来社したときにお茶は出たのか
前回お知らせした会社に面接に伺ったとき、名刺は頂きましたがお茶は出ませんでした。
そのときは、自分はお客ではないのでお茶はでないのだろうと思っていました。
しかし先日、書類審査で落ちてるけど事情があって断れないので面接だけしてやる的な人の面接にお茶が出ているところを目撃してしまい、あれ?あれれ?と思った私はそのときの面接担当、つまり今の上司を問い詰めました。
「おいワレ!わしの時はお茶出んかったやんけ!」と壁ドンして詰め寄ると、「ごめんごめん、あの時はテンパってたんだ」となにやら弱気な発言。
面接官が面接される側よりテンパってるってどんだけやねん。
しかも社長含めて3名も面接に来てるのに誰も気付かないってどんだけやねん。
そんなつまらない経験をした私からの助言。
「うわ、すごいやつが面接に来るよ、ヤバいよどうしよう・・・」と面接官がビビるような職務経歴書を作るといいよ♪
謎の転職を遂げました
とても小さなベンチャーに就職しました。
ITと小売のハイブリッド企業です。
自社ソフトを売ったりもしますが、海外から輸入したグッズを転売したりもします。
転売というだけではてなーが嫌いそうなジャンルだとは思いますが、私の担当はプログラマーですので、今のところ小売の方はノータッチです。
純粋に技術力の探求に邁進するだけです。
なぜ採用に至ったのか、については想像ですが職務経歴書に書かれた私のあやしげな経験の数々と、補足として書いておいたさらにあやしいプライベートの経験が気になっていたようでした。
「うちの条件はすごく厳しいんだ。こんな経験ある?」と言いながら社長が出してきた条件が見事に私の経験に引っかかったのも決め手のひとつだと思います。
やっぱり人と違うことをするのは正義だと思いました。
あ、そうそう。
ドリンクは飲み放題です。
( ゚ ∀ ゚ )< さいたまー!
タイトルに深い意味はありません。
とりあえずね、東京周辺と地方都市を比べて気付いたのは、電車社会と車社会の違いなんだよね。
千葉や埼玉が都心圏として成り立つのは鉄道が便利だからだと思う。
山手線ほどでなくとも、15〜20分間隔で電車が来るくらい便利であれば電車の利用者も増えると思うんだ。
田舎の電車の問題点は、
・本数が少ない。1時間に1本くらい。車なら待ってる間に到着するレベル
・終電が早い。JRの終電が23時、私鉄の終電が22時くらい、路面電車はもっと早い
・電車のスピードが遅い。圧倒的に加速が遅いしMAXスピードも遅い
・単線の場合は対向車両の待ち合わせが発生。長いときは20分以上待つ
・駅と駅の間隔が長い。一駅早く降りてウォーキング→地獄
・電車の揺れが激しい。長時間乗っているとすごく疲れる
と、いろいろあって、車に乗ることができない弱者の乗り物となっている感じ。
そして商店のあり方も違っていて、
・駐車場の広さ=正義
・車はどこにでも行けるから駅前集中ではなく地図上ではバラバラに出店している
・離れた場所にぽつーんと出店しているので隣の店にもついでに・・・とはならない
・遠くまで来たのだからと気に入らない商品でも仕方なく買ってしまう
・一度車で走り出すと良さそうな店を見つけても気付くのが遅いとスルーしてしまう
・電車で買い物に出たら駅前の歩ける範囲の微妙な店舗にしか行けない
と、買う側にとってもすごく不便になってる。
とにかく電車の不便さは格別で、電車で行くと言うと「それをつかうなんて とんでもない」と言われるくらい。
電車の問題点ではないけど、とにかく田舎者は待つのが大嫌い。電車を10分待つなんて耐えられない。
仮に車と同時刻に到着すると言われても即移動できる車を選ぶほど。
この性格は行列のできるお店にも適用され、おいしいお店でも都会のように行列ができることはまずない。
お店に入って席がないと言われたら怒って帰ってしまう。基本的に待てない。
また、人によっては店の入り口に遠い駐車場しか空きがないと、これも怒って帰ってしまうことがある。
歩くのも大嫌いだと言う。
嫌味を含めて確認したけど、イオンショッピングセンターなどは中で歩く距離のほうが圧倒的に長いんだけど、それは歩く距離には入らないそうだ。
この「俺様が店に来てやっているのに」という殿様みたいな態度は、昔のバスの運転手に近い。
車が一家に一台になる前は、バスの運転手というのは町の英雄みたいなもので、客の態度が気に入らないと怒鳴り散らしていたのだが、
車が普及して乗客数が減ってしまった今では、お金を払う客全員にありがとうございましたと頭を下げている。
平家物語のようである。
そして店舗のバラバラ以上に家もバラバラに建てられていることがある。
大半の家は密集して建てられるんだけど、ときどき山中や田んぼの真ん中にぽつーんと建てられている家があったりする。
それが農家であれば理解できるんだけど、普通のサラリーマンだったりする。
その家のためだけにライフラインを伸ばして、新聞や宅配などの配達員が走り回ったりしているのかと思うと、非効率さが際立って見える。
悪い言い方をすると、田舎では「俺が!俺が!」とか「私が!私が!」という自己中が多いなと感じる。
不便な田舎にあって、自分が便利になるようにしたつもりが、じつは自分の首を絞めていたという形が今の田舎なのかな、と思う。
とりあえず電車と店舗の問題解決は、鉄道規模を都会と同レベルにした上で、住民と店舗を駅前に強制移住させることかな。
良いコードはいらないと言われて
15年ほど前に良いコードはいらないと言われてがっかりした。
厳密に言うと、最初に言われたのは19年前かな。
MS-DOSの640KBの壁がなくなり、メモリを無尽蔵に使える時代が来た!という時代。無尽蔵といっても当時は2MBとか4MBくらいが普通のスペックだったと思う。
プログラムを組むときには、1つのメモリ領域を何通りにも使いまわして少ないメモリをどう生かすかがポイントだと思っていた私が言われたのは「そんな古臭いテクニックが評価される時代は終わったんだよ。メモリが足りないときはプログラムで何とかするんじゃなくて物理的にメモリを追加すればいいんだ。速度が足りないときはCPUを換えればいい。それでも足りないときは時代がなんとかしてくれる。(つまりムーアの法則のこと)良いプログラムを組んで満足する趣味プロ意識は捨てろ。これからの時代は良いプログラムなんて評価されない。良いものを作ろうとするな。期待通りに動けばいいんだ。」という夢も希望もない言葉。
これからプログラマとして頑張ろうとしている人に言うセリフがこれかよ、と当時は疑問に思った。
けど実際に仕事で納品に関わると、「私が在任中に不具合が起きなければ構わない。処理が間違っていても在任中にバレなければ構わない」という超現実的なことを顧客のエラい人に言われるようになり、ひどい職種を選んでしまったな、と感じたのを覚えている。
ぐちゃぐちゃのパッチを当てたような汚いソースが大量に残っていることから考えると、「理屈は分からないがこう書けば何故か動く」という意識はそれよりはるか昔からあったのだろう。
当時の良いコードと今の良いコードは意味が違うんだろうけど、根気と粘り強さで戦う技術立国ニッポンという考えでは似ているような気がする。