ABSOLUTELY

franzkafka1232006-03-23

ecoik先輩、書き込み、ありがとうございます。EAT BEER JPNの更新が楽しみで足繁くアクセスしては、先輩の瑞々しい文章に感銘を受けています。私はというと、ご存知の通り、すっかり更新が滞っていて本当に申し訳ないです。昨日、久方ぶりにmixiへ日記を書いたので、それを近況報告としてここにコピー&ペイストさせていただきます。時間にゆとりが持てるようになったら、ここで自由に文章を書いてみたいと思います。それでは。


相変わらず私はポスターの中のカート・コバーンと終わりのないにらめっこをしている。これまでの通算対戦成績は控え目に見積もったとしても0勝1637敗ぐらいだろうか。彼はいつだって不敵な微笑を口元に浮かべて、その濁った目で私の心の隅から隅までを瞬時に見透かしてしまう。私は視線を逸らさずにスプーンでヨーグルトをすくうが、いつもそれは口元に運ぶ途中で机の上に零れて落ちてしまう。あ、と微かな悲鳴を上げてヨーグルトへ視線を移す。ゲーム・オーバー。それは皮肉にも完璧な比喩として私の23年間の人生を見事に象徴している。私は決まって「やれやれ」なんてぼやきながらベッドの上に倒れ込んで、染み一つない真っ白な天井を見つめる。そして、決まってこう呟くのが日課なんだ。「やれやれ、今度の相手も手強いな」


ここ三週間程、ある言葉が私の頭の中でリフレインしていた。けれども、それが何時、どこで、誰が私に向かって語り掛けた言葉なのかどうしても思い出すことが出来なかった。喉に魚の小骨が刺さったような遣り切れない気持ちを抱えながら、私はただ目の前に積み重ねられた課題を一つ一つ丁寧に片づけていくしか術がなかった。最後の難関だったITの課題を提出したにもかかわらず、この鬱積した遣り切れない感情の正体は一体何なのだろうと、私はU5の車窓からオックスフォードの冴えない街並みを眺めながら溜息を洩らした。両手を広げてくるくる回る気にすらなれない。寮へ辿り着くなり、誰もいないキッチンでインスタント・ヌードルを作って独り食し、部屋へ戻ってヨーグルトを食べながらカート・コバーンと今朝のにらめっこの続きを開始した。案の定、ゲームは彼の勝利で幕を閉じ、いつもの様に私は「やれやれ」なんて使い古された言葉をぼやきながらベッドに倒れ込んだ。ゴンッなんて漫画の効果音みたいな乾いた音と共に、後頭部に鈍い痛みが走った。「いってぇなぁ…ちくしょう」と思って振り返ると、そこには今朝演奏した時から置きっ放しにされていたアコースティック・ギターがあった。その瞬間、私の中ですべてが一本に繋がった。


三年前、まだ私が牛タンを焼いていた頃の話だけれど、一ヶ月半だけ付き合っていた彼女のアドレスは「this.is.a.pen.」だった。私が「どうして?」と不思議そうに尋ねると、彼女は「アドレスって英語で考えなくちゃいけないじゃん…一番最初に頭に浮かんだフレーズがそれだったの」と恥ずかしそうに答えていたのを突然思い返した。そうだ。彼女だ。


「充電がなくなった携帯電話って、なんだか少しだけ軽くなったような気がするよね」


そんなナンセンスな台詞だって、あの頃は許せてしまえたんだね。でも、どうしてだろう?歳を重ねる度に、そんな言葉を信じたくて仕方がない私がいるよ。エニウェイ、今なら私がもっともっとマシなアドレスを考えてあげられるんだけどな…


アリ君が日本帰国。もらい泣きしそうになったよ、アリ君。それはまたいつか再会した時の嬉し涙に取っておくね。


画像は私の良きにらめっこライバル、ポスターの中のカート・コバーン


今日の動画NIRVANAのIN UTEROから「Heart Shaped Box」のPV。世界的に有名なロック写真家であり、映像作家でもあるアントン・コービンが監督をしていたことを最近になって知りました。shame。今改めて思うことは、カートはロック・スタイルのお手本。オールスターではなくて、ジャック・パーセルを履いているのが通。数シーズン前のナンバーナインがカートへのオマージュを捧げていた時は、クラッシュ・ジーンズといい、ボーダーのロンTといい、光沢感が嫌らしいペーパーブルゾンといい、本当にこんな感じの服を発表してたよな、なんてね。


http://www.youtube.com/watch?v=6n9XqlngsKg&search=nirvana%20heart

D先輩へ

ブログというバリアフリーの電脳空間の場を借りて、私的な過去について触れる事が果たして正しい決断なのか否か、寝ても覚めてもその事ばかりを苦慮していましたが、今現在の私にはこの場だけが唯一のコネクションであり、表現の自由が許された場であるので、どうか勘弁して下さい。
熱いシャワーを入念に浴び、窓を2.5cm開け、フラットメイトが一人残らず故郷へ帰ってしまった寮の静寂の中で、スピーカーから流れてくる普段より心なしボリュームを上げたノラ・ジョーンズを聴きながら深呼吸を2回、空白の時期に私がリアルに感じていた事を言葉という媒体を通してパーフェクトに伝える自信は微塵もありませんが、ようやく文章をしたためる決心がつきました。

2006年、明けましておめでとうございます。
12月の中旬から約二週間、ヨーロッパ旅行へ出掛けていましたが、年の瀬に帰宅してD先輩の書き込みを読んだ時は身体が震えました。まるで予めこういうシナリオが何者かによって用意されていたのではないかと柄にもなく「運命」などという使い古された陳腐な言葉を思い浮かべてしまいました。私が高校を卒業して東京の大学へ進学したのはもう彼此5年も前の話になるのですね。左手の指を一本一本折りながら容赦のない時間の経過を痛感すると同時に、この告白が左手一本の時間の経過の中で間に合った事への不思議な安堵感を噛み締めています。
あの頃の私は東京という大都会に憧憬を抱いて地方都市を飛び出したごまんといる田舎者の一人にすぎませんでした。右も左も判らぬ都会での生活に悪戦苦闘しながら、たとえ自分が井の中の蛙であると思い知らされたとしても、それを素直に認める事ができずに精一杯の虚勢を張ってみせました。当時の記憶は年々遠い過去のものになり、曖昧になりつつありますが、そんな人一倍自我の強い若者だったのだと思います。日本文学専攻だった私は当初、文研のサークルで文章を書こうと思っていましたが、ひょんな事からD先輩やEATBEERでも書いておられるK先輩(現在は新潟で農家をしておられるのですね)の所属するサークルでお世話になる事になりました。当時の私はD先輩が名付け親である「HOPE」というニックネームで皆から呼ばれていましたが、その由来を覚えておられますか??サークルの勧誘時に私が胸に「HOPE」と刺繍されたスウェットを着ていたのを見たD先輩が命名して下さりました。どういう経緯かは忘れましたが、あの思い出深いスウェットは血塗れになって止むを得ず捨てた記憶があります。そんなニックネームを頂いた私が5年後の今現在、将来を担う若い世代として失格の烙印を押された人生を送っている事実は何とも皮肉な話です。私は健康上の理由で大学を辞める事を余儀なくされたため、サークルに所属していた期間はほんの僅かでしたが、D先輩をはじめ、あの時代にお世話になった先輩方へ感謝の言葉の一つ言えずに大学を去らざるを得なかった事が、この5年間ずっと心残りでした。
本当にありがとうございました。
あれから地元に帰って色々な事がありました。どうやら肝臓が悪いらしく、ある医者からは酒も煙草も辞める様に厳しく言い聞かされました。元々ヘビースモーカーではなかったので煙草は容易に辞める事ができましたが、酒は一生辞められそうにありません。仮に一杯のグラスビールが私の寿命を30秒縮めているとして、どうしてだろう、そう想像する事がこんなにもビールの味を甘美なものにしてくれるなんて。紆余曲折の後、現在は英国に留学をしています。今年は戌年という事で私は年男です。私が知っているあの頃のD先輩よりも歳を取りましたが、今でも私の中でD先輩は憧れであり目標の対象で在り続けています。
今年の5月か6月、一旦日本へ帰る予定ですが、時間が合えば、また渋谷で一緒にお酒でも飲んでやって下さい。

今年の目標は、たとえ自分の身の上に何が起きたとしても自ら命を絶たない事です。

A Happy New Year

ヤング・フォー・エタニティー

franzkafka1232005-10-30

いつの間にかキッチンの戸棚にしまっていた包丁が盗まれていました。その表現が適切か否か真相は定かではありませんが、私のTESCOで買った7ポンドの安物包丁が消えてなくなってしまったことは紛れもない事実です。寮はオートロックで外部の人間が入ることはできないので、必然的に犯人は内部犯ということになります。犯人はパーティー・アニマルの隣人か!?はたまた冷血漢の彼女か!?意外や意外、笑顔が素敵な彼女が犯人!?いや、私は探偵ではないのでシャーロック・ホームズ気取りの犯人探しはやめておきます。やれやれ、先日はマックで愛用のシャープペンを盗まれたばかりだというのに。たぶん冷蔵庫の中のミルクの消費が激しい理由も他の誰かが飲んでいるに違いありません…苦笑。昨日、知人は学校の駐輪場で自転車を盗まれました。錠前で繋いでいたハンドルと前輪だけは残っていたそうです。お気の毒に。
多忙のため更新が滞っていましたが、10/27(Thu)、新進気鋭の若手UKロックバンド・The Subwaysのライブに行ってきました。場所は私の学校のキャンパス内にあるSTUDENT UNION。現地の知人から聞きましたが、前にFRANZ FERDINANDもライブを行ったようです。数日前のダイアリーにも書いたパブでoasisを歌った友人と同じ寮の友人、3人で酒を呷って意気揚々と乗り込みました。前座はThe Kooksというバンド。ステージの右側からギター・ボーカル・ベース・ドラムが横一列に並んだステージ構成が印象的でした。残念ながらこのバンドに関する一切の情報を持ち合わせていませんが、私が聴いた限りでは、「The MUSICと22−20sを足して2で割った」という印象でした。サイケデリックの中にブルースの要素が感じられ、それでいて要所要所にスカも取り入れていました。いわゆるFRANZ FERDINANDに代表される英国特有の「ごった煮」バンドと言うことができると思います。どの曲も細部まで抜かりがなくクオリティはとても高かったです。このレベルの無名バンドが英国各地でゴロゴロしているのかと思うと、UKロック・シーンの層の厚さというか、英国という音楽の土壌の豊かさを再認識せずにはいられませんでした。さて、日本人が現地でライブを楽しむ上で絶対に欠かせないことが一つあります。「ポジション取り」です。それは日本でのライブ以上に重要な意味を持ってきます。英国の成人男子の平均身長は178.1cm、女子は164.2cm。平均ですよ、平均!!場所によっては前に立っている人の後頭部しか見えないのです…私はThe Kooksのライブが終わった後、少しだけ人が空いた隙を狙って強引に2列目まで行き、真打のThe Subwaysが登場した混乱に乗じて最前列に到達、そのまま最後までポジションを確保することができました。後ろからの圧力が凄まじくて、彼らの代表曲「Oh Yeah」の時には圧迫死するんじゃないかと本気で心配しました…苦笑。18歳という平均年齢には似合わず、ライブ・パフォーマンスが抜群に上手かったです。特にベースのMary Charlotteがその可愛い顔に似合わず激しい動きをしていて、ライブに来ていた若者はみんな首ったけ。もちろん私も含めて。年甲斐もなくモッシュしすぎたせいで、ライブ後は軽い酸欠状態に陥りました。そしてTシャツの首周りが肩が露出するまで伸びきっていたとさ…泣。
写真はアンプによじ登ったボーカルのBilly Subwayがダイブする直前。ダイブ後、頭にタッチしたというか、一発、ひっぱたいてやりましたよ。
http://www.thesubways.net/
※余談ですが、サマータイムが終わったので、日本との時差は8時間から9時間に変わりました。

人生に必要なのは勇気と創造力と少しのお金である チャップリン

franzkafka1232005-10-26

これといって特筆すべきことのない一日でしたね。水曜日はモジュールがないので、学校の図書館でエッセイの準備をして、夕方から街に出向き、HMVをのぞいて、sainsbury'sでサラダやミルクを買って帰ってきました。SNICKERSのお得用パック(10個入りで1ポンド58)に手を伸ばしそうになりましたが、そこは自制心が勝り耐え凌ぎました。夕食はパスタを茹でて食べましたが、アルデンテを過剰に意識しすぎたのか、芯が硬かったです。BBCのラジオチャンネルをヘッドフォンで聴きながら、のんびり日記を推敲するのが夜の日課になりつつあります。
先々週の話ですが、10/14(fri)、DJをしている知人に誘われてハウスのイベントに行きました。場所はOxfordのライブハウスとしては有名なZODIAC。予定表によると、最近ではTHE KILLSHARD-FiMEW等、日本でも知名度の高いバンドがライブを行ったようです。彼とは、大学のJapanese Society(日本文化研究会)のGyu-Don Partyなる怪しげなイベントで共通の友人を介して知り合いました。Entry Feeは3ポンド。牛丼が食べれるのかと思って私ものこのこと出向きましたが、肝心の牛丼はどこを探しても見当たらない。一本取られました。Gyu-Don Partyとは日本人を惹きつけるための罠にすぎなかったのです…苦笑。お互い夕食は牛丼を食べるつもりで来ていたので、腹ペコ。もうhungryを通り越してstarving。皆でケバブを食べに行こうということになって、その時に初めて彼と音楽話をしました。彼はテクノを愛しています。クラフトワークの偉大さを熱く語り、ジェフ・ミルズを師と仰ぐ彼は気持ちが良いぐらい正統派のテクノDJ。話が逸れてしまいましたが、slideと名づけられたそのハウスのイベントは、UKクラブシーンではトップクラスとの呼び声も高いLAYO&BUSHWACHA!がメインDJでした。深夜1amをすぎた頃から徐々に人が増え始め、ついに箱は飽和状態に。あんなに汗だくになったのは中学校の野球部の練習以来ですよ…でも、最初から最後まで潔い上げ上げの選曲で楽しかったですね。一番印象的だったのは、箱の一角で繰り広げられたダンスバトル。偶然、目撃しましたが、ダンス経験者らしき男と、ダンスは素人だけど踊るのは大好きって感じの若者がガチンコで熱いダンスバトルを繰り広げていた。誰の目から見ても勝負はついているのに、その偉大なる素人は白旗を掲げようとしない。彼の、奇妙だけれど、イマジネーションに溢れた身体の躍動が今もまざまざと目の前に浮かびます。言葉では表現できない「モノ」を表現する媒体としての音楽とダンス。この箱の中にいる若者たちは病める現代社会に生きる不器用な表現者なんだろう。そして、私も例外ではなく。二人のバトルを見ながら、そんな事をぼんやり考えていたと思います。二人は最終的に汗だくの身体で抱擁し、お互いの健闘を讃え合っていました。男の友情って最高だね。笑。
写真はイベントのポスター。slideの文字の右上に描かれた女の子が、またいいポーズしてるんですよ、これが。重力と闘うおさげ髪がポイントです。

人間は考える葦である パスカル

franzkafka1232005-10-25

私の寮には約250人の学生が暮らしています。それに対してランドリーには洗濯機が3台しかありません。これは相対的に考えて少なすぎるといわざるをえません。この問題点を数学的見地から明らかにしていきたいと思います。
まず、単純に一人の学生が一週間に一度の頻度で洗濯をすると仮定します。この何の根拠もない推測は、私が7枚しかアンダーウェアを持っていないからという超個人的な事情から独断と偏見で決めさせてもらいました…苦笑。
そうすると、一日の利用者数は、
250÷7=35.714286 
四捨五入して36人ということになります。
ここで考慮しなければならないことがあります。
★ランドリーの営業時間 7am-11pm
一日の営業時間が14時間ですから、
36÷14=2.5714286 
だいたい平均すると一時間に2.6人の利用者がいる計算になります。つまり3人と考えていいでしょう。また、洗いから流しまでの全工程が要する時間は約45分ですので、その他、洗剤や洗濯物、料金(ちなみに1.2ポンド、乾燥機は20ペンス)を投入する時間、終了後に洗濯物を取り出す時間等を考慮すると一人が洗濯に要する総時間は、ほぼ丸1時間であると考えていいかと思います。つまり、この時点でランドリーにある3台の洗濯機を営業時間内は常に誰かが使用しているという計算になります。
ここからは、ランドリーが絶え間なく混雑しているその他の要因にスポットを当てていきたいと思います。
①洗濯という作業の特殊性
洗濯が好きで好きで仕方がないという人はある種の病気でしょう。仮に友人とクラブへ行く約束と洗濯をする予定を比較した場合、洗濯をする予定を優先する人はほぼ皆無と思われます。私がここで語勢を強めて強調したいのは、洗濯という極めて生産性のない行為はスケジュールの空白にしか行われないということです。
②ランドリーという場所は時間潰しに適しているか否か?
雑誌を読みながら、あるいは鼻歌を歌いながら、洗濯が終了するのをランドリーで根気強く待っている人は少ない。これはランドリーが寮内にあることと深く関係しています。皆、洗濯が始まれば一旦部屋に戻ります。ここで問題なのは、その学生が洗濯終了と同時に戻って来る保証はないということです。要するに、場合によっては1時間+αの時間を要することも多々あるのです。
③我々の本業は学生である
当然、モジュールがあれば学校に行かなければならない。従って洗濯は出来ない。もちろん講義の時間帯(9-12、13-16、17-20)は人によって異なりますが、昼間の時間帯にランドリーを利用できる学生が少ないことは容易に想像がつきます。
これらの要因を踏まえると、以下のことが結論として言えると思います。
「250人という学生数に対して3台という洗濯機の数は数学的見地から考えても圧倒的に少ないが、尚且つ、学生が洗濯をする時間帯は平日の夜か休日に集中せざるをえない。従ってランドリーが常に混雑しているのは至極当然のことである」
ランドリーは戦場です。昨日は4回ランドリーに出向いて、ようやく首周りが汚れが気になっていたポロシャツを洗うことが出来ました…やれやれ。
写真は部屋干しされた洗濯物。ポロシャツが大好きです。シャツよりもカジュアルに着れて格好つけすぎず、ジャケットやGジャンのインナーとして着回しも利くので重宝しています。右はユナイテッド・アローズで購入したATTACHMENTのポロシャツ。

LOVELY、そう言って彼は私の肩をポンと叩いた

franzkafka1232005-10-21

数日前にダイアリーの中でふれたシャーク・ハウスについてのプレゼンも無難に乗り切り、現在は経済学と社会科学のエッセイに取り掛かっています。足繁く図書館に通い情報を集める毎日ですが、まだ自分の中で具体的な構成ができておらず、一体全体、何から手をつけて良いものやら…ちなみに経済学は「石油価格の急騰が航空会社全体に及ぼす影響」、社会科学は「如何にしてsocial sciencesはidentityの核心へ迫ったのか?また、identityについて二つの観点を対比させながら語れ」という論題です。どちらのトピックも常日頃から個人的に考察を試みている事柄だったので、自分には有利だと自惚れていましたが、いざ、論理的にエッセイの構成を考え、オリジナリティーのある結論が導き出せるかというと、なかなか事は上手く運ばないものです。この「オリジナリティー」という概念が、こちらでは特に重要な評価のポイントになります。当たり障りなく無難にまとめたエッセイより、そのエッセイの中で如何に自分なりの新しい提案ができるか、これがA評価をもらえるか、B評価にとどまるかの審査基準になります。要するに昨今日本の教育現場では盛んに叫ばれている「個性を伸ばす教育」という一言に尽きるのでしょう。こちらに来て実感することは、やはり幼少の頃から「個」を伸ばす教育環境の中で育った欧米の学生と、「全体」を重んじる教育制度の中で育った日本人との間には何か決定的な違いがあるように思われます。例えば、講義中に欧米人は先生の話を遮ってまで自分の意見を述べたがりますが、もちろん私自身も含めて、日本人の生徒は押し黙ったまま話をじっと聞いています。しばしば見掛ける光景です。しかし、いざ質問をされれば、的を射た回答ができる。英語が理解できないわけでもなく、自分の考えがないわけでもない。しばしば日本人はshyと形容されますが、果たしてそれだけでしょうか??ここからは私の個人的な見解になりますので、読み飛ばしてもらって結構ですが、日本人は「間違い=mistake」を過剰に恐れる傾向があるような気がします。それは常に正確さが求められる日本教育の弊害だと私は思います。それから好意的な見解としては、「相手の気持ちを考慮して言うべき事を言わないのが美徳」と考える日本人的気質も関係しているのではないでしょうか!?私はそんな日本人が大好きです。
以上は昨日のダイアリーとして既に書き終えていたのですが、睡魔に打ち勝つことができず、更新には至らなかったため、今日のダイアリーの欄に書かせてもらいます。
非常に忙しい一日でした。9−12amのモジュールを終えた後、来月の7日に行われるボルトントットナムの試合のチケットを予約。サッカー好きの日本人と韓国人、私も含めて計3人で観戦に行きます。ボルトンにはもちろん我らが中田英寿トットナムには韓国代表の李栄杓がいます。日本と韓国、お互いのニーズが一致してこの試合を観戦しに行く事が決まりました。もう一つ、来週の木曜日に私の大学構内で行われるThe Subwaysのチケットを購入。The SubwaysはUKのロックシーンでは最も勢いのある若手バンドの一つとして英国内でも評価の高いガレージ・ロック・バンドです。その後、友人に誘われ街に繰り出し、セールで安売りになっていた現行イングランド代表ユニフォームの上下を購入。日本円に換算して、おおよそ7000円。安いよね!?ちなみに背番号4、GERRARD。LAMPARDにするべきかGERRARDにするべきか、優柔不断な私はゆうに二十分は悩みました…苦笑。Sainsbury'sという大手スーパーで食材を買い、寮に帰宅、友人にペペロンチーノとオムレツをご馳走。それからキャンパスから遠く離れたWheatleyにある寮へバスで出掛け、久しぶりにサッカーで汗を流しました(フットサルのような小さなコートですが)。インド・パキスタンボツワナ・イタリアetc、国際色豊かなメンバーでとても楽しかったです。ストレッチが不十分だったのか、試合中、何度も何度も足をつりましたけどね…泣。
写真はThe Subwaysのチケット。
※プロフィールの映画の欄を変更しました。週末にレンタルビデオを借りる際の手助けになれば幸いです。

もしも音楽が私の言語だったならば

franzkafka1232005-10-19

かれこれ三週間前の話になりますが、知人の誕生日パーティーがありました。健康上の理由で煙草を止めることを余儀なくされた私は、過去に愛用していたミシュランの灰皿をプレゼントとしてヘビー・スモーカーの彼に譲り渡しました。私なりのささやかなアイロニーを込めて。ひょんなことから彼とは知り合い、聞けば、中心街のバーで頻繁にギターを演奏しているという。しかも、その風貌に似合わすブルース・ギターを弾くというので、私は密かに好感を持ちました。そのバーはメインストリートを少し外れた所にあり、音楽好きの客が楽器を持参してステージで演奏ができる店。彼の出番は最後から二番目。ビールを飲みながら気さくなマスターやプロのギタリストでもある店員と談笑する彼の姿からは、ゆとりと自信が感じられました。平日にもかかわらず、ちょうど店が客で賑わってきた頃、彼は煙草をくわえながらステージに上がった。そして、その煙草をヘッドの弦に挿み、ドラム・マシーンのスイッチを押して、おもむろに弾き始めた。びっくりした。ブルースだけに止まらす、ファンク、ジャズ、そしてカントリー、持ち時間の約二十分間、彼は目を瞑りながら本当に気持ち良さそうに演奏を楽しんでいた。気がつけば、店の客は全員彼のパフォーマンスに釘づけになっていた。彼から聞いた話ですが、演奏はすべてアドリブで、その場の雰囲気から得たインスピレーションだけを頼りに演奏をするらしい。本人は恥ずかしがって教えてくれませんでしたが、彼の音源が入ったCDがHMVで買えるとか。日本の音楽業界人とのコネも多少あるようでした。驚くべき事は、ギターを始めたのが高校を卒業してからということ。まだ4年目。それまではピアノ、クラリネットトロンボーンをやっていたとのこと。母親がジャズのピアニストだったらしく、その音楽の才能を余すことなく受け継いでいるんだな、としみじみ感じた。もう一人、共にバーに行った友人はステージでOASISの弾き語りを演奏しました。イギリスで日本人がOASISを歌う。彼の勇気は賞賛に値します。一緒にサビを歌っていたマスターの嬉しそうな顔が印象的でした。ちなみに私は中学の頃にNIRVANAカート・コバーンに影響を受けてエレキを始めましたが、後に挫折、高校からはベースに転向しました…苦笑。もしも音楽が私の言語だったならば、この店にいるすべての人達と心から理解し合う事ができるのに。ビールをちびちび飲みながら、私はずっとそんな空想に耽っていました。帰路、彼曰く「Oxfordで一番美味しい」というケバブの店に立ち寄って本場のケバブを食べました。イギリスには中東系の人が大勢いるということもあり、ケバブの店は至る所で見かけます。
amazonの個人売買で業者から買ったCDは、二枚ともプラスチック・ケースが破損していました。配達時の破損だとは思いますが、なんだかクレームをつけるのも億劫で、CDが無事だっただけでも不幸中の幸いと開き直っています。もう少し聴き込んだら、個人的なレビューを書きます。あ、そういえば、マックで食事をしている時に黒人の女性にペンを貸して欲しいと頼まれ、快く渡したところ、そのままパクられました…悪い人には見えなかったけど、一体どうして!?泣きっ面に蜂とは、正にこの事です。
写真はamazonで購入したVictor Davies/REMIXES。