これからのこと

このブログを更新するタイミングが、いつも気分が沈んでいるときだからか、ブログを始めたときからずっと文章の内容が似通ってる気がする。解決策を見出すような気力がない。いつも、ただ腐ってるだけの見苦しい文章になってる。

今の状況でずっと生きてくことは出来ない。生きてくためには今すぐ仕事を再開しないといけない。もう生活が破綻してる。現実逃避せずに、すぐにでも問題と向き合う必要があるというのに。

2014年8月20日

またtwitterをやめた。もう通算何度目だ?と過去を振り返ってみても、思い出せない。三度目か四度目か五度目位だろうか。twitterを観てるのも明るく振る舞うのも苦しくなったのだから止めるのは仕方ないと思ってる。

いま精神的に参ってしまっていて、全く仕事に行けてない。家で横になりながら暇を潰すようにずっとtwitterに張り付いていた。我ながらその状況を病的だと思っていた。仕事を放棄して家にいると、誰とも話すことがなく、社会から隔絶されてるような気分になる。誰とも関わりがなくなることは、寂しいというより、自分が生きてることの価値がなくなってしまったことを実感させられてしまって苦しい。

ほんの少し前までは、人よりも労働する事で社会に交わることを許されていたような気がしていた。自分は仕事の能力が高い訳ではない。だから、深夜まで残業をしたり、他の人が嫌がるような分野の仕事に手を出して、それで自分に価値を見出していた。

割とずっと仕事には苦しんでいた。でも苦しいからこそ、自分にとって、そこに耐えることに意味があった。そこから自分は逃げてしまった。


ネットには普通に仕事をして社会から報酬を得て生活してる人がたくさん居て、自分はそういう普通に生活してる人たちと交流して、社会と繋がってる気分を味わっていた。だけど、自分の置かれてる状況と、交流してる人たちとの間の隔絶をどうしても感じてしまう。もう疲れてしまった。


Twitterを退会してみて感じるのは、これまで時間が空いたらちょこちょこと観ていたものがなくなったことへの喪失感。現実逃避先がなくなって、今までよりも余計に暗いことを考えてる気がする。だけど、安定して暗い気分でいられる分、辞める前より多少はましなのかも知れない。

はてな村反省会に参加した

そもそもがid:kanoseさんへ是非参加したいですというメールを衝動的に送ってしまった直後から後悔をしていた。前のはてなidを消し、更には同名のTwitterアカウントを消してからも久しく、その状況で同じ場に顔を連ねることへの気おくれがあった。kanoseさんから参加について快諾のメールを貰ったあと、必死にid:murashitへ参加をしろ、参加したらラーメン奢るという囲い込みに奔走したが…。murashitからはついぞ良い色の返事を貰えることはなかった。俺の知り合いには最早、年齢の上下関係のみでは従えることのできる人間が居なくなっていた。なんてことだ。この孤立無援感。ハックルベリーに会いに行く。この言葉に対する覚悟は一切できていなかった。そんな状況で参加の約束をしてしまった事実に俺は震えた。西野カナとは真逆の理由、会いたくなくて。


岩崎夏海こと、ハックルの人については一方的に知っていた。はてなを辞めた後に購入したビジネス啓発小説が一冊手元にある。一度だけ読んだ。感想は省くが、普段の社畜生活によって抑圧された感情のなせる業なのか、何でもないようなところで涙が流れたのだけ覚えている。どういう感情の動きかは自分でも細かく分析はしていないが「年を取ったから」この一言で何となく説明がつくような気になって終わった。作品を評価すること自体ためらうのは、その時のネット評価、ハックルベリーは叩くもの、かの本の中身の無さをどれだけ説得力のある言葉で指摘できるかが、自分の狭い観測範囲内での流行だったから。それらの文章を自分は面白おかしく読んだものだし、その文脈こそがはてな村に所属する村民(笑)の共通認識だと察知していた。自分には、もしドラないしは岩崎氏を題材にして他者が面白おかしく読んでくれるような力のあるカウンターパンチを放つ筆力や頭を持っていない。なので黙る。一周して無関心を装うことが恰好いい気がした。ハックル先生は狂人であり、安全な檻の中に閉じ込めて遠巻きに楽しむべき存在なのだ。歩み寄らないのがクール。冷静に周りを見て、メタブクマをすること。これがお洒落なはてな村民の振る舞い方なのだ。役を演じよう。




会場であるルノアールは異質な空気に満ち満ちていた。扉の向こうにましますは、かのベストセラー作家である岩崎大先生。テーブルの上、碇ゲンドウの居住まいで、参加者一同を睨め回す。値踏みしてるのだろうか、僕の値段は147円………いや、プライスレスです…。
ネットから意識的に距離を置いている自分が、このはてな村反省会という場に身を投じた時、そこで感じる所在なさは自分以外の誰とも共有できない。あえて共有しようとするならば、友人に招かれて参加した結婚式で、何故か、当日スーツは全てクリーニングに出してしまっていて、着ていく服がサイズの小さなスクール水着しかなかった、、、みたいな感じ。要は誰にも分かってもらえない恥ずかしさ。恐らくは「あいつ何でこの場に居るんだろうゲラゲラ…」「hebomegane?はてな村民?誰だっけ?ああ、非モテの…。気持ち悪い人か」心の声を聴いた自分は先生から一番距離を置いた場所を一目散に目指し、そして陣取ることに成功した。隣にid:inumashが居たのは僥倖だった。
そして会は始まり、僕は自分の所在なさを埋めるため、ハックル先生の会話の合間合間に時折くわわる笑い声の役周りを一生懸命こなした。その内に終了の時間が来た。



自分は何一つ意見を言わなかった。そうすることで当初の目的は果たした。
だが、言論や思想により人の存在を示せる、このはてな村において、この行為に意味はあったのか?それならお前は何をしにきたのか?
そんな声が聞こえてきたので俺は二次会、三次会と人よりも早いペースで酒を飲んだ。この努力のおかげで俺は、よくビールを飲むはてな村民として存在を示すことができたんじゃないかと思う。はてな村反省会に参加して収穫のあったこと。それは、あの場の中で俺は一番ビールをよく飲んだという結果だ。あんな魑魅魍魎の蠢くはてな村の中でよくやったと自分で自分を褒めてやりたい。だから、murashit。俺はいま一度、君をラーメンに誘うよ。俺ははてなで一番ビールを飲む男の称号を得たんだ。君にふさわしい男になった。早くラーメン食べに行こう。もちろん俺の奢りで。あと、そうそう。murashit。君に一つ伝言があるんだ。犬紳士( id:Lobotomy)が「現場に来ないで家で見てんじゃねえよ、死ね!」と言っていたよ。もちろん僕は君に生きて欲しい。今日も明日も。この先の未来も。

生存報告


予定調和も甚だしいが、長いこと自暴自棄に陥っていた。先が見えなさすぎて、もういつ死んでもいいやとかって諦観の中、毎日過ごしてた。

いいことなんて全然なかった。仕事が終わったら家に寝に帰るだけのユニコーンの働く男みたいな生活を過ごす中、ようやくわかったことがある。そもそも会社に過剰な期待を寄せられすぎていたんだと。期待に応えられるだけの能力がなく、でも出来ないとは言えずにどんどん仕事を増やして自滅した。それだけのことだ。もっと早くもう無理だと訴えて降参しておけば良かった。心身ともに完全に燃え尽きてしまってから、それで初めて上司に本音が言えた。

来週から新人が入ってくるからGW前に一、二週間休みを取ることも伝えた。後は勝手にやってくれという気持ちだ。

 

近況報告 / 生存報告

 

三連休前日の9月22日(木)まで遡る。
普段から営業、各電話問い合わせ、製品発送、校正その他アフターサービスを
担当している営業品目分は全て自分でこなしているんだが、その週はそこに上司からの
業務依頼という名の宿題が付け加わって、自分はその圧倒的な量の業務を前にして
茫然自失するしか術が無かった。


休日を丸々潰しても結局仕事は片付かなかった。だから、月曜日の始業前に
全ての残務を終わらせるべく始発で職場へ出た。職場には5時半に到着。
早起きの甲斐があってか、8時45分の始業を迎える頃には、ようやく週の始まりを
心穏やかに迎えられる程度には片づけられた。片づけられたと思っていた。
多少の達成感。あるいは束の間の安堵を得た。そんな気がしていた。
しかし場面は暗転する。


考えなしにスピードを重視したためだろう。
上司からその仕事内容に関して散々嫌みを言われたのだ。


「いい歳してくだらない仕事してんじゃねぇよ。こんなやっつけ仕事で給料貰うとか、
お前はアルバイト気分が抜けないのか。この内容なら三歳児でもこなせるわ。
遊びで仕事してるなら辞めちまえ」的な。


何も言い返せないまま、少なく見積もっても1時間ほどは言われ続けただろうか。
睡眠不足で頭の中は朦朧としていた。そんな状況で長時間罵り続けられた。
何でこんなことまで言われないといけないのだろうか。人格否定と取れる言葉も
多く飛び交った。自然と頭が垂れてしまう。伏せ目がちになる。上司と目を
合わせられない。こっちを見ろ、下を向くな。辛そうな顔をするな。
精神的な逃げも許されなかった。


その時、どんな顔をしていたのかなんてわからない。多分何も考えられてなんて
いない。でも、自分の様子を見た上司はこんなことを言った。

「なんだ悔しいのか。こうやって仕事ができないのを指摘されるのが。
俺にバカにされるのが。仕事も一人前にやれてないのに悔しがったりするのか。
だったら結果を残してみろ。俺を怒らせないよう考えて行動しろよ!」




言いたいことは理解できます、、ご高説ごもっとも。。




とでも言うと思ったか!
残念でしたっっ。
そんなこと1mmたりとも思わねぇぇぇっ、、、とまでは行かないけど、
俺は上司のこういうコーチング手法にはとても懐疑的だ。
そう。これは間違いなくコーチングだ。


意図はわかる。結果を出させるために嫌われ役を買って出て、こんな惨めな思いを
したくないなら考えて行動しろ。俺を怒らせないような仕事のやり方を覚えろ。
悔しい思いをしろ。発奮しろ。そういう思いは端々から伝わってくる。
もういい加減理解している。


だが、自分にはわかる。その手法は自分には通用しないことが。
もうくたくたに疲れてしまったのだ。本当にどうしようもなく。


怒られても自分は震えて萎縮するだけだ。発奮なんてしない。
上司の剣幕にただ怯え、そして言いたいことが何も言えなくなる。
自主的な意見を求められていることも分かってる。
彼を前にすると、ただ頭を垂れることしかできなくなるのだ。


最近は怒られると頭の中が真っ白になり脳が痺れたような感覚を味わう。
すると何も考えられなくなる。大事なことを話してるということは
わかるのに頭の中には響かない。言葉が意味をもたず、ただの音として体を
通過していく。記憶になんて残らない。


説教の場で言われた重要なことを覚えていないから、また更に上司を怒らせてしまう。
そんな悪循環が出来上がっている。


もう無理だ。もう無理だ。って、そうずっと思いながら今は仕事をしている。








fin.

毎度々々


なんだかんだで頑張って仕事してますけど、どうしたら利益あがるかだとか
売上のばそうだとかも考えてるけど、逆立ちしてみたって自分は社内のスター
プレイヤーにはなれる訳もなく。たまに仕事が上手く運んで注文とってきて、
「よし今日はがんばった」なんて思ってみたって、気付けば背後から忍び寄る上司の影。
それは殺意に満ちていて。。。


毎度々々、仕事のやる気を根こそぎ持ってかれる説教が始まる。
それが一時間で済めばいい。二時間で済んでも御の字だ。言い返せない内容で
責められて、ただ押し黙ってやり過ごす。さぁ何か言ってみろ、なんて
感じで問い詰められるけど、こっちは解を持ってないのだからループ。



啖呵切って会社やめられるだけの資金力だら、能力がありゃ
こんな胃が痛くなったり、鼻毛が白髪にならずに済むものをと自分の情けなさを
呪う。


はるか昔に、将来の夢なんてのを卒業文集に書いていた自分は、大人になった
自分がこんなにも社会的に能力が低いだなんて想像できたろうか。努力すれば
報われるだとか「夢は諦めなければいつか叶うよ、ネバーギブアップ、
フォーエバーラーブ!オーバーザレインボーー」みたいな軽い気持ちで
将来の自分を想像してた昔の俺に、今の俺は「おいお前もっと必死にがんばれ」って
言ってやりたい。


営業車に製品つんで客先に納品に向かう途中、命に関わる交通事故でも起こしたら
納期遅延のクレームしてきてるお客さんも僕に優しく接してくれるんじゃなかろうか
なんていけない妄想に魅せられながらも、毎日毎日シビビーン、シビビーン
やるしかない訳で。


毎日、サラリーマンとして営業マンとして自分の能力の低さに
ものすごいコレジャナイ感を抱いてるんだけど、こいつと末永く付き合ってくしか
ないんだから自己嫌悪になって動けなくなってる暇なんてないんだよな。
どん臭くて、惨めではあるけど、俺だって結構いいとこあるんだぜなんて
スターダストボーイズの気分。


勝間の本とかじゃなくて、ダメな奴がダメな奴なりに社会を生き抜く
ビジネス書みたいのが今俺に求められている。「仕事がどうしようもなくできない人向け
残業時間を100時間くらい減らす術」みたいなの無いかな。




fin.

7月1日 _ クレームの決着

 
クレームの発生していた製品納期遅れの案件で、ユーザーからの
要求により製品に付属する膨大な量(自分にとっては)の英語の資料を
和訳するという作業が発生していた。普段から深夜残業マイラブな日常を
送っている僕だが、これにより毎日平時より1時間早く起きて会社に行き、
その日のタスクを終えた後に更に1時間和訳作業に時間を割く。
そんな日がここ2週間くらい続いてた。あと少しで提出できる。
目途が立ちそうな頃合いまでは来てた。


が、結局キャンセルになった。
日商社の担当から一本の電話があり「残念なお知らせがあります」
その後、キャンセルの話を告げられた。製品は着払いで返送すると。


何だよと思った。ここまでしてやったのにという思いがあった。
でも、一方仕方ないと思った。当たり前の話だ。


自分も忙しさにかまけたり、和訳作業は、本来なら注文内容には
一切含まれないものという意識があった。
だからか、作業へのとりかかりは正直おそかった。英語が苦手なこともあったし、
それ以外のタスクも捌ききれない程たまっていて、深夜残業の連続で仕事の
ミスも増えていた時だったから、商社とエンドユーザーには
「2か月ほど(納期は)見て欲しい」という一旦の回答をしていた。
今振りかえってみると、あの時の回答は”逃げ”だったかなと思う。


苦手な英語の和訳だけでなく、その内容自体が自分が門外漢である分野の
技術的なものだったから、そっちの資料の読み込みにも膨大な時間が
かかると思ったから2か月かかると答えた。


でも、今思えばあの法外だと思えたクレームは「本来なら即刻キャンセルだが
チャンスをやる」って意味での話だったように思う。やる気を見せろ、誠意を
見せろって意味の話で内容までは問われなかったのかも知れない。というか、
今はそう確信してる。


「クレームがついたときこそお客様を自分のファンにするチャンス」
正直、そんな事くらい知ってるくらいの気持ちでいた。だから、商社から
ユーザーが怒ってるから一緒についてきて謝って欲しいと言われた時に
ホイホイついていった。軽い気持ちだった。


だけど、それを結果に結び付けるような行動に移せる段階までは
理解できていなかった。つまり何も分かってなかった。及び腰、気持ちは
いやいや。そこをユーザーに見透かされたのだと思う。そして、それは
否定できない。だから仕方なかった。まだまだ甘々な営業マンです俺は。


今回の件はかなり悔しい。もし次があったら、その時は
この経験を絶対に活かしたい。上司には肩の荷が降りたなってニヤニヤ
笑われた。上司なりの気遣いなんだろうけど、複雑な気分だ。
あんまり悩むなって意味くらいに受け取ることにして、まぁ明日から
気持ちを入れ替えてがんばろう。



fin.