接頭辞「na」

チェコ語の接頭辞(単語のあたまにつく、1字〜3字程度のアルファベットのつづり)はそれだけで意味があり、漢字の「へん」のような役割をする。

たとえば、

od=そこからはじまる。
例) od+jezd(乗り物が動くこと)=odjezd(出発)、od+poledne(正午)=odpoledne(午後)

vy=外へ出る。上へのぼる。
例) vy+chod(歩くこと) =východ(出口)、vý+tah(引っ張ること)=vytah(エレベーター)

もうほとんど、単語のあたまに「od」がついたらそこから何かが始まるって意味の単語でまちがいないし、「vy」がついたら外か上へ向かう意味を含んだ単語だ。

こういうのがいっぱいあって、

「do」で始まれば中へ入る意味の何かだし、

「s」だと集まる動きか下へ向かう意味だし、

「při」はこちらに向かう意味だし、

「pro」は通り抜ける意味だし、

「pře」は横切ったり渡ったりする意味だし、

「o」はまわりを取り囲むニュアンスだし、

どうも日本語の教科書には歴代ずっと載っていないけど、これだけ知ってたらけっこう辞書なしでも文意はいけるときがあったりする。

単語として未完成でも、アルファベットの並びがあれば、それだけでなんらかの意味をもつ。

こういう接頭辞のなかまなのに、いまいち意味がとりにくいのが「na」だ。

チェコ語、英語で書かれたチェコ語教科書でも、接頭辞を学ぶなかで「na」だけは、載っていないことがある。

具体的に「na」が接頭辞につくものを列挙してみる。
najít(見つける、jít=歩いてうごく)
nález(発見、lez=横たわっていること)
nápad(アイディア、思いつき、pad=落下すること)
nástup(乗車、stup=乗り物への乗降)
násada=(取っ手、sadit=ゆだねる)

単語だけ見ていると、脈絡がない。

「na」は前置詞でこの並びになると、目的になるものを表す。
そうすると、ちょっとわかるような気がする。

目的があって歩いてうごいていったら、それは見つけるものがあるときだ。
そこに横たわっているものが何かと思ったら、それは発見になる。
頭にぱっとふってくるのがnápad(アイディア)だと言われている。
ってな感じで。

最近、「na」の意味がわからなかったのは
nalepit だった。
lepit=糊をつける。

辞書もそう書いてある。だけどそんなことを言う場面とは思えない。

英語版の同じ本があったので、参考に見てみたら、「修理する」と書いてあった。
たしかにその場面では、かばんをさしだしていた。
なんと糊でかばんを直していたというのであった。

糊をつけた目的は。直すためであった。

これも上の考えだと後付けだがわかる。
糊をつけた目的は…?
直すのだ。

今日思い出した単語、「naděj」(希望)もそうだった。
dějはできごとの意味。
それも何かが起こって、その目的が、って思ったら希望だ。

数独とチェコ語の文法

数独ナンクロと日本では呼ばれているパズルゲームです)がチェコではとても流行っているのですが、
今日ふと、チェコ語を読むのは数独に似ているなと思いました。

文法や読み物でチェコ語に慣れている方でも、とっさに話すとなると、ふだんそのシチュエーションに慣れていないため、辞書とノートを繰り返しめくるという状態になってしまうのを、どうしたらいいだろうと思っていたのですが。

そのとき、たとえば
・「私は○○を好きです」はおぼえていますか?
 →yesなら 「では、○○に入る単語は頭にありますか」→入れて口に出してみる。
 →noなら、復習になりますが、これは覚えときましょう。でおさらい。

というかたちで教室の先生は導くことができる。

と思うと、数独っぽいのです。
ここには3が入っています。タテの列にも3がいます。
ということはこの9マスに入るべき3の位置は?
てなかんじで。

パズル言語ですね。

いろんな文書

きのこの人の話を訳したいのではありますが、ほかのものでチェコ語を使うことが多く、まとまった量が仕上がらないでいます。

はてなの使い方がよくわからず、6月17日に書きかけたらなんか日付だけ表示されてしまいました。
どうやって消すんだろうか。

今日はこの土日に聴いていて、それだけできれいだと思った歌の歌詞を日本語にしてみました。

下の Zuzana Novákova, Jak se suší prádlo. です。

洗濯物の乾き方

Zuzana Novákova, Jak se suší prádlo.

「洗濯物の乾き方」

風にふかれて
横並びでゆれている
飛び立ってしまいそうだけど
できない


そうしてただまるくうごき
はげしくおどっている
木々の緑
白いシャツ


シャツは腕を上げているけど
むだなことだと私はおもう
だって空は手のひらで
つつみこむことができないから

ヤロスラフ・サイフェルト

ヤロスラフ・サイフェルトの詩を一編。
いろいろな詩集に入っていて、しかも同じタイトルの詩が同じ詩人によって別の時期に書かれているようです。
こっちは有名なほう。1930年代だと思います。あとで確認しよう。

Jaroslav Seifert, Píseň.


「歌」


白いハンカチをふるのは
別れをむかえた人
日々なにかが終わっている
ひどく美しいものが終わっている


涙をふいて
泣いた瞳で笑って
日々なにかが始まっている
ひどく美しいものが始まっている

誤訳の産地

誤訳してました。
英語の勉強を始めてから、小説でも読んだらいいんじゃないかとサリンジャーの短編を読んだ高校生のときを思い出しました。
意味をとりながら、主人公は誰なのか、何の話なのかを探っていく冒頭の場面は、いちばん誤訳が多い場所だと思います。

最後まで全部訳して初めて、トリッキーな冒頭にする必要を感じたり、訳者ならではの物語に沿った冒頭文をつづることができます。
今回も見事に冒頭からまちがいです。

どうやって直そうかと思いましたが、過去記事には取り消し線を引いて、正しい文章を書いてみようと思います。
全体が見えたところで、まとめてアップすることも考えようと思います。

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今回文章を読みすすめながら、主人公が誰なのか、タイトルの「フランチシェク」はどの人物なのか、だんだんわからなくなってきましたが、最初が間違えていたのです!

フランチシェクについて「キノコ狩り」さんが一人称で語っているのでした。

冒頭でキノコ狩りさんの名前がフランチシェクだと思ってしまったばかりに、2章で二人が語っている場面が出てきてめんくらいました。