浅田次郎『降霊会の夜』

降霊会の夜

降霊会の夜

 書くものがなくなったときには立ち戻るしかない。なにに? おのれ自身に。
 どんな人生を生きてきても、悔いはあるだろう。取り落としたものはきっとある。一回限り、リセットのきかない人生であれば、選べなかった道は無数にあり、得られなかった栄光は幻影として在り続ける。その思いを重ね合わせる夜に、これまで何度も夢想していながら、どうしてもたどり着けなかった夢の果てが降りてくることはあり得ることだ。
 すべては言い訳にしかならず、許されてもならない。たまたま思いついたふたつの罪科が、彼の人生のすべてであるわけはない。であれば尺は問題にならず、このかりそめの舞台の貧弱さだけが悔やまれてならない。
 すこしだけ、懐かしい小説家の声を聞いた気がした。それだけで、すこしだけうれしくなった。

 田中弥生『スリリングな女たち』

スリリングな女たち

スリリングな女たち

 何かを読んでいるという行為が、気がつくと受動的ではなくなっている。書かれている言葉を咀嚼し消化しつまらない理解に落とし込むのではなく、そこに新しい言葉を持ちこんであらゆる文脈を破綻させ、その破綻さえも跳躍して書きかえる。読むことの楽しみは、ある種の完成型として、そこまでいける。
 つないでいくことで新しい文脈を想像することもできるだろう。書かれたものに厚みがあり、時が流れていくもので、書かれたものが書かれたままのかたちを保ち続ける限りは。
 新しい価値を創造する。作者の意図していないことであろうとも、テクストに書かれていないことであろうとも。批評とは、評論とは、本来そんなものだ。あとはそれが、踏み台にした数々の言葉に恥じないくらいに美しくて面白いものであるべきかどうかだ。どちらかが備わっていれば、そこに芽生えた新たな価値に、生きる資格はあるだろう。

 松家仁之『火山のふもとで』

火山のふもとで

火山のふもとで

 この佇まいはまるで、広い家のようだ。
 玄関となる入り口はひとつしかない。入ったときには何もわからない。あかりをつけて家の中に上がりこんでみると、部屋は無数にある。あたたかい部屋を通り、小さな部屋を経て、暗い部屋を訪れ、やがて寝室にたどり着く。そこで眠れば、すべては一夜の夢になる。覚めてみれば、これまで通りすぎていたことごとの、なんとはかない。
 あまりにも端正に、あまりにも居心地良く、あまりにも美しく、この家はある。そのたたずまいの、堂々として静かな様子に、反感など抱きようもない。隅々まで行き届いた手入れが、どうしようもなくリラックスした心地を連れてくる。
 それでもいまの時代、このぬくもりに満ちた新しい、それでいてどこか見覚えのある家が、売れるとは思えない。それを、ひとつの事実として受け止めねばならない。

 中村航『星に願いを、月に祈りを』

星に願いを、月に祈りを

星に願いを、月に祈りを

 投げ捨てられた思いや言葉は物語は、どこにも行くことができない。取ってつけたような結末は彼らの命を担保しないし、ましてや回収などぜったいにしてくれない。それらは漂い、ただ惨めに泥にまみれていく。
 物語に指向性がなく、ものごとに方向性がなく、時の流れに変化がない。それらは決まりきった道をなぞりながら、決まっていた通りのゴールにたどり着く。意志はなく、魂を落着させてやるだけの器もない。
 かりそめの救いがあったとしても、これではあまりにも報われない。これではあまりにも、彼らが哀れではないか。

 中原昌也『悲惨すぎる家なき子の死』

悲惨すぎる家なき子の死

悲惨すぎる家なき子の死

 無軌道であることの愉快さ。それゆえの足りなさ、退屈さ。完成はしているが、どこにも辿りついてはいない。

 中上健次『地の果て至上の時』

地の果て 至上の時 (講談社文芸文庫)

地の果て 至上の時 (講談社文芸文庫)

 なにも持たずに生まれ、むごいほどに奪い続け、かなしいほどに失い続けて、それでもまだ、魂は安らがない。何も持たずにはいられない。何もかもが変容してしまった故郷で、土と血だけがこびりつく。
 べっとりと、宿命のように。
 最後には失うしかない。行きつ戻りつ、決まりきった結末を迎えることさえできないのならば、誰かが死ぬしかない。そうするほかに、何もかもを脱ぎ捨てることはできない。
 終わりはいつだってそうなる。血が流れ、土地は焼ける。

 小前亮『蒼き狼の血脈』

蒼き狼の血脈 (文春文庫)

蒼き狼の血脈 (文春文庫)

 丹念に丁寧に、かつていた人物を描出する。その真面目さがほほえましくて、その真面目さが、すこしだけ食い足りない。