富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

近江屋洋菓子店のガチャ

辰年三月初十。13.3/20.3度。曇。昨晩遅く豊後水道に面した愛媛、高知で震度6弱地震あり。本日、市立中央図書館の映画上映会で山本嘉次郎監督〈春の戯れ〉上映あり。楽しみにしてゐたが雑事多忙にて参れず残念。

知己の女性から「これあげるわ」とこれをいたゞいた。

その女性は近江屋洋菓子店loveの女性でガチャで近江屋洋菓子店シリーズの再販を見つけ初回では気づいたときはもう入手できず今回かなりリキ入れて探して水戸駅にも構内の「ガチャ場」にあつたさう。かなり投資した結果、当然ガチャでダブるアイテムがあり、このアップルパイが2つになつたとき「誰か近江屋洋菓子店が好きな女子友にあげよう」と思つたところ「あ、それよか」とアタシの顔が浮かんださう。ありがたい。昨日の時点で品薄でガチャは提供の期間と販売数制限することで購買意欲煽る、次は絶対に入手しよう!と思はせる商法なので、もう今回の再販は終焉に近いらしい。

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繁華街に空地が目立ち空き店舗や駐車場ばかりなのは地方都市のよくある光景で水戸も同様。そこに建てられるのは穴吹建設のマンション(サーパス)ばかりで、このまゝでは水府はバッドマンのゴッサムシティならぬサーパスシティになるのでは?とすら思ふほど。結局のところ地面師による土地投機が続くのであらう。それを市街地再活性化と称して市役所が公金で支援するのだから。共産党水戸市議団のチラシが陋宅にもポスティングされてゐたが指摘の通りである。

水戸市中心市街地活性化基本計画について - 水戸市

水戸市中心市街地活性化するのであればどし/\一等地に低層階の商業ビルなり緑地なり市営住宅を建設すれば良い。こんな地方都市の市街地でもマンションとなると60平米ほどで7,000万円〜とかで売り出すのだから購入できるのはそれなりの所得層だけ。結局のところ地主とゼネコンに利益が流れるだけ。それでどうして市街地の活性化が出来るのか。所詮、土建政治なのである。

 

大石真『チョコレート戦争』

辰年三月初九。気温摂氏13.2/23.9度。早朝に俄雨のち曇。午後晴れ。

チョコレート戦争 (フォア文庫 愛蔵版)

突然なぜ大石真『チョコレート戦争』(理論社)のこれを読んだのかきっかけが思ひ出せない。昭和40年の刊行で当時から人気の児童読み物だから小学校の図書館とかにあつたのだらう。だが読んだ記憶がない。小学生のころから児童図書とか「子ども向きは幼稚で好かない」と思つて目もくれなかつたのかもしれない。

ケーキやさんのウィンドウガラスが割れて、いあわせた明と光一が犯人にされてしまう。身に覚えのない罪をきせられたことから、子どもたちは町一番のケーキ屋さんに戦いをいどみます。(Google Books)

これも児童読み物とはいへジャンル的には推理小説である。だから「犯人は誰だ」なのだが、その謎解きの結末が「偶然の出来事」では面白くない。勿論「偶然の出来事」でまるで意図してゐなかつたアクシデントが生じたり不慮の事故だとか、自分が突然その事件の犯人とされてしまふことなど事実、あるだらう。だがフィクションで何か起きた事件の発端が偶然のことで、その加害者……ではないな、そんな意識もないのだから、だから「能動者」とでもしておくが、だからそんな「実はそんな能動者がゐました」はフィクションの小説で用ゐてはいけないと思ふ。こんなプロットを使つたらフィクションなどいくらでも出来てしまふ。この小説でも「ケーキやさんのウィンドウガラスが割れて、いあわせた明と光一が犯人にされてしまう」といふ発端は良いが、ではなぜ「ケーキやさんのウィンドウガラス」が割れたのか、を何か事件の因縁深い背景であるとか(横溝正史)、あるいは巧妙な仕掛けがあつたとか(江戸川乱歩)、さういふ何かしらの「知恵比べ」があれば児童小説としても面白いが「偶然でした」ではダメだろ。それがなぜこんなに評判になつたのか、当時の識者がこれを名作とするのか、が理解できなかつた。この子どもたちは無実の罪が晴れて、とされるがそも/\仕返しとはいへ窃盗を計画して立派に実行してゐるのだから、それだけでも叱られて当然の「悪い子」のはず。少年院に送らるほどではないが保護観察処分だらう。それが許容されのが1960年代、革命と毛澤東主義の時代を反映してゐるやうに思へたのでした。

戦争とジェンダー①「増える女性兵士、背景に国の思惑」一橋大教授・佐藤文香:朝日新聞

女性兵士の増加はジェンダー平等でいいことだと片付けるのではなく国家や軍が女性に門戸を開く背景にどんな動機があるのかと考えることが大切。(略)先進諸国の多くは少子高齢化がすすみ兵士のなり手不足に直面している。男性兵士だけではいずれ人材が枯渇するという危機感から女性に手を広げている。

朝日新聞(夕刊)でこんななか/\考へさせられる記事を読んだ。その隣の記事がこちら。

岡田育(ハジッコを生きる)マイノリティが多数派の街:朝日新聞

ほんとうに文章が上手い。やさしい言葉で書いてゐるのだが内容はとても深い。句読点まで心地よい。敬服。

ニューヨークは世界の中心とも呼ばれるが、地球上のありとあらゆるハジッコ者が流れ着いてひしめき合って、てんでばらばらに我が道を行くような、無理してみんなを中央揃えさせる必要はないと言わんばかりの、多様性の街でもある。日本社会ではマジョリティ側のハジッコに属していた私も、ここでは見事にマイノリティで、そして少数派の寄せ集めが最大多数派となるこの街が、故郷よりずっと生きやすい。

柯宗明『陳澄波を探して - 消された台湾画家の謎』(岩波書店)

辰年三月初初八。気温摂氏10.8/24.6度。晴。水戸の最高気温と同じなのが八戸、そして小樽とは。また春を通り越して夏に向かはうとしてゐる。キッチンのツリガネソウも数日でツボミがすつかり開花。


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柯宗明著『陳澄波を探して - 消された台湾画家の謎読む。栖来すみきひかり訳。 一言でいへば「岩波書店刊なのだが徳間書店?」のテイストであつた。時は1984年。駆け出しの画家(阿政)は台湾の昔の西洋画の修復の依頼を受ける。陳澄浪といふ画家の作品だが阿政はその画家のことを全く知らず新聞記者(方燕)と一緒に陳澄浪について調査を始める。1984年当時の台湾はまだ蔣経国の時代で戒厳令下。

日本時代の台湾美術史は、光復(台湾の中華民国への編入)後にはなかったことになって美術学科の学生でさえよく知らない。

陳澄浪(1895~1947)は台湾嘉儀出身の西洋画家。大正時代に東京美術学校(のちの東京芸大)に学び台湾に戻り上海でも西洋画を教へ戦時中は台湾にあり日本の敗戦で「光復」を嘉儀で迎へる。その陳澄浪について何も資料がない上に当時の関係者はなぜ全てを語らうとしないのか。二人はいくつかの証言や陳澄浪の作品からさまざまな謎を解かうと挑む。この本の原題は『陳澄浪密碼』で直訳すれば「陳澄浪のコード」。これが「ダヴィンチのコード」「のやうなもの」なのは察すも容易。

陳澄波を探して 消された台湾画家の謎 

だが「謎解き」どころかある程度、台湾現代史を知る者なら陳澄浪が1947年に亡くなり陳澄浪といふ画家の存在ぢたいがタブーのやうに扱はれるのなら、それが1984年の国民党政府による戒厳令下だとすれば澄浪が二二八事件の年に粛清されたのだらう、と思ふ。それ以上の「驚き」は用意されてゐない。1984年なら、その当時にこれを読んだら「コードの解き明かし」も面白いものだらうが当時ならこれは出版すら危ぶまれただらう。思ひ返せば1984年はアタシが初めて台湾を訪れた年。香港から高雄に入つたのだが中共帰りでリュックには鄧小平文撰や劉少奇選集、新聞などあつて空港で念入りに荷物検査され持込み禁止品扱ひで台北蒋介石空港)で出境の際に渡すといふ措置がとられた時代。台湾ではまだ名目として「光復大陸」が掲げられてゐた。閑話休題 陳澄波の生涯はまさに壮絶なもので(それを書いてしまふとこの本のネタバレになるのでそれは避けるが)それは後世、きちんと残されることには意義あり。だが阿政と方燕によるコード解読(謎解き)があまりにトクマノベルズっぽいのだ。それが悪いとはいはない。それはそれで愛読者がゐて娯楽小説として楽しめれば良い。だが陳澄浪といふ画家につき史実にはないフィクションをかなり盛り込み、こんな読物にするのが何とも気になるところ。ほんとかフィクションかわからないが主人公が自らを「日本国台湾の福建人」と名乗る場面があつた。台湾の漢人系をじつによい言ひ回しだとは思ふが当時なら「大日本帝国台湾の福建人」なのだらう。

あの時代の人たちは、左派か右派かで罪に問われたんじゃない。正義に燃えることこそが罪とされたんだ。正義を追い求めるのは、どの政党を支持しようと結局は独裁者によって亡き者にされたんです。

この言葉は印象に残る。まさに「正義に燃えること」は日本でなど時代とともに消去されてゐる。

【台湾直送】台湾小説/ 陳澄波密碼 台湾版 柯宗明 陳澄波を探して 消された台湾画家の謎 台湾書籍

【皐月賞】ジャスティンミラノ3戦無敗でレコードV「康太が後押ししてくれた」戸崎騎手 |  日刊スポーツ

昨日の皐月賞、先日騎乗中の事故で他界した藤岡康太騎手が調教で鞍上にあつたジャスティンミラノ(2番人気)がコースレコード更新で優勝。76年ぶりの牝馬優勝期待されたレガレイラが1番人気だつたが6着。騎手がドバイで負傷のルメールから北村宏に替はりレガレイラ外してジャスティンミラノを軸にしたまでは予想良かつたがアシに皐月賞好調の横山武騎乗のアーバンシック(4着)とメイショウタバルしんがりで振るはず。この春の競馬は今日まで勝ちなしである。

七会村

辰年三月初七。気温摂氏10.0/26.5度。晴。各地で4月の観測史上最高気温更新。水府など涼しい方で北陸から東北は猛暑。新潟の三条で32.5度を記録し横手や鶴岡など30度超。札幌の気温が水戸と同じ。二ヶ月に一度の通院で定期検診。主治医K先生昨日から発熱で本日休診。非常勤の若い医師がよく対応してくれる。家人と駅ビルで待ち合はせ買ひ物。ビックカメラで選んだ炊飯器在庫なしで注文済ます。通院で朝食抜きだつたので早めの昼食のところ家人が旧七会村(現城里町)の物産センター(山桜)にある蕎麦やに行つてみませうかといふので山の桜を愛でながらのドライブに。七会村ななかいむらは不思議な地名だが明治22年に七つの村合併でこの名前になつたさう(Wiki)。平成17年の合併の前は茨城で最も人口の少ない市町村だつたさう(合併時の人口2,384人)。県境の山越えすると栃木県の茂木町。城里物産センター山桜に到着は11時半前だつたが食堂(蕎麦や)はぎり/\卓につけたがアタシらのあとは行列。

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蕎麦は機械での製麺で天ぷらもサラダ油天ぷらだが蕎麦粉は地元産の良質なもので天ぷらのタネも舞茸やキノコ、ナスや青菜なども新鮮でじつに美味い。売店で野菜や好物のたがね餅など購入。

たがね餅(たがねもち) | にっぽん伝統食図鑑 | 農林水産省

往路で家人に国の登録有形文化財に指定されてゐる「島家住宅」があると教へられ復路でこちらに寄る。

島家住宅主屋 – 茨城県教育委員会

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江戸時代にこの地の庄屋だつた島家の住宅で今でも定期的に「燻蒸くんじょう」と呼ばれる作業が行はれてゐるのだといふ。

城里町 地域おこし協力隊

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こちらの屋敷にあつた便所は数年前に取り壊されたさうで庭に作業者や見学者のためなのだらう簡易トイレがあつたが簡易の極みで、しかも小便器が母屋の前庭の方を向いてゐて、これには何とも……あばらかべっそん。

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テレビ番組「月曜から夜更かし」(録画)で中国広州取材の内容を放送してゐた。「月曜から」の知名度と人気も大したものだが彼らにとつて、この番組の気楽さがどれだけ気休めになるかの証左。取材に応じる広州市民の言語は普通話と広東語が半々。当然だが庶民のそのへんのおっちゃんやおばちゃんほど広州話がにぎやか。

天狗党筑波山挙兵から160年

辰年三月初六。気温摂氏9.1/22.8度。晴。服装はすぐに夏物になりさうだが兎に角、厚手の冬物は仕舞はないといけない。薄手→厚手と出してゆくのは容易だが逆は衣類の整理が面倒。家人が先妣のもつてゐたお守りをまとめてあり神社に返納しようとなる。八幡宮はもう烈公(徳川斉昭)お手植ゑの左近の桜ももう見ごろ過ぎたかも知れないが午後に八幡宮へ。途中、母校の小学校の桜が美しい。母校は今の水戸芸術館のところで移転した場所はかつての水戸の警察学校で当時からの桜のはず。


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すると普段は人通りも少ない金町通りが何だか賑やか。近づくと祭り提灯が並び法被姿の威勢の良い兄さん姉さんたち。八幡宮の春の例大祭が本日。小中と同窓のA君が神輿の社中で取り纏め役で行列は八幡宮に戻る手前、金町通りで休憩中だつたのでA君と暫し歓談。


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神職がご神体の神輿を引き祭り神輿の続く行列が八幡宮に戻ると賑やかになるので先に八幡宮でお守り返納済ませ八幡宮を辞す。八幡宮境内の烈公お手植ゑの桜はもうやはり葉桜。社務所は行列が戻る前で例大祭が済んだあとの酒肴の準備に忙しい。暫くすると遠くまで境内で神輿を担いでゐるのだらう、賑やかな音が聞こえてきた。


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八幡宮から崖下におりて湧き水の豊富な道を歩けば野良猫ミカが出迎へてくれたものだつたが冬前に近くの自動車修理工場にミカは住処を得たやうで最近見かけない。保和苑の谷の紫陽花もずいぶんと芽吹いて葉が青々としてきてもゐる。保和苑の遊園地も桜の花びらが一面に。八幡宮の喧騒がウソのやうにこちらはひっそり。

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保和苑に隣接の(といふかもと/\は保和苑も寺社地)桂岸寺の枝垂れ桜もよろしい。

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桂岸寺の隣はかつての水戸藩常磐共同墓地が広がる。その入口の大きな桜の木の下に整然と並ぶ墓石は水戸殉難志士之墓。元治元年の筑波山挙兵(天狗党の乱)に関はり処刑された尊王攘夷志士の遺体を集め明治3年に埋葬されたのがこちら。元治元年(1964)この挙兵は三月なので旧暦ならちょうど160年前の今頃。今の時代はもう当時の若者たちのやうな政治的な熱意もなにもない。

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この殉難志士之墓で墓守なのかいつも佇んでゐる猫が近くの飼ひ猫の「ふう」ちゃん。いつも殉難志士の墓石に凭つて微睡んでゐる。桂岸寺の境内までが彼の縄張り。とても人懐こく今日も常磐共同墓地に墓参りに来られた長野ナンバーの車の家族にも愛想をうつてみせてゐた。


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八幡宮の春の例大祭の賑やかな騒ぎがこちらまで聞こえてくる。あれはあれで宜からうがアタシは神輿を担いだり騒いだりできないので、こちらのやうな安静とした場所が好き。桂岸寺は「廿三夜尊」と呼ばれるのは旧暦の毎月廿三日が縁日だつたから。子どもの頃は廿三夜尊を略して「三夜尊さんやさん」と愛称で呼んでゐた。三夜尊の参道も今では営業してゐるのは木蘭酒家の一軒だけ。こちらの小菜の小皿料理を肴に青島啤酒をぐい/\煽る。

甲辰年三月初五

気温摂氏9.5/16.3度。晴。昨年、東京国立科学博物館が冷房の電気料金すら工面難しいとクラウドファンディングに訴へ日本の貧困さに唖然としつゝ気持ち程度に寄付。想定超える寄付集まつたが返礼品の対応も難しいほどで約束のそれがやつと届いた。

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礼品は長谷川和範「貝のスケッチ」のキャンバストートバッグ(34×26×10cm) 。松戸の小学5年生(この春6年か)IR君に差し上げると約束してゐたので早速お送りする。

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大谷通訳疑惑で日本のメディアは「紐育タイムズの報道によれば」と盛んに報じているが同紙で電子版にはその報道あるものゝ手許にあつた紙面(NYT Int’l Edition)にはOJシンプソンと曙の訃報はあっても大谷通訳疑惑の報道は今日に限らず全くない。「大谷通訳疑惑に社会性が全くない」という判断か。日本人にとつては日本人の大リーグスター選手が「被害者」でも何せ野球じたがい世界的にはメジャースポーツではない。ならば電子版で良いのかもしれない。通訳さんが刑事訴追されると記事になるかしら。

フランス語と私⑤内田樹「日本人」を一度手放して:朝日新聞

オーラル(会話)中心の語学教育というのが植民地支配の道具だからなんでしょうね。植民地の住民は宗主国民の命令が聴き取れれば十分であってマニュアル以上の複雑な文章を読む能力は要らない。(略)外国語を学ぶとは本来、世界は広いと思い知ること。だから、どこかで一度日本人のものの見方を手放さないといけない。フランス語ならフランス人の宇宙観、時間意識まで入り込まないと意味はわからない。

旧制高校の語学学習といふのは樹先生の仰る、かういふものだつたのだらう。アタシにとつての中国語も「読める」が先行してしまつて聴解、尚更に会話が一向に上手にならなかつた。英語はなにせ語彙力が乏しいまゝなので会話がある程度上達したが。毎年「4月ある/\」でNHKラヂオでフランス語講座を聞き始めた。フランス語、スペイン語はできれば旅行で不自由しない程度の基礎会話くらゐはできるやうになりたいのだが。

キシダ米議会の歓迎に「日本の国会ではこんなすてきな拍手ない」:時事通信 

バカである。同じコメントするにしても苦虫を噛み潰したやうな表情なら一流だし多少の共感も得られる。ジョークが受けて満面の笑み、がバカである。

米議会で演説する岸田文雄首相=11日、華府(AFP時事)

昭和天皇ゆかりの台湾の桜を水府に

辰年三月初四。気温摂氏9.5/16.3度。曇。

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鉢植ゑのハイビスカスは昨年晩秋の剪定が良かつたのか陽当たりよく暖かい室内でかなり蕾もついてこんなに咲き始めた。

昭和天皇ゆかりの桜植樹祭及び記念碑除幕式 | 高橋靖「水戸市長の安心水戸ふるさと日記」

本日、水府でこの桜植樹祭あり。水戸市少年の森。台湾に行くと昭和天皇が大正帝摂政の大正12年にあつた台湾行啓に纏はる史跡(記憶)が少なからず御宿泊所の建物など貴重に遺されてゐたり。昭和天皇訪台に縁りの寒緋桜からの株分けの苗木が靖国神社を最初に日本各地で植樹されてゐるのださう(台北市民が植樹したもので摂政お手植ゑではないのださうだが)。これを推進してゐるのが(財)日台友好桜里帰り文化交流会で現在の代表が原田義昭(元環境相)。統一教会との関係も深く日韓トンネルの事実上の代表もこの方なんだとか。この財団の創設者が加瀬英明(故人)であるから財団の性格も自ずと知れたところ。自民党でいへば岸信介からの流れ。水戸の桜山にある茨城縣護國神社にこそ、といふ植樹だが今回は「水戸市の公的な場所に」といふ発意なのでせう。それなら千波湖畔も桜の植樹には適してゐるが、こちらには水戸と友好交流都市で人口100倍余!の重慶市に纏はる「重慶広場」があつて、そこには「日中不再戦之碑」もあり。これは日中国交回復で自民党田中派から社会党あたりまでをカバーしてゐる。

日中不再戦之碑建立20周年記念式典及び祝賀会 | 高橋靖「水戸市長の安心水戸ふるさと日記」

市長はじめ自民党の先生方がその日中友好と日台友好のいずれをもカバーしてゐることがわかる。間口が広いといふか了見が何とか……といふか。中国側にしたらこれは面白くないのだらうが。

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キッチンにツリガネソウ。