【積ゲー消化】今頃だがSFサバイバルホラーゲーム『Dead Space』リメイク版をクリアした

 Dead Space(Remake)(PS5、Xbox Series X|S、PC)

例によってチマチマと【積みゲー消化】しているオレである。しかも最近「消化」し終わった積みゲーが増えている。これは「積みゲー消化してブログ記事にしよう!」という目論見のもとに積みゲープレイのモチベーションが高まってきているからである。ただでさえ人気のないオレのブログで最も人気のないのはこの【積みゲー消化】記事であるが、オレ一人が楽しければいいので無問題である(開き直り)。

今回クリアしたゲームは2023年1月に発売された『Dead Space』。人類が宇宙に進出した未来、救難信号を発する宇宙船に急行した主人公が遭遇したのは、夥しい死体の山と襲い掛かってくるおぞましいモンスターの姿だった。主人公は半壊状態の宇宙船内を駆け巡りながら、グログロなモンスターをグログロにブチ殺しまくってゆく、というとても楽しいSFサバイバルホラーゲームである。言うなれば『エイリアン』要素の加味された『バイオハザード』、あるいは映画『イベント・ホライズン』のゲーム版といったところだ。ゲーム自体は2008年にリリースされた同名ゲームのリメイク版で、『Dead Space 2』『同 3』とシリーズ化もされた人気作である。

【物語】舞台は2508年の世界。主人公であるエンジニアのアイザック・クラークは,調査と復旧のミッションのため,救難信号を発した惑星採掘船・USGイシムラ(USG Ishimura)へと赴く。USGイシムラの船内では,船員達は切り裂かれ,寄生されており,さらに採掘船に勤務していたアイザックの恋人ニコールは行方不明となってしまう。船に1人囚われたアイザックは,「ネクロモーフ」と呼ばれる恐ろしいモンスター,そして崩壊していく自らの精神とも戦うこととなる。

リメイク版「Dead Space」,日本国内ではPCに向けて本日リリース。その恐怖体験で脚光を浴びたSFサバイバルホラーの名作が再登場

なにしろこのゲーム、凄まじい残酷描写で話題となったゲームだが、あまりに残酷過ぎてレーティング審査が通らず、日本ではシリーズすべてが発売中止になっている。どのぐらい残酷なのかというと、常に辺りは血塗れバラバラ死体だらけ、主人公がモンスターに殺されるシーンは首が吹き飛び手足をもがれ臓物撒き散らしながら血の海に沈む様子を念入りに描いていたりするのだ。ううっ、なんて悪趣味!(ウットリ)

日本未発売ではあるが輸入盤は入手できるし、Steamでも普通にD/Lできる上、ギリギリまで日本発売を見越していたようで日本語字幕も付いているしGUIも日本語化されているから問題なくプレイできる。そう考えるといまさらレーティングで日本未発売とかいうのも無意味な気がする。そういった訳でオレもシリーズ全作プレイしているが、実は1作目は結構難易度が高かったうえに途中セーブデータが飛んでしまい、クリアせずに放り投げてしまった。だからこのリメイク版プレイはリベンジマッチという意味合いもあるのだ。

というわけでリメイク版をプレイしたのだが、グラフィックの向上のみならず、難易度がかなり調整されていて、オリジナル版よりも数段遊びやすかった。難易度設定で低難易度を選んだせいもあるのだろうが、敵の固さはほどほどだったし、セーブ地点があちこちにあり、アイテムやゴールドも豊富に入手でき、特にクライマックス近くでは保有アイテムがありすぎて困ったほどだった。なんというか至れり尽くせりの遊びやすさなのである。

オリジナル版で詰まっていた箇所も、難なく、というほどではなかったが無事通過できた。これなどはオリジナル版購入時と違ってネットに豊富に攻略情報があったせいもあるだろう。グラフィック、システムやデザインは今でも十分斬新に感じる作品で、今回リメイク版によってリベンジマッチできたことが嬉しく感じた。クリア18時間。

 

 

フランス文豪バルザック小説を原作とした虚飾と慢心の物語/映画『幻滅』

幻滅 (監督:グザビエ・ジャノリ 2021年フランス映画)

19世紀フランスの文豪、オノレ・ド・バルザックの小説『幻滅 メディア戦記』を映画化した作品。地方出身の純朴な青年リュシアンは蛇の巣の如く退廃と悪徳に塗れた19世紀パリにやってくる。彼は詩人になる夢を捨てて打算に満ちた人生を歩み始め、虚飾に溺れて自らを失ってゆく。

《物語》文学を愛し、詩人として成功を夢見る田舎の純朴な青年リュシアンは、憧れのパリに、彼を熱烈に愛する貴族の人妻、ルイーズと駆け落ち同然に上京する。だが、世間知らずで無作法な彼は、社交界で笑い者にされる。生活のためになんとか手にした新聞記者の仕事において、恥も外聞もなく金のために魂を売る同僚たちに感化され、当初の目的を忘れ欲と虚飾と快楽にまみれた世界に身を投じていく。

映画『幻滅』公式サイト

この物語では19世紀のフランスに生きる一人の平民青年の、貴族階級への羨望と嫌悪がないまぜになったルサンチマンが描かれる。これはバルザックゴリオ爺さん』やスタンダール赤と黒』にも通じる、当時の若者たちの心象を抉ったものなのだろう。同時に当時の貴族社会の、平民への強い侮蔑と冷笑とがあからさまにされる。

この作品は幾つもの点において今日的な問題と共通する事柄を描いている。一つは都会の中で疲弊してゆく青春の蹉跌の物語。この辺り、北海道の片田舎から上京した”お上りさん”のオレには我が事のように感じてしまった。そして貴族/平民の強烈な階級社会描写は、格差社会と化した現代と二重写しになっている。

正義なきパワーゲームに奔走するメディアの醜怪さも描かれる。新聞メディアが力を持ち世論を大いに搔き乱すというこの描写は、18世紀半ばから巻き起こった産業革命が影響したものであり、印刷技術の大規模な発達がメディアに力をもたらしたということなのだ。これも昨今のインターネットの爆発的な発達と共通するものがあるだろう。古典文学を原作としながらも、こういった点において非常に今日的な作品だと言えるのだ。

ちなみにバルザックはその著作においてスターシステムを使用しており、この作品における主人公リュシアンは、原作『幻滅 メディア戦記』の前作『ゴリオ爺さん』にも登場している。そもそもがバルザックの著作は、『人間喜劇』というタイトルの長大な大系に集約されたものなのだ。また、物語で描かれる「対立劇団潰し」は近世フランスでは常態となっていて、戯曲『ドン・ジュアン』を書いたモリエールもその憂き目に遭っていたという。

幻滅

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『オリヴィエ・ベカイユの死・呪われた家~ゾラ傑作短編集~』を読んだ。

オリヴィエ・ベカイユの死・呪われた家~ゾラ傑作短編集~ /エミール・ゾラ (著), 國分 俊宏 (翻訳)

オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家 ゾラ傑作短篇集 (光文社古典新訳文庫)

完全に意識はあるが肉体が動かず、周囲に死んだと思われた男の視点から綴られる「オリヴィエ・ベカイユの死」。新進気鋭の画家とその不器量な妻との奇妙な共犯関係を描いた「スルディス夫人」など、稀代のストーリーテラーとしてのゾラの才能が凝縮された5篇を収録。

最近あれこれと怪奇幻想小説を漁っているオレだが、今回読んだのはエミール・ゾラの短編集『オリヴィエ・ベカイユの死・呪われた家~ゾラ傑作短編集~』。

ゾラ(1840-1902)といえばフランス自然主義文学の代表的な作家のひとりであり、『ジェルミナール』『居酒屋』『ナナ』といった名作を著している。ただ、オレは以前フランス文学を集中して読んでいた時期があったが、このゾラには手を出さなかった。理由は、有名作の粗筋を読んでみたら、リアリズムを是とする自然主義文学ならではの、現実の醜い面ばかり描いた暗さに辟易したからである。

とはいえ今回、おっかなびっくりこの短編集を読んでみると、これがなんと実に面白い。長編作品の暗く救いのないイメージとはまた違う、小気味よいテンポのしっかりとしたストーリーテリングの作品ばかりだったからだ。正直短篇だけとってみるなら、これまで読んだフランス古典文学の中でも相当によくできていると思えた。

さてこの短編集、『オリヴィエ・ベカイユの死・呪われた家』などと見るからに怪奇小説ぽいタイトルなのだが、実のところ怪奇小説的なプロットを借用した人間ドラマが基本であり、決して超自然現象を扱ったものではない。また、タイトルに挙げられた2つの短篇以外は人間それ自体を描くごく普通の文芸小説である。とはいえ、本を手にするいい切っ掛けにはなった。

収録作品は5編、それらの感想を順を追って書いてみよう。まずは「オリヴィエ・ベカイユの死」、これはポーの「早すぎた埋葬」のゾラ・バージョンだと思って貰えばいいだろう。死んだと目される男の意識が自分の体や妻の様子を上から眺めている描写はどこか可笑しい。男は本当に死んだのか、死んでないのか?という興味で最後まで読ませるが、基本はやはり奇想小説ではなく人間を描く物語なのだ。

「ナンタス」は未婚の母となった貴族の娘と偽装結婚する貧しい青年の物語だ。打算から始まった結婚だが青年は次第に娘を愛するようになる……といったストーリーはある意味ベタだが、こういったベタさが実はゾラの持ち味なのかなと思った。「呪われた家―アンジェリーヌ」にしても幽霊屋敷と噂される屋敷の真実を探る男が登場するが、2転3転する展開がこれまたベタながら楽しませる。そしてこの作品も超自然現象を扱ったものではない。

「シャーブル氏の貝」は子供のできない年の離れた貴族夫婦(40代の夫と20代の若妻)が、子作りによしとされるフランスの避暑地に赴くといったお話。途中若く魅力的な青年が現れ展開が見えるにしても、この青年と貴族の妻がいつくっつくのか?という下世話な興味で読ませる作品となっている。それと併せ、フランス田舎町の風光明媚な光景の描写が素晴らしく、作品を魅力に満ちたものにしている。

「スルディス夫人」は画家の夫婦が主人公となる。優れた才能を持ちながら放蕩の末に絵が描けなくなってゆく夫と、才能は乏しいが忍苦を重ねて夫を立てようとする妻との、危ういバランスで成り立つ夫婦関係は読んでいてはらはらさせられた。物語は途中から大きな変転を迎え、絶妙なストーリーテリングを見せつけながら、静かな感動を呼ぶラストを迎える。

総じて、ゾラの短編は読み易く親しみ易く、あまり古さを感じさせない。確かにスタンダールバルザックといった同時期のフランス文豪と比べるなら、文学性の深さといった部分では物足りなく感じさせるかもしれないが、ベタな筆致は逆に大衆的でもあり、読み物としての楽しさを十分に兼ね備えている。そういった部分で今回読んだゾラの短編集からは様々な発見をすることができた。

 

『サンクスギビング』『コンクリート・ユートピア』他、最近ダラ観したDVDやら配信やら

サンクスギビング

サンクスギビング (監督:イーライ・ロス 2023年アメリカ映画)

クエンティン・タランティーノ+ロバート・ロドリゲスが製作した悪ノリ・アンソロジー映画『グラインドハウス』はオレも大のお気に入りの作品である。その後映画内で上映されたフェイク予告編『マチェーテ』『ホーボー・ウィズ・ショットガン』まで悪ノリで映画化しており、「やることアホやなあ」と大いに楽しんだのだが、またまたフェイク予告編から映画化されたのがこの『サンクスギビング』だ。

物語は感謝祭での惨劇から始まる。スーパーのセールに殺到した客たちにより暴動と強奪が起こり、多数の死傷者が出たのだ。そして数年後、近付く感謝祭に沸き立つ町で、住民たちが一人また一人と残虐な方法で殺されてゆく。その陰には「感謝祭での惨劇」に恨みを持つ謎の人物の復讐が隠されていたのだ。

冒頭の「感謝祭の惨劇」からアクセル踏みっぱなしのろくでもなさで、バカを描かせたらイーライ・ロスは本当に頼れる奴だなとほっこりさせられる。その後は学園を舞台としたティーンホラーとして展開するが安定感もたっぷり。多数の登場人物をきちんと交通整理しながら丁寧に描く手腕にはさすがベテラン監督の腕が光っていた。ホラーの割に警察もちゃんと働いており、「犯人は誰か?」というミステリもきちんと物語を牽引する。殺戮シーンはバラエティに富み景気良くて大盤振る舞いのえげつなさ、残虐だが笑えるセンスも小気味いい。細かく無駄なこだわりぶりも楽しかった。巧いしよく出来ていた作品で十分に楽しめたが、やはり続編が企画されているらしい!

コンクリートユートピア (監督:オム・テファ 2023年韓国映画

地震により廃墟と化した韓国の首都ソウルを舞台に、たった一棟だけ無事に残っていたアパートの住民たちが、住民以外の人間を排除すべく恐怖政治を敷くというディストピア映画。この物語の本当に怖い所は、大地震から何か月経とうがどこからも誰からも救助の手が差し伸べられていないという状況で、これはほぼ世界全てが壊滅状況であるということに他ならないのではないか。この状況下で「自分たちだけは生き延びる」と排外主義を取るのは至極当然の事だと思うし、それにより殺人も辞さないというのは古代ギリシャ寓話「カルネアデスの板」にあるように、非常事態におけるギリギリの選択なのではないだろうか。当然映画はフィクションとしてのグロテスクな脚色を加えているが、本質的な部分においてこの物語を「人間の醜さ」ととらえるのは違うだろう。むしろこの状況下で平時と変わらない「お気持ち」を持ち出そうとする主人公の嫁は最終的にコミュニティを滅ぼす存在だと思ったけどな。どちらにしてもこういった時には厳密さを求めるのではなく柔軟さも大事ではあり、その匙加減だろう。そして映画として面白かったかというとそれはまた別の話。

私がやりました (監督:フランソワ・オゾン 2023年フランス映画)

私がやりました [Blu-ray]

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30年代のパリを舞台に、貧乏こじらせた二人の女性が、やってもいない殺人事件の犯人になって注目を浴びお金を稼いじゃおう!と画策する犯罪コメディ。一見アンモラルなお話だが、背景には女性蔑視や性的暴力、女性の社会的地位の低さがあり、それを逆手にとって衆目を浴びようという、したたかであると同時にやむにやまれぬ女性たちの立場を描いた物語なのだ。主演を演じる二人の女優が非常に若く美しい女性で、この「若くて美人」であることを武器に物語が展開するというのも、ルッキズムやエイジズムといったものに対し裏返しの皮肉を浴びせていて面白い。とはいえ物語自体は実に軽やかに展開し、30年代パリの風俗や衣装の美しさで魅せてゆき、犯罪ドラマでもあるのに全く嫌味なく楽しく観られてしまう部分も好感度が高い。殺人事件の犯人になりすましちゃったら本当の犯人は?という後半の流れもきちんと考えられていて優れていた。なおこの映画は「「私がやりました」フランソワ・オゾン監督のノワールコメディですが… - レタントンローヤル館」のレビュー記事で興味を持ちました。元記事も是非ご一読を。

シアター・キャンプ (監督:モリー・ゴードン/ニック・リーバーマン 2023年アメリカ映画)

Theater Camp

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経営難により存続の危機に陥っている子役専門の演劇スクールを舞台に、教師たちの奮闘とドタバタを描くコメディドラマ。この教師たちというのがいかにもオフブロードウェイ出身と思われるエキセントリックな人たちばかりで、子供たちもほぼセミプロのこまっしゃくれた子たちばかり。こういった癖の強い面々でコメディを成立させようとしているが、なんかこうマンハッタン島に住むアートかぶれの連中らしい鼻につく言動と行動がどうにもイラッとさせてくれて、ちょっと物語に乗れなかったな。ただねえ、一旦本番の演劇が始まると、悔しい事にやはり巧いんだよこいつら。

SOMPO美術館『北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画』を観に行った

新宿のSOMPO美術館で開催されている『北欧の神秘―ノルウェースウェーデンフィンランドの絵画』展を観に行った。これはスカンジナビア半島に位置する北欧3ヶ国、ノルウェースウェーデンフィンランドの絵画を中心に展示した美術展となる。

この『北欧の神秘』展に興味を持ったのは、まず最近北欧ミステリをよく読んでいて、北欧の国々に興味を持っていたこと、それと一般的な西洋近代絵画史の中で北欧美術がどの辺りの位置にあり、どのように独自性を持ったものとして発展していたのか確認してみたかったこと、そして最後に、単純に「北欧の神秘」のその幻想性を体験したかったことにあった。

【展覧会概要】ヨーロッパの北部をおおまかに表す北欧という区分は、一般的にノルウェースウェーデンフィンランドデンマークアイスランドの5 か国を含みます。このうち最初に挙げた3 か国はヨーロッパ大陸と地続きにありながらも、北方の気候風土のもとで独特の文化を育みました。 本展覧会は、この3 か国に焦点を定め、ノルウェー国立美術館スウェーデン国立美術館フィンランド国立アテネウム美術館という3つの国立美術館のご協力を得て、各館の貴重なコレクションから選び抜かれた約70点の作品を展覧するものです。 19 世紀から20世紀初頭の国民的な画家たち、ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクフィンランドの画家アクセリ・ガッレン=カッレラらによる絵画などを通して、本展で北欧の知られざる魅力に触れていただければ幸いです。

【北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画】 | SOMPO美術館

とても当たり前な話なのだが、この『北欧の神秘』展で展示された作品は「緯度の高い寒い国に住む人々の、その自然と生活、歴史と伝説を描いた絵画」となる。風景画を見てもあからさまに植生が違うのが分かるし、空の色も水の色も寒々しくどこか冷たい。ピンと肌を刺す空気感までが伝わってきそうなぐらいだ。驚いたのは「〇〇の夜」と題された風景画の多くが、夜を描いているにもかかわらず空が明るいということで、これは即ち「白夜」を描いたものだということなのだ。そこで描かれる自然の光景からは厳しさが伝わってくるのと同時に、そういった土地で暮らす人々の生活の温もりもまた伝わってくる。

これらの土地を舞台とした伝説を描く作品は、やはりどこか暗く鬱蒼として、闇夜にちろちろと輝く鬼火のように幽かなものだ。その幽かさが神秘的な幻想をもたらす。こういった絵画からもやはり寒冷な土地に暮らすことの忍苦と峻厳、暖かく平和な家でやっと得ることの出来るつかの間の安らぎが垣間見える。これはヨーロッパやアメリカの近代絵画では見られない光景であり情緒だろう。そういった北欧ならではの独特さが十二分に伝わってくるとても素晴らしい展覧会だった。

これはオレが北海道で生まれ育った人間だということもあるだろう。北海道生まれのオレにとって、欧米近代絵画の、例えば風景画に見られる自然の豊かさやダイナミックさ、あるいは風俗を描いた絵画におけるカラフルであったりビビットであったりする色彩、柔らかく温かい感触、高度な文化性というのは、時折どこか居心地の悪く感じられるものがあった。しかし北欧絵画はもう少しオレの知っている世界に近く、それで親近感を感じられるのだ。

ロベルト・ヴェルヘルム・エークマン《イルマタル》1960年

ロベルト・ヴェルヘルム・エークマン《イルマタル》1960年

ニルス・クレーゲル《春の夜》1896年

テオドール・キッテルセン《トロルのシラミ取りをする姫》1900年

エドヴァルド・ムンク《ベランダにて》1902年

マルクスラーション《滝のある岩場の景観》1859年

ニコライ・アストルプ《ユルステルの春の夜》1926年