お前これからどうすんの、という電話がかかってきた。もうよく分からないしわざわざ死ぬのもめんどくさいから親のスネを齧っていけるところまでいこうと思う、どうしようもならなくなったら誰かの助けを待って、その助けすら見込めなくなったときには自然と飯が食えなくなって死ぬんじゃないだろうか。そのようなことを答えると、電話先の相手はふーんと唸り、おれはまあ助けないと思うよ、と言った。

ダイアリー

 電話で起こされる。時計を見ると10時前で、一瞬血の気が引いたのだが今日は何の予定もないはずである。出ると不動産仲介業者だった。これこれこうでなんちゃらかんちゃら、と早口で電話口の男がまくし立て、はい、はい、と答えて電話を切り、今のはなんの電話だったんだっけ? と思った。寝過ぎて頭の奥で鈍痛がした。

好きなものは呪うか殺すかしなければいけないのよ

 というような台詞が安吾の『夜長姫と耳男』という短編の中にあって、中にあるというか確かこの台詞で終わるか、終わりの間際だったように記憶しており、これが妙に好きで、なぜ好きなのかと言われると全然分からない。好きなものはいやあこれは好きだなあよしよし好きだ好きだ愛してるぜと思っていればそれでいいんじゃないか、別に呪ったり殺したりしなくていいんじゃないか、とまあ思うわけなのですけれど、それでも本当に大事なもの好きなものには鍵を掛けてしまっておきたい、人目には触れさせたくない、これはおれだけのものだ、おれだけのものにならないのならば呪ってやる、そうだ殺してしまえ、そうすればおれだけのものになるのだ、みたいな感覚は分からないでもなく、またそれだけならよくある話で、愛ゆえの殺人だなんて珍しくともなんともなく、そこらへんにそういうモチーフをもった小説なりマンガなりはゴロゴロしているわけなのだけれど、そういうものを読むにつけて「またか」と思うこと限りなく、「安っぽいなあ、いい加減にしろよ、殺せばいいってもんじゃないだろ」と呆れた気持ちすらするのだが、それでも安吾の『夜長姫と耳男』のこの台詞は妙に好きで、それというのもこの台詞単体で好きというよりか、物語の文脈の上で好きということなのだろうと思うわけなのだけれど、その物語の文脈というものがよく分からない。
 物語の舞台は平安だかそこぐらい。平安がどんな時代だったのかというのは全然詳しくない。手塚の『火の鳥』の茜丸とかの時代、あれの時代設定は平安だったか、奈良の大仏が建てられるのだよね確か、それだったら平城かもしれない、歴史は全然分からない、ともかく仏師とかが出てくる。いちおう仏教はもう根付いているということになっている。「外来仏教の神々と産土神の戦い」みたいなのは『火の鳥』の別の巻にあった気がする。よく考えると日本の歴史を『火の鳥』で把握しているような気がする。すばらしいことだ。それでその耳男はさる高名な仏師の弟子で、さる長者に招集される。彼の人が言うには「娘の夜長姫の成人の祝いになにか作れ」ということで、当時の名人たちのコンペティション、勝った者には褒美としてそれはそれは美しい女をくれる、耳男はその女を前にしてお前なんぞいらんわ、おれはただ自分の腕で自分の作で目にもの見せてやる、そういう気持ちで、食って掛かるのだが、その女が怒るわけである。なんかだるくなってきた。まあ色々あって、耳男が勝つわけですそれはまあ当然に、夜長姫はちょっと頭がおかしい女で、それはそれは美しいのだけれど、頭がおかしい、人の生き死にとか動物の生き死にとかはどうでもいい、クール、よくありますね、猟奇的な彼女、それで耳男がその夜長姫をまあ色々あって縊り殺すということになるわけですが、そこで夜長姫がこの台詞を吐くのです。耳男は全然そういう、姫に対する好意なんてのは見せず、恐怖・畏怖・憎悪みたいなのは語られるわけなのですけれど、この一言でそれが腑に落ちる感じがある。ものすごく嫌いな女に「嫌いってことは好きってことよ」と言われるような感じでしょうか。なんという自惚れだろう。でも悪い気はしない。私は美人という生き物が苦手ですが、その一つの理由に「あなたも私のことが好きなんでしょう?」みたいな自惚れを感じることがあるからで、それがたまらなく嫌なのだけど、それはどう考えても真実で、美人とやりたいのは男の性というものですから、その指摘はとても正しい。身も蓋もないことだが、美人とセックスがしたい。ただその欲望はあまりにも安易で、人間がそんなことでいいのか、大事なのは見た目ではなくて性格だよそうだよ! 人間の価値は見た目じゃないんだよ! おれはそういう人間らしい精神をもった人間ですから、美人とやりたいなどというあまりにも動物的な欲求に忠実に生きている奴を軽蔑していますから、という気持ちでもって、美人のまったく正当な自惚れを毛嫌いする。しかしそれは事実なのですよ。美人とセックスがしたい。事実です。「あなたも私のことが好きなんでしょう? やりたいんでしょう?」まったくその通りです。好きなものは呪うか殺すしかないのよ、という完璧な自惚れをほざく夜長姫が好きです。

 医者、爪を噛んでいる。MRI写真から顔を上げると「脳に腫瘍がありますね」と言った。「それは大変だ」「見ますか?」「見せて下さい」発光するホワイトボードみたいな奴にパシパシパシとそれを差し込んでいく。「ここに脳みたいなのが見えるでしょう」「はい」「これが腫瘍です」「どれですか」「全部です」私は驚いて「全部!」と叫んだ。「はい、脳みそがまるごと腫瘍になっています」私は驚いて「まるごと!」と叫んだ。「はい」「どうにかなりませんか」「どうにもなりませんね」「死ぬんですか」医者は不思議そうな顔をして「というか、なんで生きてるんですか? あなた今、脳みそついてないも同然ですよ」と言った。「それは不思議ですね」「取りますか、腫瘍」「取れるものなら」「空っぽになりますけれども」「大丈夫なんじゃないですか」「そんなことは100%あり得ませんが」「が?」「もしかしたら、もしかするかもしれません」「お願いします」「じゃあここに横になって下さい」医者はそう言ってぽんぽんと膝を叩いた。膝枕をする形になる。懐かしい匂いがした。「リラックスしてくださいね」医者がゆっくりと私の股間をまさぐりはじめた。犯される、と思った。

「歳は取りたくないね」

 大人が言うその台詞の意味がいつもよく分からなかった。小さい頃は単純に「歳を取ると死ぬからな」と思い、つまり大人が言うその台詞を「死にたくはないものだね」というものとして聞いていたのだけれども、子どもにとって歳を取るということはイコール誕生日であり、誕生日には祝ってくれるしプレゼントをくれるしおめでとうおめでとうと家族から祝福され「ありがとう」と言わなければならない言いたくない別にこんな風に祝ってくれたからって嬉しいわけじゃないんだからね前からずっと欲しかったスーファミのゲームソフトを買ってくれたからって別に嬉しかったりはしないんだからね、こっ恥ずかしい、そんなことを思いもするのだけれど、子ども扱いされることから脱するために、歳を重ねるのはとにかく麗しいことだった。自分も歳を取れば勝手に大人になるのだと思っていた。
 大学に入学したぐらいから「若いね」という言葉が侮蔑のニュアンスを帯び始める。一浪で入学した奴が寄り集まって「現役生の若いノリが合わない」とその一歳の差をやたらに強調する。二浪は更に歪んでいて自分以外の全ての大学生を呪っているか、逆にものすごくフランクで、なるべくたくさんの18歳の処女膜を貫通するために足繁くサークルに通っている。二年生は一年生の姿を見かける度に「あの若さはおれらにはもう無いね」と大人ぶる。三年四年ぐらいになるとどうでも良くなる。就活かあ働くのかあとぼやく。年長者が言う「君たちは若い、無限の可能性がある、やろうと思えば何だってできる」などというポジティブな台詞に彼の嫉妬「なんだってできるだなんてずるい」と後悔「なんだってできたはずなのに」と侮蔑「でもおまえらもおれと同じようになにもできやしないのだろう」を感じるようになる。歳は取りたくないね。

今日の会話

 学内に喫煙所は二箇所しかない。大学院の建物にほど近い方の喫煙所で昼休みにタバコを吸っているとゼミの友人が来た。学校来てるんですね、と言われた。卒論は大丈夫ですか? 学校来てる場合じゃないんじゃないですか? という含みが感じられた。テストがあるんですよ、と答える。「そりゃあ大変だ」「テストとレポートと卒論とあと卒業後の進路でもう訳が分からなくなってますよ」「ぼくももうお先真っ暗ですよ、ああ留年したいなあ」「修論が通らなければ留年できますよ」「修論は通って欲しいですけど、授業のレポートが通らなければ留年できます」「そんな留年したいですか、博士の書類出したんでしょ?」「修論と一緒に出しました」「いいじゃないですか進学、別に留年しなくたって」「いや、博士に進むとなると、やっぱりね、もう色々無理になることってあるじゃないですか」「ぼく結局修士の書類出しませんでしたよ、金なくて」「え? そうなんですか? どうするんですか?」「分かりません」「分かりませんよねほんと」

日記

 寝たのが何時ぐらいだったか思い出せない。3時か5時か6時だったか。それぐらいだった気がする。カーテンを閉めていたので夜が明けていたどうかも分からない。卒論を書いているつもりで何も進んでいなかった。ディスプレイに向かって呆然と時間を過ごし、このままではいかんと資料及び参考文献をチラチラと見て、飛ばし読みをして、エロ動画を見て、抜いたりした。幼馴染とふいにそういう雰囲気になるという奴だった。「ふいに」といっても全然自然な流れではなく、制服姿の女がいきなり「電気あんまやらせろ」と言い寄り、やめてやめてと男が拒むのだが、強引に押し切られ、勃起し、女がそれを見て「うわあ」という顔をし、生唾を飲み込み、気まずい沈黙、男が泣きそうな声で「だから止めてって言ったじゃないですか」と言うと、そうそう男は始終敬語なのだ。そこが思春期の童貞くさくていい。おれが彼の状況にあってもそうするだろう。女は男の勃起を見ながら、おもむろにパンツの上からクリトリスをこすり始める。白いパンツだった。すばらしい。しかし無茶苦茶だ。興奮した。おれにもこういう幼馴染がいたら良かったのにと思った。窓を開けたらすぐに隣の家の窓があり、そこから出入りするような幼馴染というものが欲しかった。できればそれが鈴木愛理であるとなお良かった。なんであんなにかわいいの? というわけで抜いた。少ししか出なかった。瞬間的に気持ちがよかった。