続・脱力日記

描いたり作ったりしてる人のダラダラ日記

Shopを作りました

あっという間に今年も押し詰まってきました。
今年は多くの人にとって思いもかけない多難な1年となってしまいました。
夫の一周忌を区切りに気持ちを切り替えて新たな一歩を踏み出そうとしていたのに、見事に足を救われたような感じです。こんなこともあるんですね。
一時は気持ちが沈んで困りましたが、それにもすぐ飽きて。自分の飽き性に救われています。
でも制作活動はとことん停滞しましたね。
春に夫が最後まで気にかけていた仕事を完成させた後は、秋に日本画グループ「はんぽの会」の小品展に2点出品、秋田工芸展で入選した他、暮れになって十二支館フェスタに参加出品したくらいが目立ったところです。

これはいくらなんでもまずいんではないかしら。と思いまして、ずっとやらなくちゃなぁと思っていた販売サイトをなんとか作りました。サイトはこちらhttps://momosada524.thebase.in/

昔、通販サイトの維持更新などをお手伝いしていたことがあって、大体見当はついているから大丈夫!と思っていたのですけれど、世の中日進月歩ですね。昔とはいろいろ様子が変わっていて、登録するのにいちいちあちらこちらでつまずいて。まぁそれでもなんとか形だけはできました。まだ未完成ですがないよりはましかな、と。
売り場もこうしてできましたので、後はせっせと作るのみ。
私の作品を待っていてくださる心優しい方たちを思い浮かべ、心を込めて描き、作り続けたいと思います。

それにしても、アマビエさんなんてものを作ることになるとは…。1年前には想像もつきませんでした。来年もまた思いも寄らない展開が待っているのでしょうか。思いも寄らないことが楽しいこと、嬉しいことだといいなぁ。

干支の土鈴

11月も半ばにさしかかり、来年の干支・牛の土鈴に絵付けをする毎日です。必要数を読み間違えて数が足らず、絵付けと平行して土込めもしています。いつまでたっても数読みができません。困ったものです。

 

 

困ったことと言えば、年と共に細かい仕事に集中できる時間が短くなってきています。そこを無理してやっても結局良いことは何もない、ということも学びつつある今日この頃。そんなわけで、ご注文頂いているお客様には申し訳ないですが実にマイペースに作業を進めています。

 

毎年干支土鈴はおとぼけテイストになってしまうのですが、今年の牛さんのおとぼけぶりもなかなかではないでしょうか。ダルマさんは秋田市大町の星辻神社の小さいダルマさんをイメージして描いています。小さいながらも凛々しくかわいいダルマさんです。

価格は税込み2,200円です。

 

 

 

 

 

只今のところ、以下でお求めいただけます。

秋田駅トピコ内・金萬さん https://www.caoca.net/shop/detail.html?shop_id=60

エリアなかいち内・秋田畑さん http://akita-nakaichi.com/a43/19_akitabatake.html

東京雑司ヶ谷旅猫雑貨店さん http://www.tabineko.jp/

 

メールフォームよりご連絡頂けば直送もいたします。お気軽にお問合せください。

私家本「寺山の想い出」

ここしばらくかかりきりになっていた冊子がようやくできあがりました。夫婦で作った7冊目にして最後の本です。


昨年4月に亡くなった夫が最後まで気にかけていた仕事でした。八郎潟干拓前の姿を記録した「潟語り」を3月中に、「寺山の想い出」をお盆までにまとめる。これが本人の望みだったのです。「潟語り」は予定通りに作り上げることができ手に取って喜んでいましたが、「寺山の想い出」までは手が回らず…。ほぼできあがっていた原稿と大枠の構成だけを残して旅立ってしまいました。
以来、ずっと気にかかっていたのですが、諸々の処理や自分の仕事などでなかなか時間が取れず。昨年末、年も押し詰まってからようやく本格的に作業に取り掛かることができました。
それから残された原稿をもとに再取材を重ねイラストを描き写真を撮り、初めて使う編集ソフトInDesignに悪戦苦闘。なんとかかんとか一周忌を前に形にすることができました。
出来上がった本を手に取ったときには肩の荷が降りた安堵感と同時に、これでとうとう最後の二人三脚の仕事が終わってしまったと…。長いこと一緒に仕事をしてきましたので、今はすっかり気が抜けて放心状態です。(さすがにそろそろ気合を入れなおしつつありますが)




「寺山の想い出」は大仙市内小友の寺山にある旧家・佐藤家での昭和初期の暮らしぶりを聞き書きしたものです。当時の当主・佐藤維一郎さんは法隆寺金堂壁画を模写したことで知られる日本画家・鈴木空如さんを尊敬し、経済的に支援した人。その維一郎さんの娘・湯川義子さんの話す想い出話の数々は、今では想像もつかない幻のような話ばかりです。非売品で少部数しかないため多くの方に読んでいただけないのが残念です。

今年のこと来年のこと

長かった1年が終ろうとしています。
今年の主な活動をピックアップしました。

 

3月に今までの仕事をまとめたイラスト展を開いていただきました。


3月末に25年に渡って連載したコラムをまとめた本「潟語り」を出版しました。


8月に読賣新聞の間違い探しの連載が20周年を迎えました。


10月に日本画のグループ展に出品しました。


11月に秋田工芸展で奨励賞をいただきました。

 

しかしこうしたことより何よりも
今年は私にとってとても大きな区切りの年となりました。1年弱の闘病の末、4月に夫が亡くなったからです。夫とは長く二人三脚で仕事をしてきましたが、それもおしまい。これからは自分だけでやっていかなくてはなりません。
でもそれほど悲壮でも悲観的でもありません。「夫との仕事」では、その時々に課せられたことを自分としてやれる範囲十分にやってきたと思うので。
ここ5年くらい「自分だけの仕事」として土人形を作ったり、額絵を描いたりしています。2020年はそちらにぐぐっと舵を切っていくだけです。

改めて今年の活動を振り返ると、図らずも前半は今までの仕事の総括。後半はこれからの方向を示すものになっています。そういう年回りなのでしょうけれど、なんだか驚いています。

何であれ生み出したものを売って糧を得るのは大変なことです。ことに生活必需品でないもの、趣味嗜好のものほど。でも世の中広いので、気に入って買って下さる奇特な方がいるのも間違いなくて。そんな方たちに少しでも多く良いものをお届けできるように今私にできることをコツコツやっていこうと思います。

人と比べない
無理をしない
死ぬまで生きる

これをモットーに
ボチボチと歩いてまいりましょう。

2019年、沢山お世話になりました。
沢山暖かいお言葉をいただきました。
心よりありがとうございました。
皆様、よいお年を!

お芝居と集会

あっという間に6月も終ります。
夫の49日も過ぎ、それまで重く濃厚だった時間の流れが少しずつ淡々としたものになってきたようです。
日々泣いて暮らすというわけでなく、つらいほどの淋しさがあるわけでもなく。ただ心の中に大きく居座る不思議な不在感を不可解に想いながらいじくり回している毎日です。
とはいえ、淡々と流れるようになってきた時間の中で、いつまでもそれを眺めたりいじくったりしてばかりもいられません。自分の体と心の具合を確かめながら少しずつ外に目を向けつつある今日この頃です。

 

そんなわけで、今日は外に出てきました。
まずはお芝居!にぎわい交流館AUでの「戦え!ヤルガンガーV」

フライヤーに書かれたあらすじはこんな感じです。


秋田市沖に出現した大怪獣に対抗できるのは、人々の郷土愛をエネルギーに換えて動く巨大ロボット「ヤルガンガーV」だけだ!警備会社「株式会社みまもりくん」の会議室に集められた「やるやる課」のメンバーの中から、操縦者を選出することに…』


舞台は「株式会社みまもりくん」の会議室。最初から最後まで、ずっと会議室。場面転換することはありません。そしてそこに登場するのは「株式会社みまもりくん」の社員5人のみ。この5人による会話と、会議室からの出入りだけですべてが進行していきます。それでは大怪獣やヤルガンガーVは出て来ないのか、というと、出てくるんです。登場します、見ている観客それぞれの頭の中に!

落語は話一つで観客の頭の中に映像を作り出すといいますが、それの拡大版だなと思って見ていました。会議室のPCから流れる実況中継の声、ヤルガンガーVを操縦する社員2人の動き、その2人に指示を出す他の社員の声。地元秋田市が舞台ですから地理がわかることもあって、見事に県庁前から歩き出すヤルガンガーVの姿、蛭根の歩道橋をまたぎこす姿、セリオンを壊す怪獣の姿が見えるのです。もちろん最後は大激闘となります。すごいな、会議室に5人の男女がいるだけでこんなスペクタクルが表現できるなんて。
しかも、そのスペクタクルに至るまでの間に、会議室の5人の間の人間臭い関係が明かされて行きます。浮気あり純愛あり…。さらに秋田県についてのミニクイズあり箱もの行政への皮肉あり、盛りだくさんだなぁ。
笑って楽しんだ90分でした。特にオタク女・穂積役の佐藤らん子さんのはつらつとした演技、良かったなぁ。「やるやる課」課長・藤盛さんのとぼけた感じも良かった。元気もらいました。秋田、おもしろいよ。


3時過ぎに終ると、大急ぎでホテルメトロポリタンへ。3時から開かれていた政治集会「てらたしずかと語らう会」に向いました。


会場はもう人でいっぱい。ロビーにも人があふれていてびっくりしました。むりやり会場に入って立ち見をしましたが、すぐ目の前に知人がいたのにもびっくり。あらあなたも?とお相手にも驚かれてしまいました。
遅れて会場に入ったものの、ちょうどしずかさんのスピーチが始まるところで、そのお話ぶりを聞くことができて良かったです。主張内容はfacebookなどで読んでいますので目新しいことはありませんが、まじめにしっかりと悩みながら考えていらっしゃるのがよく伝わりました。平坦な道を歩んできたわけでない子育て中の女性。こういう方にこそ、ぜひぜひがんばっていただきたいと思います。

 

しかし、さすがに人の集まる場所2カ所の梯子はこたえました。会場の大小はあれ、どちらも前に立って演じたりスピーチする人のエネルギーとそれを受け止める観衆のエネルギーが渦巻いていて、それにもみくちゃにされてしまいました。今の私にはちょっと刺激が強すぎました。できたら寄ってみるかなと思っていた県展はパス。無理。


それにしても、表現しようとする人ってすごいですね。動こうとする人って力強いですね。そういう人たちが活動していて、それをまた受け止める人がこんなにいて、秋田も捨てたもんじゃないんだと、嬉しい気持ちになりました。私も少しずつエネルギーを蓄えていきましょう、いつかそれを放出できる日がくるまであわてずあせらずじっくりと。

「八郎潟 潟語り」出版のお知らせ

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聞き書きと写真をまとめた「八郎潟 潟語り」が3月29日付けで出版されました。文章、イラスト、編集及びレイアウト補助を小西堂(小西一三、小西由紀子)が受け持っています。

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八郎潟はかつて琵琶湖に次いで日本第2位の大きさを誇る汽水湖(海水が混じる湖)でした。第二次世界大戦後、食糧増産および働き口のない農家の次男・三男対策のために国策として干拓事業が始められます。その結果、湖沼面積の90%近くが陸地となり、モデル農村・大潟村が生まれました。残りの部分は八郎潟調整池と呼ばれて今も湖沼の面影をとどめていますが、大潟村の農業用水として利用するために淡水化されています。

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この干拓工事は1957年(昭和32年)に着工、水量の約90%が排水されて約6,000haの湖底が姿を現したのが昭和39年。すべての工事が終ったのは昭和52年3月のことでした。干拓前の八郎潟は漁業が盛んで、周辺には独特の漁法や漁具、食文化がありました。しかし干拓着工から60年、豊かな八郎潟に支えられた生活の記憶を持つ人は少なくなり、その暮らしぶりや文化も忘れられがちです。

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八郎潟 潟語り」は干拓前の八郎潟を知る人たちからの「聞き書き」とイラスト、干拓着工前後の潟周辺の生活を記録した写真で構成されています。発行元は八郎潟調整池の南に位置する曹洞宗寺院・自性院(潟上市天王)で、聞き書きとイラストは自性院が発行する寺報「自性心」に年に2回程のペースで連載され50回続いたもの。平成5年に第1回が掲載され50回目は平成29年。ほぼ四半世紀に渡って連載されたことになります。掲載当時すでに80代、90代の方もおり、今は鬼籍に入られた方も少なくありません。今更ながら貴重なお話が聞けたと思います。

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写真は自性院近くで写真屋さんを営んでおられた児玉さんが、干拓で失われるであろう光景を記録しておきたい」と昭和30年前後に撮ったものです。

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当時の写真、当時のことを語ってくださったお話、そのお話をする方たちのイラスト。それらが相まって干拓工事前夜から竣工した頃の八郎潟の光景、人々の生活が少しでも伝わればと思います。

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208ページ 縦20cm×横22cm×厚1.4cm

価格は税込み1,800円ですが、現在書店では販売しておりません。
お問い合わせは自性院(電話018-878-2049)、または小西堂まで。

動き出す商店街プロジェクトのこと

これは今月31日まで、田沢湖クニマス未来館で開催中の小西由紀子展(注・リンク先はYouTubeです)に展示中のイラストの一部です。

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光が映り込んで見にくいですが、秋田県内陸南部・美郷町六郷をイラストマップにしたものです。六郷は、花火で有名な大曲とかまくらで有名な横手のちょうど中間あたりに位置します。戦国時代には二階堂氏の本拠地として栄え、その後も羽州街道と、大覚野街道(角館〜阿仁〜綴子)、角間川河港に向う角間川街道が交わる交通の要衝として長く栄えてきた町です。それが近代になって鉄道の駅を誘致できなかったことをかわきりに、町の外をバイパスが通りそれに沿って大型商業施設ができ人口が減り、中心部の商店街はいわゆるシャッター商店街となってしまいました。

 

20年ほど前、その状況をなんとかしたいと町の若い人たちが参加して六郷町づくり会社を立ち上げました。その活動の一つとして当時まだ昔の面影を色濃く残していた町並みのイラストマップを作成することになり、お手伝いさせていただいたものです。
すでに往時の華やかさは失われ、シャッターをおろした店もぽつりぽつりとあったものの、20年前はまだ旧街道沿いの賑やかだったころの建物がいくつも残り、魅力的な町並みをなんとか維持していました。
商店街を中心に魅力的な建物を片っ端から写真に撮り、イラストとしてまとめていく作業はとても楽しいものでした。御本陣、造り酒屋、呉服屋など大きな建築物がそこここに立ち並ぶ様子は本当に素敵でした。

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あれから20年。今このマップの中のどれだけの建物が残っているかというと…。商店はシャッター下ろしているどころか、建物自体がなくなって空き地になっていたり、古い趣のある民家は随分となくなってしまいました。ああ、あの時になんとかならなかったのかしらと、このマップを見る度に思います。あの時、若い人たちががんばってこれを作ったのに、その動きは結局だれにどう引き継がれたのかなと。

 

そんなことをぼんやりと思っていましたら、昨年、秋田県の肝いりで「動き出す商店街プロジェクト」というものが立ち上がったという事を知りました。空き店舗率を下げ、全国でも最下位クラスの起業率を上げることを目標に、まずは商店街のやる気のある若者を県が後押ししようというもののようです。このプロジェクトへの参加募集に応えたのが、男鹿市船川と美郷町六郷の若者たちだったとのことで、節目毎に公開でプレゼンテーションが行われています。

 

そこで、昨年の第1回に引き続き、先週3月23日に行われた第2回目のプレゼンテーションを見に行ってきました。船川チームも六郷チームもすでに魅力的な空き物件を抑えていて、それをどう活用していくかということが主題になっています。

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【中央上と左下に拡大して描かれた土蔵造りのお店はもうありません。今回のプロジェクトの舞台となるのはちょうど中央あたり、逆さまにインプレッションと書かれた物件です】

1回目のプレゼンテーションではぼんやりとしたイメージでの起業プランだったのが、今回は随分と具体的になっていて、夢を語るだけでなくどう収益をあげ、持続させていくのかということが説明されました。若者といっても、どちらのチームもすでに社会に出てそれなりの経験を積んだ商店主などが中心になっていますので、現実味のあるプレゼンテーションだったと思います。

 

ところで、前回もそうだったのですが面白いのはこのプレゼンテーションの後の基調講演です。今回はエリアリノベーションに取り組んでおられる東北芸術工科大学教授の馬場正尊さん。前回は株式会社まめくらしの青木純さんが講演されました。内容は、どちらもつきつめてしまえば「今」の感覚にあふれた不動産活用の仕方、古い建造物のリノベーションの仕方について。「今の若い人」に届けるための(基本的にお金をあまりかけない)ノウハウがいろいろと語られたと思います。
個々の具体例が面白いのは言うまでもないのですが、特に今回の馬場さんのお話では世の中の仕組み、物事の決め方の流れが変わってきているということ(変わって欲しい、変わるべきといった気持ちも含めて)が印象に残りました。

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詳しく説明はしませんが、上の図を見て頂くとなんとなく話の内容が想像できるのではないでしょうか。私もこうであったらいいな。と心から思います。

 

が、実は一番印象に残ったのは、内容というよりも、講演者のパッションでした。エネルギーね。「こうあって欲しい、こうだと楽しいでしょう、こうすればよりよくなるよね、そうでしょ!」という壇上から発せられるパワーです。アジテーションの力。
ああ、秋田のチームはこれに欠けるなぁと思ったのです。何か新しいことを始めるとき、特に人を動かして何かをやろうという時、これがとても大事なものなんじゃないかしら。そしてこのパワーの原動力が何かというと、なんだかわからない突き動かされるような想いなのではないかしら。もちろんそういう気持ちが秋田チームにないわけはない。なかったらだいたいこの場にもたどりつけてないのですから。たぶん想いはあってもそれを十二分にパワー化、具現化できないということなのでしょう。パワー化、どうしたらできるのでしょうね。というようなことを思いました。

 

それはそれとして、20年ほど前にもがんばった若者たちがいたこと、その人たちが取り組んだ事、その結果がどう今につながっているのか、六郷チームの人たちがしっかり踏まえていてくださるといいなと思います。町並みはすでに20年前とすら比べるべくもないものになっていますけれど、それでも六郷らしいものはまだ残っている筈。そこに住む人たちはもちろん外から来る人たちがその魅力をストレートに受け止められるような商店街になってくれるといいなぁと、6年程前まであの商店街で小さな「絵と器の店」を開いていた者として、心から思った次第です。

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