再々度・クラゲ電話の発明

今日明日、つまり10月25日(土)26日(日)に、新港ピア付近で再々度、「クラゲ電話の発明」を上映します。

映像を編集し直しました。今日は入試説明会のため、来年入学するかもしれない方々が通るようなので楽しみです。


東京藝術大学メディア映像研究科通用口のあたりです。ゲリラ上映です。

横浜トリエンナーレ2008新港ピア会場の近くなので、来てください。

再度・クラゲ電話の発明

今週末、10月18日(土)19日(日)に、新港ピア付近で再度、「クラゲ電話の発明」を上映します。
東京藝術大学メディア映像研究科通用口のあたりです。ゲリラ上映です。
横浜トリエンナーレ2008新港ピア会場の近くなので、ついでにでもお立ち寄りください。

「ブリブンケンの人々」はブロガーの先祖か?

先日『グラモフォン・フィルム・タイプライター』(フリードリヒ・キットラー)中に引用されている「ブリブンケンの人々 歴史哲学的試論」(カルル・シュミット)という文章を読んだのですが、この「ブリブンケンの人々」はひょっとしてブロガーというものの先祖なんじゃないかと思って気になっています。1918年のものらしいこの文章中の「ブリブンケンの人々」は今日のブロガーを強く連想させるのですが、これはどういう文脈で書かれた文章なのか、そもそも「ブリブンケン」という語にもともと何か意味があるのかとか、気になることがいっぱいあるのですが、とりあえずこのブログにも、「ブリブンケンの人々」の一部を引用します。

 

ブリプンケン人は男も女も自分の生活を一秒ごとに日記につける義務がある。日記は毎日コピーが提出され、地力自治体ごとにまとめられる。いっせいに目がとおされるが、それは事項索引に沿ったやり方、もしくは職業別にみるやり力で進められる。個々の書き込みにたいする著作権は厳重に保持したうえで、性的、悪魔的、風刺的、政治的などといった性質の書き込みがそれぞれに採り集められるばかりではなく、その著者も地域別にカタログを作られた。そのようにしてカード化されたあとでもう一度日記に目をとおされるが、鋭い視点から作成された見取り図のおかげで、個々の人間におけるそのつどの興味深い関連はただちに突き止めることができる。(中略)このように整理され選り分けられた日記は規則的に月報のかたらでプリプンケン県の知事に提出され、知事はこのやりかたで自分の地域における心理的発展の歩みを常に把握しており、彼は彼でまた中央機関に報告する義務があり、その中央機関はエスペラント語で同時出版する総合カタログを作成し、そのことによってプリプンケン主義全体をプリブンケン学的に把握しておくことができている。定期的にお互いに繰り返される写真撮影と映画撮影、盛んな日記交換、日記からの朗読、アトリエ訪問、会議、雑誌の刊行、フェステイヴァル公演とその前後に行われる、芸術家の人間性にたいする敬意の表明。要するに目的に応じた数えきれないほどの予防措置がとられることによって、プリプンケン人の自分自身にたいする興味とプリブンケン的なものにたいする興味が萎縮してしまうということがないようたえず配慮されている。それらは有害で反社会的な方向に興味が逸脱しないように見張っていて、そのためにこのブリプンケン世界の崇高な仲間のサークルがいつか終わりを迎えるのではないかということを恐れる必要はまったくない。
 もちろんここでも、まれではあるか、反逆的な精神が発言していることもある。しかし注目すべきなのは、ブリプンケンの国では、すべてを理解し、けっして憤慨したりしない無制限の寛大さと、個人の自由をきわめて尊重する気風が支配していることである。(中略)
 もちろんこの自由はアナーキーな無統制にまではいたらない。日記をつけることにたいする拒否の記述はいずれも、詳細に根拠を述べ、説明されなければならない。拒否するということを書くかわりに、書くことをほんとうに怠る者は、一般的な精神の自由を悪用するものであって、その反社会的な思想のために処分される。発展の車輪は黙したまま黙する者のうえを通り過ぎ、もはやその人間のことは語られず、その結果、彼はもはや有効なものとなることはできず、一段階ずつ下降してゆき、しまいには最も下の階級で、貴族的プリプンケン主義を可能ならしめる外的条件の作成にのみ従事させられる。一例を挙げれば、もっとも値打ちのある日記を印刷するような手漉き祇を、手で作ること・・・・この処分は良いものだけを残すための、厳格だが完璧に自然にかなった選別のやり方である。というのは日記の精神的闘いに耐えられない者は、発展のなかですみやかに取り残され、あの外的条件を準備する大衆の群れのなかに埋没するしかないからである。彼はこの肉体労働やアルバイト仕事などのためにもはや、生活の一秒一秒をプリブンケン学的に利用しつくすという状態にはなく、彼の運命は仮借のない結果にみまわれる。もはや書かないのだから、彼は自分の人格にかかわる不正などに対抗することができない。波にはもう現状がわからず、最後には月報から姿を消し、いまや存在しないものとなる。あたかも大地か彼を呑み込んでしまったかのように、諾も彼のことを知らず、誰も日記のなかで彼にふれず、彼を見る眼はなく、彼を聞く耳はなく、嘆きは彼をゆさふり、狂気にまで迫いやり、非情な法律はみずから落伍者となったならず者には絶対に容赦しない。淘汰する自然の大法則が例外を認めることがないように。
(中略)
 ブリプンケン哲学の概略。―我思う、ゆえに我在り。我語る、ゆえに我在り。我書く、ゆえに我在り。我出版す、ゆえに我在り。そこには対立は含まれず、論理的法則性によってみずからを超えて発展してゆくアイデンティティの、順を迫ったその階梯での上昇だけが含まれている。考えるとは、ブリプンケン人にとって声を出さずに語ることにほかならない。語るとは文字なくして書くことにほかならない。書くとは先取りされた出版にほかならず、出版はしたがって書くことと同一であり、そこには何の危険もなく放置しておけるようなきわめて些細な相違があるだけだ。我書く、ゆえに我花り。我在る、ゆえに我書く。私は何を書くのか?私は自分自身を書く。誰が私を書くのか?私自身が書く。私の書く内容とは何か?私が自分自身を書くことを、私は書く。自己であることの自己満足的なこの円環から何が私を引き上げるのか?歴史である!
 私はそれゆえ歴史のタイプライターの印字である。私は自分自身を書く印字である。より厳密にいうと私が自分自身を書くことを書いているのではなく、私であるところの印字を書いているだけである。しかし私のうちで、書きながら、世界精神がみずからを把握し、その結果私はみずからを把握しつつ同時に世界精神を把握する。しかも私は、世界精神と私を、たとえば考えながらというのではなく―はじめには行為があって、考えがあったのではないから―書きながら把握する。すなわち、私は世界史の読者であるばかりでなく、その書き手でもある。

openstudio

学校で展示をしています。
http://www.fnm.geidai.ac.jp/
私は、海と電話するための装置を出しています。装置が海に流されたり、といったトラブルもありましたが、今はなんとか動いています。会期残りわずかですがお時間ありましたら。