多読とTOEICの点数との関係について

 
SSSの掲示板で話題が盛り上がっていたのですが、文章で表現するのが面倒くさいので(表現力が足りないだけですが)、絵を描いてみました。
 

 
前提
TOEICの点数が高くても英語ができるとは限らないが、英語ができる人はTOEICの点数が高い
・大量のインプットだけでは英語は上達しないが、大量のインプットは英語が上達するための前提であり、英語ができる人は大量のインプットをしている。
 

 

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fluency over accuracy 正確さよりもまずは使ってみる

 

 
伝統的な英語教育では、正確さを追求し、やれ三単現のSがないであるとか、例外的な文法事項であるとかを授業でも教え、テストにも出題してきました。
受験で選抜するための材料としての英語という教科の位置付けであれば理解できないでもないですが、最近の流行の fluency over accuracy で行くならば、教育もそのようになるべきですね。
 
大前研一さんもそのように書いていらっしゃいました。
 
「サラリーマン「再起動」マニュアル」 58ページ
(引用開始)
現に世界の"標準語"はブロークン・イングリッシュであり、英語を学んでいる世界中の人々は"アバウト正しいもの"を繰り返しているうちにうまくなっていくのである。つまり英語教育は、最初のうちはファジィでアバウト正しければ良いのである。
(ここまで)
 
もちろん、中には英語の道を極めたい、きちんとした英語を話したいと思う人もいるわけですが、最初にfluencyを追求してとりあえず日常生活・日常業務に支障が出なくなると、それを正しくしていこうというモチベーションが出てきません。(「化石化」と呼ぶようです)
 
逆に旧来のまずはaccuracy、次にfluencyというアプローチは、なかなか出来るようになっているという感覚がないことから、挫折しやすいと考えられます。
 
間を取った学校教育、また我々成人に於いても、間を取ったアプローチを指向したいものです。
 
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意味領域がどんどん拡がる

 
外国語にたくさん触れるに連れて、意味の領域が拡がっていったり、はっきりしたりしていきます。
 
hot という単語は、熱いと暑いだけだと思っていたら、イギリスで辛い食べ物を表すのに hot と使っているのを聞いてびっくりしました。
その瞬間、hot の意味領域が拡がりました。
 


 
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単語の意味領域 英和辞典か英英辞典か

 
生まれて初めて犬を見て(柴犬だったとしましょうか)、親に「これが犬だよ」と教わって、その後にこんどはセントバーナードを見て、「これも犬だよ」と言われ、さらにはチワワやダックスフンドを見て「これも犬だよ」と言われ。
 
でもオオカミは違うと言われ、ヒツジも違うと言われ。
 

 
その単語の意味領域がどこまで拡がっているかは、少しずつ分かっていくわけです。
 
私たちの日本語における国語辞典でも、英語における英英辞典であっても、提示される語義・訳語は、意味領域の中のどこかに打ち込まれる座標でしかなく、その周辺に肉付けをしていって、輪郭をなめらかにしていくためには、大量のインプットで調整していくしか無いと思います。
 
英語の学習に於いて、英和辞典ではなく英英辞典を使うべきという意見が一部にありますが、私は賛成しません。(私自身、英和辞典しか使いません。というか英英辞典を使いこなせていません)
 
英英辞典であっても、代表的な座標を示すだけであると考えるならば、最初の(いくつかの)座標を英和辞典を用いて印すか、英英辞典を用いて印すかの違いだけであり、やがては多読多聴で解決していく問題だと思います。
 
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英語を英語のまま

 
外国語を使う時には日本語とは別のフィルターが必要になると書きました。
 
英語を英語のまま理解すると言う時には、英語で表されたメッセージを英語のフィルターを通して取り込んでイメージを再構築するということになります。
 
これが、英語を習いたての時は、英語の単語を/文の構造を、該当する日本語のフィルターの該当箇所に都度置き換えて、しかる後に日本語として理解しようとします。
 

 
英文和訳をする際でも、本来は英語を英語のまま理解し、しかる後に取り込まれたイメージを今度は日本語のフィルターを通して吐き出すことになります。
が、英語を習いたての時は、日本語のフィルターにマップしてそれをそのまま吐き出すことがあります。
結果として日本語としても意味の取れない訳文が出来上がることがあります。
 

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心太突器(ところてん突器)

 
同じ虹を見ても、七色に表現したり、六色に表現したり、二色に表現したり。
 
これは喩えるならば、ところてんを押し出そうとする時に、出て来るところの網の目が7つに切れているか、6つに切れているか、2つに切れているかというようなことでしょう。
 

 
外国語と日本語の間で訳すということは、外国語と日本語の2つのフィルターを用いて、文字情報一つのフィルターを通してイメージを再構築し、そのイメージを再度(別のフィルターを経由して)文字情報に変換するという作業です。
 
外国語のフィルターも十分に細かく穴が開いていれば、外国語の文字情報から再構築されるイメージは完全に近いものが出来ます。
国語学習は、このフィルターの穴を細かくしていく作業だと言えるでしょう。
 
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日本語と外国語の単語の意味は一対一対応していない

 
先日の「虹は何色」というような事件が、中学で英語を習い始めて早々にありました。
 
「hat」という単語がまず出てきて、「帽子」と訳したのですが、しばらくすると「cap」という単画が出てきて、こちらも「帽子」と訳されました。
「一つのものに二つの単語があるのは変だ」と思っていると、hat=つばあり帽子、cap=つばなし帽子 などという訳語が提示されました。
その時まで「帽子のつば」などというものの存在を知りませんでしたから、そのように説明されてもしっくり来ないのでした。
 

 
似たようなものでは、カメをウミガメ(turtle)とリクガメ(tortoise) と分けるとか、ウサギを飼いウサギ(rabbit)と、野ウサギ(hare)に分けるというものがあります。
 
その言語使用者にとって区分が重要な場合は別の単語が作られるということです。
島国の部族で、海水のしょっぱさを表す単語がものすごくたくさんあったとか、エスキモーの部族で雪の白さを表す単語がものすごくたくさんあったとか言うのがこれに当たります。
 
単語の守備範囲が一対一ではないということは覚えておかないといけません。
 
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