さて四月も半ばとなり、「アシストしない」というアシスタントとして新たな境地を開いていたアシスタントスタッフであるTさんが、契約終了を目前に帰国することになったので、引継ぎをお願いした。観光客を案内するのに観光地を知らない、おつかいを頼めば完遂しない、とてもアナーキーなTさんだが、果たして引き継ぎはどうなるのか、興味がなかったと言えば嘘になる。
続きを読むツバメウオが釣れました。
そういえば長いこと釣りをしていなかったので、船で釣りに行った。お正月以来か。数は釣れなかったがツバメウオという大きな熱帯魚みたいなのが釣れた。竿が折れるかというくらいのすごい引きだった。重さ3キロくらい?水族館にいそう。唐揚げにしておいしくいただきました。
アメリカのアメリカによる戦争ドラマ映画『プライベート・ライアン』
監督:スティーヴン・スピルバーグ(1998 米)
出演:トム・ハンクス、マット・デイモン、トム・サイズモア他
1944年。連合軍はフランスのノルマンディー海岸に上陸するが、多くの兵士たちが命を落とした。激戦を生き延びたミラー大尉は、最前線で行方不明になった落下傘兵ジェームズ・ライアン二等兵の救出を命じられる。ライアン家は4人の息子のうち3人が相次いで戦死しており、軍上層部は末っ子のジェームズだけでも故郷の母親の元へ帰還させようと考えたのだ。ミラー大尉と彼が選んだ7人の兵士たちは、1人を救うために8人の命が危険にさらされることに疑問を抱きながらも戦場へと向かうが……。(映画.comより)
第二次大戦で4人兄弟全員が軍に入ったライアン兄弟のうち3人までが戦死したので4人目は死なせてはならんとお上の声がかかり、4人目を探しに行くことになった部隊の話。冒頭で描かれるノルマンディー上陸作戦の迫力がすごい。LCMのフタが開いた途端に頭を撃ち抜かれた人、上陸すらできずに溺死した人、爆弾で体の一部を吹っ飛ばされてそのまま苦しみながら放置された人、そういう人たちは忘れられがちではあるが間違いなく戦争の一部、歴史の一部であることを考えさせられてしまう。
物語上では他にもいろいろな考えさせられるテーマ(一人を救出するために何人もの命が危険にさらされるのはどうなのよとか、味方を殺した敵の捕虜をどうするかとか)があってアメリカ的であるが、この冒頭の凄さで全て持っていかれた感があり、他のは割とどうでも良いというか、霞んでしまったというのが正直なところ。アパムがちょっと情けなさすぎるが、いやしかし現実にはこんなもんだろと思わされてしまうのも製作側の思う壺のような気がする。そういうところも含めてトムハンクスから何からすべてアメリカらしい映画だった。と思ったら監督はスティーブン・スピルバーグで、なんか納得した。
『首塚・胴塚・千人塚 日本人は敗者とどう向きあってきたのか』室井 康成
あれはハワイのビショップミュージアムだったか、太平洋諸国の展示を見ている時に、「世界の首狩り族」的な展示があり、代表的な首狩りを行う部族として日本と台湾が挙げられていた。台湾はなんだったか近代に反乱的なものでそのような事件があったような気がするので良いとして、日本が首狩り族?と驚いたものだが、よく考えたら笹子才蔵とかさらし首とか、首を狩るのが大好きな民族であったことに思い至った。
このように普段は首狩り族の末裔であることを忘れているような私でも、関東民であるから神田明神で産湯をつかい、は言い過ぎにしてもお参りは何度もしているし成田山には行かないし、というくらいの矜持はあって、将門の首塚が日本最恐心霊スポットと呼ばれることに暗い喜びを感じるものである。ではその首塚はなぜ首塚なのか、本当に首が埋められているのか、首塚は他にもあるけどその辺どうなってんだ?という疑問に答えてくれるのがこの『首塚・胴塚・千人塚』である。著者は日本の歴史を紐解きつつ、塚の成立前後について詳しく調べ上げた上で、本当に埋まっているかどうかよりも、なぜ本当に埋まっていると信じられているのかという点に焦点を当てて研究しており、そこに日本人の死生観を見出しているところがよかった。
取り上げられている塚の埋葬者は蘇我入鹿、大友皇子、平将門、平忠度、平敦盛、平重衡、平宗盛、平清宗、源義経、楠木正成、新田義貞、鳥居元忠、大谷吉継、島津豊久、小西行長、安国寺恵瓊、長宗我部盛親、井伊直弼、近藤勇、大村益次郎、江藤新平、西郷隆盛等等。巻末の塚リストは圧巻。オススメ。
棚卸終了とiPadの入手
毎年恒例、年度末の棚卸しが終わったので、忙しかった三月を乗り越えて、気分としてはようやく一息つける。年度の変わり目で決算の手伝いなどやることは他にもあるにはあるが、それはそれとして、新しいことに手をつける気になれる。気分の問題か。あまり忙しいと本を読んでも感想とか書いてられないというか、まとめる気にならないというか。
そういうわけで最近は忙しかったのだが、ひょんなことからiPadが手に入ったので、操作に慣れるためにもここにこうして記録を残すのだった。ちなみにうちの娘が何かの商品としてもらったものだが、彼女はもっといいやつを既に持っていたので、半ば強制的に買い取らされた。iPadは使ってみると思ったよりApple 偏重ではない感じだが、新しいデバイスでいろいろなアカウントを入力するのが、なぜかうまくいかなかったりして手間である。まあその辺は少しづつやっていくとして、我が身を振り返るくらいの余裕は常に持っていたいので、ブログ更新などに利用していきたい。