富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

台湾の少年(來自清水的孩子)

辰年三月十四日。気温摂氏13.1/20.0度。曇。先日、柯宗明『陳澄波を探して - 消された台湾画家の謎』(岩波書店)を読んで岩波から台湾モノでは『台湾の少年』といふ作品も上梓されてゐるのは知つた。

本書の主人公、蔡焜霖は、1930年、日本統治時代の台湾に生まれる。読書が好きで成績優秀な子どもであり、教育者になることを夢見ていたが、少年時代は戦争の色濃い時代でもあった。終戦後、国民党政権が台湾に移ってからは北京語を改めて学び、高校卒業後は町役場に勤めるのだが、ある日憲兵が訪ねてきて……。日本統治時代から戒厳令下の時代、民主化を経て現代まで、時代の荒波に揉まれたある非凡な個人の歴史からたどる台湾現代史全4巻。

蔡焜霖(1930~2023)の数奇な生涯を描く。原題は『來自清水的孩子』。この「前書き」で何となく何が起きたか、はわかる気がして全4巻といふ大きさにすぐに食指伸びずにゐたのだが家人が市立図書館の開架にあつて借りてきて読み始めたといふ。すぐに第1巻の半分ほど読んでしまつたといふので驚いたら、これは漫画なのだつた。

『台湾の少年』第1「 統治時代生まれ」歴史グラフィックノベル『台湾の少年』(全4巻) | 岩波書店

それなら一気にいけるか、と通読。戦前の台湾で日本の教育を受けた世代。15歳で敗戦である。大日本帝国の解体で日本の植民地といふ状況から解放されたのだが中華民国による統治が悪夢となる。

李登輝さんの民主改革はぼくにあることを教えてくれました大切なのは革命そのものではなく平和裏に行われる改革なんです。それは会社も国家も同じで、それこそが正しい道なんです。(蔡焜霖)

李登輝総統は蔡さんより7歳上。李登輝も国民党の台湾統治でかなり危ない状況にあつたが蒋経国の寵愛を受け、その庇護下にあり農政の学者が欽定で55歳に台北市長に抜擢され副総統から経国逝去で総統に、といふ、こちらもかなり数奇な生涯である。この『台湾の少年』のなかにも戦後の台湾の民主化にあたり台湾基督長老教会の1970年代に果たした役割についての記述あり。李登輝が同教会の信者。神の僕となる登輝の基督教入信が1961年で蒋経国から直々の勧誘で国民党入党(事実上の政治的転向である)が1971年。

「台湾の少年」のモデル蔡焜霖さん死去 戒厳令下「パーマン」を紹介:朝日新聞

この全4巻で各巻に(第3巻は不明)別冊の解説あり。第4巻の解説は

鈴木賢明治大学法学部教授/台湾大学法律学客員教授による〈「台湾人は親日」は本当か〉で、これがとても考へさせられる内容であつた。

日本にとる台湾統治が台湾にある種の「近代」をもたらしたとしても、それはあくまでも日本のために行った植民地統治による反射的利益、つまり「おまけ」のようなものに過ぎません。そのようなものを日本人が誇らしげに、恩着せがましく語るのは傲慢だし、差別を受けていた台湾人に対しては実に無礼なことだと感じます。

御意。自民党の親台派のオヤヂ連中、それは市町村の首長、議員レベルまで一木一草に宿るところ(下草ほどそれがひどい)の“I❤️Taiwan”のあの心意気。何とも呆れる以外の何ものでもない。その阿呆どもを議員にしてゐるのが我々なのである。南無阿弥。

台湾の少年(全4巻セット)

友枝雄人シテ〈三輪〉神遊@国立能楽堂

辰年三月十二日。気温摂氏8.7/24.6度。晴のち曇。神田淡路町で散髪(The Gollum)ののち新お茶の水→湯島で上野池之端組紐道明〉へ。誂へた蝶ネクタイと懐中時計紐(銀鼠色)の受け取り。不忍池の辺りに出るとまことに暑い。東京の最高気温26.1度。湖畔でかなり良い調子で飲んでゐるオヤヂたちのなかに超ミニのワンピースで肢体も露はな女装さんがゐるのはやはり場所柄(上野オークラ特選劇場近く)。


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千駄ヶ谷国立能楽堂喜多流。シテ友枝雄人〈三輪〉で「神遊かみあそび」の小書き。村上湛君の解説あり。近代の国家神道といふ虚構、神社本庁には叱られるだらう、とんでもない邪論の極みのやうな話なのだが面白い。「神話」はけして真理だとか一つではない。湛君曰く「神話はその時代/\の人々による読み方による」。神話はテクスト。そのテクストの解釈は確かに時代によりいくらでも正邪なんでもあり。「神楽」から「破ノ舞」にかけてまるで「ミュージカルのやう」のお祭り騒ぎ、幽玄どころではないが、これはこれで面白い。本日の囃子方は皷の大小が大倉慶乃助と成田達志、太鼓は小寺真佐人で笛は栗林祐輔。このセッションがこの音楽劇にじつに適合。笛の後見に松田先生。「神楽」から「破ノ舞」にかけ笛が実に面白いところ栗林祐輔さんまことに表現豊かに務められた。

日比谷。ブルックスブラザースでともてきれいな黄色のカーディガンに一目惚れしたのだけど昨年秋からちょっと衣料費支出超で自省。外国特派員協会。ウシュマさん(スリランカ)の名古屋入管だとかジャニーズ(BBC)だとかで、こちらでの記者会見が印象的。かつては有楽町電気ビルヂングにあつたのがこちら(二重橋ビル)に移転してゐた(いずれも三菱地所所有か)。香港のFCCであれだけ飲んだくれてゐたのも懐かしい。本日はこちらで香港でもうどれほど前かバーテンダーしてゐたK君が「日本酒を極める!」と帰国してはせがわ酒店に入り東京駅地下で店頭に立ち、その後、輸出のセクションが麻布十番の店舗にあつて、そこでK君にあつたのが最後だつたかも。その後、K君は日本酒販売で企業して(さくら酒店)本日、外国人記者協会でこのイベントあり。

Sake Dinner Kai: Japanese Cuisine and Sake Pairing | FCCJ

ピンで参加だつたのでカウンターでピンの参加者で並んで座る。両側、こちらのFCCJのメンバーの方で、かういふクラブのメンバーの方であるのでとても社交的で一見の外来種にもまことに好意的に接していたゞく。「ぜひメンバーになつてください」といはれるが「有楽町(電気ビル)のときはほんと便利な場所だつたんんですけどね」とほんとその通りで有楽町だつたら気軽に寄れたが日比谷のこちらには(日比谷で観劇もないと)さう頻繁には足を運べないだらう。


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三重の寒梅梅、伯楽星、群馬の淡緑山廃、七本鎗だとかずいぶんと御酒をいたゞく。あつといふ間の3時間で20時半にお開き。数寄屋橋渡り銀座サンボアへ。ダブルのハイボール二杯飲む。帰りの常磐線特急で隣席にも客がゐて道明の紙袋を棚に載せて深酒熟睡であつといふ間に水戸駅に着き慌てゝ降りたら棚の荷物を忘れた!改札で遺失品の手続き。帰宅後に高萩行きの特急で高萩駅で現物を拾得と連絡をもらふ。

無印のルームスリッパ

辰年三月十一日。穀雨。気温摂氏13.3/21.7度。曇。北風強し(18.6m)。晩にある団体の年度末/始の宴会あり末席を汚す。宴会といふものにほんと乗りを合はせられぬ体質が悪化してしまつた。二次会嫌ひもあり。事前に会費を払つてゐたので宴会に財布不所持で参加。一次会終はり早々に帰宅。

無印で590円(US$3.8)のルームスリッパ。サイズ(長さ)は合つてゐたが甲を包む部分がキツすぎて普段なら数日履いてゐれば多少伸びるのだけど、この素材では無理。アタシの足が多少甲高なこともあるけれど親指と小指の付け根あたりが赤く腫れるほどでシューキーパーで伸ばしてみるが、それでもキツくて酒瓶で拡張プレイ。それでやつと履けるやうになつた。

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無印では以前、冬用のスリッパで底の厚みがズレてしまひバランス悪くなりカスタマーサポートに電話したら送料着払ひで送るやう指示あり無印から代替品送り返してくれたこともあつた。評判のよい無印のルームスリッパなのだが。

近江屋洋菓子店のガチャ

辰年三月初十。13.3/20.3度。曇。昨晩遅く豊後水道に面した愛媛、高知で震度6弱地震あり。本日、市立中央図書館の映画上映会で山本嘉次郎監督〈春の戯れ〉上映あり。楽しみにしてゐたが雑事多忙にて参れず残念。

知己の女性から「これあげるわ」とこれをいたゞいた。

その女性は近江屋洋菓子店loveの女性でガチャで近江屋洋菓子店シリーズの再販を見つけ初回では気づいたときはもう入手できず今回かなりリキ入れて探して水戸駅にも構内の「ガチャ場」にあつたさう。かなり投資した結果、当然ガチャでダブるアイテムがあり、このアップルパイが2つになつたとき「誰か近江屋洋菓子店が好きな女子友にあげよう」と思つたところ「あ、それよか」とアタシの顔が浮かんださう。ありがたい。昨日の時点で品薄でガチャは提供の期間と販売数制限することで購買意欲煽る、次は絶対に入手しよう!と思はせる商法なので、もう今回の再販は終焉に近いらしい。

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繁華街に空地が目立ち空き店舗や駐車場ばかりなのは地方都市のよくある光景で水戸も同様。そこに建てられるのは穴吹建設のマンション(サーパス)ばかりで、このまゝでは水府はバッドマンのゴッサムシティならぬサーパスシティになるのでは?とすら思ふほど。結局のところ地面師による土地投機が続くのであらう。それを市街地再活性化と称して市役所が公金で支援するのだから。共産党水戸市議団のチラシが陋宅にもポスティングされてゐたが指摘の通りである。

水戸市中心市街地活性化基本計画について - 水戸市

水戸市中心市街地活性化するのであればどし/\一等地に低層階の商業ビルなり緑地なり市営住宅を建設すれば良い。こんな地方都市の市街地でもマンションとなると60平米ほどで7,000万円〜とかで売り出すのだから購入できるのはそれなりの所得層だけ。結局のところ地主とゼネコンに利益が流れるだけ。それでどうして市街地の活性化が出来るのか。所詮、土建政治なのである。

 

大石真『チョコレート戦争』

辰年三月初九。気温摂氏13.2/23.9度。早朝に俄雨のち曇。午後晴れ。

チョコレート戦争 (フォア文庫 愛蔵版)

突然なぜ大石真『チョコレート戦争』(理論社)のこれを読んだのかきっかけが思ひ出せない。昭和40年の刊行で当時から人気の児童読み物だから小学校の図書館とかにあつたのだらう。だが読んだ記憶がない。小学生のころから児童図書とか「子ども向きは幼稚で好かない」と思つて目もくれなかつたのかもしれない。

ケーキやさんのウィンドウガラスが割れて、いあわせた明と光一が犯人にされてしまう。身に覚えのない罪をきせられたことから、子どもたちは町一番のケーキ屋さんに戦いをいどみます。(Google Books)

これも児童読み物とはいへジャンル的には推理小説である。だから「犯人は誰だ」なのだが、その謎解きの結末が「偶然の出来事」では面白くない。勿論「偶然の出来事」でまるで意図してゐなかつたアクシデントが生じたり不慮の事故だとか、自分が突然その事件の犯人とされてしまふことなど事実、あるだらう。だがフィクションで何か起きた事件の発端が偶然のことで、その加害者……ではないな、そんな意識もないのだから、だから「能動者」とでもしておくが、だからそんな「実はそんな能動者がゐました」はフィクションの小説で用ゐてはいけないと思ふ。こんなプロットを使つたらフィクションなどいくらでも出来てしまふ。この小説でも「ケーキやさんのウィンドウガラスが割れて、いあわせた明と光一が犯人にされてしまう」といふ発端は良いが、ではなぜ「ケーキやさんのウィンドウガラス」が割れたのか、を何か事件の因縁深い背景であるとか(横溝正史)、あるいは巧妙な仕掛けがあつたとか(江戸川乱歩)、さういふ何かしらの「知恵比べ」があれば児童小説としても面白いが「偶然でした」ではダメだろ。それがなぜこんなに評判になつたのか、当時の識者がこれを名作とするのか、が理解できなかつた。この子どもたちは無実の罪が晴れて、とされるがそも/\仕返しとはいへ窃盗を計画して立派に実行してゐるのだから、それだけでも叱られて当然の「悪い子」のはず。少年院に送らるほどではないが保護観察処分だらう。それが許容されのが1960年代、革命と毛澤東主義の時代を反映してゐるやうに思へたのでした。

戦争とジェンダー①「増える女性兵士、背景に国の思惑」一橋大教授・佐藤文香:朝日新聞

女性兵士の増加はジェンダー平等でいいことだと片付けるのではなく国家や軍が女性に門戸を開く背景にどんな動機があるのかと考えることが大切。(略)先進諸国の多くは少子高齢化がすすみ兵士のなり手不足に直面している。男性兵士だけではいずれ人材が枯渇するという危機感から女性に手を広げている。

朝日新聞(夕刊)でこんななか/\考へさせられる記事を読んだ。その隣の記事がこちら。

岡田育(ハジッコを生きる)マイノリティが多数派の街:朝日新聞

ほんとうに文章が上手い。やさしい言葉で書いてゐるのだが内容はとても深い。句読点まで心地よい。敬服。

ニューヨークは世界の中心とも呼ばれるが、地球上のありとあらゆるハジッコ者が流れ着いてひしめき合って、てんでばらばらに我が道を行くような、無理してみんなを中央揃えさせる必要はないと言わんばかりの、多様性の街でもある。日本社会ではマジョリティ側のハジッコに属していた私も、ここでは見事にマイノリティで、そして少数派の寄せ集めが最大多数派となるこの街が、故郷よりずっと生きやすい。

柯宗明『陳澄波を探して - 消された台湾画家の謎』(岩波書店)

辰年三月初初八。気温摂氏10.8/24.6度。晴。水戸の最高気温と同じなのが八戸、そして小樽とは。また春を通り越して夏に向かはうとしてゐる。キッチンのツリガネソウも数日でツボミがすつかり開花。


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柯宗明著『陳澄波を探して - 消された台湾画家の謎読む。栖来すみきひかり訳。 一言でいへば「岩波書店刊なのだが徳間書店?」のテイストであつた。時は1984年。駆け出しの画家(阿政)は台湾の昔の西洋画の修復の依頼を受ける。陳澄浪といふ画家の作品だが阿政はその画家のことを全く知らず新聞記者(方燕)と一緒に陳澄浪について調査を始める。1984年当時の台湾はまだ蔣経国の時代で戒厳令下。

日本時代の台湾美術史は、光復(台湾の中華民国への編入)後にはなかったことになって美術学科の学生でさえよく知らない。

陳澄浪(1895~1947)は台湾嘉儀出身の西洋画家。大正時代に東京美術学校(のちの東京芸大)に学び台湾に戻り上海でも西洋画を教へ戦時中は台湾にあり日本の敗戦で「光復」を嘉儀で迎へる。その陳澄浪について何も資料がない上に当時の関係者はなぜ全てを語らうとしないのか。二人はいくつかの証言や陳澄浪の作品からさまざまな謎を解かうと挑む。この本の原題は『陳澄浪密碼』で直訳すれば「陳澄浪のコード」。これが「ダヴィンチのコード」「のやうなもの」なのは察すも容易。

陳澄波を探して 消された台湾画家の謎 

だが「謎解き」どころかある程度、台湾現代史を知る者なら陳澄浪が1947年に亡くなり陳澄浪といふ画家の存在ぢたいがタブーのやうに扱はれるのなら、それが1984年の国民党政府による戒厳令下だとすれば澄浪が二二八事件の年に粛清されたのだらう、と思ふ。それ以上の「驚き」は用意されてゐない。1984年なら、その当時にこれを読んだら「コードの解き明かし」も面白いものだらうが当時ならこれは出版すら危ぶまれただらう。思ひ返せば1984年はアタシが初めて台湾を訪れた年。香港から高雄に入つたのだが中共帰りでリュックには鄧小平文撰や劉少奇選集、新聞などあつて空港で念入りに荷物検査され持込み禁止品扱ひで台北蒋介石空港)で出境の際に渡すといふ措置がとられた時代。台湾ではまだ名目として「光復大陸」が掲げられてゐた。閑話休題 陳澄波の生涯はまさに壮絶なもので(それを書いてしまふとこの本のネタバレになるのでそれは避けるが)それは後世、きちんと残されることには意義あり。だが阿政と方燕によるコード解読(謎解き)があまりにトクマノベルズっぽいのだ。それが悪いとはいはない。それはそれで愛読者がゐて娯楽小説として楽しめれば良い。だが陳澄浪といふ画家につき史実にはないフィクションをかなり盛り込み、こんな読物にするのが何とも気になるところ。ほんとかフィクションかわからないが主人公が自らを「日本国台湾の福建人」と名乗る場面があつた。台湾の漢人系をじつによい言ひ回しだとは思ふが当時なら「大日本帝国台湾の福建人」なのだらう。

あの時代の人たちは、左派か右派かで罪に問われたんじゃない。正義に燃えることこそが罪とされたんだ。正義を追い求めるのは、どの政党を支持しようと結局は独裁者によって亡き者にされたんです。

この言葉は印象に残る。まさに「正義に燃えること」は日本でなど時代とともに消去されてゐる。

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【皐月賞】ジャスティンミラノ3戦無敗でレコードV「康太が後押ししてくれた」戸崎騎手 |  日刊スポーツ

昨日の皐月賞、先日騎乗中の事故で他界した藤岡康太騎手が調教で鞍上にあつたジャスティンミラノ(2番人気)がコースレコード更新で優勝。76年ぶりの牝馬優勝期待されたレガレイラが1番人気だつたが6着。騎手がドバイで負傷のルメールから北村宏に替はりレガレイラ外してジャスティンミラノを軸にしたまでは予想良かつたがアシに皐月賞好調の横山武騎乗のアーバンシック(4着)とメイショウタバルしんがりで振るはず。この春の競馬は今日まで勝ちなしである。

七会村

辰年三月初七。気温摂氏10.0/26.5度。晴。各地で4月の観測史上最高気温更新。水府など涼しい方で北陸から東北は猛暑。新潟の三条で32.5度を記録し横手や鶴岡など30度超。札幌の気温が水戸と同じ。二ヶ月に一度の通院で定期検診。主治医K先生昨日から発熱で本日休診。非常勤の若い医師がよく対応してくれる。家人と駅ビルで待ち合はせ買ひ物。ビックカメラで選んだ炊飯器在庫なしで注文済ます。通院で朝食抜きだつたので早めの昼食のところ家人が旧七会村(現城里町)の物産センター(山桜)にある蕎麦やに行つてみませうかといふので山の桜を愛でながらのドライブに。七会村ななかいむらは不思議な地名だが明治22年に七つの村合併でこの名前になつたさう(Wiki)。平成17年の合併の前は茨城で最も人口の少ない市町村だつたさう(合併時の人口2,384人)。県境の山越えすると栃木県の茂木町。城里物産センター山桜に到着は11時半前だつたが食堂(蕎麦や)はぎり/\卓につけたがアタシらのあとは行列。

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蕎麦は機械での製麺で天ぷらもサラダ油天ぷらだが蕎麦粉は地元産の良質なもので天ぷらのタネも舞茸やキノコ、ナスや青菜なども新鮮でじつに美味い。売店で野菜や好物のたがね餅など購入。

たがね餅(たがねもち) | にっぽん伝統食図鑑 | 農林水産省

往路で家人に国の登録有形文化財に指定されてゐる「島家住宅」があると教へられ復路でこちらに寄る。

島家住宅主屋 – 茨城県教育委員会

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江戸時代にこの地の庄屋だつた島家の住宅で今でも定期的に「燻蒸くんじょう」と呼ばれる作業が行はれてゐるのだといふ。

城里町 地域おこし協力隊

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こちらの屋敷にあつた便所は数年前に取り壊されたさうで庭に作業者や見学者のためなのだらう簡易トイレがあつたが簡易の極みで、しかも小便器が母屋の前庭の方を向いてゐて、これには何とも……あばらかべっそん。

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テレビ番組「月曜から夜更かし」(録画)で中国広州取材の内容を放送してゐた。「月曜から」の知名度と人気も大したものだが彼らにとつて、この番組の気楽さがどれだけ気休めになるかの証左。取材に応じる広州市民の言語は普通話と広東語が半々。当然だが庶民のそのへんのおっちゃんやおばちゃんほど広州話がにぎやか。