山梨県の三次元点群データ活用・・・募集中止

www.pref.yamanashi.jp

令和6年3月15日(金)まで企画提案書の受付を予定していた3次元点群データ活用基盤整備業務委託に係る企画提案(公募型プロポーザル)については、本日付けで募集を中止いたします。(令和6年3月13日)

うーん、これが順調に進んでいたら山梨県のCS立体図が公開されたりしたんだろうか?

まあ、いずれ再募集されるんだろうけど。

CS立体図で丹波山の柴金遺構が見たいな~

面白そうな文献

以前「小葉田淳記念文庫」を訪れた際に気になっていた写真を見直すと・・・

読んでみたい論文が幾つか

「金銀の産出と其祭祀(金銀の研究1駿河)」南方土俗1-2

「上杉氏の財政と鉱山」経済史研究28

「加越能三州に於ける金銀の産出」歴史と地理30-4

「中世の鉱業業」歴史16-6

どれも戦前のものなのでちまちま探すよりも直接丸岡図書館へ行った方が早いかな?

六厩「ミダハゲ」

garimpo.hatenablog.com

「六厩村金山糶流所図面」には「ミノ谷」対岸の山に「ミダハゲ」と記入されていて『続日本鉱山史の研究』「近世、飛騨の金山について」でも金山の位置と関係付けて記述されている。

ハゲは崩落崖地の意味だそうで・・・金鉱床を゛見出した”ハゲだろうか?(別名のあみだはげ/あみたびら だと???になるが)

絵図が明治初頭のものなので江戸時代には名前のあった地形だろう。では現在は?

一昨年、千軒平の南側テラス群に上った際にも崩落地形は確認できて

夏場はともかく現在でも確認できる地形(写真中央の茶色部分)だ。

 

昔はもっとはっきり見えていたようで、国土地理院1974-1978の航空写真を見ると・・・

赤点の部分から崩落が始まっていることが確認できる。

 

更に、CS立体図の地形と重ねると・・・

どこも坑口の直下から土砂が流出、つまりズリが谷の斜面を埋めていることが想像できる。

金森長近による越前大野の金山開発 その2

一昨日、岐阜県図書館で『歴史読本』2011.7の複写ができたので・・・

garimpo.hatenablog.com

岩井説によればこの金山は平泉寺金山だが根拠まではブログからは読み取れない。『歴史読本』2011.7を読めば分かるかなあ?

読んでみると、根拠は金森長近のおくり名「金龍院殿前兵部尚書法印要仲素玄大居士」の”金龍“を金山開発と結び付けたうえで、越前大野の平泉寺金山の高品位金鉱脈「金龍𨫤」の名前から、金森長近が越前大野時代に発見・隠蔽していた金山は平泉寺金山なのだ・・・としている。

うーん、平泉寺金山の開発年代や金龍𨫤の発見・採掘・命名年代がはっきりすればそういったことも言えるかもねえ。

「六厩村金山糶流所図面」からわかること

「六厩村金山糶流(せりながし)所図面」には千軒平の地名や家、桐ヶ洞(桐ノ洞?)には鋪の印が・・・

これらの位置関係やこれまでの調査から地形図に書き込みをしてみると・・・

桐ヶ洞(桐ノ洞)に相当しそうな谷は地形図上では一つしかない。この谷のすぐ北あたりに鋪(坑道)がある?CS立体図ではちょっと分からないなあ・・・

中ノ沢(月ノ沢?)沿いにも柴金(糶場所)が描かれている。この沢は先年、大湧金山を目指した時の入口の沢に相当する。急傾斜の沢なのでとても柴金が掘れるとは思えないが、大湧金山採鉱域の一部、中ノ沢につながる沢の上部には柴金遺構と思われる場所があった。絵図がデフォルメされていることを考えれば、その遺構が絵図の糶場所に相当するのかもしれない。

 

千軒平のテラス群、南側(約4000m^2)は一昨年訪問済みだが、今回改めてCS立体図を見ると・・・

北側にもテラス群(約6000m^2)が見える。絵図に描かれているのがどちらかまでは判断つかないが。

来月は北側テラス群の現地調査と桐ヶ洞の坑口探索できるかな~?

『森の来歴』

今はネット上で見つけられないが、岐阜大学の学生と地元中学生が六厩千軒平を調査する・・・という話があった。

つい最近出版された『森の来歴』(小見山章、加藤正吾)

kyoto-up.or.jp

2 ゴールドラッシュの夢の跡―炭焼きの後にできた落葉広葉樹混成林
  飛騨荘川の六厩
  六厩に広葉樹の総合試験林ができた
  調査地作り
  どんな樹木で構成されているか
  あっと驚いた年齢分布
  炭焼きとゴールドラッシュの夢の跡
  二次林の時間変化
  コラム04 荘川ヤドリギ金華山のツクバネ

著者の方は当時の関係者だろうか? 読んだ覚えのある千軒平の石畳の話も書かれている。