ジョージ・ルーカスの半生を描くバンドデシネ『ルーカス・ウォーズ』が胸熱過ぎて涙が止まらない!

ルーカス・ウォーズ / ロラン・オプマン(作)、ルノー・ロッシュ(画)、原正人(翻訳)、河原一久(監修)

ルーカス・ウォーズ

本書はルーカスの幼少期から、反抗的でカーレースに明け暮れていた青春時代までさかのぼる。死の淵をさまよう大事故に見舞われ、九死に一生を得たルーカスが人生を考え直して進んだのは映画製作の道。注目された学生時代、スピルバーグやコッポラとの出会い、スタジオに評価されなかった無名時代、『スター・ウォーズ』の構想から製作、次々と降りかかる災難、最後の最後までルーカスの才能に懐疑的だったスタジオ、そして大成功を収めるまでの激動かつ苦難の日々が描かれる。

スター・ウォーズ』が好きだ。どれくらい好きかというとVHSで揃えたシリーズをDVDに買い換えBlu-rayに買い換えさらに4KUHDに買い換えた程度には好きだ。EP4〜6はもちろん好きだが実はEP1〜3もかなりのお気に入りだ。ただしEP7〜9は認めない。ジョージ・ルーカスの関わらないあのシークエルは善かれ悪しかれ2次創作レベルのものだと思っている。『SW』は物語にしてもビジュアルにしても映画的構造にしても、ルーカスの全てが込められ、ルーカス以外に再現できない、まさにルーカスそのものの映画だからだ。

そのルーカスが『SW』を製作し成功させるまでを、バンドデシネで描いたのがこの『ルーカス・ウォーズ』だ。物語は単なる車好きの落ちこぼれ少年だったルーカスが、映画に目覚め映画監督を志すところから始まる。映画大学在学時からその才能を開花させ、卒業後映画業界に飛び込むものの、ルーカスの革新性は当時の映画会社にはまるで理解されなかった。その中でルーカスは子供の頃からの夢であった、銀河を駆ける大冒険SF映画を企画しシナリオを提出するが、映画会社の反応は冷たく、ここから長きにわたる彼の茨の道が始まることになる。

とはいえ、何度も繰り返しシナリオ書き直しを命じられながら、それを経る事で徐々に現在の『SW』へと形を成して行くプロセスを見るのはスリリング極まりない。そしてルーカスが遂に突破口を見出したのが、神話学者ジョーゼフ・キャンベルの著した『千の顔をもつ英雄』との出会いだった。ここでルーカスは「神話に代表される物語の元型」を自らのシナリオに持ち込むことにより、これまでよりも確固たる物語性を持つシナリオを完成させることができたのだ。ルーカスはそれでもゴーサインを出さない映画会社に業を煮やし、自費でスタジオを押さえたり特殊効果のアドバイザーを募ったりする。自らの思い抱く映画を完成させるため、映画会社の思惑など無視して前へ前へと行動するルーカスの強烈な熱情が眩しい。その過程で出会ったのがジョン・ダイクストラであり、若き才能に溢れる連中で結成されたILMだった。同時に伴侶であるマーシアの的確な助言も忘れるわけにはいかない。

そしてキャスティングである。……ワオ!最初レイアがジョディ・フォスターでハンソロがクリストファー・ウォーケンだったなんて!?ジョディの『SW』見てみたかったなあ!でもさあ、最終的にハリソン・フォードマーク・ハミルキャリー・フィッシャーに決定してみると、これはもう運命だったんだとしか思えないから不思議だよ。そしてコミックではこの3人の素晴らしいケミストリーも描かれることになる。

そして困難に塗れた撮影が始まる。だがこの時のルーカスの、決意を胸にひめ、不安はありながらも自らを信じて前進する姿に、もう、もう、滂沱の涙ですよ!なぜならこの時、すべての伝説が始まったからなんですよ!

撮影と編集であらゆるベテランクルーと対立するルーカスの姿がまた凄い。彼の求めていたのは常套的なものではなく革新的なものだったからだ。そのルーカスのヴィジョンを古参の映画クルーは理解できなかった。こうして見て行くとルーカスが『SW』でいかに数々の新機軸と革新的アプローチを押し出していたかがわかる。『SW』が古典的とも言えるSF活劇であったにも関わらずここまで斬新だったのは、ルーカスがまさに映画界の風雲児だったからなのだ。

そして『SW』は運命の公開日を迎える。この時『SW』は全米でたった32館での公開、ヒットなど望むべくもなかった。ルーカスは悲観的な状況の中、もはや上映の反響を調べることもしなかった。だがルーカスは『SW』公開日、チャイニーズシアターに並ぶ長蛇の列を見ていったい何の映画だ?といぶかしがる。それはなんと、『SW』を観るために並ぶ大群衆だったのだ。ここからの展開はもはや説明する必要はないだろう。

コミックでこのほか、コッポラ、デ・パルマスピルバーグ、スコセッシなど、ルーカスと親交を深め、ルーカスを励まして『SW』完成の助けとなった多くの有名監督も登場する。リドリー・スコットジェームズ・キャメロンが『SW』と出会い、自分が真に作りたい映画に目覚めるシーンも胸を熱くさせる。こういった部分でも映画ファンの楽しめる作品だ。

もう一つ、ルーカスが偉大だったのは、今で言う「ナード/オタク」な世界を世間に認めさせたということだろう。『SW』の企画は当初映画会社から「子供じみたもの/子供の見るもの」=「大人のまともな鑑賞に適さないもの」として否定されたが、この辺りの物の見方は当時の欧米らしいなと思う。日本のようにアニメもマンガもごく普通に世間に溢れ、「子供じみたもの」と受け取る層はあったとしても、マーケットとして確立している以上頭ごなしに否定はされないという環境に慣れていると、ルーカスの苦難は理解しにくい部分があるかもしれない。ハリウッドにおいてSF冒険活劇は『SW』以前にもあったけれども、それをマニアのみならず一般にも認知させ、巨大マーケットとして押し広げたといった部分にもルーカスの功績があるのだ。

『ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ 』『カウントダウン』『TALK TO ME/トーク・トゥ・ミー』など最近ダラ観したホラー映画あれこれ

『カウントダウン』

ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ (監督:エマ・タミ 2023年アメリカ映画)

機械仕掛けのマスコットがウリだったが現在は廃業したレストランの夜間警備の職に就いた青年が、夜毎勝手に動き回るマスコットの恐怖に曝されるというホラー作品。インディーゲームが原作の映画なのだとか。お話はお化けマスコットの残虐殺戮劇というよりも、かつて目の前で弟を誘拐された主人公のトラウマをそそぐ物語として展開し、それにお化けマスコットのお化けたる所以が絡むというもの。そのため微妙にウジウジした展開を見せ、ホラーというよりもスピ入ったダークファンタジー系といったほうが近い。なにしろシナリオが支離滅裂でインチキ極まりなく、思い付きだけで作っただろコレ?ってな退屈なお話だった。ただし婦警役のエリザベス・レイルが可愛かったからちょっとだけ許す。それにしても粗筋を読んでニコケイ主演のホラー映画『ウィリーズ・ワンダーランド』そっくりじゃないか!?と思ったが、どうやら『ウィリーズ~』のほうはゲームのオマージュであってこの『FNAF』のほうがゲームの正式映画化作品らしい(ややこしい)。

カウントダウン (監督:ジャスティン・デク 2019年アメリカ映画)

自分の余命が分かるという謎のスマホアプリをダウンロードしたばかりに、死の恐怖に怯えまくってしまう若者たちを描いたホラー映画。『FNAF』のエリザベス・レイルが可愛かったので観てみた。いやこれは面白かったな。そのスマホアプリには死ぬまでの時間のカウントダウンが表示されるが、「90歳まで生きる」と表示される者がいるかと思えば、「あと1日」「あと3時間」と表示される者もいて、そしてその時間通りに死んでしまうんだよ。これは怖いよね。言うなれば「ファイナル・ディスティネーション」シリーズを簡易化したような物語で、「ファイナル・ディスティネーション」のようなピタゴラ的な面白さがあるわけではないが、スマホとそのアプリという身近過ぎるアイテムによって簡単に・単純に死の宣告が為されてしまうという部分にこの物語の面白さと恐ろしさがある。中盤からはアプリによって近々の死を宣告された主人公たちが、その死からどう回避するのか?そもそも回避できるのか?というサスペンスと、このアプリはいったい何なのか?というミステリが描かれるが、「そんな解法があったのか!?」という展開がスリリングだったな。全体的に軽めに作られた、それほどショッカー要素の無いホラーだがオレは好きだな。それにしてもエリザベス・レイル可愛い。

TALK TO ME/トーク・トゥ・ミー (監督:ダニー・フィリッポウ、マイケル・フィリッポウ 2022年オーストラリア映画

女主人公がパーティーで「90秒憑依チャレンジ」なるものに誘われ、「手の形の呪物」を握って霊に憑依されて、その後も次々と怪異に遭遇するというホラー作品。ウィジャボードこっくりさんを現代的に解釈した部分は新鮮だったが、基本は「変な霊に関わって危ない目に遭いました!」というだけのお話で、それ以外特に何かひねってるわけでもない。おまけに主人公がなにしろ頭が悪く意思薄弱かつメンタル劣悪で、こいつが馬鹿なばかりに周囲に迷惑をかけて悲惨な結果になっているというだけの話なのである。だから「霊の祟り!」というよりも「馬鹿による人災!」といった方が正しいホラーだなこりゃ。それよりも物語の途中カンガルーが出てきて、「この映画オーストラリア製だったのか!?」とそっちのほうでびっくりさせられた。

タブレット買った。

iPad 10.2インチ 第9世代 Wi-Fi 64GB 2021年秋モデル

2021 Apple 10.2インチiPad (Wi-Fi, 64GB) - スペースグレイ

ちょっとタブレットが欲しかったのでAppleiPadを購入した。

iPadはプロだのエアだのミニだのいろいろ出ていてよく分からないのだが、今回購入したのは2021年に発売されたiPad第9世代、10.2インチWi-Fi 64GBモデルである。プロだのエアだのミニだのではない無印iPadは2024年現在で2022年発売の第10世代まで出ているらしく、即ちこの第9世代は一世代型落ちであり、なおかつこの5月で取り扱い終了となった製品なのらしい。

タブレットとしては今までAmazon Fire HD8を使っていた。安かったからである(最新モデルでも¥13980)。数年ほど使っていたのだが、やはり安いなりの性能でしかなく使い勝手がイマイチ、それと併せもう少し画面の大きなものが欲しくて、特に比較したり探したりもせず安易にApple製品にすることにした。安かったからである(¥43033)。

新しいタブレットが欲しくなったのは、まず電書のコミックが読みたかったからである。紙のコミックは物理の場所をとり、溜まる一方でうんざりしていたのだ。しかし今まで使っていたFire HD8はなにしろ8インチなので、コミックを読むのに微妙にサイズが小さく感じていた。

実の所8インチならコミックの1ページと大差ないのだが、それより大きいサイズで読めるならそれに越したことはない。逆に言うなら大きめのサイズのタブレットなら、紙よりも迫力のあるサイズでコミックが読める。パソコンのディスプレイで読んでも大きなサイズで読めるのだが、コミックは寝転んで読みたいものだ。

同様に、このiPadならサブスク映画も今までのFire HD8よりも大きなサイズで観る事ができるようになるのだろうが、映画なら大画面のモニターを既に持っているので、iPadで観ることはあまりないだろう。

購入してから、これまで家でスマホを使っていたようにiPadを使ってみたが、やはり多少画面サイズの大きいiPadのほうが心地よいものだな。TwtterXみたいなものを眺めていても、写真や動画が大きめのサイズで表示されたほうがずっと迫力があるし楽しく感じられる。

逆にスマホというのはあくまで「携帯サイズ」であって、決してこれで十分というようなものではないように思えてきた。ただしタブレットは外に持ち出すこともできるが常に携帯できるものではないし、その辺りは使い分けだろう。家にいるときはスマホで見るよりもタブレットで見たほうが快適だが、寝る時に眺めるならスマホ一択だな。さらに、なにか作業するならタブレットよりもデスクトップパソコンの方がずっとやりやすい(ノーパソが嫌いな人間)。

これは重量も関係するのだろうが、今回購入したiPad第9世代は重量が487g、男のオレならこれを片手に持ってずっと電書を読んでいてもそれほど疲れない重さではある。ただしiPadはつるつるして持ちにくいので、いっしょにiPadカバーも買った。これがあったほうが持ちやすい。ディスプレイが大きい分なにか落としたり踏みつけたりしそうで怖いので、ガラスフィルムも買っておいた。

性能としては今の所あれこれ言うほど使ってはいないが、電書を読んでいる時に何かの動作で縦横が入れ替わると、途端に固まってしまうのが玉に瑕だな。この程度のことで処理が追い付かないのか。あと2021年モデルだからか指紋認証なのがちょっと懐かしかった。iPhoneと比べてカメラレンズが小さいのにも驚いたが、そもそもiPadで写真を撮るつもりはない。それと、携帯するつもりもないのでiPhoneのように音楽ファイルを入れたりもしていない。あと普通にイヤホンジャックがあるのには笑った。懐かしくて。
とまあなにしろ使い分けである。そして今の所だいたい心地いい。

 

 

『ウルタールの猫 ラヴクラフト傑作集』他、最近読んだコミックあれこれ

ウルタールの猫 ラヴクラフト傑作集/田辺 剛

ラヴクラフト小説コミカライズの第一人者にしておそらく世界最高峰の漫画家、田辺剛によるラヴクラフト傑作集新作。これまで田辺氏のラヴクラフト小説コミカライズは『狂気の山脈にて』『インスマスの影』『ダニッチの怪』など比較的大作が手掛けられていたが、今作では「セレファイス」「ウルタールの猫」「蕃神」といった短編3作の収録となっている。これらはラヴクラフト作品として強烈なネームヴァリューのある作品ではないが、どうしてどうして、読んでみると十分にラヴクラフト的怪奇の世界に誘ってくれる作品ばかりだ。「セレファイス」は有り得ざる異世界を夢見る男の幻想譚だが、強烈な現実逃避願望に彩られた物語は怪奇小説ラヴクラフトの一面を垣間見せはしないだろうか。「ウルタールの猫」は異教徒による猫の呪いが描かれるが、田辺氏が描くと可愛らしいはずの猫がここまで不気味で怪物じみた姿になってしまうのが面白い。「蕃神」は山の頂に住まうとされる神々の姿を見るべく登頂を試みる男の物語となるが、ラヴクラフトの描く「神々」が一筋縄でいくはずがない。どれもクトゥルー味は薄いが、そもそも田辺氏のグラフィックそのものがクトゥルー色に染まっているので物足りなさは感じなかった。それにしても「形のないもの」を描かせると本当に巧いな田辺氏は。引き続き新たなるラヴクラフト傑作集の刊行を待つ。

戦車椅子‐TANK CHAIR‐(6)/やしろ学

殺伐としたサイバー都市を舞台に、下半身不随にもかかわらず無敵の殺し屋である少年が、変形攻撃を仕掛ける”戦車椅子”に乗って敵を粉砕してゆくというバトルストーリー第6巻。設定から世界観から登場人物まで、なにもかもが荒唐無稽でイビツであり異形であり、破壊と血飛沫に塗れたものなのだが、にもかかわらずそれをよく整理されたグラフィックで描いている部分に好感を抱いて読んでいる。物語は当初、少年漫画によくあるエスカレーションするパワーバランスの物語として展開していたが、「先生」と呼ばれる世界最強の存在との頂上戦が既に第3巻で終了し、ここからどう転がるのか?と思っていたら、喪失と再生と新たなる人間関係についての複雑な物語へと深化してゆき、作者の並々ならぬストーリーテリングの才をうかがわせる。そしてよく見渡してみると、これは肉親への愛についての幾つものバリエーションを描いた物語でもあるのだ。こういった単にバイオレンスだけに止まらない内容にも読ませるものがある。

波よ聞いてくれ(11)/沙村 広明

北海道を舞台に、ひょんなことからラジオMCに抜擢されたぶっ飛び娘・鼓田ミナレの破天荒な行動を描くコミック第11巻。前巻から引き続きカルト教団に監禁されたAD瑞穂の救出とその後始末、北海道の放送界一大イベントにおける代表MCとして活躍、刑務所向け番組に出演した鼓田ミナレが放つ強烈な矜持など、例によって我が道を征きまくり辛辣な言動を繰り広げる主人公に大いに笑わされ大いに嘆賞させられる巻となっていた。笑いの陰にある黒々としたバイオレンスの匂いも相変わらず、一歩間違うと陰惨なお話を紙一重で笑いに変えるセンスはさすが沙村広明独特の物を感じる。

タワーダンジョン(1~2) /弐瓶勉

ダンジョン飯』も完結したので何かほかにファンタジーなダンジョンストーリーを読んでみたいなと思い手にしてみた。弐瓶勉については名前はよく聞いていたしオレの好きそうなテーマを扱っているのも知っていたが、作品を読んでみたのがこれが初めて。で、これがとても面白い作品だった。要するに剣と魔法の物語であり、邪悪な魔導士を倒すべくタワー状となったダンジョンを経巡るといったお話であるのは間違いないのだが、それを弐瓶氏ならではの切り口と世界観、さらには巧みなグラフィックによって刮目すべき作品に仕上がっているのだ。甘さのない無情かつ非情な展開は好みだし、不気味で陰惨な世界観や敵の姿にも引き込まれる。なんといってもきっちり書き込まれているわけでもないのに強烈な画力を感じさせる冴えわたったグラフィックが素晴らしい。主人公が力自慢の朴訥な農民青年といった部分も面白い。続巻が楽しみなばかりか弐瓶氏の他の作品まで読みたくなってしまった。

フランス/ベルギー製作のドタバタ・タイムトラベルSF映画『フューチャー・ウォーズ』

フューチャー・ウォーズ (監督:フランソワ・デスクラック 2022年フランス・ベルギー映画

メルトダウン寸前となったパニック状態の原子力発電所に突然一人の男がテレポートしてくる。彼は「2555年の未来から危機を救いにやってきた」と告げた。しかしその男を追うようにして強化装甲に身を包んだ二人の兵士が出現、彼らは《時空警察》を名乗り、彼らもまた危機を救いに未来からやってきたのだという。敵対して見える両者はどちらが本当の救済者なのか!?2022年フランス・ベルギー製作によるタイムトラベル映画、『フューチャー・ウォーズ』はこんなシリアスなオープニングから始まりますが……実はドタバタ・コメディだったのです!?

《物語》2555年――地球は終末の危機に瀕していた。人類を救うため、一人のタイムトラベラーが立ち上がる。彼に課せられた使命は2022年に戻り、世界を変えた“ある事件”を阻止し、歴史を変えること。しかし、歴史の改変を阻止すべく、時間警察の追手が迫っていた…。果たして、男は未来を変えることは出来るのか。

映画『フューチャー・ウォーズ』公式サイト|5月10日公開

いやー、オレも映画が始まるまではすっかりシリアスなSF作品だと思ってたんですが、まんまと騙されてしまいました。冒頭に書いたエピソード自体相当にベタベタなギャグ交じりで展開しており、おまけに《時空警察》を名乗る連中の言う事を信じた原発職員が、結局原発メルトダウンさせてしまうんですね。こうして原子力発電所は大爆発を起こし、空には禍々しい巨大なキノコ雲が立ちのぼるのです!……いや、いくらメルトダウン起こしたからってちょっと大げさすぎねえか……。

実はこの映画、アリスという名の環境保護活動家の女性が主人公となります。彼女の父親は有力議員であり、メルトダウンを起こしたにもかかわらず再び新たな原子力発電所を誘致しようとしていました。アリスはこれを阻止するため、スキャンダル材料の入った父のパソコンを盗もうとしますが、そこに現れたのが最初に登場した謎の男=《訪問者》と《時空警察》、さらに騒動に気付いた父でした。

格闘の末アリスと父は《訪問者》により2555年の未来に拉致されます。そこはアリスの父が誘致した原子力発電所の事故により人類の半数が死滅し、おまけにゾンビが闊歩する世界だったのです!《訪問者》はこの破滅を阻止するため過去へタイムトラベルしていたのです。一方、時間改変を一切認めない《時空警察》は、《訪問者》の行動を妨害しようとしていました。

で、この辺りで「なんか変な話だなあ」と思えてくるのですよ。原発事故は恐ろしいものですが、いくらなんでもそれだけで人類の半数が死滅したりしないでしょう。物語では「(なんらかの連鎖反応による)破滅的な放射性雲」のためだ、としていますが、なんだか曖昧過ぎて説得力がないんですね。そしてそこは「2555年の未来」ということらしいのですが、破滅的な原発事故から500年間ずっと地球は壊滅状態だというのも変な話だし、にもかかわらずタイムマシンだけはきちんと開発されている、そういう科学的発展はしている、というのも辻褄が合わないんですね。だったらその科学で人類をどうとでも救済できていたでしょう。

一番訳が分からないのは《時空警察》の行動です。「時間改変は恐ろしいタイムパラドクスを起こすので断じて許せない!」と《訪問者》を亡き者にしようとしますが、もう既に最悪の出来事は起こっちゃっている上に、明日にも全人類が滅亡するかもしれないという時に、いったい何言ってんだこいつら?って首傾げちゃいますよ。

こういったチグハグさっていうのは、多分『ターミネーター』みたいな映画を撮りたかったけど『ターミネーター』と差別化できる物語を全然思いつけなかったってことなのではないでしょうか。地球滅亡の原因が核戦争だったらまだ少しは説得力があるんですが、でも核戦争って『ターミネーター』でやっちゃってるし、そや!おんなじ「核」で原子力発電所ってのはどや!って思っちゃったんでしょうね。それに現在盛んなエコだクリーンだのの環境保護活動をからめて今っぽく見せたのがこの映画の設定なんでしょう。

意外と一般欧米人の核や原子力への認識ってこの程度な気もして、だからこの映画のような設定が普通にまかり通ってしまうのかもしれなせん。でも過去にも近年にも核やら原発やらでアレコレあった日本の住民としては、なんだか安易だなあ、と思えてしまうんですよ。それとドタバタコメディ展開に関しては、フランス産コメディに顕著な泥臭さが延々続くので途中で飽きてきてしまい、後半笑えなくなってきた、という事も挙げておきましょう。