内田樹

自分の中で内田樹ブームが去り、結果として趣味の一つとなりました。

内田樹のブログを適当に読むのは勿論、「内田樹 批判」でググるのも軽く趣味となってしまいました。世の中は色々な人がいて、色々な考え方を持って居るなあ、となんかつい改めて考えてしまいます。ネットの闇に囚われないように、メンタルヘルスを鍛えたいところです。

正直あまり良い趣味では無いので、ほどほどにして修士論文を始めとして、前向きな取り組みを増やしたいものです。


あと最近ベルセバばっか聴いてる。

最近のはてなダイアリーの日記の書き方がよくわからない。

要するにデジタルディバイドってやつな気がする。まあなんか毎日適当に生きています。最近割と面白かったことの一つは、田母神論文がテーマだった朝まで生テレビです。

阿呆な人にも丁寧に説得するように説明する姜尚中にちょっと惚れました。相手の暴論に絶句する表情とかも良いです。朝まで生テレビは下品だけどなんだかんだで結構面白いなあ、と思った。


あと最近一番楽しかったことは、この前ブルーノートにBookerT & the MG'sを観に行ったことです。プラスアルファトしてたまたま忌野清志郎が来たことも少しテンション上がりました。


後は今日ガンズアンドローゼズの新作を買いました。結構良いと思います。

日常生活は、文化的な意味での生活水準を上げることを目標にして生きています。具体的には自室の音楽を聞く、演奏するという環境を少しずつ向上しています。

まあ結構元気です。

心の琴線に触れたという意味では最近一番良かった

家庭の医学 (朝日文庫)

家庭の医学 (朝日文庫)

レビュー
著者の老いた親の病と死、看取るまでを描いたノン・フィクション小説。訳者曰く、「「介護文学」の先駆的な一冊となるかもしれない。」

あまり上手く言えないけれども、人間の成長、葛藤、成熟を介護を通してそれとなく、けど確実に描いているところがこの作品の非常に良いところであると思った。
全体も、節ごとも短いということもあるけれど、最近とみに飽きっぽい自分が、物語に特に起伏が無いにも関わらず一気読みしてしまったことからもそれは伺える。

医療をテーマにした映画や小説、漫画といった芸術作品は多いと思う。病気や怪我といった生命唯一の共通体験である生死に直接関わるテーマだからだろう。こういった作品の多くは主に生きるとは何か、死とは何かについて登場人物が物理的にも精神的にも辛い状態に陥りながら色々と葛藤しつつ哲学的な考察をする、というところに力点が置いているように思える。特に「ブラックジャックによろしく」、は恐らくきちんとした取材に基づいた医療現場や病巣の生々しい実態と、それに直面する登場人物の葛藤や老躯を壮絶な表情や痛々しい心理描写を特徴であり、そういった傾向が非常に顕著であると感じる。

こういった物語で多分重要なのは、「葛藤」という部分だ。紙面は何らかの悲惨の病巣とか現状の厳しさが描かれる部分と、それに対して登場人物が色々感想を述べる部分の二つに大きく分けられる。分量としては「ブラックジャックによろしく」では1:1か後者の方が多い位なイメージである。手元に無いから自分がそういうイメージを持っているだけかもしれないが。

「家庭の医学」ではそういった「葛藤」の部分に多くの文章を割いていない。日々悪化していく病状の生々しい観察の中にさりげなく織り込まれている。大袈裟にならず
例えば適当に開いたページを引用(81p)する。少し長いけれど。

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 嘔吐は母をひどく疲れさせた。何も食べていないのだから、胃に食べ物はない。胃にあるのは血だった。かたまり、泡上ひも状の血。黒いのは胃液にさらされた血だ。周りに粘液がついていることもあった。どろどろで粘っこい、白か緑の粘液。もっと雨水、ピンク色の、水っぽい糸を引く粘液もあった。
 嘔吐が起きるたび、母が痛がっているのがわかた。母は死へ向かう家庭を経ているだけではない。いまこの瞬間、強い、激しい痛みを味わってもいる。体が壊れているなか、母に何が起きているのかを私は見た。両目が大きく開いて、怯えの表情が浮かび、首の血管が膨らんだ。私はその痛みを取り去ってやりたかった。でも私にできるのは、容器をあごの下にあてがって、頭のうしろを押さえて、嘔吐が過ぎるまで「じき終わるわよ、母さん、じき終わるからね」と言ってやることだけだった。

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純粋に文章表現が巧みなだけかもしれないけれど、多分こういった文章の羅列に、自分が割と時間を忘れて読みふけってしまった理由は、小説の前半部分に描かれた次の一節があったからだと思う。

さらに長いけれど、また以下引用(pp41)

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 母に生き続けてほしいという望みを、自分がいつ抱かなくなったのかは思い出せない。そうなったときのことを、私はいまも、何度も何度も思い返してみる。私は何度も思い返す。まるで、違ったふうに考えることによって、起きなかったおとを思い出すことによって、起きたことを作り直したり変えたりできるかのように。「もしーだったら」、「もしーだったら」、「ーしさえしていたら」、そう私は考える。
 私はあのころ、母が死ぬ姿を思い描くことができなかった。いまふり返ってみて、母が徐々に死んでいく姿がやっと見えてくる。ふり返ってるなかで、母は何度も死ぬ。
 ある特定の日とか、特定の出来事、誰かが口にした言葉とかが一気に決め手になったのか。それでも、本気で信じる気持ち、望む気持ちが少しずつ薄れていって、考えるのが怖いから考えることを自分に禁じるようになっていったのか。そうして、自分たちがやっている手配が母の回復のためでなく最期の出来事のためであることを、いつしか悟っていったのか。どちらだったのか、私には思い出せない。

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この文章を読んでから、読むのを止められなくなった。その時は意識していなかったが、どこで回復への気持ちが折れてこなすようになっていったのか、あるいはどこで気持ちを切り替えて目の前のことに現実的に対処するようになったのか、とかを考えていたからかもしれない。

長くなってしまったが、非常に良い本。蛇足かもしれないけれど、僕は幸いにも近しい人間の病気や死に直面したことは無く、当然介護経験も無いので、割と中立的な感想だと思う。

やや真面目な本

構造デザイン講義

構造デザイン講義


我が研究室の尊敬すべきボスの再新刊。


同名の講義の講義録。講義名は確か違った気がするが。石とか鉄とか木とかの構造について概観する感じ。エッセンスをなんとなく理解することを主眼としており、専門的では無い。

土木の学生向けに建築における構造とか素材の美しさとかデザインの話しをしている。学生としては土木も建築もそんなに変わらねえ(対象が違うとか学問の違いは分る)と思うけど、実社会にでたらやっぱ大分違うのだろうということを実感する気がした。




メッセージとしては、主にコンピューターの進歩(計算とプログラムの簡略化)で構造計算とかブラックボックス化してて何かと予想できない事故が沢山起きているので、アナログな技術をできる限り体感して感性を養って下さい、みたいな感じ。



非常に面白いし、ためになるのだが、一つ気がかりなのは実際に講義を受けていた記憶が殆ど無いということだ。


専門書と一般書の中間位かな。

難点は予算不足なのか、図版が小さいこと、足りないことか。

内田樹はスラスラ読める

こんな日本でよかったね─構造主義的日本論 (木星叢書)

こんな日本でよかったね─構造主義的日本論 (木星叢書)

(僕にとって)始めての内田樹(タツル)。

きっかけは、高校時代の友人O君がレビューとかで大絶賛しているのをちょくちょく見ていて、ブログを拝見してみた。
1ヶ月位読んでたら色々面白いので本も買ってみました、というところ。

最初に単純な感想を述べると、非常に面白かった。何が面白いというと、
・割と身近なテーマが多い
・文章が上手
・テーマの論じ方が基本的に生物学的な意味での人間讃歌であること(特定の思想的イデオロギーが基本的に無く、誰かを強烈にディスったりしてない)
・興味関心の幅が広がる(レヴィナスという哲学者がよくでてくるが、自分は知らなかった。)
の4つか。要約すると著者が凄い賢いということか。(論理的かつ中立)


本の形態はブログコンピ。表題に沿って編集者が良いものを選んで並べ替えて、それに著者が前説と後書きを加えるもの。

なので、興味の或る人は内田樹のブログをちらちら見て、その上で必要だと感じたら本を買うと良い気がする。


ブログ本なのに1600円+税を払う価値はどこにあるか、というと、
最も大きなことは膨大な情報から良いものを選んで、それが分り易く並んでいるところ。
膨大な情報からエッセンスを抜き取るという意味では、2chのスレッドから大事な部分だけを抜き出して本にした「電車男」と似ている。個人的にはyahoo ニュースとかだと何が大事か分らないので新聞を読む感覚と似ていると思う。


まあ紙媒体の方が読み易いし頭に入るという個人的な事情もあるけれど。


内容についても書くと、テーマは「構造主義」「少子化」「格差」「生きる力」とか色々。折角著者が前書きで、引用、盗用コピーなど何でも可と言っているので引用してみることにする。

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 つねづね申し上げている通り、国家や貨幣や威信などというものはすべて男が作り上げた幻想であって、このようなものに鐚一文の価値もないのである。
 現にまともな女性はそういうものにぜんぜん価値がないことを知っているので、定期預金の残高を眺めたり、パソコンのディスプレイに見入っている男に向かって、「ねえ、私と仕事どっちが大事なの?」と訊くのである。
 むろん、その場合に「仕事」などと答えた男は再生産の機会から永遠に排除されることになる。
 まあ愚痴はやめておこう。

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 「すべての歴史的な大事件や大人物は二度あらわれるものだ」と看破したのはヘーゲルである。マルクスはそれにこう付け加えた。「一度目は悲劇として、二度目は茶番として。」
 どうして大きな出来事は「回帰」するのか。その理由を誰もうまくは説明してくれない。たぶん、人間は「自分で思っているほどに創造的ではない」のだろう。

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全体的にこういう感じ。こういうの好きなんだ。

後者に関して、これが正しいとすると、今世界的な金融恐慌が起きそうだけれど、歴史が繰り返すとしたら第三次世界大戦が起こるのだろう。
けど今起きたら人類が滅びる(核兵器があるから)ことは皆分っているので、それが世界政府とか、その盟主をキリスト教イスラム教で争って、結局間をとってダライラマはどうだろうとかそういうことが起きるのかもしれない。
ダライラマだったらまだまともそうだけれどとか。

まあそうならないように色々な人が頑張っているのだろうけれど、そういうところは残念ながら多くの人は評価しない(できない)から、割と悲惨なことになりそうだ。

50年後位に自分が死んだとき結局どうなっているのか楽しみだ。願わくばそれなりに楽しく人生を終わりたい。



人にそのまま言ったら嫌われそうなことばかり書いてあるけど、だからこそ面白いと思うので、お勧めです。まあ直接生活に役にたつことは殆ど何も書いてないけど。



注 追記
他の人のレビューを見て思ったけれども、この本を凄い面白いと感じたのは、自分が保守的(現代人の感性よりも昔から続いてきたシステムを信用する)なことに気がつかされたからかもしれない。