偉大な山形浩生

なんとなしにTBS RADIO 文化系トークラジオ Life*1Podcastで聞いていたら、12月2日放送のゲストで山形浩生がゲストに呼ばれていた。
なになに?、山形いわく「ブログはじめましたぁ〜。某マイク■ソフトからお金もらってやってまーす。」だってさ。
んで、早速、マイクロソフト&BLOG&山形浩生で検索したのだがぜんぜんヒットしねー。もうちょっと調べてみたら
なんと、山形がやってるのははてなダイアリー (id:wlj-Friday)*2だった。
んで、のぞいてみたら、早速炎上してたよww。さすが山形先生。常に期待を裏切りません。
かの日蓮上人のごとく、ネットのあらゆるところで折伏を繰り返してきた山形大僧正は、一部の信者と引き換えに、多くの敵を作っており、
山形現れるところ、厨房の荒らしありという状況がつねに繰り返されておるのです。
ネット界の嵐を呼ぶ男山形浩生。すばらしい!!

*1:どうでもいいがこの番組パーソナリティーを務める鈴木謙介(by宮台真司のコバンザメ)というのは、こんなさわやかな口調でしゃべる奴だったのか。師匠の宮台真司みたいに、吐き気がするような、ねちねちとした口調でしゃべるものだと思ってた。こいつの書く文章は、師匠の宮台譲りの陰湿系おべんきょ坊や丸出しなんだが

*2:どーでもいいがid:hiyori13はどーなったw

ネットととはキチ外にやさしいシステムであろう。

馬鹿につける薬はないので(しかも、捨てページという構造上、当の馬鹿以外は読まないので)id:macacaという馬鹿とフレーミング合戦になった後、馬鹿に物事の道理を教える不毛に気が付き、そのまま放置していたのだが、こっちが完全に忘れていた一月後、わざわざ再度蒸し返したかったのか、こっちのページまできて、コメントをつけていました。*1

現実世界はおろか、ネットですら、対人関係をまともに構築できなさそうな馬鹿id:macacaのことですから、一ヶ月前漏れが相手にしてやったのは、彼にとっては、貴重な体験だったのかもしれないと思い、馬鹿のページを覗いたところ・・・・・


・・・ちゃんと彼は、お話し相手を見つけてるようでした。*2

しかも、相手はあの・・・id:jizou氏だよ!!すっげ。

*1:このコメントがあったことも、捨てアドレストラックバックがあっただけなので、気が付くのが遅れましたが

*2:当然コミュニケーションスキル皆無の彼のことですから、お話というのは中傷合戦ですがW

id:macaca(バカ)が無意味な長文を書き散らすのは、内心の動揺の反映なんだろうが・・・

自分の誤りを認められないバカid:macacaが墓穴を掘っている。こっちがひとつ突っ込むたびに、10個ぐらい墓穴を掘ってるから、バカの論理は破綻しまくりである。

「αという団体の行為に対する批判は、βに適用できるか」はこの場合「文脈」ではなく議論の主題である

これの意味を理解するのは、まともな神経の人には困難である。バカは自分の好きなように日本語を定義することがお好きなようだが、一般の辞書の意味では、文脈とは、

(1)文における個々の語または個々の文の間の論理的な関係・続き具合。文の脈絡。コンテクスト。

議論の主題を除外して論理的な関係が理解できるわけない。まともな神経の人間にとって『それは主題であって文脈ではない』、と言い張るような頭の悪いキチガイの言葉は普通なら面食らう。主題であり文脈であるのだ。
一方彼は、議論の文脈をどう解釈するかは、「創価学会の悪行」の悪行の部分にかかっている。と書いている。ここまでくると憫笑するしかない。バカは

創価学会」と「日蓮本山」とをひとくくりにすることが不当かどうかはひとえに議論の文脈や抽象化の水準による

と書いているのであって

1「α日蓮宗とβ創価学会をいっしょにして」、2「β創価の悪行を例に出して、α日蓮本山を叩くのと同じようなものでしょう』

という元のこちらの文章とはすでに意味が違っている。こっちの文章は
町山氏の文章は1『αとβをいっしょにして』2『βとαを叩くようなもの』でプロパガンダだといってるのである。
『αとβをひとくくり(いっしょ)にすることが不当かどうか』という文章はバカの主張である。だからバカの

創価学会」と「日蓮本山」とをひとくくりにすることが不当かどうかはひとえに議論の文脈や抽象化の水準による

の文章における『議論の文脈』はバカの文章の前についている、こちらの議論の前提条件すべてに適用される。しかしバカは自分にとって都合の悪い、2の文章の「αという団体の行為に対する批判は、βに適用できない」というこちらの主張は、それは文脈とは関係ない、と退けておいて、同じ2の文章中にある『創価の悪行』の部分をどう解釈するかだけにかかると主張。バカの強弁もここまでいくとある意味尊敬に値する。*1

*1:当然厚顔無恥もきわまれりという意味で

自分の書いたことがわからなくなっている馬鹿と、共約可能性を見つけるのは不可能。しかし論破するのは簡単である(一行でOK)

3. 創価学会という団体の悪行が日蓮宗の教義と無関係でない場合、その悪行は日蓮宗全体(日蓮正宗を含む)にとっても無関係とは言えない。

だからといって創価学会の悪行を日蓮本山に対する批判に転嫁する口実としては正当化できない。(ハイ、ちょうど一行です。)

頭の悪い馬鹿は論点が絞れない。

馬鹿*1と論争をすると、馬鹿は論点が絞れないので異常な長文を書くんだよね。
彼は、またいつものごとく、自分の書いたことがわからなくなっているようだが、彼は、キリスト教原理主義福音派の関係に創価学会日蓮本山の関係をアナロジーとして持ち出すのが、おかしいと書いたわけではない。最初からその理論を持ち出していれば、(それに反論することはやぶさかではないが)少なくともこちらは、彼を最初から馬鹿だと認識することもなかっただろう。しかし彼はこう書いた。

A:また創価学会云々のアナロジーも不完全である。「創価学会」と「日蓮本山」とをひとくくりにすることが不当かどうかはひとえに議論の文脈や抽象化の水準による。

はい、彼は紛れもない馬鹿です。あ、馬鹿はここまで書いてもまだ理解できない?じゃあ正しい日本語の書き方を教えてあげよう。こう書けばいいんだよ。

B:また、創価学会うんぬんのアナロジーは誤りである。キリスト教原理主義福音派の関係に対するアナロジー創価学会日蓮本山を持ち出すのは不適切である。(略)

こう書けば、こっちの再反論も別になっていたんだろうけどね。自分が間違った文章を書いてそれに気がつかないというのは馬鹿の証拠。馬鹿と話し合うのは難しい*2

*1:id:macacaのような人間のこと

*2:まだわからないかもしれないから(馬鹿と話し合うのは難しい)再度補足。Aの文章の書き方ではアナロジーが不完全なのは、創価日蓮本山の関係性自体が議論の文脈によって変わってくるからだということになる。しかし議論の文脈というのは最初から明確なのだ。αという団体の行為に対する批判は、βに適用できるかどうかということである。

追記(馬鹿はどんどん墓穴を掘る)

id:macaca:はなぜ頼まれもしないのに自分が馬鹿であるということをわざわざ示してくれるのだろうか。

さらに「それは日蓮の教義に対する批判であって、日蓮正宗(本山)という現実に存在する団体に対する批判ではない」ってのも反論になってない。まさか「日蓮正宗」と「日蓮の教義」が無関係と主張するつもりじゃないだろうな。

日蓮宗創価学会は教義的に酷似しているという議論と、創価学会の悪行を持って、日蓮正宗という団体を批判できるかどうかという議論は別の水準に決まってるだろ。本当に馬鹿だなおまえ。おまえは、右翼の街宣車が街中で騒音を撒き散らしているのを目撃したら、生長の家日本財団に文句を言いに行くのか(藁

君は本当に頭が悪いようだから、箇条書きで説明

    1. 創価学会の教義批判を日蓮正宗の教義批判に適用=可能
    2. 創価学会という団体の悪行を日蓮正宗という団体の批判に適用=不可能*1

いい加減詭弁で逃げることばっかり考えないで、創価学会の悪行に対して、日蓮本山に文句をつけている奴の実例を出してみなって。そんなバカは、世界でお前ぐらいだから出せないだろうが。お前の引用してる丸山は、創価の悪行を例に出して、日蓮本山に文句を言いにいったのか。そもそも、お前が引用しているのは、創価学会本山脱退以前の話なのか?

*1:但しキチガイ権力の及ぶところでは可能、スターリン主義ソ連ナチスドイツやもしくはid:macacaの脳内など(爆笑

馬鹿は、自分の稚拙な議論をすべて肯定しようとして墓穴を掘る。

id:macaca:20041116

例えば公明党を通じた政治への関与を問題にするのであれば、日蓮の思想そのものにさかのぼって議論することもできるし、場合によっては必要になるのだ*3。ちゃんと「反証例」を出してやったんだから、「漏れのすんでいる世界」の狭さを反省するように。

それは日蓮の教義に対する批判であって、日蓮正宗(本山)という現実に存在する団体に対する批判ではない。そんな簡単なことも理解できずに激昂してる馬鹿。少しは頭を冷やせ。
馬鹿id:macacaは自分の書いたことも忘れたようなので、再掲しておこう。君が書いた文だ。

また創価学会云々のアナロジーも不完全である。「創価学会」と「日蓮本山」とをひとくくりにすることが不当かどうかはひとえに議論の文脈や抽象化の水準による。