琥珀色の戯言

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【読書感想】成瀬は天下を取りにいく ☆☆☆☆☆


Kindle版もあります。

2020年、中2の夏休みの始まりに、幼馴染の成瀬がまた変なことを言い出した。
コロナ禍に閉店を控える西武大津店に毎日通い、中継に映るというのだが……。
M-1に挑戦したかと思えば、自身の髪で長期実験に取り組み、市民憲章は暗記して全うする。
今日も全力で我が道を突き進む成瀬あかりから、きっと誰もが目を離せない。
2023年、最注目の新人が贈る傑作青春小説!


2024年『本屋大賞』受賞作。
以前から、「いま、売れている本」として書店でよく見かけてはいたのです。
野球のユニフォームを着て、まっすぐ前を見つめる黒髪の女の子のインパクト。もうこれ「表紙で勝った!」みたいな小説だよなあ、ラノベライトノベル)っぽい内容なのか?
この子が「この中に宇宙人・未来人・異世界人・超能力者がいたら あたしのとこへ来なさい 以上!」とか言い出すのかなあ(それは別の作品です)。


このタイトルと、表紙の目力の強い主人公をみて、僕は『生徒諸君!』や『サラリーマン金太郎』のイメージで読み始めたんですよ。
成瀬は太陽のような存在で、どんどん周囲の人たちを巻き込んで、生徒会とか部活とか会社で成り上がり、「天下を取って」いく。

「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」
 一学期の最終日である七月三十一日、下校中に成瀬がまた変なことを言い出した。いつだって成瀬は変だ。十四年にわたる成瀬あかり史の大部分を間近で見てきたわたしが言うのだから間違いない。


なんだかよくわからない思いつきを徹底的にやり遂げてしまう、記憶力抜群、成績優秀、容姿端麗(たぶん)な成瀬。
その行動は、あまりにも独自路線というか「そんなことをやって、何のメリットがあるの?」と問い返したくなるようなものばかりなのです。
でも、成瀬は「コスパが悪い」とか「恥ずかしい」なんていう感情が抜け落ちてしまっているかのように、マイペースで生きている。

成瀬さんには、成瀬さんなりの行動規範があるだけで、決して「世間に反逆している」わけではないし、むしろ、いまの時代にこんなに「地元愛」に溢れた人がいるのだろうか?と疑問になるくらいの滋賀・大津への愛着を繰り返し語っているし、他者にもそれを伝えようとしているのです。

いやしかし、それで天下取れるのか成瀬あかり。

……と思いかけて、僕はちょっと考え込んでしまいました。
戦国時代でもない2020年代に「天下を取る」って、どういうことなのだろうか?

日本でいえば、総理大臣になる、とか起業して大企業の経営者になり、大金持ちになる、あるいは、芸能やスポーツの世界で有名になる、いや、ヒカキンさんみたいに、ネットの世界の神のようなインフルエンサーになる……

成瀬の「天下取り」は、そんな僕がイメージしていたものとは、まったく異なるものでした。
他人からの評価よりも、自分のやりたい、やるべきことをひたすらやる。自分の道は自分で決める。
正直、読んでいて、「思っていたよりローカルというか、スケール小さいな……」とも思っていたんですよ。

成瀬のような生き方を貫くのは本当に難しい。
そして、成瀬から目が離せなくなって、ずっと成瀬の傍で観察・伴走したくなる人も出てくる。

この小説、成瀬は成瀬自身のことをほとんど語りません。そこが好き。
成瀬ウォッチャーが、それぞれの目に見えた「成瀬伝説」の断片をつないでいく。
僕も含めて、ほとんどの人生は「すごい人を仰ぎ見る、観察者・観客として生きていく」ものだと思うのです。
成瀬は、ずっと成瀬なのだけれど、まわりの人は、成瀬に影響されて、少しずつ変わっていく。
そしてときには、伴走者として、つまづきそうになった成瀬を支える。

ある意味、成瀬、というアイドルの「推し」になってしまった人たちの物語、なのかもしれませんね。
僕も読んでいて、昔、同じ学校や職場にいた「マイペースで、まっすぐに生きていて、目が離せなかった人」のことを思い出しました。
成瀬あかりっぽいところを持っている人は、世の中に少なからずいるし、この本を読むと、人生ですれ違ったそういう人のことをみんな考えるのではなかろうか。
あの人は、あれからどうなったのかな、って。

僕はもう50歳を過ぎた男なので、この本を「青春小説」的に過去への美化と後悔を交えながら読みました。
成瀬は、僕が最初にイメージしていたような、承認欲求を満たす天下取りを志向しない。
いや、「出世して」とか「お金持ちになって」「有名になって」などというのは、もはや「人生の成功」ではない時代なのかもしれない。

その一方で、こんなに自分を信じることができて、成績優秀、記憶力抜群、行動力もある人が同じクラスにいたら、僕もきっと「敬して遠ざける」みたいな距離の置きかたをしていたのではないか、と考えてしまうのです。

僕は自分が外れた馬券を他人が当てただけでも悔しい人間なので、成瀬が同じクラスにいたら、きっと、憧れと「あんなのズルい」という嫉妬心が葛藤し続けていたはずです。「青春小説」って、実際に自分がその「青春」と呼ばれる時代にいるときには、けっこう毒というか「なんで僕はこんな学生時代なんだろうな」という不公平感を喚起するトリガーになっていた記憶があるので、僕はほとんど触れていませんでした。「青春」なんて、コミュニケーションエリートにしか存在しない。

僕がこの「成瀬は天下を取りにいく」をすごく好きになったのは、「青春小説」なんかじゃないからです。

「青春エリート」たちが、自己陶酔しながら思い出を語るような『青春時代』がなくても、それなりに人は生きている。スクールカースト上位にはなれなくても、日常のなかに、自分なりの興味や面白さを見つけながら、学生時代を生き抜いていける。まあ、そんなもの。

本屋大賞』のノミネートされる作品の多くが「いまの社会でのマイノリティの生きづらさ」を描いており、それは、「本」とか「文学」の大事な役割だとは思うのです。
でも、僕はこの、大賞を受賞すれば、現在いちばんセールスに繋がるであろう賞が「どんな作品でも、この作家が書いたものなら推す!」という「書店員さんウケがいい、熱狂的な固定信者を持つ作家たちの、生きづらさアピールコンテスト」になっていると、最近感じていました。

読むと疲れる、被害者意識をマシンガンで浴びせられるような小説ばかり読まされる(いや無理に読まされているわけではないけれど)身にもなってくれ。
本屋大賞』って、もっと俗で、身近で、「こんな読みやすいベストセラーには直木賞谷崎賞は授賞しないだろう」みたいな作品を「ふつうの本好き」に薦める賞じゃなかったのか……

『成瀬は天下を取りにいく』が本屋大賞を獲ったのは、僕と同じような「生きづらさ小説疲れ」を感じていた書店員さんも多かったからなのかな、と感じています。
この本、2時間くらいで読めて、人間、生きたいように生きてもいいんだな、と、ちょっと元気が出てきます。
そしてたぶん、成瀬あかりを好きになる。

僕は成瀬の友達であり観察者でもある島崎さんにとても惹かれました。
スティーブ・ウォズニアックに出会わなかったら、ジョブズはたぶんジョブズにはなれなかったのだから(まあ、ウォズニアックはジョブズとは異なる才能を持つ「技術の天才」ではあったけれど)。


fujipon.hatenablog.com
これを書いたのは2017年なので、2018年以降の「受賞できなかった面白い本」もそろそろ書けそう。

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