科学技術政策に関する進言

科学技術政策について
宛先:i.kokkasenryaku1@cas.go.jp
国家戦略室御中,

行政刷新会議において行われている事業仕分けにおいて、科学技術 系の予算に対する厳しい判断が続いています。
これに関しては科学研究の事業者側の説明にも問題があるといわざるを得ませんが、それと実際に科学技術系事業に対する厳しい風当たりは別の話だと思います。 そこで、科学技術に携わるものとして、予算編成において考慮すべきいくつかの点を指摘させて頂きます。 乱文乱筆恐縮ですが、何かの参考になれば幸いです。

ポイントはいくつかあります。
まず、若手支援を始め、多くの基礎科学研究で仕分け担当者から聞 かれた意見に以下のようなものがあるかと思います。

・多くの制度が錯綜しており、これを整理して予算を節約すべき
・収益の可能性を評価し、事業の有益性を説明すべきであるが、意味のある説明が得られなかったので、評価できない。

前者に関しては、多くの制度が錯綜しているのは事実であり、それは科学者である私も大いに疑問に思うところであります。 しかし、それと予算の縮減は全く別の問題です。 様々な制度が乱立してはいますが、研究者自身はそこから不当に多くの予算を獲得することはありません。 複数の予算を獲得していることはもちろんありますが、そこにはエフォートによる切り分けがあります。 これは最近導入されたe-radシステムにより有効に機能していると思います。

しかし、問題の本質はここにはありません。誤解を恐れずにいえば、このほとんど病的とも言える予算取り扱いへの清さの要求は、研究者の自由な発想を妨げています。 欧米の科学研究予算は「アワード」として与えられ、その使用方法は研究者にほぼ完全に一任されます。それに対して日本のシステムは年度をまたいではいけない、エフォートの厳格な管理、研究者も出席しての会計監査、etcetcと、研究者に研究以外の多くの事務的タスクを強要します。ただでさえ、欧米に比較して全体の科学予算が少ない(錯綜している全ての事業を合わせてもです!)にもかかわらず、非常に使い勝手が悪い。これに関しては海外から来日している研究者へ是非意見を聞いて頂きたいと思います。 重要なので繰り返します。日本の科学技術予算は大量に併存する様々な事業を全て合わせても先進国としては低い水準であり、しかも研究者の時間は研究とは無関係である予算運用上のタスクによって(しかもそれは諸外国ではあり得ないタスク)大幅に割かれているという事実があることをどうぞご考慮下さい。

後者はもっと根深い問題があります。
評価できない。
では、仕分け人は「正しく」事業の波及効果を評価できたのでしょうか。人類の未来にそれぞれの仕分け対象の事業がどれほどの大切さがあるか、きちんと諸外国の類似研究の動向から様々な波及効果、可能な特許、それらの事業可可能性、そもそもピュアに近いものの場合はそれが応用研究へどの程度の影響を持ち得るか・・・。 残念ながら科学系事業の評価は、今現在もほとんど定量的に行われていません。このような評価のシステムが無いのを攻めるのは結構ですが、評価が出来ないからとりあえず立ち止まるとするのは非常に危険なことであることは銘記すべきです。 非常に重要なことは、科学はそれがどんなにピュアな分野であっても常に国際的な激しい競争下にあるということです。立ち止まることは、すなわち取り返しのつかない遅れを喫することに他なりません。立ち止まって考え直せというのは簡単ですが、それは科学分野ではすなわちその事業にかかわる全ての未来を放棄するということに限りなく近いということを肝に銘じたうえで発するべき言葉であるということを、日本そして世界の未来に対する最大限の警告とともに申し上げます。
評価システムを構築する際に重要なのは国としての科学政策上のビジョンです。それがあって始めて評価のための質的な物差しが出来ます。それを示す前に表面的な事業上の財政収支でその事業の有用性を計るのは、短絡的といわざるを得ません。
立ち止まるべきは科学ではなく、科学技術政策立案の方です。ここを再考するということになれば、全ての科学者が労を惜しまず協力するでしょう。
それは、日本と世界の未来を考えるという歴史的な作業になるでしょう。

是非良く議論して頂ければと思います。

最後になりましたが、今回のことは科学者側にも全く非がないわけではないと私は思います。
むしろ、非常に重い罪があると思います。 それは、科学者がそのコミュニティーを越えて、広く自分たちの極めている科学を発信してこなかったという点です。 重要なのは、我々も科学コミュニティーの中だけの価値観だけにとらわれることの無いよう、世界の不思議とロマンをスポンサーである国民と共有し、その中から全く新しい生活を豊かに、便利に、安全に、そして未来へ継続させるために必要な知恵を産業界と手を取り合って取り出していくという姿勢を明らかにするべきであろうと考えています。

大変な時期であり、ご苦労も絶えないとは思いますが、是非とも共に考え、明るい未来のためにがんばれればと思っています。

署名

星を読め

ラピタ人という民族がいる。いや、いた。
広大な南太平洋に散らばる幾千の島々。
1000年の時をかけて、島々を何の計器も持たない人々が渡り、人の居住域を広げてきた。
それらの航海者たちをラピタ人と呼ぶ。
彼らの伝統航海士は、星の巡りを歌にして、その歌を歌いながら星を見ながら何も見えない大洋を行く。

「スターナビゲーション」

ほとんど全く話題にならなかったが、ラピタ人の最終到達地、ハワイから航海カヌー「ホクレア」がスターナビゲーションでやってきたことがある。
じつは、日本の縄文人は、弥生人登場後にこつ然と姿を消すが、もしかすると航海者として琉球弧を南下して、台湾に到達し、そこから島伝いにニューギニアへ、サモアへ、トンガへ、イースター島へ、ソシエテ諸島へ、そしてハワイへと数千年をかけて渡って行ったのかもしれない。そういう意味では数千年の時をへて、ラピタ人は彼らの技術で船を操り、里帰りを果たした事になる。鉄とプラスチックとコンクリートで出来た故郷へ。

ナショジオの記事では、言語学的にはラピタ人の言語は台湾にそのルーツがあるという。これを読んで、ぼくは西表でこつ然と姿を消した土器文化の人々を思う。西表では、土器文化の痕跡のある地層の上にしばらく空白があり、石器文化の地層がある。土器文化人はあるときこつ然と姿を消し、その後にかなりたってから遅れた石器文化しか持たない人々がやってきた。

遥かな過去、あの島で何かがあったのかもしれない。日本から到達した縄文人たちはある日、皆で未知の大洋へ終わりのない航海を継続する事を決定したのかもしれない。マングローブの穏やかな河口を、まるで厚い布団をはねのける赤ん坊のように、ある晴れた風の強い朝、航海カヌーの船団で出航したのかもしれない。次の到達地は台湾。そして、未知なる大洋へと続く海の道。。。

新しい出発はいつだって不安だ。でも、まだ見ぬパイパティローマの彼方にはきっと新しい何かがあるはず。

星を読め、風をとらえろ、そして転がり続けろ!

もうすぐ一月も終わり

超忙しかった。。。
今日で一息つける予定。でも、その今日が怖い。。。
つか、また名古屋。
かりゆしはおあずけ。スーツ。

2月になったら、自分の仕事に邁進しないと。
Burn the bridge behind you (me)!!!

あ、雑誌に載りました。
リアルや専門分野ご存知の方は、日経サイエンスを見てみてちょ。

星を読め

僕にとって世界の中心にして最深部はアフリカ、それも中央部のジャングル地帯だ。
ブラックアフリカ
すべての生き物がいて、癒しとは無縁の強烈な自然と、無数の病原体、魔術と精霊と呪いが支配する深い森。AK47に蹂躙される人々。

@ルワンダ

宮崎あおいってかっこいい。
大河ドラマとか全然知らないけど、以前からこの人の書いている紀行文は大好き。慈善活動という言葉では彼女の行動は定義できないと思う。その地に赴いて、汚いことも悲しいこともいっぱい見て、でも、そこにも日常があることをフツーに感じて、初めていえる言葉があるということを端的に思い出させてくれる。

物事は現場で起きてんだ!
知った風な評論はもうたくさん。彼女のように世界へ飛び出せ!>オレ

気持ちを音にのせる

昨晩は外勤から直行でライブ@ライムライト
PAINT BOXという3人組で、以前も登場していました。

叫ぶバイオリンと、水のように流れるギター、そして耳元でささやかれているような甘いボーカル。

喜び、悲しみ、嫉妬、怒り、そして感謝。
歌にはいろんな感情が込められていて、演じるものはそれを仕事としつつも持てるすべての技術を投じて再現する。

バーでのライブはとても近くでそれが行われるので、時々怖い。
勘定が...じゃなくて感情がダイレクトに心に注入される感じ。

人は心と関係性に生きている。
来る人もあり、往く人もある。
常に平静じゃいられないけど、いつも激発してもいられない。
そのなかで、どれだけ自分や大切にしている関係性に忠実で、しかし何かを表現できるかが重要かな。
そんなことを、耳元でカサブランカをささやかれながら(違)思いました。

ブロンソン大陸へ進路をとれ!

なんか最近眠れなくて、朝っぱらからいろいろぐぐったりして遊んでいたら、たどり着いたぜ、漢の桃源郷へのゲートウエイ。

志のある男だけが上陸できるという、幻の大陸、ブロンソン大陸
吹く風に自慢のヒゲをなびかせながら、チャールズブロンソンが、にやりと笑って握手してくるその大陸まで、あと何マイルだい?

眠れない? オーケー。だったら起きてろ!
ブロンソンならそう言うね。

ブロンソン5か条を胸に、今日も出撃だ!!
1、女房を愛しつくせ(いないけど)
2、ファミリーは命をかけて守れ(いないけど)
3、外見を超える男気を持て(がんばる)
4、仕事は選ぶな(御意...選ばんけど創る)
5、たまったら出せ(中で)(ムリ)

(c)1995 ブロンソンズ/ごま書房、2007筑摩書房ブロンソンならこう言うね」

9月のお台場潜水/地獄沼からの帰還

happyrat2008-09-15

お台場って、なんであんなに犬がいっぱいいるんだっっ!?
こんばんわ。happyratです。

お台場潜水、一年経ちました!
わーいわーい!

そして、海の中は...
なにもいない...。

もちろん、全く何もいないわけではないくて、必ずいるイソギン君/イトヒキゴカイ君と、おまえは酸素いらないのかマハゼ君、そして巨大アサリホンビノスガイがごろごろって感じ。あ、ボラもいた。おまえも一体何食ってんだ?

夏の間の無酸素水塊にやられたのであろう。海底は貝やカニの屍が累々と続き、透明度も最悪。
ちょっと底に手をつけばたちまちやわらかい有機物のどろのようなもわもわがまいたって、瞬時に真っ暗闇に。。。みんなが「バクテリア」と呼んでいるしろい粉が吹いたような海底が、やたらに柔らかくて、プリンみたいにぷるぷるなのが気持ち悪い。

船の科学館のポンドでも、あれだけ大勢いたホウキムシの大群落がほぼ全滅。茶色い残骸だけが残っていて、壁はイソギンチャク祭りに。。。

でも、聞いたところではマンハッタンボヤという外来種の子供が付き始めていたとのこと。これから気温が下がって、有機物が消化されて、水が澄んでいくに従って、遠い国から来た生き物たちが、夏の大惨劇の跡地へ続々とやってくるのだろう。

誤解を恐れずに言おう。東京湾の海底では四季のサイクルはない。ただ直線的に生物相が変化して行くのだ。ここからなにか見つけられるだろうか。。。

かけらを切り取って、試し始めました。
作戦コードネーム「地獄沼からの帰還」。
どうなるかな。