境界線も限界線もなにもない空の広がりが、
私の心のつっかかりを取っ払ってくれるから。


大陸にいたときは、毎日空を見ていた気がする。
朝も、昼も、夕方も、夜も。
朝は靄がかかっていて、はっきりしない空。
昼は雲がかかっていて、たまにまぶしい太陽が目に付き刺さる空。
夕方は、オレンジ色のグラデーションが美しい空。
夜は、星の代わりにネオンが煌く空。
そうやって、自分と異なる価値観の物事に対して心をふさぐ自分と闘っていた。
空を見上げると、すべての壁を取っ払える気がして。


日本に帰ってきて、いつの間にか空を見なくなった。
いらだつことなど何もない。当たり前だったことがそこにある。
普通のことが普通に行われて、ありそうな情報がたくさん氾濫していて、
そこは昔、あまりにも当たり前だったものがごろごろしていた。
目の前に押し寄せてくるたくさんの細かいこと。
一つ一つははっきり分からない。
埃か塵のように時間の中を舞っている。
空を見なくなったのではなく、見えなくなってしまった。
いや、正しく言うと、見えているはずなのに、それを意識の中で見ていない。
空を見ながら、見えているものは埃や塵でぼやけた何かの幻影。


それがたまりにたまったとき、目の前が真っ暗になった。
何をしているのか、わからなくなった。
何のために時間が流れているのかわからなくなった。
この場所がいったいどこなのかということさえ。


気づいたら、大きな岩が自分の前に立ちふさがっていた。
ただそれを前に途方にくれていた。
自分でそれを叩こうとも、壊そうとも、よじ登ろうとも、なにもせず。


もしかしたら、その大きな岩は、実は発泡スチロールでできていて簡単に壊れるかもしれない。
もしかしたら、鉄でできていて、叩いたら、手の骨が折れるかもしれない。
それは、やってみないとわからない。見た目の大きな岩なんて、なんにでも見える。


東京は、晴れの日が多い。青い空が広がっている日のほうが多い。
明らかに大陸より美しい空なのに、見る側が、
勝手に境界線を引いてしまうのはなぜだろう。
外にいたら心は広がるのに、
中にいたらなぜこんなに閉じてしまうのだろう。


目の前にある大きな岩は、ほんとうは、ただの一枚岩で、
全力でぶつかったら、簡単に粉々になるかもしれないのに。
埃や塵でさえぎられている視界は、そのときに開くかもしれない。

空はどこにいても変わらないはずだ。
ただ見るものの心に映えるものが移り変わるだけで。
それは、見る人間の心の中にしかない。

転職しました。

ネットショップを立ち上げるから、その担当になってほしいと言われました。

一応デザイナーとして生きて行こうと思っていたので、渋りましたが、

デザインしたいなら機材全部買ってあげるし学校に行く資金も出すという言葉につられ、

デザインとはかけ離れた会社に就職しました。飲食店です。

こないだウインドウズだけど、CS4デザインプレミアムいれてもらって、

他にそういうこと分かる人がいないので環境的にはやりたい放題です。




が、現実はそんなに甘くなく、社長からぼんぼこ仕事をふられるので、

デザイナーのつもりでいるのに、社長秘書と化しています。

外部コンサルとの窓口、社内調整、たまに中国語翻訳、HP管理…、

そんな業務に頭を抱えていると、突然デザインの依頼が来る。

段取りが悪いのでわやくそです。

仕事って、こんなに大変なんですね、というのをしみじみ感じます。

日本は安全管理も情報システムも、大変先進的なので、

いまだに大陸の悠久の時間の流れが体から抜けきらない、

中国帰りの人間にとっては、もう、ほんとに細かいし早いし、

意味の分からない日本語がたくさん出てくるし、いっぱいいっぱいです。



頭のアップデートがだいぶ遅れています。もともと遅れているけれど。

一度、脳みそを取り出して、最新のものに入れ替えたいぐらいです。

日本のサービス業のレベルは半端じゃないのに、そこに入っていかないといけない。




やったことがないし、経験もないので、判断もつきませんが、

CS4一式買ってもらってしまったし、プロジェクトはもう進行しているし、

後には引けなくなりました。背水の陣です。

中国にいたときとはまた別の意味で、スリルと冒険の中に身を投じることになりそうです。

これがまた、天職になればいいな。

不器用なコイ

emmuuu2009-04-18


神谷町の愛宕神社に行ってきました。

位置が定かではなかったので、廻り込んでしまい、

本来なら86段ある階段を登って参拝するのが筋ですが、

車道を歩いて、神社に到達してしまいました。

文字通り、迂回。



神社の奥手には池があり、

池には、鯉がたくさんいます。

えさやり場に立つと、鯉が口をパクパクさせて殺到します。

ばしゃばしゃひしめきあって、口をあけて、みんなエサを待っている。

そんな池の中で、一匹だけ、集団に群れず、すいすい泳いでいる鯉がいました。

勘が鈍いのか、一匹狼なのか。

周辺を佇んでいるだけです。

しばらくたって、ようやく、彼がこっちに向かってきました。

しかし、前方はもう鯉でひしめきあっていて、前に行くのが容易ではありません。

みんなに比べて一回りからだの小さい彼は、

大きな鯉に体当たりされたり、行く手を阻まれたりして、

目的の場所にたどり着けません。

あきらめて、おこぼれをもらおうと、もみくちゃにされながらも、

必死に口をパクパクさせると、桜の枝とか、変なものが口に入ってくる。

それを吐き出しては、また口をめいいっぱいパクパクさせるけれど、

やっぱり、桜の枝が口の中に入って、むせてしまう。

しまいには、他の鯉が覆いかぶさり、彼は仕方なく、池の下へもぐって行きました。



鯉にも、不器用な奴が、いるんだ。



不器用な彼が気になり、目で追っていると、

あきらめたように、また、群れから離れ、群れの周辺をすいすい泳いでいました。

その姿はけっして、みすぼらしくない。

むしろひょうひょうとしていて、

私の目の前でもみくちゃになりながら口をパクパクしている、

色とりどりのたくさんの鯉たちと違って、

彼の世界だけは、視界が開けている。

そんな、気がしました。

ドロップアウト


時間の流れがよく見えない。
ただ何らかの社会の時間のような高速で流れる時間と、私が歩んでいる時間がある。
私の歩みと社会の時間は両立しない。
こっちが巻き込まれるか、あっちにつっこむか。



ふらふら中国から戻ってきて、この流れに身を任せた。
そうすると、いったんは早すぎる時間に気を取られながらも、
その社会時間を構成するものが眺められて、さらにその一員になったことによって、
そこで何かが個人的ではなく、全体的に動くことがおもしろかった。
何かのままごとに参加したような感覚。



ところが、時間に身をゆだねすぎて、
こちらは参加したような感覚でいたはずのことが、
いつの間にか、システムの一部として組み込まれつつあった。

気づいたら、蟹工船。時給換算すると600円をきる勢い。
働いても働いても収入が増えないいわゆるワーキングプア
若いからとあごで使われまともな仕事をさせてもらえない奴隷状態。
その老板ときたら、ラーメン頭のブルドック顔の、脂肪を蓄えた生きた化石(おばさん)!

最初は生きた化石も歴史的な標本として若干神々しくみえたことも否めないが、
仕事の意味を問えば、「若いから」とか、「不景気だから」とか、
曖昧な言葉でしか片付けられず、むしろそんな議論を吹っかける私を天邪鬼扱いして、
ますます仕事を与えようとしないみみっちさに、切れました。



勢いで、3ヶ月で、仕事やめました。

会社が、制作プロダクションで、下請け業務が大半だったから、
仕事が細分化されて、ある部分の一工程だけを短期間で仕上げなければならない。
そうすると、全体で今何が進行しているのか、そもそも何がしたいのか、
何のためにしているのか、さっぱり見えません。

それでも、何らかの意義や意味を見出さなければならないのだろう。
ここでこらえないと、次もこらえられないのだろう。
そういう気持ち1つで奴隷状態を耐えてきたけれども、

ラーメン頭おばさんの、「若いから分からないんだ」とか、
「それが仕事なんだ」とかいう、わけのわからない答えで、すべてが崩壊しました。

この、生きた化石に、私の命は預けられない。
こんなババアにお仕えすることは、とうていできない。
そんなやさぐれた気持ちで、飛び出してしまいました。

今はまた、浅草のルンペンに逆戻り。



住んでいるゲストハウスで働く何人かの女性も、同じような悩みに直面している。
自分が、仕事で、何をしているのか、よくわからない、ということ。

この3ヶ月、社会の底辺で生きて分かったことがあります。
流れにのまれるか、逆らうか、なのだろうと。
のまれたら、このまま得体の知れないどこかに運ばれてしまう。
その流れから脱出するのは、自分の意思でしかない。

中国で生きて、「日本」に入ろうとしたけれど、そういう入り方はしたくない。
目隠しされたままどこかに運ばれてしまうような、入り方は。

という意味で、かなり早いですが、ドロップアウトします。
次の場所はどこでもいい。ただ自分の矜持さえ保てれば。

また、どこかに飛んでいきそうな気がします。

この二ヶ月


毎日仕事から帰るのが深夜になり、帰り道は雷門をくぐって

浅草・仲見世浅草寺境内を縦断する。

日中や休日は人で渋滞するこの場所も、深夜になると、ほぼ人がいない。

ライトアップも終わっている時間帯なので、

きれいに街灯がつけられている仲見世通りだけが、明るい。

雷門から観音様まで、500メートルぐらい、まっすぐ、伸びている。

周りには誰もいない。この瞬間、この500メートルは完全に私1人のものになる。

人の熱気が冷めて、冷気が、神秘さを増す。

空に向かってのびる婉曲した浅草寺の屋根が、

熱気を吸い上げてそのまま空へ発散させているようだ。

屋根は空とつながっている。

そこから神聖な世界と交信して、人々の願いを吸い上げている。

暗闇には一点の生気もない。

怨念も、希望も、怨嗟も、夢も、人間が持ってきたあまたの想念が、

すべて浅草寺の屋根の婉曲が吸い上げて空へ飛ばしている。

まるでこの世の不幸も幸せも全部請け負って、

その塊を花火のように散らすかのように。

花火の終わった暗闇が神聖さを取り戻して、

また明日たくさん押し寄せてくる人間の想念を受け止める準備をしているかのように。

その浅草寺の前に立つと、私が望もうと望むまいと

私の小さな悩みも吸い上げて、花火のように打ち上げられる。

軽くリフレッシュしたような爽快さを味わうとともに、

神秘さの前に際立つ人間の矮小さに苦い気持ちを感じる。




そうやって毎日浅草寺と対峙している。

自分の小ささを思い知る毎日。

休みがほとんどなく、残業ばっかりで、ほぼ終電。

仕事に埋もれてデザイナーとしてデザインしているのか、

仕事としてやっつけようとしているのかどうか、

自分でもよくわからなくなる。

福利厚生とか、労働者の権利とか、そういうものも頭をよぎる。

だけど、私はそんなに偉いんだろうか。

こんな小さな1人の人間にどれだけの権利があるんだろうか。

人間の権利とか、尊厳とかですら、よくわからなくなる。

人身事故が起こったと聞けば、それはある1人の人間の死というよりも、

交通マヒの一因と認識してしまう。

毎日吸い込まれて吐き出される満員電車に乗っている人たちは、

「黒い物体」のような認識しか持てない。

毎日いったい何人の人間とすれ違っているのだろうか。

なのにいったい何人の人間を人間と認識しているのだろうか。

1人でも人間だと認識した人間がいるだろうか。

あまり自信がない。

そういう自分も人間なのか物体なのかもはやわからなくなってくる。

かろうじて、自分の手を見て、自分の足で歩いて、自分を取り戻す。

それでも時間は過ぎていく。いろんなものが私の傍らを通過していく。

いちいち認識していたら追いつけない。

あらゆるものをコード化し物質化しないと、情報にうずもれる。

手の中からこぼれていく時間をすくいとれない。



時の流れが速すぎる。

いちいち時間を決められているから、ベルトコンベアーに乗って

そこから落ちないように一生懸命走っているみたいで、疲れる。

まだ2ヶ月たってないのにもう疲れた。

仕事よりも、東京に疲れた。

そんな高速社会の中で、人が緩やかにつながって、高速で仕事が進行している。

この時間の早さの原因は仕事のようだ。

日本で仕事を始めて、初めて、社会と対面した。

社会という存在を、テレビやら新聞やらなんとなく感覚的には知っていたけれど、

それを肉眼で見て、なおかつ社会を形成する一員になったのは初めてだ。

中国にいたときは遠くからそっとのぞいていただけだったものが、

今はのぞかれていた側にいる。

前は、自由自在に適当に生きても何の責任もなく誰にもとがめられなかったけれど、

今は何をしても社会性がついてまわる。

なにかにがちがちに縛られて完全に包囲された感じがする。

社会保険庁から国民年金の督促電話なんてものまでかかってきた。

どこで、何をしても、国家権力だけでなく、社会という目に包囲されている気がする。

自分が何をしたいか、などそんな小さなことは、社会性の前に無効になる。

デザイナーとして私はどういうデザインをしたいか、なんてことは誰も必要としてなくて、

デザイナーという社会的条件を満たし、

その上で、社会的要請にこたえられなければならない。

それがプロとしてデザイナーを名乗ることの必須条件。

社会的条件とは、今のデザインに至る歴史を継承すること、

社会的要請とは、社会がデザインに求める欲求ではなく要請を認識すること。

後追いでは無駄なものを増産するだけで、先回りしないと意味がない。

先回りするためにはどうしたらいいのか。

社会的な力を身につけること。デザイン力を身につけること。

判断力、知的体力、精神力、審美眼、知識のストック…、

やらなければならないことがたくさんある。



今何をすべきなのか、というか、何ができるのか。

それをどう積み上げて構築できるのか。

毎日職場と浅草を往復するだけだけれども、

その中で、社会の中に組み込まれ、それがくっきり見える中で、

個人としての無力さを痛感し、だからこそ、なんとかして

これを突破しなければならないと思う。

東京で突破できたら、どこでも行けそうな気がする。