甲辰年三月初初八。気温摂氏10.8/24.6度。晴。水戸の最高気温と同じなのが八戸、そして小樽とは。また春を通り越して夏に向かはうとしてゐる。キッチンのツリガネソウも数日でツボミがすつかり開花。
柯宗明著『陳澄波を探して - 消された台湾画家の謎』読む。栖来ひかり訳。 一言でいへば「岩波書店刊なのだが徳間書店?」のテイストであつた。時は1984年。駆け出しの画家(阿政)は台湾の昔の西洋画の修復の依頼を受ける。陳澄浪といふ画家の作品だが阿政はその画家のことを全く知らず新聞記者(方燕)と一緒に陳澄浪について調査を始める。1984年当時の台湾はまだ蔣経国の時代で戒厳令下。
陳澄浪(1895~1947)は台湾嘉儀出身の西洋画家。大正時代に東京美術学校(のちの東京芸大)に学び台湾に戻り上海でも西洋画を教へ戦時中は台湾にあり日本の敗戦で「光復」を嘉儀で迎へる。その陳澄浪について何も資料がない上に当時の関係者はなぜ全てを語らうとしないのか。二人はいくつかの証言や陳澄浪の作品からさまざまな謎を解かうと挑む。この本の原題は『陳澄浪密碼』で直訳すれば「陳澄浪のコード」。これが「ダヴィンチのコード」「のやうなもの」なのは察すも容易。
だが「謎解き」どころかある程度、台湾現代史を知る者なら陳澄浪が1947年に亡くなり陳澄浪といふ画家の存在ぢたいがタブーのやうに扱はれるのなら、それが1984年の国民党政府による戒厳令下だとすれば澄浪が二二八事件の年に粛清されたのだらう、と思ふ。それ以上の「驚き」は用意されてゐない。1984年なら、その当時にこれを読んだら「コードの解き明かし」も面白いものだらうが当時ならこれは出版すら危ぶまれただらう。思ひ返せば1984年はアタシが初めて台湾を訪れた年。香港から高雄に入つたのだが中共帰りでリュックには鄧小平文撰や劉少奇選集、新聞などあつて空港で念入りに荷物検査され持込み禁止品扱ひで台北(蒋介石空港)で出境の際に渡すといふ措置がとられた時代。台湾ではまだ名目として「光復大陸」が掲げられてゐた。閑話休題 陳澄波の生涯はまさに壮絶なもので(それを書いてしまふとこの本のネタバレになるのでそれは避けるが)それは後世、きちんと残されることには意義あり。だが阿政と方燕によるコード解読(謎解き)があまりにトクマノベルズっぽいのだ。それが悪いとはいはない。それはそれで愛読者がゐて娯楽小説として楽しめれば良い。だが陳澄浪といふ画家につき史実にはないフィクションをかなり盛り込み、こんな読物にするのが何とも気になるところ。ほんとかフィクションかわからないが主人公が自らを「日本国台湾の福建人」と名乗る場面があつた。台湾の漢人系をじつによい言ひ回しだとは思ふが当時なら「大日本帝国台湾の福建人」なのだらう。
あの時代の人たちは、左派か右派かで罪に問われたんじゃない。正義に燃えることこそが罪とされたんだ。正義を追い求めるのは、どの政党を支持しようと結局は独裁者によって亡き者にされたんです。
この言葉は印象に残る。まさに「正義に燃えること」は日本でなど時代とともに消去されてゐる。
【皐月賞】ジャスティンミラノ3戦無敗でレコードV「康太が後押ししてくれた」戸崎騎手 | 日刊スポーツ
昨日の皐月賞、先日騎乗中の事故で他界した藤岡康太騎手が調教で鞍上にあつたジャスティンミラノ(2番人気)がコースレコード更新で優勝。76年ぶりの牝馬優勝期待されたレガレイラが1番人気だつたが6着。騎手がドバイで負傷のルメールから北村宏に替はりレガレイラ外してジャスティンミラノを軸にしたまでは予想良かつたがアシに皐月賞好調の横山武騎乗のアーバンシック(4着)とメイショウタバルしんがりで振るはず。この春の競馬は今日まで勝ちなしである。