これ僕.com:行動分析学マニアがおくる行動戦略

意図と行動のギャップから生じる「不自由さ」への挑戦。果たして僕たちに自由はあるのか?

悩みは障害ではない。僕らには「嫌な気分のまま行動する」という自由がある。

考えることは人間にとって強力な武器。あまりにも強力すぎるので、それは時に僕たち自身を傷つけます。

僕たちは”考えるからこそ不自由になる”ことがあるのです。問題が生じて嫌な気分になったとき、何とか解消しようと考え悩むことは、その嫌な気分に行動をコントロールさせているようなもの。

僕らには「嫌な気分のまま行動する」という自由がある。嫌な気分は解消する必要はありません。

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お金がない・時間が無い・能力が無い、だから僕たちは不自由なのか?

お金や時間、あるいは能力といったリソースの不足は、僕たちに不自由さを感じさせるものです。

リソース不足は時間をかけることを前提とすれば、単なる課題でしか無い。ところが、リソース不足を性急に解消しようとすると、悪循環に嵌まって抜け出すことが困難になります。

このようになってしまう背景には、僕たちの「欲求の働き」があります。実は、僕たちは自分自身で不自由さを作り出しているのかもしれません。

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社会的なルールや法則を活用する視点が自由の足場となる。

僕たち人間は社会的な生き物。

社会的なので、人と何らかの関わりを持ちながら社会的な活動を営みます。また、生き物なので「生存すること」は、通常は意識しないけれども、とても優先度の高い欲求だと言えます。

 この社会的であること、そして生き物であることが、僕たちが自由を失う原因となっています。僕たちは社会的な生き物だから不自由。

一方で、その不自由さは自由を獲得するための足場でもあるのです。

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僕が20代半ばの頃、先輩に「30歳を超えると新しいことを学ぶのを避けるようになる」と言われた。

20代半ばの頃、会社の先輩から「30歳を超えると、それまでに培ったことでなんとかしようとするようになって、新しいことは学ぼうとはしなくなる」と言われたことがありました。ふと、そんなことを思い出したんです。

当時の僕は新しいことを学び、取り入れるのが好きだったせいもあり、にわかには信じた外話でした。でも、僕自身はまだ20代なので、30歳を超えたらどうなるかなんて分からないわけです。そういうもんかな…と捉えておくしかありませんでした。

 

では、30歳を超え、もうすぐ40歳へとリーチしそうな年齢になってきたいま、実際はどうだったのか振り返ってみれば、そんなことは全くなかったりします。僕自身の実感としては、年齢を重ねる程に新しいことを学びやすくなったように思います。

相も変わらず、それが興味を持つ分野のことであれば、新しいことを学び取り入れていくのはとても楽しいことです。多分ですが、これからもそうだと思います。

 

それを踏まえて当時のことを考えてみると、あの時、先輩にとっては「年齢」が自分の意見を述べるのに一番使いやすかったんだと思うのです。

それはもしかすると、自分自身の現状を説明するのに使いやすかったのかもしれないし、新しいことを学ぶの止めた理由として使いやすかったのかもしれないし、年下の僕に対しての言葉として使いやすかったのかもしれない。正確なところは僕には分かりません。

 

本当はそんな理由付けはいらなかったんだと思います。単に「私は新しいことを学びたいとは思っていないし、そうしようとも考えていない」でOKだったはず。

そもそも「新しいことを学ぶ=良いこと」ってわけでもありません。物事の善し悪しは、どういう判断基準を持つかで変わるものですから。だから、本音を表現してしまえばそれで良かったはず。

 

でも、僕たちは自分の発言に「味方」を作りたくなるものですので、ちょくちょく一般化した表現をつかってしまいます。「私の意見」ってやつは、ある意味、発言のリスクを全部自分が背負い込むことになりますから、仕方のないことです。

とはいえ、一般化した表現は時に呪いになります。言われた人にとってもそうなる可能性はありますが、何よりも言った本人にとっての呪いに。

僕たちは本当に「自分が見たい情報を積極的に取り入れる生き物」です。30歳を過ぎたら新しいことを学べないと思えば、それを補強する情報をどんどん手に入れます。そしていつしか、それは本人にとって真実のように振る舞うことになります。

 

新しいことを学ぶかどうかは、どっちでもいいと思うのです。本人が決めればいいことですから。

でも、なぜそうなのかについての理由は、なるべく一般化した表現から自分自身に特化した表現にした方が、それが世の中の真実ではなくて、単なる自分の考え方であることを認識できていいのではないかな、と思うのです。

世の中の真実として扱うのか、単なる自分の意見として扱うのか。この間には大きな差があります。前者は極めて変えるのが難しいけど、後者には必要に応じて変えられる可能性が含まれています。

小さなことかもしれませんが、こういったものの積み重ねが人生の自由度を変えちゃうのかもしれないなー、と思ったのでした。

 

なるべく手軽に映画を観たくてストリーミング配信のサービスを調べてみた。

この映画面白そうなので観たいな〜と思ったわけです。


映画『ヤバい経済学』予告編 - YouTube

で、近所のTSUTAYAにいってもいいわけですが、借りたり返したりが面倒なので、動画ストリーミングでどんな選択肢があるのかな、とちょっと調べてみました。目についた候補は取り敢えず4つ。

  • iTunes Store
  • TSUTAYA TV
  • DMM.com
  • Amazonインスタント・ビデオ

結構あるもんですね。

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