mr.children tour 2011 sense ~in the field~ 広島公演

4年ぶりのビックアーチでの公演はやはり雨。なぜなんだ。なぜチルが広域公園で公演すると決まって雨なんだ。前回(2007年)予期せず雨が降って痛い目見たので、今回は万全の態勢だけどね。そしたら公演中はあんまり降らなかったっていうね。・・あまのじゃくすぎるだろチル公演における天気!!

続きを読む

どうも、どうも。
はあ、前回書いたのは7月でしたか。いかんですな。
もう、このブログ自体もどうしようかな…と思っていたのですが、堺ヲタとしてのあゆみが載っていて「あの発言、いつのだっけ」とか「ああいうことしたのって、どの番組でだっけ」みたいなときに振り返れるツールとして大活躍しているので、消さずにのけておこうと思います。
あまり、というか滅多に更新できないかもしれないけど、こういうふうに「これはついったでは語りきれん」みたいなときに使っていこうと思います。

続きを読む

かたづけ

雑誌・書籍類の整理をした。
本棚があふれかえっておったので、ずっとやりたかったのだけれどばたばたしてたり、疲れててとてもじゃないが片付ける気力が起きなかったりで、手がつけられなかった。
今日はなんとなく思い立って(いちにち雨降りだったのもあるけど)かたづけてみることにした。
いらないものは捨て、残しておきたいものは保存箱にしまってクローゼットにしまう。てかまずはクローゼットも整理しないと保存箱入らないしね・・・。
結果を言うと半日かかった。
なぜかというと、これでもかといわんばかりに懐かしいものがたくさん出てきて、まあ雑誌なんかはまだ「うわーこのひと若いわー」とかで済んでいいんですけど、自分の日記っぽいものもひっさびさに発見してしまい、そのたびに手をとめて読み返して、過去の私の「青春スーツ完全装備」っぷりに「うわぁぁぁぁぁぁ」と頭を抱えながら床をごろごろしたりしてたからだ。
過去の私はほんと暇人で、とにかくくっだらないことをだらだら書いて誰に向けて発信するでもなく自己満足していた・・・。いやそのころの私にはそれが大事だったのはとてもよく分かりますよ?この五年くらいずっと、自分で言うのもなんだが山あり谷ありで精神状態も普通じゃなかったし。あと妄想爆発なのは今も変わってないし。ただ読み返してみても「おまえ、いろいろ考えすぎだって」と肩を叩きたくなってしまう。いまでも考えすぎな人間なのにあのころは輪をかけてひどかった!「もっとシンプルに生きてみろよ」と言ってやりたいっすわ。あーはずかしい。
しかし日記を書き続けている人ってすごいなあ。私は無理だわ。ブログとかならまだ、人目を気にして多少はかっこつけれるけど、日記はそうじゃないものねえ・・・。私みたいな、強がってるけど実は気にしいで弱いところはあまり人に見せられない、醜さは内に内に向けていくしかない、それなのにくそ甘ったれなダメ人間には、日記って不向きなんじゃないのかなあといまさらながら思う。過去の自分に強烈なボディブローくらいつづけながらなんて、とてもじゃないが生きていけないぜ俺!恥かき捨てまくり人生を送っていくしかないのかな・・・。
これはあれですよ、まさに、

時は流れ傷は消えてゆく それがイライラともどかしく
忘れてた誤ちが 大人になり口をあけるとき
小沢健二「流星ビバップ」より)

だ、と思いましたですよ。
そうだね・・・流れ星(が見つかるかどうかはあやしいとこだけど)探すことにしよう、もう子どもじゃないならね。


あと、いろいろつらいことや悲しいこともたくさんあったけれど、それもひっくるめてとにかく楽しくて、もう一度戻りたいと今でも思う大学時代のノート(これはほんとに授業用のノート)とかも出てきて、当時のことを思い出し、あーもう「さよならなんて云えないよ(美しさ)」の歌詞のまんまじゃん!と泣いてしまったよ。大学時代のテーマソングを選ぶとするならこの曲だなあ。
海も、教会通りの坂もそこにはなかったけれど、毎日「くだらないことばっかみんな喋りあ」ってたし、若いから「オッケーよなんて強がりばかりをみんな言いながら」わいわいはしゃいでた。・・すべてが過ぎ去ってから思うのだ、「2度と戻らない美しい日にい」たと。
そして社会人になってしばらくたった今、狂おしいまでに「嫌になるほど誰かを知ることはもう2度とない気がしてる」のだ。特に最近すんごくそう思うようになってきた。いままでわりとこじんまりしたところで勤めていたせいか、感じることがなかったのかもしれないけれど、いまの会社では深く個々人について知る機会って少ないなー、なんか物足りない、でもそれがふつうの会社ってものなのかな、だってそんな濃い人間関係繰り返してたらまともに仕事なんてできないよと思ったり。
あのころのようにまた、嫌になるほど知ることになる人なんて現れるとしたら、恋愛においてぐらいだろう・・・恋愛か、はははと苦笑い。そういえば今年はじめ手相を軽く見てもらったのだけれどそのとき「いまのひとはちょっとちがうかも、でも今年二人現れるみたい、年上の人と、同い年かちょっと下の人」と言われ、「いまのひとはちょっとちがう」の部分が見事に当たっただけに期待、か?そしてそのひとのいう「同い年かちょっと下の人」に当てはまるのが先々月はいってきた後輩だったらちょっと面白いかも。でも同じ職場でそれはめんどくさいかも。

ひふみよ

先月あった小沢健二のライブが今振り返ってもすばらしい内容で、いまだに余韻に浸りたくて最近は小沢健二ばかりを聞いている。
高校生の頃よくきいてた往年のあの曲!!懐かしい!!という感じよりも、いまの30歳の私が聞いてものすんごくぐっとくる音楽を、あのころすでに作ってたんだな小沢健二は。と思うとぞくぞくする。
そういう、なんだかとても特別な一夜になりました。たしかに愛にあふれていたよあの空間は。
一番大好きな「ある光」が2フレーズしかきけなかったことが唯一の心残りではあるけれど。
で、くわしく感想を書こうと思っていたら大山卓也さんの記事ばななさんの日記に言いたいことは全部書かれていたのでいっか、と思うことにする。
特に大山さんのこの部分には目からうろこ。あの曲を聴く角度が180度変わりましたよ。

ーーそういえば、この曲を演奏する前に小沢健二は「もう1曲の、感じたかった僕らを待つ曲です」って言ってたと思うんだけど……。あれどういう意味?

うーん、これも僕なりの解釈なんですが「自分を待つ本当の恋人とまだ出会っていない」っていうのが「ラブリー」と「愛し愛されて」の共通点だってことを言ってたんじゃないかな。

ーーん?

「ラブリー」は「いつか誰かと完全な恋に落ちる」ことを夢見てるけど、自分はまだ「夜が深く長い時」の中にいて「誰かの待つ歩道を歩いて」る状態を歌った曲ですよね。この解釈はほぼ異論のないところだと思います。で、「愛し愛されて」の主人公にも恋人はいないんです。

ーーあれ、でも「君の住む部屋へと急ぐ」って歌ってなかった?

恋人の部屋に行くために「突然ほんのちょっと誰かに会いたくなるのさ」なんて言い訳を用意する必要はないでしょう。ふぞろいな心を抱えたまま、やるせなく悩ましい日々を過ごしてる。そんな思いを歌った曲が「愛し愛されて生きるのさ」なんです。愛し愛されて生きることが何よりも大切なことだっていうのはわかってるし、そんな気持ちを愛すべき相手と感じ合いたいって強く思ってるけど、今はまだ「感じたかった僕らを待つ」時期だっていう。

ーーなるほど。

そう考えると、セリフ部分の意味合いもはっきりしてきますよね。「深夜に恋人のことを思って 誰かのために祈るような そんな気にもなる(日がいつか来る)のかなんて考えたりするけど」っていうことだと思う。それで、これから本当の恋人になるかもしれない、そんな相手がまぶしげにまつげをふせて、ほんのちょっと息をきらして走って降りて来てくれるんですよ。それは素晴らしいことですよね。愛し愛されて生きることの大切さをずっと信じてたからこそ生まれた景色だし。そんな希望に満ちたこの曲で、このコンサートが終わるのは本当に感動的だと思います。

オヒサシブリデス

ついったでつぶやいてるしいいか、となんと4ヶ月ものあいだ放置プレイしていた当ブログ、気が向いたので久しぶりに更新してみることにしますこんばんはgracefulmanですおひさしぶりです。
簡単にこの4ヶ月での出来事について書き記しておこうと思う。

続きを読む

ベルリンデビューと私の生活

堺雅人が「ゴールデン−」で世界デビュー
http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201002210034.html
【ベルリン19日(日本時間20日)=小林千穂】
俳優堺雅人(36)が、ベルリン映画祭パノラマ部門に出品された主演映画「ゴールデンスランバー」(中村義洋監督)の公式上映に出席した。初めて海外映画祭に参加した堺は、観客が体いっぱい使って高く評価してくれたことに「非常に興奮する経験でした」。同映画祭期間中に、北米地域の複数の映画祭からもオファーがあったようで、堂々の“世界デビュー”となった。
ベルリン映画祭は、カンヌ、ベネチアと並ぶ世界3大映画祭のひとつで、約40万人の観客数は世界一多いと言われている。初参加する海外映画祭は大舞台だが、堺は「1人でも『良かった』と言ってくれる人が多ければいいので、世界も国内もあまり違いはない」と、気負いなく臨んだ。
「ゴールデン−」は公式部門のひとつで、54本を集めたパノラマ部門で上映された。実績ある監督の新作や、新しい才能を発掘する部門に位置付けられている。公式上映の会場は、収容人数約1000人。午後9時半すぎに始まり、終了が午前0時近くになったが、7割が埋まった。上映中はもちろん、上映後もすぐに席を立つ観客はほとんどおらず、拍手が続き、指笛も吹かれるなど好反応だった。
観客がどの場面でどういう反応をするかメモを取りながら見たという堺は「いい感触でした。お客さんと作品を見ることはあまりないので、ありがたかったですし、心躍る、非常に興奮する経験でした」と喜んだ。しかし、気を緩めず「映画祭に呼んでいただいたりすると、知らず知らずのうちに浮ついたり、うそをついたり、背伸びをしてしまう可能性がある。借り物じゃない言葉で表現して、物を考えることが大事で、明日からの生活がどう変わるかじゃなく、どう変わらないかが大切」と話した。
関係者によると、同映画祭期間中に、北米地域の複数の映画祭からもオファーがあったという。海外からのオファーや他の映画祭については「もちろんやらせていただきたいです。始まりがベルリンで良かった」と話していた。


ベルリンを楽しんでいるご様子を感じられて何より、はいったんおいといて。
なんかね・・・この黒字の部分にはっとさせられたのでございますよ。
どこかの国の大統領の「CHANGE!」じゃないけど、いまってとにかく「今ある自分を、明日をどう変えるか」「ひとが成長する、ひとを成長させるには」みたいな情報が多い。会社とかでもけっこうそういわれることも多くて、そりゃ大事なことなんだろうよとは思うし、漱石の「こころ」でKがたびたび繰りかえす「精神的向上心のない者は馬鹿だ」という台詞をよく思ったりするのだけど。そればっかりじゃしんどいな、疲れちゃった、というのが最近の自分の本音だったわけです。よくそうやって疲れてしまうことが、自分にはあります。うえばっかり見つめてたら地面の石につまづいちゃうこともある。それじゃ元も子もない。なにより大事なのはいま、大地を踏みしめている自分の足やこのからだだったりするよね、ってすんごく当たり前のことを思いました、はい。そして、「だれそれがこう言ってたから」「上司にこう指示されたから」「なにかに書いてあったから」それだけじゃなくて、自分の脳みそちゃんと使って、「借り物じゃない言葉で表現」できる人間でありたいものです。自分できちんとさいごまで責任を持つこと、でもそれを気負わないこと。それを心がけよう。
しかしまあほんとに、「現地の反応をメモして中村監督に報告したい」とのお言葉通り、メモとりながら参加されたまじめさが好きさああ大好きさ!堺雅人でメモといえば「天声慎吾」出演時の「ジャージ+メガネ+首からメモぶらさげ」姿をどうしたって思い出してしまい( ´,_ゝ`)プッとなってしまうのがサカイヲタのサガといふものでございますでしょ〜!

ゴールデンスランバー鑑賞

初日に見てきました!以下完全にネタバレしてますので注意!しかしこれだけは言っておく!「ゴールデンスランバー」、おんもしろいよー。みんな見たほうがいいよー。見ないと損だよー。つか、全国民刮目せよ!!(春日さんで)

続きを読む