『The Witch/魔女』監督パク・フンジョンによるアクションノワール『貴公子』を観た

貴公子 (監督パク・フンジョン 2023年韓国映画

好きな韓国映画監督もあれこれいるが、その中の一人として挙げられるのはパク・フンジョンだろう。なにしろあの超能力少女バトルムービー『The Witch/魔女』の監督だからだ。その続編『The Witch/魔女-増殖-』や『新しき世界』、Netflix映画『楽園の夜』もなかなかにいい映画だった。そのパク・フンジョン監督の新作となるのがこの『貴公子』である。

《物語》フィリピンで病気の母のために地下格闘で日銭を稼ぐ青年マルコは、韓国人の父の行方を知らない。そんなある日、彼の前に“父の使い”を名乗る男が現れ、マルコは韓国に向かうことに。飛行機の中でマルコが出会ったのは自らを“友達チング”と呼ぶ謎の男“貴公子”。不気味に笑う貴公子に恐怖を感じ逃げるマルコだったが、彼の執拗な追跡と狂暴ぶりに徐々に追い詰められていく…。 なぜ、マルコの前に突然、父親は現れたのか…? 謎の貴公子の目的とは…?すべてが明らかとなった時、マルコはさらなる危機に見舞われる。

映画『貴公子』公式サイト

物語はフィリピンに住む貧しい混血青年マルコ(カン・テジュ)が「まだ見ぬ父親に会わせてやる」という弁護士の計らいで韓国へ旅立つところから始まる。その父とは韓国巨大財閥のCEOなのらしい。しかし韓国に到着したマルコを奪取せんと二つの勢力が襲い掛かってくる。一人はタイトルでは「貴公子」と呼ばれる謎の男(キム・ソンホ)。もう一人は女性弁護士ユンジュ(コ・アラ)。一方マルコを待つCEOの御曹司ハン(キム・ガンウ)は、マルコ奪取を阻止するため多数の私兵を投入する。

こうして物語は三つ巴のマルコ奪還作戦が展開し、血に塗れた恐るべきアクションを展開してゆく。なぜマルコは追われるのか?あるいは命をつけ狙われるのか?なぜ今にして急に父親が面会しようとするのか?「貴公子」の正体は誰で何を目的としているのか?女性弁護士ユンジュと財閥御曹司ハンの真の目的は何か?そしてなぜ両者は対立しているのか?物語は終始ミステリアスに進んでゆき、このミステリ展開が見所の一つとなる。

そして最大の見所は、やはりキム・ソンホ演じる謎の男「貴公子」の特異なキャラクターに尽きる(とはいえこの男、作中では自らを”(仕事の)プロ”と呼ぶだけで名前は明らかにされず、また「貴公子」と呼ばれることはない)。なにしろこの男、ルックスはまさに「貴公子」と呼べる優男で、「貴公子」なだけに嫌味なぐらい服装に気を使い、言動も行動も「貴公子」らしい気取り腐ったものだ。

こんな具合になにもかもわざとらしくて一歩間違えばお笑いキャラなのだが、蛇のような執念でマルコを追い詰め、神出鬼没にどこへでも出現し、ひとたび戦闘ともなると敵をアッという間に血の海に沈めてしまう。どうにもトッポイ性質と、それとは裏腹の卓越した戦闘能力のアンバランスさが面白いキャラクターなのだ。こういったキャラクターを打ち出しているため、韓国映画らしい血塗れノワール展開なのにもかかわらず、その陰惨さを打ち消し軽快な作品にしているのである。そういった部分で新しい形の韓国ノワールといえるのだ。

物語の「真相」も、ミステリ好きならすぐ想像がついてしまうのだが、これはこれで悪くなく、案外またハリウッドでリメイクなんぞされるかもしれない内容だ。なにより「貴公子」を演じるキム・ソンホがいい。韓国映画においてはスーツ姿=体制側or悪人である事が多いが、この作品における「貴公子」はその辺り微妙にグレイな上にヒロイックな戦いも見せる部分が面白い。マルコを演じるカン・テジュも迫真的な演技を見せていた。御曹司ハンの暴力的だが小悪党めいたしょぼさを感じさせる部分も可笑しくてよかった。

そしてこの物語の隠されたテーマは韓国の経済格差にあるのだろう。混血青年マルコは財閥一族に常に「貧乏人」呼ばわりされる。そして「貧乏人」であるからこそ命を軽んじられる。今韓国の若者たちは財閥系の大企業に就職できなければ一生低賃金のまま生きるしかなく、それによる就職難が社会問題化しているのだという。財閥か、それでなければ貧乏人か。こういった経済格差への怨嗟がこの物語の根底にあるのだろう。

 

 

最近ダラ観したDVDやら配信やら/『俺らのマブダチ リッキー・スタニッキー』『バーナデット ママは行方不明』『デシベル』

『俺らのマブダチ リッキー・スタニッキー』

俺らのマブダチ リッキー・スタニッキー(Amazon Prime Video) (監督:ピーター・ファレリー 2024年アメリカ映画)

3人の男たちが架空の友人「リッキー・スタニッキー」をでっち上げ、いつも言い訳の材料にしていたが、パートナーたちが会わせろと言い始めて大ピンチ。そこで男たちは落ちぶれ俳優のロック・ハード・ロッドにリッキー役を頼み込むが!?というコメディ作品。ピーター・ファレリーが監督だというので興味が湧いて観てみた。

ファレリー監督と言うとファレリー兄弟作『愛しのローズマリー』、『メリーに首ったけ』などで毒のあるコメディ映画を披露していたが、単独監督作『グリーン・ブック』では非常に卓越した腕前を見せつけていた。今作ではかつての毒気こそ減少したものの、要所要所で癖が強く下ネタも含めた内容となっていて十分楽しめる。

今作の最大の貢献者は俳優ロック・ハード・ロッドを演じたジョン・シナだ。最初はどうにも情けない男として笑いを取るが、次第に俳優魂を燃え上がらせ、「嘘から出たまこと」とも言える八面六臂の活躍を見せて観る者を唸らせるのだ。そんなロック・ハードを演じるジョン・シナを眺めているだけで楽しいのだ。シナは最近あちこちの映画で見かけるが、まさに今が旬の俳優だと感じる。

しかしロック・ハード・ロッドがリッキーを迫真的に演じれば演じるほど、逆に3人の男たちが窮地に至ってしまう。嘘に嘘を重ね続けてどんどんと首が回らなくなってゆくのだ。こういった自縄自縛から生まれる笑いが実に質が高く、またまた良作ぶりを見せつけてくれたファレリー監督だった。

バーナデット ママは行方不明 (監督:リチャード・リンクレイター 2019年アメリカ映画)

かつては新進建築家として名を挙げていたバーナデットだが、今は専業主婦として一流企業に勤める夫や可愛い娘の世話をしていた。だがもとから人間嫌いのバーナデットは近所付き合いに嫌気が差し遂に大爆発、なんと南極に逃避行!?というヒューマン・コメディ。主演がケイト・ブランシェットだというからこれは観なきゃ、と視聴。監督は「6才のボクが、大人になるまで。」のリチャード・リンクレイター

家族構成がハイソな主人公と夫と利発な娘、テーマが自分探し、その出奔先が南極!?といった部分で少々リアリティを感じない物語運びではあったが、ケイト・ブランシェットの演技と存在感が安定の素晴らしさで、これはこれで見せる作品になっていた。バーナデットの人間嫌い振りや不器用さが可笑しさを生むと同時に、そういった性格に共感できるものを感じさせるのだ。夫の無理解や専業主婦の孤独といった内容はありふれているが、ケイトの醸し出すエキセントリックさが強い訴求力を生み、個性的なドラマとして成り立っていた。それにしても南極ツアーって本当にあるのか!? 

デシベル (監督:ファン・イノ 2022年韓国映画

大音量に反応する特殊爆弾を仕掛けるテロリストと元潜水艦副長との息詰まる攻防を描いたクライムアクション。テロリストがなぜ元潜水艦副長に絡んでくるのか?というのが物語のポイントで、その痛ましい理由が徐々に明らかにされてゆく。でも確かにそれは悲惨なお話なんだけど、だからといってこれで狂った無差別連続テロ起こすかなあ?そもそも何かを告発したいというなら最初に声明を出すものだろう。しかも本来のターゲットは元潜水艦副長なのだから無差別テロを起こす理由がない。結局犯人のやってることがちぐはぐなんだ。こんな具合にシナリオがザルなうえに、実のところ「大音量に反応する」特殊爆弾というのも設定が面白い以外に意味がなく、普通に時限爆弾でも一緒なのだ。なんだか思い付きと勢いだけで作った映画に思えちゃったな。

ホラーアドベンチャーゲーム『サイレントヒル ショートメッセージ』をクリアした

サイレントヒル ショートメッセージ (PS5)

《物語》友だちのマヤに呼び出されたのは、自殺の名所と噂される廃墟のマンション。 誘われるように廃墟を進むと、怪奇現象が次々と起こりはじめる。 変貌していく空間。徘徊する不気味な怪物。 「見つけるまで、ここから出られない」 マヤからのメッセージが意味するものとは。

SILENT HILL: The Short Message

サイレントヒル』はアメリカの架空のゴーストタウン「サイレントヒル」を舞台にしたホラーアドベンチャーゲーム。1999年発売の第1作目から何作もシリーズ展開しており、映画化もされた人気作だが、2013年PS Vitaで発売された『SILENT HILL: BOOK OF MEMORIES』から新作発表が途絶えていた。それが最近新作開発中との発表があり、完成が大いに待たれている作品である。

さてこの『サイレントヒル ショートメッセージ』はその”新作”ではなく、新作発表までのウォーミングアップとして開発され、無料で配布された作品である。クリア時間2時間程度の短いデモ的な内容で、最新コンシューマー機でどこまでのポテンシャルが引き出されるか実験的に製作されたもののようだ。

物語は友人から呼び出され廃墟マンションに足を踏み入れた少女が様々な怪異に遭うというもの。この『ショートメッセージ』には戦闘は存在せず、姿なき恐怖にただただ逃げ惑い、同時に”友人”の秘密を解き明かしてゆくことになる。

実写も取り入れられた映像は非常に美麗であり、なおかつ恐怖演出もしっかりとしたもので、無料デモとしては十分の出来だろう。ただ、10代の少女の悩みや希望、イジメや自殺願望など、とてもセンシティヴな内容で、その辺り60過ぎのジジイのオレには少々ノレない部分があった。それとクライマックス、化け物から延々逃げ続けるシークエンスは、視認性の悪さとマップ存在の無さ、セーブポイントンの無さから、プレイにはちょっと根性が必要。

 

「文学史上もっとも恐ろしい小説」と呼ばれるヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』を読んだ

ねじの回転/ヘンリー・ジェイムズ (著), 土屋 政雄 (翻訳)

ねじの回転 (光文社古典新訳文庫)

両親を亡くし、英国エセックスの伯父の屋敷に身を寄せる美しい兄妹。奇妙な条件のもと、その家庭教師として雇われた「わたし」は、邪悪な亡霊を目撃する。子供たちを守るべく勇気を振り絞ってその正体を探ろうとするが――登場人物の複雑な心理描写、巧緻きわまる構造から紡ぎ出される戦慄の物語。ラストの怖さに息を呑む、文学史上もっとも恐ろしい小説、新訳で登場。

1898年に発表されたヘンリー・ジェイムズによる中編小説『ねじの回転』は、恐怖小説の名作中の名作と評されることもある有名な作品である。ヘンリー・ジェイムズ(1843 - 1916)はアメリカで生まれイギリスで活躍した作家であり、英米心理主義小説、モダニズム文学小説の先駆者としても知られている。彼は物語を観察的な視点から描くという、それまでの小説にはなかった新しい手法を開発し、代表作である『デイジー・ミラー』『ある婦人の肖像』『使者たち』といった作品は19世紀から20世紀の英米文学を代表するものとされている。

物語はとある屋敷の家庭教師として赴任してきた女性が、この屋敷であり得べからざるものを見てしまう、といったもの。こうして書いてしまうと単純な幽霊屋敷ホラーのようだが、実際は幾重にも暗喩と隠喩が張り巡らされ、物語それ自体も複雑な入れ子構造を成し、読む者によって多様な解釈ができ、多様な結論を導き出せるという一種難解な小説となっている。この難解さにより多数の論文が書かれ、推理小説家までがその解題に乗り出している、という小説なのだ。

この難解さの大元となるのは、ひとえに「主人公女性は本当に幽霊を見たのか?幽霊でないとすればこれは主人公の異常心理の物語なのか?」ということであり、同時に当時の社会背景にあるなにがしかの要素が、この物語を描かせることになった大きな要因となっているのではないか、と考察されるからなのらしい。そしてその異常心理の根幹となるのは、作品の書かれた19世紀イギリス社会の抑圧された性的欲求であり、当時では語ることの許されない小児性欲、性的虐待が行間からうっすらと滲み出ている、といった部分にあるのだという。

そういった部分で、予め複数の読み解き方を想定して書かれた小説であり、ここで単純に「幽霊はいた/いなかった」と個人的な解釈を書くのはどうにも座りが悪い。むしろこのモヤモヤ感こそがこの物語の真骨頂なのだろう。怪奇小説として素直に楽しめる作品では決してないのだが、文学的迷宮の怪奇さを求めて読むのなら、なかなかに歯応えのある作品だと言えるだろう。

 

ヤマザキマリの『続 テルマエ・ロマエ』を読んだ

テルマエ・ロマエ (1) / ヤマザキマリ

続テルマエ・ロマエ 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

紀元158年、ローマ帝国アントニヌス・ピウス帝の統治下20年目、ローマの浴場設計技師ルシウスは還暦を控えて腰痛持ち、妻さつきは謎の失踪、息子マリウスとは親子不和、さらに彼を悩ませるのはローマの風呂の仕事であったが…。解決のカギは日本の温泉にあった…!?

あの『テルマエ・ロマエ』の続編と聞いて、こりゃあ読まなきゃ!とは思ったが、あの作品にまだ描くことがあるのか?とか安易な続編じゃないといいがなあ、といった不安はあるといえばあったんだけどね。しかし実際読んでみたら単なる杞憂だった。まずとにかく面白い、そしてただ面白いんじゃなくて、前作からパワーアップしてるんじゃないのか!?と思わせる面白さなんだよな。

実はヤマザキマリのコミックは『テルマエ・ロマエ』の後、とりみきとの合作『プリニウス』しか読んでなくて、『スティーブ・ジョブズ』や『オリンピア・キュクロス』あたりはテーマに興味が湧かなくて読んでなかった。で、『プリニウス』も、悪くはなかったけどちょっと窮屈だったかな、という感想があった。

その後に久々にこの『続・テルマエ・ロマエ』を読んでみたら、なんだかヤマザキマリがノリノリかつ伸び伸びと描いているのが手に取るように伝わってきて、それはヤマザキマリお得意のローマが題材という点よりも、その独特のギャクセンスが、とてもいい具合にハッチャケていて、あーこれだよ、こういうのが読みたかったんだよ!と思わせてくれたのだよ。

物語は前作から20年が経ったことになっていて、当然主人公ルシウスは20年歳をとっており、今やすっかりお年寄り、温泉でも治せない腰の痛みに悩まされていたりする。そういえば前作ラストで結ばれた日本人女性さつきはどうなったの?と思ったらなんと謎の失踪をしていて、その代わり二人の息子マリウスが登場する。

20年の間にローマの治世も変わり、現在の皇帝はアントニウス・ピウス帝。平和な時代だったようだが、それでも問題はないことはない。こういった点で、前作とはいろいろ様変わりしてる部分があり、その中でどうルシウスが老体を鞭打ち奮闘してくれるのか、という楽しさがある。あと温泉オタクの日本人キャラが新登場するんだが、面白いからこれからも登場させて欲しい。というわけでも今後も楽しみです。