アラン・D・ブラムラインによるステレオ録音

レコード盤へのステレオ録音を、のちの商品化に四半世紀先駆けて開発した英国のエンジニア、アラン・ダウアー・ブラムライン(Alan Dower Blumlein, 1903-1942)による試験的ステレオ録音の音源が、大英図書館のウェブサイトにアップされています。特許取得と同じ1933年の録音です。実験の様子がぐんぐん伝わってきてかなり興奮しますよ。
Alan Blumlein recordings - Radio and sound recording history | British Library - Sounds

もちろんこれは、「効果」の追体験であると同時に、いまは亡き天才エンジニアの生前の声の記録でもあり、その点でも貴重でしょう(軍事研究のさなか、1942年没)。たとえばこの試験録音では、ブラムライン自身が喋りながらステレオ・マイクの前を歩く様子が捉えられています。スピーカーの外側までブラムラインの声の音像がきれいに移動してゆくさまは、想像以上のリアリティです。

ブラムラインの伝記はいくつか書かれていますが、以下のものが入手しやすいです。

The Inventor of Stereo

The Inventor of Stereo


などと、数年振りにしれっと更新してみる。

録音文化の過去・現在・未来

森永泰弘さん(サウンド・デザイナー/レコーディング・アーティスト)より、下記イヴェントの御案内をいただきました。
開催日の日付で掲示しておきます。

平成21年度文化庁委託事業
国際会議『SOUND CONTINUUM』21世紀の録音文化を問う国際会議

「録音」という領域が、従来の音楽史や映画史の中で、明確に意識化され語られる機会はこれまでありませんでした。それは、録音が音楽や映画に従属する技術としてのみ捉えられてきたからにほかならないのではないでしょうか?メディア技術の発達から「録音」という営為を振り返ったときに、それは単なる記録メディアとしてではなく、表現に関わる、創造的な技術として捉え直すことができるはずです。技術からの問いとして、「録音」を音楽や映画との主従関係でなく、並行するメディアのひとつとして、その創造の可能性を考えてみたいと思います。この会議では、「サウンド」をキーワードに国内外で研究活動を行っている作家や研究者を招き、彼らのプレゼンテーションレクチャーを通じて、より多くの人達に「音」のすばらしさを共有することができればと思っています。
今回、フランスより『映画にとって音とは何か』『映画の音楽』の著書でありミュージックコンクレートの作曲家としても知られているミシェル・シオン氏の講演に加え、英国立図書館British Libraryの音響アーカイブ部門所長のリチャード・ランフト氏の講演、2008年のカンヌ国際映画祭で「ある視点」部門審査員受賞作品『東京ソナタ』で知られる黒沢清監督の映画音響論(対談)、キュレーター畠中実氏のサウンドアートのおけるフィールドレコーディングのプレゼンテーション、そして音楽評論家の小沼純一氏[早稲田大学]が司会となり、領域分断として発展し続ける「サウンド」における表現と技術の問題を様々な観点で考えていきます。

◎SOUND CONTINUUM
日時:2009年11月21日(土)/22日(日)
時間:開場12:30 開始13:00−終了18:00(両日)
場所:東京芸術大学大学院映像研究科 横浜校地 馬車道校舎 1Fホール(横浜市中区本町4-44)
入場:無料(事前登録制: www.the-concrete.org)

平成21年度文化庁委託事業
主催: 特定非営利活動法人映像メディア創造機構
協力: 東京藝術大学大学院映像研究科/ヨコハマ国際映像祭2009/CONCRETE

参加者
-ミシェル・シオン [フランス、映画音響研究者、ミュージックコンクレート作曲家/パリ第三大学教授]
-リチャード・ランフト[イギリス、音響アーキビスト/英国立図書館音響アーカイブ部門所長]
-ラリー・サイダー[イギリス、国際会議SCHOOL OF SOUND代表/ 英国立テレビ映画大学院ポストプロダクション元所長(NFTS)/サウンドデザイナー(ブラザーズ・クエイ作品一連)]
-黒沢清[日本、映画監督/東京藝術大学大学院映像研究科教授]
-筒井武文[日本、映画編集、映画監督/東京藝術大学大学院映像研究科教授]
-小沼純一[日本、音楽評論家/早稲田大学教授]
-畠中実[日本、ICC学芸員
-オノセイゲン[日本、作曲家、録音エンジニア(サイデラパラディソ)]
-ホー・ツー・ニェン[シンガポール、美術家/映画監督]
-鳥越けい子[日本、青山学院大学教授]

◎CONCRETE Vol. 3 (ヨコハマ国際映像祭2009 CREAM関連イベント)
日時:2009年11月23日(祝)
時間:開場15:00 開始15:30−終了18:30
場所:新港ピア(横浜市中区新港2-5-1)
入場:無料(入場には、ヨコハマ国際映像祭のチケットの購入が必要です。)

アクト:
ミシェル・シオン ミュージックコンクレートコンサート『Without project(世界初演)』 『Samba For Rainy Day』
森永泰弘+ホー・ツー・ニェン+ステファノ・ピリア『EARTH(日本初演)』
足立智美『声、エレクトロニクス、ライヴヴィデオ、未来派音響詩に基づくパフォーマンス』
長嶌寛幸『Magic Memo』

主催: CONCRETE実行委員会
助成:横浜文化振興財団/協力: 東京藝術大学大学院映像研究科/ヨコハマ国際映像祭2009

聴診器の社会史

視覚と近代―観察空間の形成と変容の編著者、山中浩司氏の新刊。

医療技術と器具の社会史‐聴診器と顕微鏡をめぐる文化 (阪大リーブル016)

医療技術と器具の社会史‐聴診器と顕微鏡をめぐる文化 (阪大リーブル016)

氏が聴診器・間接聴診法を研究対象としていることを、本書で初めて知る。私も数年前の学会で扱った電気聴診器の興隆と衰退について、より広範な史料を参照しつつ、また現代の状況との繋がりもおさえて論じられており、関心の所在は異なるもののたいへん勉強になる(日本での事例はフォローしてませんでした)。

Chris Watson: Field Recording Workshop

9月24,25両日、東京藝大馬車道校舎で行われた、フィールド・レコーディングの第一人者クリス・ワトソン氏によるワークショップ(平成21年度文化庁委託事業、主催:特定非営利活動法人映像メディア創造機構)に参加しました。「研究」という大義名分を離れての、ほぼ好奇心のみに導かれての参加です。
当日聞いたご自身の言にしたがうなら、ワトソン氏の職業は「サウンド・レコーディスト」。「アーティスト」という語は使っていなかったと記憶しています。

上記リンク先にあるプロフィールの詳細を、下記に引用します。

クリス・ワトソン(Chris Watson)
野生動物や自然環境における録音を通じてインスタレーション、映画録音、テレビやラジオ等、様々なメディアで作品を発表している。CD『Stepping into the Dark』は、アルス・エレクトロニカ・フェスティバル(オーストリアリンツで毎年開催)で優秀賞を受賞。BBC製作の自然環境系ドキュメンタリーや、シガー・ロスの映画作品『Heima』、ビョークやマシュー・ハーバートの音楽作品へも音源提供を行っている。西イングランド大学(ブリストル)は、彼の野生動物に関するフィールド・レコーディングに対して、名誉博士号を授与した。

1日目は講義形式、フィールド・レコーディングの技法に関する概論が、自身の録音を例としながら示されました。
フィールド・レコーディングに関する基本認識として、(1)場の全体像を小ダイナミック・レンジで捉える「アトモスフェア atmosphere」の録音、(2)主要な音へとより接近し、大きめのダイナミック・レンジで捉える「ハビタットhabitat」の録音、(3)個別の発音対象を捉える「フィーチャード・サウンド featured sound」の録音、これら三層の区別が提示され、そのそれぞれにおいてどのようなマイク・セッティングや機材選択(マイクは指向性か無指向性か、対象によるモノラル/ステレオの区別等)が求められるのかなどの技術的側面が、個別例に即しながら解説されました。また、針金ハンガーの両端にピンマイクをつけたステレオ・マイクなど、お手製の機材とその用途の紹介もされました。

2日目は受講者各人が録音機をたずさえての野外録音実習。出発前に、サラウンド録音のためのマイクの収録原理や簡易サラウンド録音の方法、また水中録音のためのハイドロフォンの特徴や使用法など、特に技術的側面についての解説がありました。
実習では、事前の解説を踏まえ、2台のステレオ録音機を用いての葉擦れの音のサラウンド収録、ハイドロフォンによる横浜港の水中音の収録、MS方式のサラウンド・マイクによる水音(水面上から)の録音など、機器システムに応じて各種の録音が行われました。
録音の成果は、馬車道校舎に戻った後、会場に設えられた4チャンネルのシステムで再生、受講者全員の耳で実際どのような音が録れたのかが確認されました。ハイドロフォンで録られた水中音に、現場では全く耳に入らなかったフェリーのスクリュー音などがはっきりと聴こえるのが印象に残りました。また、私自身が同型の録音機を持った受講者の方とペアになって2台(4チャンネル)で録った葉擦れの音も、再生してみるとそこに風の流れをはっきりと聴き取ることが出来ました。私の録音機(SONY PCM-D50、本体付属のステレオ・マイクを使用)に記録された2チャンネルの音声のみアップしておきます。いかにも「ただ録音スイッチを押してみました」といった感じで、4チャンネル再生で感得された効果が大きく減殺されているさまを確認できると思います。
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両日を通じ、総じて印象に残ったのは、「録ることの基本は、まずは聴くことから」というワトソン氏のことばと姿勢です。これは、あたりまえのこととはいえ「行うは難し」というべきポイントだと思います。録音データを大量に収集しても、それだけでは何の意味もない。まずは場へと耳を開き、その場に存在する多様な音を虚心坦懐に聴きとってゆくこと。そして、そこから録音すべき対象を選択し、それをどのように(すなわち、atmosphere/habitat/featured soundいずれとして)定着させるかを意識して、録音という行為へとおもむくこと。講義でも実習でも、穏やかな口調ながら強調されていたのはこの点でした。上掲の録音において、葉擦れの音をhabitatとして収録しているつもりが、やや離れた海上を行くフェリーのたてる低い唸りや、近くの博覧会場のPAから流れてくる歌声がそれらをマスクしてしまっているのを聴き取ることが出来るとおもいます。このような収録結果には、私自身の「まず聴くこと」の至らなさがある程度反映しているというべきでしょう。参考までにもう1点、私が「コンクリートの埠頭に波が寄せる様子」をhabitat的に収録したつもりの音源もあげておきます。
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両日ともに、質疑の場では「マイクのメーカーと型番は?」といった技術寄りの質問が複数あり、それに対しワトソン氏はたいへん丁寧に答えていましたが、おそらく、そうした知識が偏った「スペック至上主義」に向かってしまうことには大いに懐疑的なのではないか、と個人的には感じました。サンプリング・レートの設定に関する受講者の質問に対し、「192kHzでの録音は特別な場合を除いて行わない。96kHzとの有意味な差があるとは思われない。」と答えていたところに、この点は如実にあらわれていたと思います。逆に、「機材に関する知識の伝授」を期待する複数の受講者にとっては、物足りなさが残ったのではないか?とも思われましたが、使用のコンテクストから遊離した状態でニュートラルに「よい機材」なるものは存在しない、ということを言外に伝えていたようにも感じます。

問題は客体化された機材の使用ではない。そうではなく、いかにして「録音機材-人間」というman-machine、あるいは大袈裟に言えば「聴覚機械の怪物」への変化を怖れずに遂げてゆくか、にある 。 このことを、平明な語り口と豊かな身体所作をもって教授された2日間だったと思います。多くの受講者にとって有意義であったろう、この機会をコーディネートされた、東京芸術大学大学院映像研究科の森永泰弘さん(サウンドデザイナー)に感謝します。

実践から離れて「音をめぐる認識」という観点から関心をひいた点として、ワトソン氏が自然に用いる「見えざる音 unseen sound」「パースペクティヴ perspective」といった視覚的タームが、録音実践においていかなる含意を有しているのか?といったことや、録音レヴェル等に関する「主観的判断」(主観的subjectiveという語を何度も用いていました)を、ある「間主観的」なものとして確信させるポイントはどこにあるのだろう?といったことが挙げられますが、これはまた自分の問題として整理し、考え直してみたく思います。

「穏やかな耳の怪物」としてのワトソン氏の録音は、下記のCDほかで体験することが可能です。再生冒頭、眼前に現れるメスライオンの唸りに瞠目(瞠耳?)してください。

Weather Report

Weather Report

Janet Cardiff & George Bures Miller @ 銀座メゾンエルメス


The Forty-Part Motet(Cardiff単名によるサウンドインスタレーション、2001年、上掲動画)とNight Canoeing(ヴィデオ・オーディオ、2004年)の2作を展示。
会期は2009年5月17日まで。無料。概要はこちらを参照。

The Forty-Part Motetは、タリスの多声モテット(「我、汝の他に望みなし」)を、40名の歌い手ごと個別に録音し、それを会場に楕円形に配置された40本のスピーカーから再生するもの。

展覧会のハンドアウト掲載のCardiffの言より引用。

「この作品を通じて私は、聴衆が歌う側の視点で音楽を体験できるようにしたいと考えました。どの歌い手の耳にも、一人一人違った構成の音楽が聞こえているはずです。聴衆が空間を自由に動き回れるようにすることで、それぞれの歌声と親密な関係を結ぶことができるようになります。」

以下、The Forty-Part Motetに関するメモ。

  • 果たして「歌う側の視点で音楽を体験できる」のか?複数の声とともに声を発しつつ聴取する身体と、発声を控えたままに聴取する身体との差異。観客が声を発することは想定しているのだろうか?
  • 個々のスピーカーに耳を寄せると他の歌い手の声も聞こえてくることから、完全な別トラック収録ではないことがわかる。基本同録。そのことの意図とは?
  • 「無音」部で知覚的に立ち上がる、残響の奇妙な短さ。録音と会場の2つのアンビエンス、その齟齬。あるいは視覚的な空間・歩行によって把握される空間と残響の長さとの齟齬。もちろんこのことは作品の美点。
  • 「耳モデル」機器による「口モデル」の懐古的シミュレーションの趣き(cf. Sterne)?
  • 関連して、人間嫌いの感触?
  • 継続的聴取による注意の焦点のずれ、ゆらぎ。こぼれおちる子音たち。
  • 「楽曲」休止時のおしゃべり=ノイズの巧みな利用。会場における自己定位感覚の構築性が体感される。
  • 上記のような積極的な「弱さ」と同時に、通俗的「没入」感あるいはPink FloydからNINに流れるようなメガロマニアの感覚が漂う。その魅力も否定し難い。

等々。会場の高い天井も作品の面白さを高めている気がした。

なおNight Canoeingは、文字通り夜闇の川(?)をカヌーで下ってゆく様子を記録した音声動画(おそらく同録)を、二重暗幕などで出来るかぎり暗黒に近づけた空間でループ再生する作品(TV画面+2ch音声)。電灯に照らされた水面から立ち上る霧の様子が、奥行き知覚のゆらぎーーTVという同一の物体を観察していながら、不意に知覚上の空間に次元が加わるーーをもたらしてくれたり、それなりに楽しめる。しかし、自発光源たるTV画面を用いたことがどれだけ自覚的なことであるのかなど、コンセプトやそのリアライズにやや曖昧な点もあり。あと、画面の安い質感やら作為の隠蔽の仕方に、どうしても『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』を想起させられてしまう。たぶんこれは意図的、しかしその意図に批評性があるのかは疑問。

客の出入りがある際に、暗幕の隙間から会場の闇に差し込む光と、画面から発せられる光、そしてカヌーから投射される電灯の光とが交錯して、少しくはっとさせられる。それがいちばん面白かった。

The Killing Machine and Other Stories, 1995-2007

The Killing Machine and Other Stories, 1995-2007

近過去の言説史

Hearing: Physiological Acoustics, Neural Coding, and Psychoacoustics

Hearing: Physiological Acoustics, Neural Coding, and Psychoacoustics

"Sound Localization"の章を、同著者による1971年のHearing: Physiology and Psychophysics(入手済)の同章と比較検討。とりわけ、同章内の歴史の項。