さらば南米

アンデスの人々は、うまく言えないが私が頭の中でぼんやりイメージした、あの通りだった。しかもやらせが全く入っていないのが、また良かった。


みなさん、是非一度ペルーに行ってください。素朴で雄大アンデス山脈があなたを暖かく迎えてくれますよ。私が誰にでも自信を持って薦められる唯一の国です。




いよいよ明日はアメリカのヒューストン。

母国語が英語であり、しかも初めての先進国ということで、かなり戦々恐々。

最高だったアンコールワットと比べて。


霧が引く瞬間は恐ろしく幻想的であったが、長時間「うっとり」とか「また来よう」と思える遺跡ではない。その点ではアンコールワットには及ばない。それでも私が今まで見てきたものの中では、間違いなくアンコールワットの次に美しいと思う。

マチュピチュ

個人的な思い入れと想像以上だったアンデスの味。マチュピチュアンデスの旅のクライマックスを飾るに相応しい舞台。自然にアンコールワット以上を期待する自分がいた。


空中都市マチュピチュを見るからには、霧が退く幻想的な瞬間を見なければなるまい。そこでマチュピチュの背後にそびえるワイナピチュという山の頂上に、霧の退くのが平均10時のところ、気合いを入れて8時に陣取った。辺りは一面濃い霧で支配され、マチュピチュどころかわずか10メートル先さえも見えない。


9時。小雨が降り出し霧は全く退く気配をみせない。白人連中が「今日は駄目なんじゃないのか?」と口々に言い出す。私もそう思いはじめたが「山の天気は変わりやすい」という言葉を都合よく思い出し、愚直に信じることにした。


9時30分。大粒の雨が降り出した。傘を持ってきてなかったのでびしょ濡れになり、寒さで死にそうになった。霧の状態は変わらず。


10時。依然雨は降り続いていた。ペルー人が諦めて下山していった。それを見た白人連中も下山していった。残ったのは諦めの悪いドイツ人と日本人とチリ人。次の日再び出直すことを覚悟する。


10時30分。ドイツ人が諦めて下山。どちらが早く諦めるか、チリ人と意地の張り合いを心の中でする。


11時。雨がやみ、少し暖かくなった。霧が上昇を始めた。「こうして霧が退いていくのかな」と勝手な希望を抱く。


11時30分。少し霧が引き出し周りの山々が時々見え隠れするようになった。しかしマチュピチュがあるだろう方向だけは依然深い霧に包まれたまま。


12時。マチュピチュがあるだろう方向の霧が、薄くなったり濃くなったりし始めた。「マス!マス!マス!(もっと!×3)」。カメラ片手にチリ人と必死でスペイン語を連呼する自分がいた。


12時3分。「サ〜」と霧が引き銀色の遺跡らしきものが見えてきた。「でっけえ〜〜〜!」。感動。苦労した分だけ感極まり目頭が熱くなった。


その後山を降り、マチュピチュ見学を思う存分した。撮った写真約100枚。

クスコ

手入れが行き届いた植民地時代の建物、香港の「百万ドルの夜景」など問題にならない程きれいな夜景、洒落たレストランと土産屋、民族衣装を着たインディヘナの売り子たち。


超一流観光地であり、それだけの価値がある街。ここは男一人で来るところではない。女の子と旅行に来るところだ。こんな気持ちになったのは香港に行った時以来。



ただ、日本の裏側に来ているというのに、日本語を話すペルー人がやけに多い。その辺も超一流観光地である証。

フジモリ調査のまとめ

フジモリを支持している人はほとんどいないようだ。皆、質問するやいなや「ノー」と返してくる。


ただ興味深いことにトレド大統領はフジモリ以上に支持されていないことがわかった。


「じゃあトレドは支持するか?」と聞くと、さっきより一段力を込めて「ノー」と答える。そして「フジモリとトレドだったらどっちがいい?」と聞くと、必ずといっていいほど少しの間があり、そして「フヒモリ」と苦い顔をして答える。


どうやら、トレド大統領の支持率8パーセントというのは本当で、フジモリのほうがましだと思っているようだ。自民党民主党を消去法で選ばざるえない日本と、何と似ていることか。



余談として、私の名前はフジモリの息子と同じらしい。ペルー人は私の名前を知るにつけ、私を指差し「フヒモリ」と言ってくる。

また「フヒモリ」とは、ペルー人にとって「フジモリ」と発音できないらしく、「フヒモリ」「フヒモリ」となってしまう。だから私もペルー人の前では、一回で通じるように「フヒモリ」と発音することにしている。

ナスカの地上絵

セスナ機から見下ろした地上絵はテレビで見たものよりも小さかった。

しかも車が縦横濡人に荒らした跡がくっきり見える。

保存という概念を疑いたくなる、一つの地上絵を真っ二つに無残に割って走るコンクリートの国道。


ナスカの地上絵にはこれらの欠点がある。


しかしそれを補えるだけのものはあった。犬、猿、鳥、宇宙人の地上絵は、実に鮮やかだった。少年だった15年前の感動が蘇り、1000年以上前のナスカ文明に想いを馳せることができた。


すばらしい。