大体人生が満たされてないと何かネットにぼやきたくなるんだよな

クソみたいな繁忙期が終わり
「あー、時間出来たらやろ」
と後回しにしていたものが10個くらいあっても燃えつき症候群、堕落した生活を送ってます


一番やばいのは体重ですね
ストレスを食以外で発散できる人が本当にうらやましい


筋肉ももちろんつけたけど、筋肉量による基礎代謝アップなんて微々たる物で
じわじわじわじわお肉がふえるふえるふえる


時間ができたら運動しよう
って思ってたけど、ゲームしたいネットしたい映画見たいで気付けば就寝時間
また明日


でも、そもそも間違ってるんですよね
ああ、自分は今、健康に対して借金をしている状態なのだと
そこを自覚してないからどんどん健康を前借りして食っちゃ寝しちゃうわけなんですね


よし、4月になったら体重計に乗ろう
そこでショック受けたくないからダイエットがんばろう
まあ、4月になるまで体重計に乗らないつもりの時点で失敗は見え見えなのですが

シンエヴァンゲリオン見てきたよ(ネタバレなし)

IMAXで観るとき席の選択間違えると画面に目がおっつかない。歳か。



仕事と家事に余裕があるなら、平日のレイトショーいいですね。
帰る頃、日曜が終わる感じを錯覚するけど、実際は5日連続で働かなくていい、その感じが気に入りました。

庵野秀明 in トップランナー【3】

全文引用

http://kanzaki.sub.jp/archives/000273.html

 

庵野秀明 in トップランナー【3】

 

1987年作「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の1シーンが画面に映し出されます。
ロケットが発射台より空へ向かって飛び出すシーン。

ナレーター「アニメーター庵野秀明。その集大成とも云える作品が、87年の"王立宇宙軍 オネアミスの翼"。ロケットから剥がれ落ちる無数の氷の破片を精密に描きこんだ表現は、CGでは無く、全て手描き。圧巻の一言につきます」

スタジオに戻ります。

庵野「アニメーターで自分のやれることは、多分あれが、ピークだったと思うんです。あれ以上のものは出来ないですよね。今も出来てないです。なかなか自分がやって、良かったって云うカットが、どんどん少なくなっているんで・・・。王立宇宙軍作画監督をやっていた時が、アニメーターとしてはピークですね。何か自分の中のモチベーションが無くなった感じがします。これ以上やりたいものが無い感じ。幸い、潰しが利いたので、監督やらせてもらえたから、まあそっちに入りました。まあ、監督ぐらいしかやれることが残ってなかったんです」

1995年「新世紀 エヴァンゲリオン」のオープニングが映し出されます。
無数のカットからなるその映像群。
私は放映当時、「全てのシーンに何か意味があるんじゃないだろうか?」と、コマ送りをしては検証したものです。

次に画面は、「新世紀 エヴァンゲリオン」本編の1シーン。
「第参話 鳴らない、電話」です。
プログナイフで、使途のコアを貫くシーン等が映されています。

ナレーション「95年放映されたテレビアニメ"新世紀 エヴァンゲリオン"。この作品でアニメ監督 庵野秀明 の名は不動のものとなりました。次々に襲来する謎の敵"使途"。それと戦う為に開発された人型兵器エヴァンゲリオン。ロボットアニメの王道を行くかと思えた作品ですが、次第に複雑な展開に。主人公の碇シンジをはじめ、様々なトラウマを抱えた登場人物達のドラマに、宗教や哲学の要素が絡み合います」

画面は、劇中の精神的な世界の表現シーン。

レイ「なぜ生きてるの?」
テロップ「わからない」
アスカ「それを知りたくて生きてるのかな?」
レイ「誰の為に生きてるの?」
アスカ「もちろん、私の為よ」
シンジ「多分、自分の為に・・・」
テロップ「本当に?」
レイ「生きていて嬉しい?」

突然画面は変わり、エヴァ初号機が使途を貪りついているシーン(第拾九話 男の戦い)。
ミサト「使途を喰ってる・・・」

ナレーション「テレビ版は、多くの謎を残したまま終了。しかしその謎が、かえってファンを熱狂させ、数々の解釈本が出版される等、社会現象にまで発展しました」

スタジオに戻ります。

本上「あのう・・・もの凄い熱狂だったと思うんですね。まさに社会現象という形になったと思うんですけれど・・・。今振り返ってみて、それは何がそうさせたんだろうって考えていらっしゃいますか?」

庵野「何か内面的なモノを見てみたいと云う雰囲気が、バーってあの頃、増えたと思うんですね」

本上「もの凄く心情を・・・こう・・・言葉にして出すって云う主人公だったりとか、そういうところが、ものすごく印象に残っているんですけれども。みんな、そういうモノを求めていたと云うことでしょうかねぇ」

庵野「当時は、そうじゃないですかね。僕自身、哲学を知らないんですよ。あまり哲学的なことはやっていない、今までも。エヴァはそういう風に云われてますけれど、あれは哲学じゃなく"衒学的(げんがくてき)"なんですね」

衒学についての解説テロップ「知識があることを自慢すること」

庵野「あの~"知ったかぶり"と云うのが一番近い表現だと思うんですけれど。衒学的・・・」

本上「"知ったかぶり"・・・」

庵野「よく知らないけれど、こういう言葉を使っていれば賢そうに見えると云う・・・(観客の薄ら笑い)。それがエヴァですね。でもそれは、賢そうに見えるところが、何かパッと見た目"かっこいい"とかですね、"何か裏があるかも?"そう云うところに行くので、それはそれで、そういう方法論だと思うんですけれど・・・。何だろう、僕にとってフィルムは"サービス業"なんですよ。お客さんがお金を出して、映画だと1000幾ら出して見に来てくれる訳ですから、その1000幾らをお客さんが出したのと同価値の"面白さ"、"見てよかった"みたいなのをお客さんに返す仕事だと思うんですね。少なくとも、サービス業である以上、お客さんに何かしらそういう"良かった感"みたいなモノをあげなきゃいけない。それをフィルムに入れとかなきゃいけないと思うんですよ。そこで、あの~う、エヴァの場合は、ちょっと"利き過ぎた"感じがしてですね・・・」

武田「利き過ぎた?」

庵野「ええ。現実逃避の"よりしろ"とか、後は現実からそこに逃げ込む"装置"みたいなモノにされつつあるのが、見ていて嫌だったんです。映画になった時(97年に劇場公開)は、元々そういう予定だったんですけれど、お客さんにはとりあえず水を被せて、何か目を覚まして帰って欲しい・・・そういうのがありました。僕にとっては、それも"サービス"なんですよ。お客さんにとっては良い事だと思うんで。あのまま、居心地の良い所にずっと居て、それも一つのサービスだと思うんですけれど、エヴァの場合はそれをもうやっちゃいけない気がしたんですよ。少なくとも目を覚ますキッカケみたいなモノを入れなきゃいけない・・・それがお客さんにも良い事なんだろうと云う事で、最後はそういう事をやっていましたけれど。僕にとっては、それも"サービス"なんですよ」

*****

今日は、社会現象になった「エヴァンゲリオン」についてのトークをお届けしました。
私もいろんな所で、監督の意図みたいなものを聞いた事がありました。
劇場版では、アニメ作品ながら「実写」も盛り込んでおり、何とこの映画を見ている私達自身が映っていました。
劇場でスクリーンを眺めている聴衆が映し出されていたのです。
「お前ら、これでいいのか? 人は、こういう風にお前達を見ているんだぞ」と感じさせるシーンでした。
まさにお客さんに水を被せていましたね。
そして最後に「気持ち悪い」ですから・・・。
エヴァのお陰で、ああいう作風・・・「自己否定型」の作品が増えた時代でした。
けれど、どれも大ヒットはしませんでした。
その大きな理由は、「作品を創っている人間そのものが、"居心地の良い所にずっと居たい"と願うものばかりだった」からかも。
ああいう作品は、作り手自身は冷めた目で創らなければいけないと思うんですよ。
私もこうやって文章を書いていますが、読み手から大きな反響を貰うものに限って、本人はかなり冷めた目で書いているものが多いんですよね(どれとは敢えて云いませんが・・・)。
監督自身の口から、色々と「変化球」な内容を聴けて良かったです。

まだ番組は18分ぐらいを過ぎたばかり(全部で45分!)。
この続きは、また次回にて。

tp-linkの無線子機買ったら

コミ通り爆速なのに安定しねえ
いろいろいじってみるべきなんだろうけどその余裕がねえ

あとSwitch USBってなんだろ?
アイコンみた感じだとUSB2.0と3.0の何か切り替えをしてる?

すみません素人は素直に脳死で日本メーカーを買うべきでした