昨日の内容の補足(id:kotohogisinji)

hantenkai2005-05-16

昨日の往復書簡の、僕のメールの内容に関して、若干補足します。
かなり過激な内容を書いてしまいましたが、
荒川事務所の方々、河本英夫先生、工藤順一さん、春秋社の小島直人さん、安井建築設計事務所竹中工務店、奈義、養老、名古屋、岐阜の学芸員の方々などなど、荒川思想を広め、荒川建築を実現しようと頑張っておられる方々は大勢います。
そして実際、奈義、養老、志段味、三鷹と、荒川建築を実現されている。
これは、物凄いことだと思います。
実現に努力された方々を僕は心底尊敬しています。
日本社会で、荒川建築を実現するのは、並大抵の苦労ではないと思います。
それに比べ、僕自身はまだ何一つ実績がありません。
まさに磯崎新さんが言うように、荒川さんの周りに集まる『学生とか馬鹿』のように見られる人間の一人です。
しかし、僕は荒川さんの『建築革命』という言葉に共鳴し、全力で頑張ろうと誓った人間として、
少しでも宿命反転都市の実現に向けて、協力していこうと思っています。



みんなで『建築革命』を実現しましょう!!

『建築革命』への第一歩(id:kotohogisinji)

hantenkai2005-05-13

今日はid:akkioさんの紹介で、HさんとMさんに高田馬場の飲み屋でお会いした。二人はakkioさんの親友だ。
Hさんは某企業に勤めている。
その企業は非常にユニークな事業を展開しているので、荒川建築に興味を示してくれるかもしれないと、僕は考えていた。
荒川建築の魅力、人が健康になる建築、不死へと近づく建築を真剣にHさんに説明した。
不死、宿命反転など、宗教と誤解されるような言葉が出てくる話を、笑いもせずHさんは非常に熱心に、僕の目を見て聞いてくれた。
Hさんは、荒川建築はビジネスとして可能性がある、だから本気で動いてみよう、と力強く約束してくれた。
Hさんを今月中に荒川さんに直接紹介し、三鷹天命反転住宅を見てもらおうと思っている。


その日はとても楽しい飲み会になった。
Hさんは生き方に筋が通っているかっこいい人だ。
Mさんは何物にもとらわれず生きている自由な人に見えた。
素晴らしい先輩をakkioさんに紹介してもらった。
もし、このメンバーと荒川さんが本気で動き出せば、宿命反転都市を創り、建築革命を達成できる、と感じた。

『共同性』について(id:kotohogisinji)

hantenkai2005-05-12

今日は宿命反転都市を創り、人々が住むことで実現させたいと荒川さんが考えている、新しい『共同性』というものについて、僕なりに考えてみます。
荒川さんの理想の人間の共同体というのは、ハチの巣やブヨの集団なんだそうです。最初聞いたとき、『なんじゃそりゃ?』と思いましたが、近頃少しずつわかってきました。
荒川修作を知り、勉強していくに連れて、僕はつくづく『より良くなるなら、誰がやってもいいのだ』と思うようになりました。『誰がやっても』というのは、自分でなくてもいいということです。
例えば僕はプロの漫画家を目指して漫画を描いています。そして漫画というのは、アシスタントを使うこともありますが、基本的には一人で描くものです。だから僕は漫画家になろうと思ったのです、もともと集団作業が嫌いだったので。
そして以前は、パクリでないオリジナルな漫画を一人で創ろうと燃えていました。
しかし荒川さんに会い、『自分一人でオリジナルな作品を創らなければいけない』なんてのはただの脅迫観念ではないかと思うようになったのです。
もちろん、人の真似をすれば『お前の作品じゃない!』といってみんなに怒られます。著作権侵害で訴えられるかもしれません。
しかし、もし個性とか、オリジナルとかを誰も大事に思わない社会になったらどうなるでしょう。
著作権はまずなくなります。みんなが面白いものさえ、どんどん創られればばいい。作者の名前も消えていくでしょう。いまのネットの共有ソフトやコミケの世界に通じるかもしれません。
荒川さんの講演会に行って大爆笑とともに、感動した話があります。阪神大震災の後、荒川さんは神戸の被災地に行って、落ち込んでいる被災者を元気付けてやろうと、神戸にもう一つ富士山を造る計画を提案したそうです(笑)。しかも富士山より高い富士山をです。民衆は、『荒川さん、そんな富士山のニセモノはいらないよ』と言い、計画は挫折しました。荒川さんは『何いってんだ、ニセモノでもいいじゃないか!しかもオリジナルの富士山より高い富士山が神戸にできれば嬉しいだろう!!』と憤慨していました。彼の経歴には『二つ目の富士山をつくる計画をたてるがいまだ実現されていない』と大真面目に書いてあります(笑)。
ようするに荒川さんはオリジナルだとか個性などというものには興味がないのです。ようは機能として優れていれば良い。本物の富士山より高いとかね。
荒川さんそっくりのロボットを創って、そっちの方が荒川さんより優れた建築が創れるなら、荒川さんは大喜びで建築家を辞めると思います。
当然、荒川さんは著作権などというものに関しては、全面否定するはずです。
社会全体から考えれば、真似だとか、誰それの作品だとかそういうことを考えるより、機能として優れているものがどんどんできた方がいいでしょう。
だから僕で言うなら、僕が必ずしも漫画を描く必要はないのです。僕より上手い漫画を描く奴がいるなら、そいつを連れてきて描かせればいいのです。
そのほうがみんなは喜ぶでしょう。僕が描くより面白い漫画をみんなは読めるわけですから。
もちろん、そうすると僕にはお金が入らないわけで、僕個人は貧乏になってしまいます。
しかし僕の(というより僕達共同体の)目標が、ただ面白い漫画を創るということだけならば、僕は貧乏になっても、誰にも誉められなくても平気なわけです。
逆に言えば、もし僕が荒川さんより優れた宿命反転都市が造れるなら、僕が宿命反転都市を創ればいいのです。荒川さんはロボットの時と同じく、大喜びで仕事を譲ってくれるでしょう。誰がやろうが関係ないのです。そんなことはどうでもよくて、ようはいかに共同体にとってプラスになるものができるかなのです。
ハチは自分個人のことより、共同体全体のために動いています。
そこには私とか近代的な自我などというものは存在していません。
現在の世の中では、人は私というものが大切なので、自分に利益がないと動こうとしません。
しかし荒川さんが理想とする共同性というのは、誰がやろうと、共同体が良くなるなら人は進んで動くという世界なのだと僕は考えています。
そうすると、まるで失敗した共産主義社会みたいな気もしますが、似て非なるものです。
ソ連は、みんなが逆に自分のことばかり考えて、エゴ丸出しになってしまった事で滅んだのではないでしょうか(上層部は汚職、民衆は働いても賃金が同じなら怠けた方がいいいというモラルハザードを起こした)。
私や自我なんてものがなくなってしまったほうが、むしろ共同体全体としてはプラスに機能する気がします。
もちろん、そうするとファシズムに繋がる危険があるわけですが、大きな違いは、少なくとも荒川さんの考える共同体には、ヒトラーナチス党のような、全体の頭になる部分はないし、ユダヤ人絶滅なんて思想もない(あるのは『死なない』という思想だけ)。ただみんなが勝手に動き回って共同体を良くしていく社会だということです(これはオートポイエーシス的な考えにつながります)。
とにかく荒川さんには個性だとか近代的自我なんてものは、いらない邪魔なものだと考えている、それだけは確かでしょう。


(写真、志段味循環型モデル住宅の基本構想のイメージ)

『宿命反転都市』を日本に建設するための戦略(id:kotohogisinji)

hantenkai2005-05-11

僕の第一の具体的な目標は、5年以内に荒川修作が創る宿命反転都市(写真)を、日本に実際に建設することです。
現在のところ、日本にある荒川修作の建築物は、岐阜にある養老天命反転地と、岡山にある奈義の竜安寺、万博関連で造られた名古屋の志段味循環型モデル住宅、そしてもうすぐ完成する三鷹天命反転住宅の四つです。
しかし養老と奈義は人が住む家ではありませんし、志段味は荒川さんの構想が部分的にしか活かされていません。唯一、荒川さんが思うように造ったのが三鷹天命住宅ですが、わずか九組の家族が住めるだけの小さなマンションであり、これでは荒川さんの本来の目的である、新しい人間による共同体を創ることはできないだろうと思われます。
今まで荒川さんは、何度も日本に都市を創ろうとチャレンジしてきましたが、ことごとく失敗しています。隅田川の上に巨大は橋を造り、その上に長寿村を作ろうとする計画、宮崎駿と協力して福岡の小島に都市を造ろうという計画、東京の臨海副都心に宿命反転都市を造るという構想、すべて実現はしませんでした。
なぜか?
多くの問題があると思いますが、まず荒川さんの住宅はあまりにも突飛な形をしているために、なかなか一般の人々に受け入れられないのではないかというのが考えられます。床が平らではなく、ぐにゃぐにゃしていたり、一階が正方形なら、二階は球形という具合なのです。
もう一つ、日本では荒川さんはマイナーであるという問題があります。
結局今のところ荒川修作を知っているのは非常に限られた人間なのです。荒川修作は世界的に著名な現代芸術家ですが、日本人で荒川の名前を知っているのは十万人切るでしょうし、詳しく知っている人は一万人、いや下手したら千人以下かもしれません。
荒川修作は日本ではまだまだ無名なのです。
でもそれはいいことだと僕は思います。毛沢東が言ったという、人間が何ごとかを成し遂げるための条件は、若いこと、貧しいこと、そして無名であることの三点です。荒川修作は無名であり、都市を創るほどのお金はありません。そして彼は68歳ですが、髪は黒く、肌はつやつやして、眼鏡もしていない。つまり非常に若いのです。
僕達は荒川さんと協力して、必ず宿命反転都市を実現させます。
ではどうすれば実現できるのか。
それは都市を造るお金を出してくれる人を探すことです。
しかし、儲からなければ、つまり多くの人が荒川さんの住宅に住みたいと思わなければ、誰もお金など出してくれないでしょう。
まずは日本の社会に荒川建築を受け入れさせる必要があります。
荒川さんをメジャーにし、みんなが荒川建築に住みたいと思うようになれば、企業もどんどん資金を提供してくれるはずです。
荒川建築を有名にするための戦略。
二方面から日本社会を挟み撃ちにします。
アカデミズムとジャーナリズムの二方面です。
90年代、アカデミズムとジャーナリズムに批評が棲み分けてしまったと言ったのは、東浩紀です。アカデミズムの批評(文章としての強度はあるが、社会に受け入れられていない)と、ジャーナリズム(知的緊張はないが、多数の読者への現実的効果がある)に分かれてしまったと。そして
アカデミズムの批評の代表が浅田彰であり、ジャーナリズムの代表は福田和也であると東は言っています。
そして、浅田彰も、福田和也でさえ、荒川さんのことは何も語っていません。
これは、アカデミズムとジャーナリズムの批評の世界、双方で荒川さんは認められていないということになります。
誰かに、日本の批評界を代表する誰かに荒川さんを語らせなければいけないのです。
荒川思想、荒川建築の素晴らしさを語ってもらわなければ問題は解決に向かわないのです。
それを実現するために、僕達は具体的なプランを現在たてています。
ニューヨークの荒川さん本人ともFAXを通じて、積極的に連絡を取り合っています。
ただしここで注意してほしいのは、僕が最初に言ったジャーナリズムと、東浩紀のいうジャーナリズムの批評とはだいぶ違うということです。
結局、一般の本を読まない人々から見れば、浅田彰福田和也もアカデミズムの人間にしか見えないのです。そもそも二人のことをほとんどの人は知らないでしょう。90年代で最も著名な言論人だった社会学者の宮台真司でさえ、大学生50人のうち、1人しか知らないといいます。
日本の批評界で認められるというのは、アカデミズムで荒川修作がメジャーになるということなのです。
そして僕が言うジャーナリズムでメジャーになると言うのは、全く本を読まずテレビのバラエティー番組しか見ない女子高生や、会社員の親父さんでも知っているということです。
例えばSMAP、卓球の愛ちゃん、イチロー、そのレベルで荒川修作のことが認知されなければ、宿命反転都市の実現は厳しいと思います。
フジテレビや讀賣新聞、週間文春、プレイボーイで、ばんばん荒川特集がされなければいけません。そしてあのぐにゃぐにゃの床の家に住むことが、どれだけ素晴らしいのかを国民に納得させなければ状況を動かすことはできません。
そのためのプランもいま動き出しています。
アカデミズムとジャーナリズムの両面から日本を揺さぶり、多数の国民が荒川建築に住みたいと思うようにしていく。
それが宿命反転都市を実現する最短距離だと僕は考えています。

こんにちは。id:akkioです。

この日記は「宿命反転会(仮称)」のメンバーにより共同で書かれます。荒川修作+マドリン・ギンズについてのわたしたちの活動や研究を発表していく場にしていきます。よろしくお願いします。

こんばんは。id:kotohogisinjiです。

hantenkai2005-05-10

荒川修作+マドリン・ギンズの言葉や思想は非常に難解ですが、できるだけわかりやすく説明していきたいと思います。また僕達は研究するだけでなく、実際に行動して状況を変えていきます。このブログを読んで興味を持った方は、どんどんメールください。みんなで協力して、宿命反転を実現させていきましょう!!


(写真、荒川修作《Work B》1960年)