「ダライ・ラマは親ナチ」の資料出回る

http://sankei.jp.msn.com/world/china/080404/chn0804041935004-n1.htm

【ワシントン=山本秀也チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が、ナチス高官やオウム真理教麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚と親交があったとする資料が、米議会当局者の間で出回っている。在米中国大使館員らが回覧していた資料が、電子メールで議会スタッフらに送られ明るみに出た。ダライ・ラマ訪米を今月中旬に控え「中国政府による個人攻撃だ」(スミス下院議員)などと、あきれる声が強い。

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某でっかい掲示板並みにあきれるわ・・・
先週から中国人や上海に住む弟と連絡が取れない。
これ以上私たちの溝を広げないでほしい。


写真は、標高5000メートル、ヤムドゥク湖

チベットのお坊さん

やっと写真が戻ってきたのでちょっとずつ貼付けます。

4月10日にダライ・ラマ14世がトランジットで一時的にではありますが、日本にいらっしゃるとのことです。私たちも応援している!苦しいけれど、暴力なんかに屈しないで欲しい!ということをぜひ伝えたいなと思います。

写真は、お寺で修行中のお坊さんたち。

セラ寺だったかな、ここは。
問答法みたいな修行をしているお坊さんたちです。

バンコクに行ったときもお坊さんを何回か見たけど、チベットのお坊さんってそれに比べると一般の人にすごく溶け込んでる感じがする。道端でおしゃべりしているのを何度も見たし。バンコクのお坊さんはもう本当にエライ人!!っていうイメージだったけれども。

ノルブリンカ(夏の宮殿)に行った時に、お寺の中で一生懸命中国語を勉強しているお坊さんがいたので、「ガンバレ!」と中国語で言ったらすごいはにかんでくれた。これも同じくノルブリンカなんだけど、くるみの木があって、屋根に上ってそこからくるみを落としてくれたんです。本当は検疫とかで引っかかっちゃうんだろうけど、密かに日本に持ち帰ってきちゃった。(同行者が持っているので今手元にはないんだけど)チベットの人は、そういう思い出の品を大事にするのだそうです。

チベット僧の格好をした中国軍兵士

チベットに行ったときのこと」は、写真がないとどうもこういう場では伝わりにくいことがありますね。今日はこんなニュースを耳にしました。

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http://buddhism.kalachakranet.org/chinese-orchestrating-riots-tibet.htm

ニューデリー29日時事】インドのPTI通信によると、チベット亡命政府指導者のダライ・ラマ14世は29日、当地での記者会見で、中国チベット自治区の暴動に関し、「中国軍の兵士数百人が僧侶姿に変装していたと聞いている」と述べ、暴動は中国側が仕組んだ可能性があるとの考えを示唆した。

ダライ・ラマは中国に対話再開を再三要請しているが、中国当局は暴動を「ダライ一派」の陰謀と決め付け、これを拒み続けている。ダライ・ラマの発言は中国の反応に対するいら立ちを示したものとみられる。

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ソースの写真は93年のものとなっており、今回の「暴動」でも本当に彼らが変装をしていたのかはわかりませんが。

チベットに行った時のこと その2

大卒とは思えない文章力を晒したところで次、書いてみます。お手柔らかに。

ポタラ宮、実は許可証がないと一歩も入れません(少なくとも当時は)。どうして私がポタラ宮に(途中までですが)入れたかというと、チベット人のガイドさんのおかげだったのです。最初の入り口で検査をしていたのは公安ではなくチベット人だったので「頼んでみる」といって入らせてくれたのです。このチベット人のガイドさんは本当に頭も良くて、インドに留学をしていたこともあるそうです。日本語も中国語もチベット語もペラペラです。あ、チベット語はあたりまえか。いつか日本に行きたいとも言っていました。そのため、毎朝バター茶を飲みながらポタラ宮の近くのレストラン(といっても、連れて行ってもらったのですがかなり地元!なアレな感じで、あまり清潔感はない・・・)で勉強をするのが日課だと言っていました。

ラサ一日目で高山病で私が死にそうに(←という言葉、普段からよく使っているけどこの時ばかりは本当に死ぬかと思った)なった時も、薬や酸素の缶を買ってきてくれたりと、このチベット人ガイドさんにはとてもお世話になりました。

ラサ3日目(だと思った)は、ラサ市からだいぶ離れたところにあるヤムドゥク湖という標高がなんと5000メートルもある湖まで行くことになりました。私と同行者、中国人の運転手さん(日本語わからない)、チベット人のガイドさんの4人で早朝ホテルを出発しました。空港から同じ道でラサへ来た時は道路が空いていたのに、なぜか途中で車がつまってしまいました。

検問。

車が止まるやいなや車をあけて私と同行者の顔を見ると
「旅行者か」
といってドアを閉めました。
ガイドさんは舌打ちしてました。その時の彼の顔を私は今も忘れられないのです。怒っているような、脅えているような、そんな表情で、例えがすごく悪いですけど、おとなしい猿でも急に近づくと威嚇してきますが、よく見ると脅えているようにも見える。あの顔が今も忘れられない。
そしてそのとき、車の外を見ると、たくさんのチベット人が車から降ろされて一箇所に集められていました。

チベットへ行った時のこと その1

私は一昨年の夏にチベットへ行きました。
(ここからは私個人の経験なので、最新のものとは違ってる可能性アリ!)チベットは観光目的以外には入ることができません。たしか、ツアーを使わないと入境許可証を出してもらえなかった気がする。ツアー毎に許可証が発行されて、ポタラ宮など重要な建物に入る時は中国の公安に許可証を見せないと中に入れてもらえません。ちなみに私は成都からラサへの行きの飛行機の中で許可証を紛失したため、ポタラ宮は途中までしか入れませんでした。

さて、手元に自分で撮った写真がないので、ちょっと拾ってきました。ポタラ宮正面を背中にラサを見渡すと、こんな風になってます。手前には中国の国旗があるのがわかりますね。

この記念碑いわく「ここは中国」なのだそうです。

この旅行の前はちょうど転職したばかりでバタバタしててチベットの政治・民族問題についてはあまり勉強せずに来てしまったのですが、中学生(だったかな?)の頃に見た映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」を思い出しました。紅軍が攻め込んでくるシーン・・・あのシーンだけが未だに目に焼きついてました。

チベットでは今も血が流れています

こうして私が昨日の二日酔いからさめて、お腹一杯朝ごはんを食べながらテレビを見ている間にも、チベットではたくさんの人が苦しんでいます。チベットでのプロテストから約半月。現地では外国人メディア入りが許されたといえ、今も緊張状態が続いています。