秋の東京タワー

今朝から秋の匂いがして気持ちがよい。東京タワーはオレンジ色の水玉だった。白みがかった夏のライティングから朱色に変わるのは10月初旬からだそうなので、もうすぐだろう。

辞めていったひとの引き継ぎがありとても忙しく働いてる。疲れてるときは同じ音楽を繰り返し聴く傾向があるので、スピッツの『ひみつスタジオ』をずっと聴いてる。30年一緒にやってるバンドメンバーと「オバケのロックバンド」を演奏できたらきっと楽しいだろうな、楽しんで鳴らしただろうその姿と空気感が聴くたびに伝わってきてわくわくする。大学のバンドサークルにいたら、合宿でみんなでボーカルまわして歌うだろうなとか。

もっと気軽に日記を書きたい。2022年2月からの空白の期間にいろんな変化があって、ある程度時間が経ったから、話せることが増えた気がする。少しずつ。

 

ユートピア、最近聴いている音楽について

岡林風穂さんの音楽が非常によくて、めちゃくちゃリピートして聴いている。湿っぽくなく軽やかにユーモアと本音を歌うひと。歌詞やその展開とか、"歌"としての完成度がすごく高くて感動する。同名のアルバムの1曲め、「めっちゃめっちゃ春」というリード曲は、ヘンな歌詞で初めて聞いた時はなんだか笑えちゃったけど、メロディーに乗る言葉がするすると転がっていく感じが気持ちよくて何度も聴くし一緒に歌っちゃう。2枚のアルバムはApple Music、SpotifyYouTubeSoundCloudなどあらゆる媒体でフルで聴けるので聞いてみてほしい。わたしがふと聞きたくなる曲は、「かわいい人」「毛布を洗いたい」「コメダって言ってよ」。たぶん、彼女の魅力を表すには他の曲を引用したほうが適切なんだろうと思うけど、アルバム未収録の「ユートピア」がいちばん好きなので貼ります。名古屋近辺のライブハウスで月に2,3度くらい、結構頻繁にライブをしていて4月には東京にも来るみたい、平日でもどうにか足を運びたい。


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音楽についての客観的な説明は苦手だし下手で、松本のライブハウスGive me little more.に出演した時の紹介文が的確だと思うので引用。

ゲストは、岐阜県多治見市を拠点に活動するシンガーシングライター“岡林風穂”。シンプルな純フォークマナーな弾き語りスタイルで、ユーモアたっぷりの軽妙な歌世界を立ち上げる注目の存在。日常の視界の隅で通り過ぎてしまうようなことを、石の裏をひっくり返すような小さな冒険心で切り取ったような歌詞は、その一節一節が短歌のような味わい…!歌詞に登場する意外なモチーフや風景が名脇役のように次々と登場しては去っていく姿を眺めているだけでも不思議な居心地に浸れます。情緒はあるけど、情念にはまかせない、あっけらかんとした湿度感をまといながら、どこか余裕の微笑みを感じる彼女の弾き語りをお楽しみに。柴田聡子や小池嵩(シラオカ)のファンにもおすすめ。

givemelittlemore.blogspot.com

 

去年の後半からJustin Bieber『Justice』をかなりよく聴いていて、フェイバリット・アルバムの1つになった。どんな気分の時でも聴ける。「Holy ft. Chance The Rapper」が好き。敬虔なクリスチャンの信仰心は実感を伴ってはわからないけど、そのものの考え方が気になるし、美しい、尊い歌詞だと思う。


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光(ひかり)

2021/12/3 NRQ/OONO YUUKI BAND @ 代官山 晴れたら空に豆まいて

OONO YUUKI BANDの音楽は、光(ひかり)だった。しばらく音楽やってなくてもこうやって音楽はできるし、鳴るし、死んだ人の音楽も生きてるみたいだし、でたらめですね、音楽は、でもそれが人に希望を与えてくれるようにも思います。というようなことを大野さんが言っていて(ひとのことばを覚えるのが下手で間違ってたら申し訳ないです)、そのあなたたちのでたらめな希望にほんとうに感動してる、と思っていた。OONO YUUKI BAND10年くらい前から何度もライブで聴いているし、そのメンバーも、世の中も自分も変わっているけど、ライブで聴くと高揚して尽くす言葉がなくなって、全身で音を浴びて喜びで身体を動かしている、というのがずっと変わらない。

コロナでライブに行かなくなってから、Apple Musicで大衆的で作品として完成された音楽をよく聴いていて、どちらがより優れているという話ではなく、ただ、目の前で人が鳴らす音楽を目の前で聴くということがすごく素晴らしいことだったということを思い出した。この喜びは決して知らなかったものではなく、忘れていたもしくは忘れさせられていただけだった。

NRQは、素晴らしく豊かな音楽空間だった。アルバム制作中だそうで、中尾勘二さん作曲の「あの丘の向こう側へ」という曲がめちゃくちゃにかっこよくて、幾たびか現れるそのリフがあの丘ならばどこまでもついていきたい、その先を一緒に見たかった。技術とセンスと経験を積んだミュージシャンが鳴らす音楽は豊かで、洗練されていてかっこよくて、何度もぞくぞくと鳥肌が立ったし、マスクの下でかっこよさにしびれて笑みがこぼれたりした。繰り出されるメロディーが歌っている。とにもかくにも中尾勘二さんがめちゃくちゃにかっこよくて、鳴らす乾いたドラムビートも、即興が効いたサックスも最高にイカしてた。12/17まで配信しているようなので、もう1回観ようか考えているところ

http://haremame.com/schedule/71581/

前回の更新が2020年の5月で1年以上も前で、認識していたよりもずっと時が経っていた。変わったことや変わらないことがある。自分の文章の稚拙さや表現力の無さがいやになっていたけれど、日記のようなものだし気負う必要もないはずなのでもう少し頻度を上げて続けてもよいのではないでしょうか。なにより自分が自分でそのとき何を考えて感じて思っていたのかを忘れてしまっている。

静かな生活

静かな生活。
わたしが勤めている会社は緊急事態宣言を受けてチーム分けして交代で勤務をしているため、出社する日や、した場合も顔を合わせる人間が限られている。通勤時の満員電車を含め、なによりもたくさんの人に会わない、触れない、話さないことが自分にとってこんなにもストレスフリーで気楽なものだということを知ってしまい、緊急事態宣言解除後の、コロナ前の勤務環境に戻ることがいやで、心配している。自分自身よりも周りに適応することを優先するところがあり、幸いに仕事や収入面、健康面で大きく脅かされることがなかったことも重なり、非常事態のなか、その環境を受け止めて、静かに生活をしている。もちろん会いたい友人も、制限されている娯楽や活動もそれなりにあるんだけれど、叶えられない欲望によって起こるフラストレーションより、それらを求めないことにしているほうが、はるかに気持ちが楽だ。会えないのに「はやく会いたいね」と言うことや、できないのに「したいね」と言うことに、ストレスを感じる。そのため、あまりやりたいこともなく、ストレスもないようにして、暮らしている。きっと素直じゃないんだけど、そういう考え方の癖がある。
そう考える自分に罪悪感を感じている。多くの人は今の状態からの脱出を求めているだろうに。わたしには大事なものがなかったんだろうかと、かなしい気持ちになる。前より、今よりいい未来があると思えず、多くの人に気づかれないまま消えてしまえればと思うこともある。
以前より家にいる時間が増えたので自炊をするようになった。仕事帰りにスーパーに寄って数日分の食べ物を買い、いつもより少し遠い道のりをよっせよっせと歩いて帰る。近所の花屋で元気なおじさんから花を買い、パソコンの向こう側に置いて眺めている。コーヒーを淹れて、お菓子屋さんで買ってきたチーズケーキを食べている。
自治体が朝昼夕に流す「緊急事態宣言発令中です。外出はできるだけ控えましょう」という放送がいちばん非日常感がある。まるでアニメか漫画に出てきそうな異様な風景。
 
Ariana Grande & Justin Bieber ”Stuck with U”がいい曲で、リリース日の夜深くひとり泣いてしまった。表現で、言い方とらえ方次第で見え方がまるきりかわってきて、これはまさにコロナ禍中にいる人が作り歌い聴く歌で、でもこんなに幸せなラブソングになるなんて。音楽ってこういうものだった。Uはもちろん君でありあなたであり、家族でありパートナーであり、コロナかもしれなくてそして自分自身でもある。和訳で「立ち往生」と訳しているのもあり苦笑しちゃったけど、もちろんそうでもある、仕方なくて、でもどうしようもなく一緒にいるしかなくて、そして一緒にいる。それをポジティブな選択に歌い替えている。きっと救われる心がたくさんあるだろう。 有名人でもそうでなくても、この大変な中でも果敢に動き出す人たちがいて、その行動に勇気づけられている。

Hope

中尾憲太郎のベースの一音になりたい。 なんかもう、今からあんなにかっこよくベースが弾けるようになりたいとか、ああいう風になりたいとかは思えなくて、かといってFIXEDというロンTを着たり、似たような金縁メガネをかけても憧れの人のようにはなれないので、もう自分の好きなものそのものになりたいと願うことが最近は多い。この前はどれも美味い料理を出すこじんまりとした居酒屋で、ぜんぶ飲み干してしまいたいこの蛤の酒蒸しの出汁になりたいとさえ思ってそれを口にし、「それじゃ飲めないじゃん」と同席していた人にドン引きされたけど、わたしはその後にオーダーしたカウンターの中で手ぎわよく握られるあきらかにおいしいであろう白飯のおにぎりそのものになりたくもあり、実在する尊いものそのものになりたい。 ナンバガ無観客生配信アーカイブを見返していて、あの凄みのある迫力ある音圧はすばらしくかっこよくて一音といわずベースラインになってあのバンドのたった1曲でもその一部になれたらどんなにいいだろうとひとりの部屋で夢見ている。

そうだね

この週末、コロナウィルスのせい、だけじゃなく体調不良もあり土日とも引きこもっていて、2/29(土)はsyrup16g@新木場STUDIO COAST無観客ライブ生配信@ニコ生、3/1(日)はNUMBER GIRL@Zepp Tokyo無観客ライブ生配信@Youtubeを、見てた。

感想として:同じ時代に生きていること。バンドっていいなあってこと。夏フェスで野外でビール飲みながら見たい。パーソナルな空間で聴くライブも特別。他者の気持ちを可視化して共有できるネット空間。今の時代でもかっこいい音楽かどうか。音楽の懐かしさで実証される過去。これらをつらつらと。

同じ時代に生きていること。12月にZepp Tokyoで生でナンバガのライブ見たときも思ったこと。よく聴くようになった高校〜大学の頃はNUMBER GIRLはもう解散していて、大学のバンドサークルで先輩がコピーしてたナンバガしか知らず、かといってLIVE DVDを見たことはなく、ライブ音源を聴いてた。それが17年とか経って、オリジナルメンバーのナンバーガールを生で観ることができて、しかも遜色ないどころかめちゃパワーアップしてたこと。syrup16gも、正直今はライブ行かなくてもいいかなあ、と思っていたものの生配信を見だしたらわたしが知ってる12年前の、あの解散ライブの武道館の、3/1と変わらないような状態でライブしていて、彼らは年上だけれど同じ時代を、同じ時を生きてるってありがたいことだなあと。大袈裟だけど進行形の愛のひとつの形に触れていることだと思うので、しみじみ感じ入る。

バンドっていいなあってこと。バンドマンってなんでこんなにかっこよく見えるんだろう、と未だに惑わすくらい彼らはかっこよかった。大学ではバンドサークルに入ってたのでその頃の自分がいた空間や雰囲気を思い出したし、アイコンタクトや仕草で合図しあうこととか、人間としてどんなにしようがなくてもセンスや仕事ぶりを信じられることとか、それはたぶん危うくもあるけど、信頼をおける関係性というのはかっこいいし、ちょっとうらやましいなとも思った。

夏フェスで野外でビール飲みながら見たい。お酒は好きだけど普段家ではあまり飲まなくて、でもナンバガのライブ見ながらビール2本あいた。今回は映画を観る環境で、部屋を真っ暗にしてイヤホンつないで見てたんだけど、むわっとした暑い空気の中、日よけの帽子とかかぶりながら、ビール片手に身体揺らして観たいなと思った、のでこれからも稼ぎ続けてくれ。

パーソナルな空間で聴くライブも特別。OMOIDE IN MY HEAD、前日のsyrup16gではYour eyes closed、Rebornでスイッチが入ってぼろぼろ泣いてたんだけど、たぶんその場にいたらこんなに泣きながら見ることはないんだろうとも思いながら。本人を目の前にして、音圧感じながら空気を共有してその場の当事者として見れるのが最高と思うけど、それとは違う受け取り方もあるなとこの生配信で思った次第。見ている側を束縛しない、見たり見なかったりある程度の自由を持ちながら見せる。スポーツの試合は現場の感動と熱気を浴びに赴くもよし、テレビで全体の動きや解説を聞きながら戦略的に見るもよし、とそれぞれのよさを味わえるようになっているけれど、音楽もそれが可能なのでは?とこれを機にどうだろう、なんて。たぶん、あまり許されないんだろうけど。

わたしは、他者の気持ちを可視化して共有できるという点でネット空間のよさを、毎週更新されるマンガアプリのコメント欄で感じているんだけれど、今回syrup16gのニコ生でもそれを感じた。曲が終わった後の拍手だとか、無観客だからこそ文字で聞こえる観客のコール&レスポンスとか。syrup16gの電車が出てくる歌詞で、その生配信を見ている全国のファンが好き勝手に書き込む身近な電車路線がぶわあっと画面を埋めたときも、ああ日本各地のあらゆるところで、この音楽を好きな人がいるんだなというのが可視化されていてうれしかった。

今の時代でもかっこいい音楽なのかどうか?ナンバガは視聴者50,000人に達したようで、予定されていたライブハウスのキャパと比べるともちろん大きいのだけど、果たして多いのだろうか。人生のある時期にずっと聞き込んだ音楽だから現在見て、かっこいいと感動するのだけど、自分より10年遅く生まれた、若者と言われる人たちはこれを見てどう思うんだろう、かっこいいと思ってくれたらうれしいなあと、なんか老婆心みたいな気持ちで思ってた。

音楽のなつかしさで実証される過去。正直、10代の頃とか昔のことって全然覚えてなくて、それはきっとその都度思い返すことがなかったからだろうからなんだけど、恐ろしいことに無意識になんとなく生きていたせいで過去の日常の思い出が希薄。高校や大学の久しぶりの友達は、なんて呼んでいたかわからなくなったり、懐かしい思い出を語られても覚えがなく曖昧に頷くだけだったり。もう仕方ないと諦めがつくようになってきたけれど。それでも、12年前なんかに熱心に聴いてた音楽を今聴くと、打ち消せないなつかしさを感じて、ほとんど思い出せない過去にも自分が生きていたことを実証される気持ちになる。ありがたいような、情けないような。そこで自分の価値観が形成されたせいなのか、そもそも時が経っても人って変わらないということなのか、かっこいいとか、好きだと思っていたものはあまり聞かなくなっただけでそのよさは変わらなくて、あらためて出会えることはうれしい。

異常空間Z!


コーヒーブルース / 前野健太【PV】

Music kills me

疲れ切っていて1人になると「死にたいな」とふと思う、そういう時期がまた到来している。自分の弱さや至らないところ、日々のうまくいかないことに対して正気で向き合う気力がないからそんなことを思うのだろう。仕事がずっと積み重なっていくのがつらくて、でもやることがあってたいして考えず条件反射みたいに仕事しているほうが気持ちが楽。ただ身体がつらい。「仕事ばっかりしてなんにもなくて、そのままこうやって死んでいくのかなって思いますよね」と後輩が言っていて、「わたしどちらかというとそっちのフェイズにいるよね」とことばにしたことはかなしかった。他人にたいして興味がなくて、自分の周りのひとも大切にできてない。興味をもっていたことに興味が向かなくなって、期待される役割が果たせなくて、親しかったひとに会いづらくなっていく。ずっと憂鬱。こうやって生きてるのって慣れなんだろうな。