春になっておもうこと

桜も散り、あたりもすっかり春になりました。
もう四月も中盤ですね。

ブログを更新しない間に、前回話題にした祖母があの世へ行ってしまいました。
享年79歳。
現代の老人としては少し早死にだったかもしれません。

二年位前でしょうか。
手術をした後に、麻酔で意識がもうろうとしている祖母が、病室の壁に花畑が見えたと言っていた事がありました。正夢という言葉があるけど、祖母はその時花が咲き始める春に自分の人生が終わるという事を、どこかで予感していたのかもしれません。
桜の樹の下には死体が埋まっている」というくだりが梶井基次郎の小説にあったけど、祖母の葬式以降「花」と「死」と言うのは正反対の様に見えて、意外と近しい関係にあるんだということが実感としてわかるようになりました。もっともそれが何故なのか、今の僕にはまだうまく説明出来ませんが・・・・

祖母が逝くちょっと前、何とか元気づけようと、家から昔の写真を引っ張り出して彼女に見せてあげた事がありました。そこには僕と同じ年位の頃の祖母と祖父が写っていて、まだ小さい僕の母が若い祖母に抱かれていて、なんとも幸せそうでした。けど、その幸福な風景も祖母がいなくなって二度とみれないものとなったようです。何もかもを変えてしまう時間って残酷過ぎます。けどだから感動するんでしょうね。

って僕は一体、何言ってるんだ。
あまりにも湿っぽすぎる。
春の挨拶を書くつもりだったのに、これじゃまるで下手な坊主の説教じゃないか。
今度はもっと浮いた話を書きたいと思います。

老人の夢

 どうも。ブログをご無沙汰してだいぶ月日がたってしまいました。実は、祖母が突然脳梗塞で倒れたため、それを見舞いに京都の西舞鶴という町にしばらく帰省していたんです。西舞鶴とは、京都の北にある小さな町で、行くのに京都から電車で二時間近くもかかります。その遠さのせいか近頃は町の寂れ方も甚だしく、商店街の店は平日だというのに軒並み閉まっているし、夜はコンビニの明かり以外は真っ暗。祖母の近くにいる時、暇だったので病院の窓から外の景色を見下ろしたりしていたのですが、空を舞うトンビと道行く人の数がほとんど一緒の時さえありました。普段東京に見慣れていると気付かないけど、やっぱり日本は不況みたいです。


 祖母は祖母で、脳梗塞ということもあって動く事もしゃべる事もできず、着いてしばらく、僕はたた側でジッとしている事しか出来ませんでした。しかも、彼女は癌を患ってもいるので、そう簡単に回復するという事もなさそうなんです。しかし、ずっとじっとしていても仕方ないので、ただ寝ることしか出来ない祖母に何とかして刺激を与えようと、祖母の家から昔の家族アルバムなんかを引っ張り出してそれを見せたり、いろはカルタを買ってそれで一緒に遊んでみようとしてみたり、色々試行錯誤してみました。そういった僕のアクションに対して、祖母は結構反応していたので、やってる事はそう悪くはなかったんだと思います。


 しかし、日に日に衰弱していこうとしている老人に対して、過去の様に生き生きとさせるよう強いる自分が何かひどく残酷な事をしているように思える時もありました。これは僕の妄想かもしれませんが、老人にしか観る事の出来ない夢、という物がきっとあるように思うんです。そうした力があるかもしれない老人を僕が過去に閉じ込める様な事をして果たしていいのでしょうか。疑問です


 まあ、その「老人の夢」なんていうのは、まだ若い僕には知る由もないものなんですけどね。というか、知る必要もないでしょうし。しかも、それを夢なんて呼んでいいのかもとても微妙です。けど、過去になんか捉われない、そんな老人の力強い夢があってもいいじゃないかと思う今日この頃です。
 

女優の写真

 栗山千明という女優を知っていますか。まるでアニメに出てきそうなはっきりとした顔立ちをしていて、あのタランティーノ監督の「キルビル」に日本の女子高生役(?)で出演していた女の子です。最近はテレビのCM等でもよく見かけますね。これ、自慢ですが、僕、その彼女に実際に会った事があるんです。

 僕は大学で写真部に所属しているのですが、その写真部にある雑誌を作っているサークルから、彼らたちの企画で女優の栗山千明にインタビューをする事になったから、その時の写真を撮影してほしいという依頼が来た事があるんです。その話を聞いた時、すでに5年生である僕は、先輩風吹かし後輩達を威圧し(というか後輩達に遠慮されていた?)その撮影権を半ば強引に奪い取りました。ハリウッドにも出演している様な女優に会うわけですから、撮影に行く前、僕はとってもハイテンションだったんです。が、実際彼女に会ってみると、「エッ!」という感じでした。というのも彼女、僕が想像していた以上にずっと普通だったんです。コンビニとかでバイトしていても全然おかしくない女の子とでも言えばいいんでしょうか。とにかく画面で観るのとは全く違った印象で、拍子抜けしちゃいました。でも、僕はその時デジタルカメラを使っていたのですが、その液晶画面で観る彼女は全然違いました。もうまさしく女優。文字通り全身からオーラがビンビン出ているんです。けど一旦カメラから目を離し、肉眼で彼女を見てみるとこれまた一般ピープルそのものなんです。とても不思議な体験でした。

 僕が考えるに、俳優とかアイドル等は、画面越しに見るから超越的な存在、つまり手に届かない存在なのではないでしょうか。空虚な自分という存在に耐えられない僕の様な弱い人間は、その様な雲の上の存在を夢見て、日々退屈な日常をやり過ごしているわけです。しかし、本当にそんなやり方で、僕は満足な生活を送る事が出来ているのでしょうか?最近それがとても疑問なんです。

 で、僕が何でこんな事で悩んでいるのかというと、実は今月、大学生活最後の写真部写真展がありまして、その際に、あの時そこそこうまく撮れた女優の写真を僕の作品の一部として出そうか出すまいか選びかねているからなんです。このブログをご覧になっている皆さんはきっと大学の写真部の写真展がどんなものか知らないでしょうが、本当に悲しくなる位にレベルが低いんです。だからその写真を、その場に出しても、全然恥ずかしくはないのですが、しかしその写真を出す事によって僕の中にある微かなアイデンティティーが吹き飛ばされてしまう気がするんです。だって、その写真の魅力は間違いなくそこに有名人が写っているからなんだもの。そこに、僕がこのブログで肯定しようとしている「ニートピア」は写っていません。あ〜でも目立ちたいな〜。みんなに一瞬だけでもあっと言われたいな〜。なんか自分からぬかるみにはまっていく気分。まだまだ修行は足りないようです。

 
 
 
 
  

アカデミー賞

僕の中学時代の夢は、映画監督でした。
何故映画監督になりたかったかというと、映画の素晴らしさに魅入られたからとか、衝撃的な作品に出会ったからとか、そういった大それたものではなく、ただみんなに褒められたかったからだけだったんです。
単純に大金が欲しかった。
もてたかったんです。
あの頃は、猿と紙一重でした。

特に憧れたのは、アメリカのアカデミー賞
あの衣装やら会場やらの異様な豪華さに、当時その様子をテレビ中継で観ていた僕はガツンとやられてしまいました。あの場に行けば世界で一番幸福になり、全能感に浸り、神のようになれる。郊外の片隅で日々モンモンとしていた僕は本気でそう妄想していました。所謂アメリカンドリームに感染してしまったんです。中学生の頃は自分は映画監督になるんだと何度も胸に誓ったものです。

しかし、そんな浅いモチベーションが長続きするわけもなく、大学の映画サークルで他人を動かす事の面倒臭さに気付いた僕は、早々と映画製作からは手を引き、その夢を諦めました。アメリカンドリームに挫折した訳です。だから今でも、アメリカのアカデミー賞の様子をテレビで見たりすると、複雑な想いが僕の頭をよぎります。

で、何で、こんな話をするかというと、昨日テレビでやっていましたよね。アカデミー賞
しかも、アメリカではなく、日本の。

不思議な事に僕は昔から日本のアカデミー賞にはピンとこないんです。
まず、アカデミー賞って名前をそのままパクッているところがダサい。
しかも日本人の役者はアメリカ人と違ってインタビューの時いつも緊張してるし、俳優の衣装も会場も地味とまではいかないまでも中途半端に派手。そこがまたダサい。でさらにダサいという事に気付いていない所がさらにダサい。もうこれじゃあダサいスパイラルです。まるで自分を見ているように恥ずかしい。

そもそもアカデミー賞という形式自体が日本人に向いてない気がするんです。しかも肝心の作品賞もいつも今一パッとしない。以前「雨上がる」という映画が最優秀作品賞を貰っていた時があったけど、あの時はさすがに笑ってしまいました。もう黒沢明はいいだろうって。
いつも選ばれる作品が妙に後ろ向きなのは、審査員が爺さんばかりだからでしょうか。ちなみに今回最優秀作品賞に選ばれたのは「ALWAYS 三丁目の夕日」という作品。昭和三十年代の古き良き日本を、CGの最新技術で再現した映画だそうです。

二十一世紀初頭に、過去懐かしんで夕日をしみじみ眺める日本人。
なんか引き裂かれているな〜と思うのは僕だけでしょうか。

夢貸し屋

 今日、横浜の黄金町をチャリンコで徘徊していたら、不思議な喫茶店を見つけました。
「夢貸し屋」と書いて「むかしや」と読む店なんだけど、いわゆる普通の喫茶店と違って客が子供ばかりで、メニューの一品一品が子供用に破格的に安くしてあり、たくさんの昔懐かしい駄菓子が売っていたり、大画面のテレビで映画が観れるようになっていたりと、まさしくそこは子供のための空間でした。ちょっと、ショボイお菓子の家を想像してもらうと一番いいのかもしれません。。
 僕みたいな大人が入ったら途端に場の空気が乱れてしまう、そういう場所なんじゃないかと最初は心配したのですが。子供達は、僕が本を読んでいるのにも拘らず、オナラの音がするオモチャを何度も鳴らし、全く意味不明なことで盛り上がり、僕の存在を無視してくれて、まあ気も使う必要もないいい場所でした
 面白かったのが、そこにいる子供達の年齢層で、ちょっとみた所、五歳から十六歳位までとひどくバラバラで、お互いとても話があいそうには見えないんだけど、その店を一人で切り盛りしているオーナーのお姉さんの人柄のせいか、全く不自然さがなく、仲良くやっていて、それがなにか見ていて心地よかったです。
 まあ、とにかく、そこにいる子供達みんな自由に振舞っていて楽しそうだったんだけど、ある制服を着た高校生位の少年達の話にちょっと耳をそばだててみると、彼らはクラスメイトの携帯電話を盗んで反省文を書かされているといういわゆるダメな奴等で、どうしようもないなと僕は思ったのですが、オーナーのお姉さんは彼らに携帯電話位もっとうまく盗まなきゃダメだよなんていうとんでもないコメントをしていて、完全に意表をつかれてしまいました。
 学校じゃ、大人がこんなコメントすると大問題ですもんね。けど、自分が子供の時、大人からこういうコメントこそして貰いたかった気がします。「夢貸し屋」には、子供が自分で自分のルールを決められると言う自由がありました。
 子供は学校の外で育つなんて言っていたオジサンが確かいたけれど、僕もそれは真実だと思います。僕も授業さぼって名画座で観た古い映画の数々に、貧乏の切なさから、大人の女性の色気まで色々と教えてもらいました。学校で先生に学んだ事なんて今になってみれば何も具体的に思い出せないですもん。授業中に机の上に一生懸命書いたひたすらリアルな先生達の似顔絵とチ○この絵が、唯一僕の学習した事だったのかもしれません。
 問題は色々あるんだろうけど、子供をもっと学校から自由にするべきだと本気で思う今日この頃です。
 
 

ルサンチマン

立川駅前に突如現れた移民達

 ルサンチマンっていう言葉、皆さんご存知ですか?
僕も最近知ったのですが「弱者が強者に対する憎悪や復讐心を鬱積させていること」を意味する言葉なんだそうです。で、ここ数日、僕はこのルサンチマンという感情に何度も襲われて困っているわけです。

 まず二日前、国語の教職員免許を持っている僕は、非常勤講師になるためにある高校に面接に行ったのですが、その面接の際、その高校の国語の先生達にとっても冷たくあしらわれました。僕の外見やら履歴書のみの判断で「君の話はつまらない」とか「君には子供に心を教えられない」とか「君は体育会系だから、文化を教える事には向かない」だとか、僕に関してまあ色々好き勝手に言ってもらいました。実際、準備など何もせずに望んだ面接だったので、僕がその様に先生方にメチャクチャ言われるのも無理はないのですが、その国語の先生達の異質なものに対する不寛容さにはやはりイラついてしまいました。
そんな先生達に子供の心なんてわかるわけない。
子供がそんな空間にいて元気になれる訳がない。
面接が終わった後、僕の中に学校というものへの憎悪が中高生時代以来久し振りに湧き上がってくるのをはっきりと感じました。

 そして昨日、去年から一人暮らしをはじめた友人に会いに、立川まで行ってきたのですが、立川駅の周りが、大手のデパートやファーストフード店や電気量販店、映画館等で埋め尽くされていて、本当に不愉快になりました。一番ひどいのが、そのデパート近くに展示されている誰のものかもわからないストリートアート(?)で、その表現の適当さは本当に芸術というものを馬鹿にしているとしか思えませんでした。
こんな町で、人間が本当に元気になれるわけがない。
疎外されていると感じている人達が幸せになるわけがない。
そう考えると何だか、腹が立ってきて、また現代の高度な資本主義というものへの憎悪が湧き上がってきました。
 
 で、まあ僕はそんな風にして他にも色々とルサンチマンに駆られた訳ですが、結局のところその地点で止まってしまっていて、何も行動を起こせていないんです。だから、誰も僕の話に本当の意味で納得できないんでしょう。最近、人と話をしていてよく感じる事があるのですが、それは、皆、ただ面白いだけではないリアルな話を聞きたがっているという事です。そのためには、僕も何か具体的に行動を起こさなくてはならないんですが・・・。
 まあ、とにかくルサンチマンだけでは何も生まれないという事はわかった今日この頃です。

NO!のススメ

 今日の昼、自転車に乗って黄金町に向かっている時ふと気付いたんです。「NPO」「NGO」そして「NEET」。僕が近頃気になるようになったこれら三つの言葉って、全て頭に「NOT」と言う言葉がついているという事を。

 当たり前と言われてしまえばそれまでなんですが、僕は今まで全く気付きませんでした。だから気付いた時は、正直少し嬉しかった。

 かつて東京の某都知事が、「NOと言えない日本!」なんて優柔不断な日本に対して噴き上がっていた事がありましたが、冷静に考えてみれば今の日本って色々なものに対してNOと言っているんですね。だから皆さん。もっと自分に自信を持ちましょう(笑)

 これら三つの言葉の共通点は実は他にもあります。それは何かと言うと、三つ共、二十世紀には何の疑いもなく信じられてきた近代的な価値観に対して、はっきりと否をつきつけていることです。いわゆる大きな物語の否定とでも言えばいいのでしょうか。

 けど実際には、そんなに難しい事ではないと思うんです。つまりは未来が見えづらい現代において、みんな、空元気ではなく本当に「元気」になりたいという事でしょう。
 ここで「元気」という言葉の本来の意味を確認してみると、僕の電子辞書によれば、「①天地間に広がり、万物生成の根本となる精気。②活動のみなもとととなる気力。③健康で勢いのよいこと。」だそうです。③の意味での「元気」はよく使われているのを耳にしますが、①②の意味での「元気」は今、忘れ去られている様な気がしませんか。まあ、具体的にイメージしづらいという理由もあるのでしょうが・・・・

 僕が思うに、「元気」とは物事が生まれる予感のことを言うのではないでしょうか。「0でもなく1でもない」という状態とも言い換えられるかもしれません。「元気」になるために「NO!」という。なんか胡散臭いですが、これもありなのです。