GWは、南へ。

先日発売された「トレッキング実践学」(エイ出版)の著者であるアウトドアライターの庄太郎アニキと南アルプスへ。

3泊4日で白峰南嶺を歩いてきた。

ルートは、
1日目 奈良田→大門沢小屋手前の沢でテン泊
2日目 大門沢小屋→大門沢下降点でテン泊
3日目 農鳥岳→白峰南嶺→奈良田越でテン泊
4日目 奈良田越→伝付峠→田代入口

雪が予想よりもだいぶ腐っていて、くたびれた。

森山(標高1467m)の下にある、森山橋にて。



沢で水遊び、アイゼン&ピッケル必須の稜線歩き、雪上キャンプ、ヤブこぎ、沢下りなどなど、盛りだくさんの山行だった。


北岳塩見岳荒川岳赤石岳を見ながら歩くこの白峰南嶺、いい!

でも、ヤブだらけで、水の確保が難しい夏はちょっとめんどくさそうです。

いまの季節しか歩けない山というわけです。

宮下公園

渋谷にある宮下公園があぶない!

ナイキに買い取られて、スケートボード場とカフェを新設して「宮下NIKIパーク」になるんだってさ。

誰もが自由に使えるはずの公園が、ナイキという一企業の商業スペースになってしまうんだ。
宮下公園は、渋谷区が管理する区民、都民、国民、人類、誰でも使えるスペースなのに。
それをナイキの広告として、利益を得るために改修工事をするというのだからあきれてしまう。

ナイキから工事を請け負ったのは、これまた巨大企業の東急建設
東急グループは、いま渋谷駅前の再開発に躍起になっている。
完全に彼らの頭の中には、お金しかない。
公園のブランコに乗って微笑む子供や公園でくつろぐ若者、杖をついて公園を散歩する老人なんてどーでもいいんだろうなあ。

もっともイケナイことは、ナイキと渋谷区長、一部の区議会議員の間でしか話されていないのにも関わらず、工事を着工しようとしていることだ。
渋谷区民や公園利用者には公言せず、区議会や都市計画審議会でも話し合われていない。
民主的な手続きをきっちり踏んでいないのだ。
ここニッポンは、本当に民主主義の国なのだろうか。

1990年代に、ナイキは途上国にある工場の労働問題で世間から非難を浴びた。
「奴隷のように働かされる途上国の貧困層によってナイキの靴は作られている」という記事をどこかで読んだことがある。
そういう会社なんだね、と納得した次第。

ナイキに「バカヤロー」と言いたくなった3月末。
反対デモに参加してきた。

若いヤツらがシュプレヒコールをあげていた。
「宮下公園は広告じゃねえぞー」
「宮下公園をかえせー」
「ナイキ化工事反対ー」

原宿のナイキショップの前で、シュプレヒコールは最高潮に。
ガラス張りの向こうで、レジを打っているお兄さんは、どんなことを考えていたのだろう。

大きな流れに流されず、自分の”アタマ”を持って社会に”カラダ”で示す。
そんな若者がたくさん集まっていて、それはそれはアタマにきたけれど、気持ちのいい集会だった。
デモってなんて美しい行為なのでしょう。

「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」
http://minnanokouenn.blogspot.com/

大きな波に飲み込まれずに生きていこうと思った。
4月末日なのに、今日も冷たい雨が降る。

高橋宗正の写真

ときどき一緒に仕事して、ときどき遊んでいる写真家の高橋宗正が写真集を出版した。

その名も「スカイフィッシュ」。
写真集の題名を考えている真っ最中に彼とあったとき、彼のノートには、200ほどの題名案が書き込まれていた。

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コイツは草食系男子の代表としてテレビに出たり(実は肉食系だ!)、飲み会の席で毒を吐いて攻撃されたり、「オレの夢は、『情熱大陸』に出ることです」なんていうおもしろいヤツで。
もう2年前だったかな。
佐渡島のアースセレブレーションへ一緒に取材に行った帰りに、三条市の僕の実家に寄った。
いまはもう亡くなってしまった祖父もまだ生きていて、「みんなで写真を撮りましょう」と言ってくれて、祖父と親父と僕と3人の写真を撮ってくれた。
その後、写真をプリントして、「あげます」と持ってきてくれたときは、うれしかったなあ。

その写真が写真集に採用された。

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仏壇にかざって、親戚に配るために5冊購入しました。
5冊もイラナイだろうって、ひとは言うけれど。
彼のがんばりを評して、購入した。

哲学者の木田元さんが彼のために書いた文章もよかった。

売れるといいなあ。