ちとまいったかな

 ⇒404 Blog Not Found:選民思想2.0または少衆主義

逆に最も唾棄すべきは、他の船が気に食わないからといって沈めてしまうという行動であろう。これに比べればまだ選民思想というのは罪が軽い。しかし実際のところ、「民主」主義の動きにおいては、船を大きくする代わりに小舟を沈めるということが多々見られる。
 
その意味において、民主主義というのは時に選民思想以上に危険なのだということは、民主主義の旗をかかげる船に乗っている人は皆自覚しておく必要があるように思える。

 こういうと嫌がられるかもしれないけど、「民主主義」というのがわかっているのだろうかとちと疑問に思う。
 じゃ、民主主義ってなんなのさと、ウィキペディアを覗くと
 ⇒民主主義 - Wikipedia

民主主義(みんしゅしゅぎ)とは、個人の人権(自由・平等・参政権など)を重んじながら、多数による意思をもって物事を決める原則をいう。法律的な意味で用いる場合には、この意味にて用いられ、かかる法的概念における民主主義は、君主制などと対応する概念であり、連邦主義などとは並存するものである。

 これでいいのかと思うと、その先にまとまった説明があるにはある。

哲学的には、デモクラシー(democracy)の日本語訳で、君主に対応する概念(対概念)として「民衆」という概念を設け、人民ないしは国民が、支配の正統性および実際の政治権力の双方の意味を含む主権を有するものとして、為政者たる「民主」と、被治者たる人民が同じ(治者と被治者の自同性)であるとする政治的な原則や制度を言う。「民主政治」という訳語がより原義に近いという意見もある。哲人政治などの治者に何らかの条件を求めるものと違い、治者と被治者の自同性のため、失政による被治者への損害は確実に治者によって補償される。
 
「民主主義」ならば、デモクラティズムdemocratismの訳語であるという意見もある。
 
単純な多数決と混同されることが多いが、単純な多数決では、単に多数であることをもって、その結論が正当であるとの根拠とするものであるが、民主主義として把握する場合には、最終的には多数決によるとしても、その意思決定の前提として多様な意見を持つ者同士の互譲をも含む理性的対話が存在することをもって正当とする点で異なると主張される。

 ちと混乱しているっぽいが。
 ”為政者たる「民主」と、被治者たる人民が同じ(治者と被治者の自同性)であるとする政治的な原則や制度を言う。”が重要で、基本は制度。
 で、為政者たる「民主」と、被治者たる人民が同じ(治者と被治者の自同性)というけど、ここには貸借的な関係が起こる。
 ⇒極東ブログ: 試訳憲法前文、ただし直訳風
 ⇒極東ブログ: 日本憲法は会社の定款と同じ
 ⇒極東ブログ: 領有権=財産権、施政権=信託
 で、国民の権力を借りている政府というものが国民と疎外的に存在するがゆえに、その権力のコントロールの諸機構が必要になり、つまり、その機構によって民主主義が定義される……っつうことなんで……と思うのだが。
 英語のWikipediaのほうはもう少しすっきりとしている。
 ⇒Democracy - Wikipedia, the free encyclopedia

Democracy (literally "rule by the people", from the Greek demos, "people," and kratos, "rule") is a form of government for a nation state, or for an organization in which all the citizens have a vote or voice in shaping policy.

 つまり、民主主義というのは"a form of government for a nation state"、つまり、政府=権力の機構として捉えられていて、それがどう政策=施政権を形取るか、と。