キャリア志向の変遷
また転職してとうとう10社目に到達した。平均勤続年数は3年くらいなのでUSだったらそれなりにいそう。とはいえこの前高校の同窓会に行ったら7人中5人が一度も転職していなくて(=勤続25年以上)それはそれでちょっと驚いた。
面接で過去の転職理由をそれぞれ説明してくださいと言われたときに、そういえばキャリア観と転職理由が少しずつ変化していっている気がしたのでメモに残す。
25才: 何でもやる
とにかく仕事を任せてほしくて、中小メーカーで組み込みからWindowsアプリまで、目の前の技術的なタスクは何でもやった。大手企業に入れなかったこともあって給料が不満で、尖った技術力で給与を上げようとしていた。
30才: 技術志向
シリコンバレースタイルのベンチャーに入ることができた。チームの幸せになる方向なのか? というのが口癖が同僚がいて、自分のキャリア観に決定的な影響を与えた。スーツ着用の会社が選択肢に入らなくなった。
35才: 問題解決志向
ベンチャーはビジネス的には失敗し、知り合い経由で受託開発していた。顧客満足が大事で、技術によって顧客の問題を解決したいと思っていた。
40才: 海外志向
顧客がUSに転籍になり、US志向が高まった。iPhoneの成功で、サービスが価値提供の中心であり、ハードウェアやソフトウェアはそれに従属するものであるという認識になった。組み込みはやめてスマートフォンアプリ開発にスイッチした。
45才: チーム開発志向
成功したプロダクトの会社に入ることができて、遅ればせながらチーム開発に目覚めた。技術力を唯一無二のものとみなさなくなった。EMやったこともあり、メタスキルとコミュニケーションスキルの多様性に興味が出てきた。
50才: 未定・何でもやる
EMやりつつも、職種にこだわらず、プロダクトとチームとチームメンバーの成功のためにやれることは何でもやるという意識でいたい。
コミュニケーションスキル
最近短期間エンジニアリングマネージャーをやる機会があり、スキルセットの中でもリーダーシップやコミュニケーションスキルについて考える機会が多かった。
最終的な理解として、いわゆるコミュニケーションスキルというのは、いくつかのスキルに分解することができ、かつ、学んで伸ばしていくことが可能であるものだという認識に至った。
分解の仕方は色々ありそうだが、聞く・話す・その他から、さらに細かくできそう。
- 聞く、傾聴
- 相手に興味を持つ
- 話を聞き、理解し、適切な質問をする
- 話す - 言葉遣い、言語化能力、構造的説明能力
- 人に対してなのか、課題に対してなのかなど、主語と目的語を適切に選ぶ
- 自分が伝えたいことを、適切な手段で構造的かつ効率的に伝える
- ミーティングの時間コントロールとかもここに入りそう
- その他、人に対する考え方、接し方、態度
- 全ての人に等しく丁寧に接する。新卒の人に高圧的にならないとか
- アンガーコントロールもここに入りそう
- ハラスメントを避ける
- 状況に応じて対面、ミーティング、メール、チャットなど適切な手段を選ぶ
- チーム外の人には事情を知らない前提で準備するとか
- situational leadership
みたいなことをこの記事を読んで思った。
YouTubeのポロネーズ5番を全部聴いてみた
中二のときにクラスメイトがアシュケナージのポロネーズ全集を貸してくれて、文字通り中二病にかかったのであった。そういうわけで自分にとってショパンのポロネーズはアシュケナージが基本であり完成形である。いつか1番から7番まで全部弾いてみたい。
最初は英雄ポロネーズが華麗でかっこいいなと思っていたが、通して聞くうちに5番のほうが起伏があるしマズルカっぽくていいなと感じるようになった。
海外ではtragic (悲劇的) と呼ばれているようだ。難しい割に人気がないので、ショパンコンクールかポロネーズ全集くらいでしか演奏されないようである。検証したわけではないが、ショパンコンクールでも優勝者はたいてい英雄を弾いている気がする。
最近練習を再開したこともあって、YouTubeにある5番を一通り聞いてみた。
ざっくり好きな順に。コメントは完全に素人な自分用のメモであって、音楽的な価値はない。
特に冒頭の不穏な感じが好き。ミスタッチは全くなく、楽譜の強弱やテンポがきわめて正確に表現されているように感じる。アシュケナージは1955年のショパンコンクールで第2位。
2010年のショパンコンクールの演奏。コメントにもあるが0:24のリズムが好き。音質もいい。これで入賞できないのは相当レベルの高い年だったのだろうか。
美しい演奏。緩急のメリハリがいい感じ。古い割にまあまあ音質が良いが、残念ながら途切れている。
1980年のショパンコンクールの演奏。いわくつきの審査員特別賞。怒涛の速さと迫力に圧倒される。速い部分はとことん速く、中間部はゆったりしている。ただPogorelichの演奏はこれよりも、同じ年のスケルツォ (https://www.youtube.com/watch?v=QwMnYP91tMo) のほうが好き。
2015年のショパンコンクールの演奏。この年の2位。丁寧で安定感のある演奏。畳みかける感じがよい。
2010年のショパンコンクールの演奏。丁寧で力強い演奏。音がくっきりしていて、アルペジオがきれい。中間部あっさり。
2010年のショパンコンクールの演奏。この溜めのある感じのリズムは好き。
2010年のショパンコンクールの演奏。レガートがきれいな演奏。
2015年のショパンコンクールの演奏。丁寧で軽やかな演奏。
2018年のモスクワでのコンサート。はっきり、堂々とした演奏。2010年のショパンコンクールの優勝者。
2010年のショパンコンクールの演奏。丁寧な演奏。中間部の緩急がいい感じ。
2010年のショパンコンクールの演奏。丁寧な演奏。
1960年のショパンコンクールの演奏。この年の1位。リズム感がはっきりしている。録音状態がもっと良かったら。
2015年のショパンコンクールの演奏。少し独特な感じ。
2015年のショパンコンクールの演奏。勢いがある。
キーシンが15才のときの演奏らしい。導入部は少し独特。重々しい演奏でいい感じ。
大胆かつ情緒的な感じでよい。
ブレハッチの演奏。英雄ポロネーズもそうだが、装飾音の表現がすごくきれい。比較的速いが緩急がそんなにないのであっさりしている感じがする。
2015年のショパンコンクールの演奏。王道で過度な演出をしてない感じ。
2015年。華やか・軽やかな感じ。録音状態はあまりよくない。
ペダルが抑えめで、音の粒が聞こえる。いい感じ。
2000年のショパンコンクールの演奏。この年の2位。リズムは好きだけど装飾があまり好みでない。
電子ピアノ選びその後
1月にYAMAHA N1、YAMAHA NU1X、 CASIO GP-500、Roland LX708を試し弾きして、結局LX708を注文した。
https://firewood.hatenadiary.jp/entry/2019/01/14/230332
その後、LX708は出荷が少し遅れ、その間にN1Xが発売された。試し弾きしたら最高だったのと、販売店の好意でキャンセルできることになったので、差額を払ってN1Xに変更することができた。
今月、KAWAI NV10も表参道のショールームで試し弾きすることができた。
自分の好みとしては、
鍵盤のタッチ: N1X > GP-500 = LX708 > NU1X > NV10
スピーカーの良さ: LX708 = NU1X > N1X = NV10 > GP-500
ヘッドホン出力: N1X = NU1X > LX708 > NV10 = GP-500
という感じであった。
N1Xは良いヘッドホンを使うと、目の前で鳴っているような感じがあり非常に良い。
自分は主に夜中練習するので、N1Xがベストとなった。
スピーカーについては、N1XやNV10よりもLX708やNU1Xの方が臨場感があるように感じた。グランドピアノの形状はスピーカーが上を向いているのでやや不利だと思う。
グランドピアノの形状だと譜面台も少し高いし、電子楽器としてはグランドピアノの鍵盤でアップライトの形状で良いのではという気がする。でもN1Xは良いです。
電子ピアノ選び(2019年1月)
YAMAHAのハイブリッド型の電子ピアノを試し弾きして物欲が芽生えたので、30~60万円くらいの価格帯のものを少し調べた。ちなみに鍵盤からハンマーまでが本物のピアノと同じメカニズムのものをハイブリッド型と呼んでいるらしい。 色々ブログなどを読んだ限り、高価格帯(40万以上)はYAMAHAとKAWAI、中価格帯(20万くらい)はRoland、低価格帯(5~10万くらい)はCASIOとKORGが強いという印象だった。
YAMAHA N1
鏡面仕上げだと70万円。グランドピアノと同じメカのハイブリッド。とても良いが、2011年発売なので機械としては古い。 鍵盤とハンマーにセンサーがついているとのこと。
YAMAHA NU1X
鏡面仕上げだと50万円。アップライトピアノと同じメカのハイブリッド。2017年発売でそこそこ新しい。 N1と違い鍵盤の速度センサーのみなので、弱音のトリルを弾いたときに大きな音が出る不具合があったらしい。解決したかどうかは不明。
KAWAI NV10
90万円。高いので購入候補からは外した。
KAWAI CA98
鏡面仕上げだと40万円。KAWAIはピアノ専業メーカーというイメージがあり、好感度が高い。ただ以前のモデルのCA65などでフィルムが劣化して鍵盤が重くなっていくという不具合が発生し、電子機器メーカーとしての信頼度が少し下がってしまっている。
CASIO GP-500
鏡面仕上げだと40万円。CASIOは低価格帯というイメージがあったが、突然ハイブリッド型を出してきた。KAWAIから来た人が設計したとの情報あり。 弾いた感じは良かった。ハイブリッド型としては格安なのだが、鍵盤の雰囲気はチープな感じ。右側の前面にロゴが貼ってあるのも気になってしまう。
Roland GP607
鏡面仕上げだと60万円。見た目はプチグランドピアノだがハイブリッド型ではない。 Rolandは去年まで、中価格帯以上が全てPHA-50鍵盤で、良心的といえば良心的だが、高価格帯でも特別なタッチの良さを感じなかった。音響は良い。
Roland LX708
鏡面仕上げだと50万円。ハイブリッド・グランド鍵盤を採用。名前は仰々しいが、素人目にはPHA-50を長くしただけのように見える。無から設計するよりもそういうアプローチのほうが手堅い感じはする。Rolandの上位機種はスピーカーの音響がすごく良い。
YAMAHAは毎年10月か11月にNシリーズの新製品を出してきていたので、N1の新しいのが出たら買おうかなと思っていたのだが2018年には何も出なかった。また、ハイブリッド型はメカが複雑なので、劣化したり故障したりする可能性は普通の電子ピアノよりも高いかもと思った。 というわけで出たばかりのLX708を買った。楽しみ。
20年くらいプログラマをやってみて
気がついたら就職してから20年以上たっていたので感想を書いてみる。
1997
- 新卒入社、給与は年400万くらい。
- Windowsアプリと組み込み(8086のアセンブラ)を3年くらいやった。
- EEPROMを紫外線で消して焼き直したり、デバッグセッションを開始するまでに5分待ったりするなど、昭和のデバッグを満喫した。
- 製造業の部署は、仕様はハードウェアチームが決めてソフトウェアはそれに合わせるという流れで、ソフトウェアはおまけみたいな感じ。
- Windowsアプリチームはコードを書くのが好きな一方、組み込みの部署は職人的だけど死にそうになりながら作業していた。
- 人を大切にしない会社だった。悪い例からたくさん学んだ。
2000
- 転職して給与が100万くらい上がった。
- 開発の仕事だと思って入社したら、開発支援部隊にアサインされてしまった。勉強にはなったが、文句を言っていたらYRPに飛ばされた。
- 3Gの試作機の開発は最高に楽しかった。冷蔵庫みたいなサイズの試作機を相手に、朝から晩まで開発と検証を繰り返した。独自OS・独自CPUでコンパイラもバグっていたので、Visual C++でモックとテストを書いたりしていた。
- 現場のボスがビジネスもわかって技術に長けているにも関わらず謙虚な人で、今思うとサーバントリーダーだった。
- 技術的は面白かったが、仕事が嫌いな人がいたりして、大企業は自分には合わないと思った。
2001
- 雑誌でCPUのベンチャーを発見してしまい、勢いで転職した。給与が100万くらい上がった。
- アセンブラとかリンカとかデバッガを作った。記念にCPUの命令セットの一部の定義をさせてもらったりした。
- STLをCにポーティングした酔狂な人とか、CPUが設計できる人、コンパイラが実装できる人など、優秀な人がたくさんいて刺激を受けた。
- 自分が楽しく、チームがよりよく仕事をするためにどうするか、という意識の人がいて、ここでの経験が自分の糧になっているように思う。
2003
- いろいろうまくいかなくて転職した。給与が200万くらい上がった。
- 変なCPUのLinuxのカーネルをさわったりしていた。まだgitが使われておらず、LKMLにはあらゆるパッチが飛び交っており、Linuxは人類には早すぎると感じた。
- ギーク文化の会社で大変良かった。
2006
- 諸般の事情で転職した。給与が200万くらい下がった。
- 体を壊したり死んだりする人がいたりして、健康第一だと思うようになった。テニスを始めた。
- Windowsのデバイスドライバを書いたり、Flashアプリを書いたり。組み込みも細々とやっていて、ファームウェアアップデートを実装したりしたので、この頃はNAND flashからAdobe Flashまでをカバーしていた。
- 製造ミスで電源が入らなかったり、要件がハードウェアの性能を超えたりする面白イベントが起きたりした。
- リモートワークしつつ家族を介護したりしてみた。
- 実直で真摯な人が多くて良い会社だった。
2010
- iPhoneアプリやってみようかなと思って転職してみた。最終的には給料が2倍になった。
- なりゆきからwebのバックエンドをやることになり、顧客と一緒にシステムを作っていった。よい勉強になった。
- Windows、mac、Android、iPhoneのアプリを作りつつwebのバックエンドもメンテするというような無茶なことをしてみた。結果どれも中途半端ではあったが、やればできるかもという気持ちになった。
- 競技プログラミングをはじめた。すごい人たちと知り合いになれてよかった。
- 会社の文化はそんなに良いものではなかった。しかしお金を稼ぐことには貪欲で、そこは大事だと思った。
2015
- 自社開発という言葉にあこがれて転職してみた。給料が半分になった。
- Androidアプリをゼロから作ることができた。全く良い設計ではないものの、よい経験になった。
- 自社開発は自分たちで決めて自分たちで作るので、受託と比べて会社全体の雰囲気はよい気がする。ただ自社開発だからといってもやはり仕事なので、業務のコードを書きたくない人もいるということを知った。
現在
- iOSアプリ開発者として現在に至る。給料がちょっと増えた。そろそろ転職10回に届きそう。めでたい。
- 新卒でいわゆる良い会社に入ることができず、自分の性格もあって転職を重ねることになったが、今の総合電機メーカーの凋落を見るに、結果的にはこれはこれでありだったかなとは思う。
- 良い例、悪い例を色々見てきて、自分にとってのよい環境についての知見が得られた。
- 最近ではプログラマという表記はあまりはやっていなくて、自分もソフトウェアエンジニアと言ったり書いたりする機会が増えた。
- 新卒の頃は自分自身がソフトウェアエンジニアという職を理解していなかった。最近では、日本でも日々ソフトウェアエンジニアという職業が確立されていっているような実感がある。
- 若かりし頃と比べて記憶力もないし体も不調になったりして、プログラマを続けていられるだけで相当恵まれている気がしている。
- 特にまだ何も成し遂げていないので、とりあえず仕事ができるうちは仕事したい。