日本人同士が英語で話すのはやめたい

最近日本人同士が英語で話すのをみることがありますが、よっぽど間に日本語を解さない人がいてその人にも会話に参加してもらう必要がない限りやめた方がいいと思ってます。

繰り返しますが会話を見てもらう必要のある人に英語しかわからない人がいる場合は別です。むしろその場合は英語なりほかの言語なりでカバー必須でしょう。あくまでも日本人同士のみの会話を指しています。

書いたか書かないか忘れましたが、広報関連の仕事をしています。それなりに忙しいです。

いつまでこの仕事をするかわからないけれど、少なくとも何か残る仕事ができればと思っています。そのためには資格もとりたい。

戦国ブーム

へうげもの読んでます。

今まで絵が受け付けないという理由で、モーニングは見てたにも関わらずこの漫画を読んでませんでした。

先月末くらいから読み始めているんですが、「えっ?なんで今まで気付かなかったのかな??」というレベル。やたら名物好きの古田織部に、(たぶん史実とは違うが)南蛮好みのため城を捨てる高山右近

今のとこサブキャラなはずの高山右近が一番気になる。マニラで死んじゃうのがわかってるだけに、今後どのように描かれるのか期待です!!

鉄は熱いうちに打とう

ものの流れは不思議なもので、バケモノの子見てきました。


先に書いとくと細田守詳しくない。おおかみこどもとサマーウォーズ時かけしかみてない。サマーウォーズ時かけ>>>>>>>>>おおかみこどもなんですが、時かけと同じくらいかなぁと。時かけとは少しジャンルが違う感じがするのでなんとも。

まずやはりさすがの描写力で、渋谷は今も昔も正確に描かれている。どんなファンタジーが表れても不自然でない程度の実写感と言えばいいかな。

一番よかったのは画面の勢い。個人的には映画ならではの感じは画面の迫力だと思うんだが、そういう意味ではすごくよかった。熊徹と猪王山の闘いとかは特にとっても迫力がある。渋天街市場の描写とかはアジアの雑多とした市場の感じで、どこかわからないどこかとして見いってしまう。

ただ、話の重要な転換点の唐突感が否めない。楓との出会い、一郎彦の変化、熊徹との再会経緯などなど。またなんかこの話にした必然性がよくわからない。サマーウォーズとか時かけとかはわかるんだけどねぇ…

一緒に見た人から、細田守=ケモナー説が出てきたが、確かにその通りな気がする。

事件を表層的に捉えてはいけない

http://www.nippon.com/ja/currents/d00176/?pnum=1
川崎の殺人事件に関する記事。今いる場所と決して遠くない場所だ。

恥ずかしながら、私はこの事件に関して詳しく語れるほどの詳細を知らない。しかしこの記事を見て、昔弁護士事務所で働いていたことや、自分が書いた卒論のことを思いだした。

私は言語のわからない教育機関で語学以外を学習することの難しさや、周囲のサポートの必要性などをよくわかっている。私自身がそういう環境におかれたことがあるからだ。それはもちろん留学したからなのだが、それが仮に自分の意思でなかったらどうだろう。
もちろんだからと言って非行に走っていいわけではない。ただ使い古されたことばだが、子どもの周辺環境の悪化や厳しい状況は、子ども自身の逸脱行動につながる。

いつの間にか自分自身も、事件を表層的に捉えており、本当にこの事件が訴えているものを見失っている。理由はいろいろある。日常の仕事に追われていることや、プライベートでのごたごた、などなど。

でも本当はこういう記事を書いたり、背景を支えたりすることを一番やりたかったんじゃないのか。

決して今の仕事が楽しくないわけではない。むしろ楽しい。
現在私は広報代理店に働いており、記者時代のネットワークやつながりを生かした広報業務を行っている。この作業は楽しい。記事探しや分析なども行っている。今までの人生がつながった感じがするとはまさにこうしたことを言うのだろう。ほぼ毎日英語も使っており、いつかスペイン語を使えるかもしれないという可能性も見出している。

しかし、やはり思いだす。本当にやりたかったことや、卒論時に追い求めていた気持ちを忘れてしまっていいのだろうかと。

自分は一貫したキャリアがほしいのか、普通の生活がほしいのか、スペイン語をやりたいのか

このはてなダイアリーを始めてからたぶん10年くらいが経とうとしている。いろいろな形で続けてきたがなんだかんだで、自分の気持ちをふうっと吐き出せるここが一番続いている。

それに加えて自分の原点みたいなところを思い出せるからであろう。

どうしてこうなってしまったのかよくわからないが、「自分」は続いている。

サリンジャー、そして自分の生き方について

この記事を書いたのは、当時時事通信に勤めていた私です。
ウェブ魚拓

この記事の執筆にはかなり長い物語があります。

まあもともとそこまでインターネット上で知り合った人と会うことに抵抗がなく、かつ比較的ライトなカルチャーと伝統的カルチャーの両方を好むことができる自分が好きだった。両方とも中途半端になるという欠点はあるけれど、その状況が楽しかったんだね。初音ミクの記事書いたり、いろいろしてて、その最中に「西宮で記事書けないかなあ」と思った頃に調べてぶち当たったのが涼宮ハルヒシリーズだったんだね。

そこから私は知らなかった涼宮ハルヒシリーズを読み漁ったね。実はラノベそのものの盛り上がりというのはいったん去っていた。でも私は実はラノベ携帯小説が結構好きだったので、記事にできればいいなあとは前から思っていた。兵庫図書館にたまたま結構あったので、読みまくったのと、ない部分については取り寄せた記憶がある。

楽しかったなあ。でも、一方で苦しかったなあ。

それで次にやったのが聖地巡礼の話の調査でした。西宮に聖地巡礼(アニメ的な意味で)してる人絶対いるよね?ね?と信じた思いが、インターネットの検索。ここで西宮北口付近にある「夢ドリーム」という店がアニメの舞台になっていることを知りました。

そこからは記者ですので、直で電話してアポとって、実際に会いに行きました。日程も合わせてもらって、そこの管理とかをやっている人に会いに行きました。店主の方がアレンジしてくれて、あるサイトでドリームを紹介していた人に出会うことができました。たまたまですが、この人も割と気さくな方でしたね。運がよかったのかもしれません。その店主の人もフラットな方だったんでしょう。特別な抵抗はなかったようです。

店の人はハルヒを全くと言っていいほど知りませんでした。逆にサポーターみたいになった人が、その店主さんを裏サポートしていたと言えばいいでしょうか。でもとっても和やかそうでした。店の人もそのサポーターの方々を信頼していたようでした。

店を訪れる人が、みなマナーがあったのも比較的よかったのでしょう。まあもともとがラノベスタートなので、一気に殺到するという感じではなかったというのもあるでしょう。とはいえ、やはりアニメ化されてから人は増えたということでしょうが、マナーのない人はあまりいなかったとのこと。

記事になりやすいトラブルだとか、問題だとかはなかったんだけれど、逆にそれに安心して、嬉しかった自分がいました。一方で、決して迎合するのではなく、落ち着いてコーヒーにこだわった店を続けて行く店主の方もすばらしいと思いました。つかず離れずというか。
結局記事はあまり大きなものにはできなかったけれど、それでも自分にとっては印象に残った記事のひとつです。

私はどうも問題点を書く記事っていうのが苦手みたいですね。それよりも、「みんな仲良くやってるんだけど、どう思う?どうよ?」っていう感じの記事の書き方の方が好きだったんだね。だから、この記事も結局そういう結果になったんだと思う。

東京に帰って、そうした記事を書く機会も減って、いつしかドリームのことも忘れてしまっていた。夢になっちゃってたんだね。

しかし、先日記事を見ておかしいと思ったことがありました。


店主が変わっていたのです。


そこからいろいろ調べて行くうちに、私が取材したマスターは約1年前にお亡くなりになり、今は奥様がお店をやっている、ということを知りました。自分がいい経験をさせてもらった人は、いつのまにかなくなっており、自分はそれを知らないまま1年が過ぎたのです。記者を辞めたこと自体は後悔していませんでしたが、初めてこの件で、業界を変える転職とはこういうことなんだな、と思いました。

さて。

少し前にサリンジャーの本を読みました。
はっきりいって自分には理解できないタイプの文学でした。でもこれを謎解きのように読む楽しさとかはあるんだろうなと想像しました。それはきっと自分が当時ハルヒに感じていたものや、ハルヒを読む人が集まっていたあのドリームに近い場所などがあるんだろうなと思いました。また一方で、心のどこかでサリンジャーが描く柔らかな人間関係を感じ取ったような気もしました。
このタイプの本は、(今もそういう部分はありますが)かつての私なら最も忌み嫌うタイプのものです。訳文のせいなのか、それとも原文のせいなのかわかりませんが、必要以上にまどろっこしく、簡潔でない文体を使う本は大嫌いです。小学生くらいのころに読んでたら分からないですが、樋口一葉でさえも腹が立ってくる私にとってはこんなものは無理です。
それでもまあ、自分は一応サリンジャーを2冊ほど読み通したのです。正直苦行に近いものがありました。でも面白い部分も感じられたことが、自分にとっては新鮮なことでした。

思えばいろいろなことを考えて行くうちに、自分はずいぶん昔の理想とは離れたところに来てしまったものだということに、このときも改めて気づいたのでした。絶対に理解できなさそうなサリンジャーをこの年齢(30歳)になってから読み、そしてドリームのマスターの死にかなりのタイムラグを経て触れたこと。この2つによって、私はもう自分がかつて考えていた「大人」ではないことに気付かされました。
私は今こそ、自分の新しい物語を作る必要性があるのかもしれません。

*この話は2014年5月ごろに書いたものですが、長らく下書きに放置されていました。本日(2014年12月)ふと思い出し、公開することにしました。