琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】ボードゲームで社会が変わる: 遊戯するケアへ ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

今流行するボードゲームこそが、属性や能力主義による社会の分断を乗り越える「共存の哲学」である? 気鋭の評論家が各分野の専門家を招き対戦しつつ、普及活動のパイオニアと共に考える。

三宅香帆、辻田真佐憲、安田洋祐、小川さやか、安田峰俊、三牧聖子、豪華6名の各分野の第一人者による、ボードゲーム体験記も収録!

「そういえば、小さい頃『人生ゲーム』をやったっけ」
「最近、妙に色々なところで見かけるけれど、流行っているの?」で終わっては、もったいない!
プレイする束の間、「個人の属性」も「能力の違い」もリセットする、
遊戯(ゆげ)の力が、
必ずこれから、誰もが一緒に〈楽しめる〉社会をつくっていく。

ブームの深層を読み解く――
ボードゲーム哲学」、ここに誕生!


 近年、ボードゲームがちょっと流行っているような感じがします。
 ボードゲームを採りあげた企画をけっこう見かけますし、僕が住んでいる地方都市にも「ボードゲームカフェ」ができました。
 長男と「一度行ってみたいね」などと言いつつ、これを書いている時点では、まだ訪れていないのです。
 ボードゲームって、人と人でやるものだから、僕にとっては、テレビゲームがたくさん置いてあるゲームセンターよりも、正直、敷居が高いのです。

 小学校高学年の頃、友達とボードゲームばかりやっていた時期があります。
 最初は、僕の家でみんなでテレビゲーム(カセットビジョンの時代でした)をやっていたのですが、騒がしいのと、家が散らかる、ということで、ずっと家の中で遊ばないように、というお達しが出て、庭でみんなでボードゲームをするようになったのです。
 当時、僕たちのあいだでは、「はなやま」というメーカーの『大富豪』というボードゲームがものすごく流行って、それこそ、ゲームに付属していた紙のお札がボロボロになるまでやっていました。
 よくあんなに飽きずにやっていたな、と思うのですが、最初はテレビゲームができなくて「消極的な選択」だったはずだったのに、僕たちはボードゲームにハマってしまったのです。
 『大富豪』って、『人生ゲーム』ほど運任せではなく、『モノポリー』ほど交渉能力が必要でもなく、運と実力がちょうどいいバランスで反映されるゲームだった記憶があります。
 『モノポリー』も、友達同士で「交渉」なんて、なんか気恥ずかしかったし。

 そんなことを思い出しながら、この本を読みました。
 ああ、今のボードゲームって、けっこう面白そうだし、ルールもそんなに難しくなくて、みんなで楽しめそうなものもたくさんあるんだなあ、ということがわかりましたし、僕も久しぶりにボードゲームをやってみたくなりました。

 共著者である與那覇順さんと小野卓也さんは、ボードゲームの「目的」について、最初の方でこんな話をされています。

那覇潤:ひとつの切り口として、ボードゲームについて「どこがそんなにいいの。デジタルじゃダメなの?」と聞かれた際、ぼくは「自然に『メタゲーム』が生まれる点がいい」と答えます。対面でテーブルを囲んでプレイすると、自分がそのゲームで勝ちたいと思うのと同時に、「同席しているみんなにも、自分と同じくらい楽しんでほしい」というミッション意識が沸きますよね。これが、プレイするボードゲーム自体よりもひとまわり大きい「メタゲーム」ではないかと思うのです。
 これはコロナ禍で一時的に流行した「Zoom飲み会」が結局、対面での飲み会ほど定着しなかった理由とも似ています。パソコンの前で缶ビールを開ける形の飲み会には、確かに遠隔地の人とも楽しめる利点がありました。しかしコロナが終わった後も習慣として続けている人は、ほぼ見ません。


小野卓也:まさにこの対談自体、一部は山形と東京をつなぐZoomで収録していますが、メインパートは「ゲームマーケット」のために私が上京する機会を活かして、対面形式で行なっています。やはり「同じ場所」を共有しない形でのコミュニケーションには、無理があるんですよ。


那覇遠隔でのオンラインゲームでの対戦だと、互いに顔が見えないから「相手は楽しめているのかな?」とは想像せず、自分が勝つことだけに集中しがちです。しかしテーブルを囲んでボードゲームをしている際に、隣の人はどうもルールが呑み込めてないとわかった時、「よし。こいつの理解不足につけ込んで、俺が圧勝しよう!」とは普通思わない。
 むしろ「ちょっと難しい?」のように声をかけて教えあったりして、全員が同じように楽しみたいという気持ちが自然に沸きます。結果として、ゲームの上ではむしろ負けてしまったとしても、「みんなでいいプレイができたな」とする満足感の方が勝るからです。


小野:いわば利他心(=他のプレイヤーに楽しんでほしい)が利己心(=自分が満足したい)と矛盾せず、一体の形で自然に発揮されるわけですが、この「自然さ」が大事なんですよね。


 小野さんは「協調性を育てるためにゲームをやりましょう」と言われたら面白く無くなってしまう。その場にいるみんなで楽しもうとする結果、いつの間にか生まれてくるものに意味があるのではないか、と仰っています。

 今では、ボードゲームもオンラインで対戦できるものが少なくありません。
 でも、オンラインだと、お互いのペースや使える時間が合わないこともあるし、なんだかあまり盛り上がらない。ボードゲームは、みんなで楽しく時間を過ごすことが、勝ち負けよりも大事、ではあるのです。もちろん、プレイしている時は、みんな本気で勝とうとするからこそ面白いのですが。
 逆に、「自分が勝つこと」を突き詰められる、相手に気を遣わなくてもいい、というのがオンラインゲームの魅力でもあるのです。

 
 この新書を読んで、『人生ゲーム』や『モノポリー』、あるいは戦争シミュレーションが「ボードゲーム」だと思い込んでいた僕の知識が大幅にアップデートされました。


 いまのボードゲームって、多種多様で、とくに日本では「コミュニケーション系」と呼ばれる、ボードの上で戦術を競うよりも、プレイヤー同士が会話で盛り上がるための「ネタ」を提供するゲームが増えてきているそうです。

 書評家の三宅香帆さんは、フランス生まれの『ディクシット』というゲームの体験記を書いておられます。

 今回與那覇さんが用意してくださったゲームは『ディクシット』というゲームだった。
語り部」となったプレイヤーは、数枚配られた手札のなかから、1枚を選ぶ。そしてその1枚の絵に相応しい「言葉」を発表する。他のプレイヤーたちは、その「言葉」っぽいカードを提出する。そのなかから、どのカードがいったい「語り部」が提出したカードなのか? を当てるゲームだ。
 このゲームの面白いところは、全員当たりでも、全員外れでも、「語り部」の点数は0点になるところ。つまり、プレイヤーのなかで絶妙に数人のみ「語り部」に投票してもらうように、票がばらけるように、「言葉」を選ばなくてはいけないのだ。逆に、「語り部」以外のプレイヤーは、自分の提出したカードに投票してもらえたら、点数がもらえる。この点数がバカにならない。最終的に点数が多かった着順に、勝敗が決まる。
 要は「そのカードの絵柄どんぴしゃの『言葉』をつけてもいけないし、かといって絵柄とはまったく異なる『言葉』をつけてもいけない」という、絶妙なラインを狙う必要がある。今回のプレイヤーは全員出版業ではあるため、言葉のセンスにはみんな自信が……あるのだろうか。メルヘンな絵柄を見ながら、自分の「言葉」を検討するのは、なんだか本のタイトルを考える時にも似ている気がした。
 初対面の人同士でもじゅうぶん盛り上がる。そしてカードに描かれている絵は可愛いし、「言葉」を考えるのは楽しい。よくできたゲームだなあ、と感心した。

 この『ディクシット』、プレイ人数は3〜6人。プレイ時間は30分ぐらいで、本体価格は3400円だそうです。
 このくらいのルールであれば、初めての人に説明するのも簡単だし、時間もそんなにかからない(最初は30分では終わらないとしても)。
 どんな感じで遊べばいいかわからない、という人には(僕もそうです)、こんな動画もありました。


www.youtube.com


 インターネット時代だからこそ、動画配信などで対面型ボードゲームの楽しさが再認識されている面もあるのです。
 僕が高校生くらいのときにやっていた『ダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D)』が、テーブルトークRPGの動画配信を観た僕の子供たちの世代でまた遊ばれるようになっているのです。

那覇自分の手番が来た時に、そのタイミングでは「これかな」と思うことを選択する。それらを積み重ねて勝敗はつくけれど、打ったいってが吉と出るか凶と出るかは他のプレイヤーとの噛みあわせで決まるので、「選んだのはお前の自己責任だ」みたいな話にはならない。
 そうした感覚って、日本の日常生活では意外なほど、身につけにくいんだと思います。メジャーな遊びの種類が、将棋やオセロのような「完全に個人の実力だけ」で決まるものと、ギャンブル的な「運だけ」のものに二極化しがちですから。
 しかもカジノゲームだけだとバカラが典型ですが、完全に運まかせのゲームには「豊富な資金を持っていて、当たりが出るまで賭け続ける余力があること」しか勝つ方法がないから、一周めぐって最後は「実力だけ」の世界と大差がなくなってしまうんですね。で、自分には力がないと思った人は、人生を諦めると。


小野:それではせっかくの遊戯の力が発揮されず、元も子もない。本書で紹介するボードゲームが教えてくれるのは、まず、(1)どんな状況であれ「ベストを尽くす」ことがプレイヤーにはできるということ。そして、(2)そのベストは、あくまで「ある時点で、自分にとって一番納得がいった」というくらいでかまわないということです。


那覇「客観的な最適戦略としてのベストな一手」なんて、実際の人生では存在しないことが多い。そのことに気づかせてくれるのが、相手と対面してのゲームプレイという「社会の縮図」の中で遊ぶことの意義なわけですね。


小野:近代インドの国民的詩人として知られるラビンドラナート・タゴールの言葉に、I can't choose the best, the best chooses me.というのがあります。つまり「私がベストを選ぶことはできない。むしろ、ベストが私を選んでくれる」。
 人生における選択って、往々にして「自分が主体的に行う」ということよりも、今の私にはこれしか選べないといった形で「到来」するところがありますよね。


 僕はこれを読みながら、寺山修司さんの「賭博には、人生では決して味わえぬ敗北の味がある」という言葉を思い出していました。
 ほとんどの人は、「人生」に対しては、あまりにも真剣に向き合ってしまい、俯瞰することができない。でも、「ゲーム」であれば、それが可能だし、自分が熱くなったときにどう振る舞う傾向があるのか、を知ることができるのです。
 ギャンブルで借金地獄、とかになると、それどころじゃないとは思いますが。


 僕も久しぶりに、ボードゲームをやりたい!という思いがつのる本でした。
 しかし、あらためて考えると、一緒にボードゲームができる「仲間」がいるって、結構ハードル高いよなあ。
 ボードゲームをやりたい人と「仲間」になればいいのかな……


fujipon.hatenablog.com

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