若者言葉

若い学生と接する仕事をしていると、
今風の言葉遣いに接することが多く、興味深い。
 
強調を意味する言葉で「チョ〜 XXX」というのが、
最新版では「バリ XXX」に変わってきたようだ。
 
例 「バリムズ」 → 「とても難しい」
 
 
それと、「ヤバイ」という言葉の使い方が
ちょっと標準から外れてきているみたいである。
 
そもそも「ヤバイ」というのは危険性を表現する言葉
であるが、それのみにとどまらず、「とても魅力的」
という意味でも使われているようである。
 
特に食べ物を食べたときの「ヤバイ」の使い方には
戸惑った。
 
「ちょっとこれ、ヤバくない?」
 
これを聞いた瞬間、その学生の食べているものが
 
  「腐っているのか?!」
 
と心配したが、どうやら「とてもおいしい」ということを
意味しているらしい。
 
 
あと、非常に印象的に感じた言葉に
 
 「大人の都合」
 
というのがある。最近しばしばこの言葉を耳にする。
 
学生達には関係の無い大人社会の事情のことを
表現する言葉である。
 
例 「近所の公園が、大人の都合でつぶれたみたい」
 
自分たちに関心の無い世界や、わかりたくもない事情を
うまく表現していると思う。
 
ただ、言葉というものは便利かつ危険なものである。
「大人の都合」という言葉を使うことにより、
事象を深く理解することからうまく逃げているのでは
ないかと思う。
 

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私自身が若いときは、「話のできない大人」や
「柔軟性のない大人」にずいぶんと憤ったりしたものだが、
もしかしたら、今後は若い人たちの理解力の無さに苦労
するかもしれないと心配している。
 
無用な心配だろうか?
 
 
私の職場の学生たちと、夏休みでもメールや掲示板などで
頻繁に連絡を取り合っているが、若者の非常に興味深い特性に
これからも遭遇するかもしれない。

書評

 夏休みに入って授業がしばらく無い。
この期間には、研究活動と後期の準備を行う。
 
そして仕事の合間に色々と読書をしている。
 
今回特に印象に残った2冊の本があるが、
どちらも話題の本である。
 
1つは、藤原正彦先生の「国家の品格」。
この本は、「合理性」と「美意識」の相反する
部分をうまく書いてある。
 
アメリカ型資本主義の限界と、日本古来の
美徳や美意識の大切さを体系的に眺める
のに良い本だと思うし、読んでいて納得する
部分が多い。
 
戦後にアメリカから持ち込まれた価値観に
染まってしまい、失われた日本人の価値観と
いうものがどのようなものかを説いている。
 
「自分がなぜ日本人なのか」を考えるのに
とても参考になる本だと思う。
 

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もう1冊は速水敏彦先生の
「他人を見下す若者たち」。
 
副題は
 「自分以外はバカ」の時代!
 
この本、ちょっと大きめの帯がかかっており、
その帯に現代の若者を風刺する漫画が
書かれていて面白い。
 
表紙から受ける印象は、「風刺本」や
「こきおろし本」という感じであるが、
中身は全然違う。
 
心理学の立場で学術的調査を行いながら
分析と検証を行い、その過程で若者特有の
自己愛やエゴイズムを明確に浮き彫りに
している。
 

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今回挙げた2冊の本は、立場や論点こそ
違うが、「おかしくなりつつある人間と社会」
というものを描き出している。
 
国家の品格」はマクロな立場から、
「他人を見下す若者たち」は心理学という
ミクロな視点から、現代日本の人間と社会の
問題点を明らかにしようとしている。
 
 
どちらも読んでいて楽しい本なので、
2冊一組で人に勧めている。
 
 
国家の品格 (新潮新書)
他人を見下す若者たち (講談社現代新書)

前期セメスター終了

今日、私が担当する前期の授業が
全て終了した。
 
特に1年生の前期というのは、
学生のモチベーションの変化が
よくわかる。
 
大学生活の新鮮さと不安が減少し、
「慣れてゆく」様子がよくわかる。
 
極端な発言かもしれないが、
1年生のこの時期の過ごし方を観察すると
その学生の人生がだいたいわかるような
気がする。
 
高校までの窮屈さから開放され、
一気に自由になるのがこの時期である。
 
学生と会話をしていても、内容は
友人関係、恋愛問題、アルバイトの事情
が主なものである。
(残念ながら勉学のテーマはあまり
 出てこない。当然のことか...)
 
特に頻繁に接する学生には、
油断のない生活を送るように
時折注意をしているが、
学生生活最初の夏休みを越えたあたり
が要注意だと思う。
 

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私の学生時代を振り返って思うのだが、
安穏な日常の「麻薬性」は恐ろしい。
ひどい場合は、学生生活を通して
実質的に廃人になってしまう学生もいる。
(あくまで精神的にである。)
 
夏休み中も、ときどきメールなどで
学生たちと連絡を取って様子を見ようと思う。

語学の習得方法について

最近私の研究室をよく訪れる学生に対して
ゼミ形式で語学(英語)の指導を行っている。
 
学生からの要望ということで語学指導を
しているが、私の専門は語学ではない。
 
普段接していて話がしやすい教員に
頼るというスタンスだと思う。
 
あるとき学生との間でちょっとした議論(?)が
起こった。
 
「英単語をまとめてたくさん暗記すべきか?」
 
賛否両論が起こりそうな論点である。
 

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私が大学生だったころ、工学や数学
の海外の文献を読むために英語の勉強を
していたが、当時は文献1ページあたり、
10数個の知らない単語があり、
なかなか内容を正確に読み取ることが
できなかった。
 
自分の不甲斐なさに腹が立ち、
語彙トレーニングの本を買ってきて、
やけくその自虐心にまかせて
まとめて6,000語くらいを頭に叩き込んだ。
 
まるで受験勉強である。
 
その甲斐あって、その後は英語の文献を
読むのが非常に楽になった。
 
文献1ページあたり、知らない単語が1つ
あるかどうかという感じになった。
 
ただ、この方法、他人に打ち明けても
あきれてくださる人が多いのである。
 
この「単語丸暗記法」の良くない点に
ついても私なりにだいたいわかっている。
 
要するに、英単語というものは、文章の中の
コンテキストとして運用方法と合わせて
身に付けるべきなのである。
(そんなことは当然である。)
 
もちろん私自身も丸暗記の後は、
各単語の運用方法について
時間をかけて学び取ることになったが、
あのときの集中攻撃は今でも語学力の
礎になっている。
 

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私の変な(?)体験を踏まえて学生たちに
言いたいことがある。
 
「熟達者のペダンチズムに
   惑わされてはいけない。」
 
英会話のお上手な人がよく言う
きめゼリフ、
 
「英単語は300語で十分」
 
こんな言葉を絶対に鵜呑みにしてはいけない。
 
確かに、英文コーパスを統計解析
すると、大体頻出の単語は300語くらい
である。(実際にPerlで解析したことがある。)
 
しかし、何千という語彙を身に付けて
いるから、その300語というのがわかるのであり、
決して初学者の学習指標にしてはいけない。
 
私の経験則、
 
「英単語はまず4,000〜6,000語丸暗記にせよ。」
 
安心できるのは、10,000語覚えてからである。
 

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外人とちょっとしたおしゃべりを
楽しむのであれば語彙力はあまり必要ない。
 
ただ、「語学を学びました」と言えるように
なるには、文献を正確に読みこなし、報道を
正確に聞き取る力が必要であり、
決して語彙力を軽んじてはいけない。
 
学習の肝心なポイントというのは
本当につらいものであり、
避けて通ってはいけない。
 
ただ、私が過去にやった方法には
無駄なところも多く、もっと労力を軽減できる
形で語彙力習得の大切さを若い人たち
伝えてゆきたいと考えている。

進路相談

最近,数名の学生から卒業後の進路について
相談を受けている.
 
進路の相談を持ちかけてくるわけだから,
その学生たちというのは,自分の将来について
真面目に考える気があるわけである.
 
非常に良いことだと思っている.
 
相談にくる学生のうち,ある3名が非常に
特徴的である.
 
まず1人目.
話によると,当人は剣道の達人で,
各種大会でも軒並み優秀な成績を
おさめているらしい.
 
そこで,希望する職業も「警察官」.
当人曰く,学力の方はあまり自身がないとの
ことだが,私の見る限り,将来が最も有望な
部類の人間だと思う.
 
その学生だが,全く迷いが無い.
とにかく,決断を確実にしながら,
まっすぐ進んで行くタイプの人間である.
 
たとえ警察官になれなかったとしても,
その学生は必ず「何者か」になれると
私は信じている.(今の若者にしては珍しい.)
 
次に2人目.
私の勤める大学にはふさわしくないくらいの
学力の持ち主.
 
ちょっと悪い言葉を許してもらえるなら,
「なぜうちの大学に?」
という感じの学生.
 
外国語もそこそこの能力だし,
会話をしても,かなりのレベルであることが
うかがい知れる.
 
その学生と会話していると,自分の学歴選択を
少し間違えたかのような後悔を時々見せる.
 
その学生は短大の学生であり,
卒業後は他大学への編入を志向しているようである.
 
ただ,「将来何になりたいか」という点については,
決断にいささかやぶさかである.
 
最後に3人目.
私の見る限り「普通の人」.
 
とにかく,毎日を楽しく過ごしたい
というタイプの人間だと私は思う.
 
当人と会話をしていても,快活で楽しい.
 
ただ,ちょっと問題ありという感じである.
人間性や学力に問題があるというわけではない.
 
とにかく「決断から逃げ回る」のだ.
といっても,極めて今風の学生であり,
その意味では,本当に「普通の人」なのだ.
 
将来つく職種の案として,こちらの思いつく限りの
選択肢を挙げても,とにかくどれも「嫌がる」.
 
私も,キャリアプランニングの専門家でもないし,
その学生の心情を害するのも不本意だというので,
こちらの考えを強制することはしない.
 

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 私の持論.
「自分探しはしてはいけない」
「自分づくりに専念すべき」
 
上に挙げた最初のタイプの学生と,後の2人の
タイプの学生が決定的に違うのはこの点だと思う.
 
後の2人のタイプの学生については,
不安が残る.
 
2番目の学生については,学力を伸ばしてゆけば
何かまた新たな選択肢が見つかるかもしれないが,
一旦,受験地獄が終わった後なので,安きに流れてしまう
可能性が大きい.
 
3番目の学生については,
もうほとんど選択肢はないように私には思える.
 
そういうタイプの人は,卒業後の数年間,OLか何かを
やり,その語,結婚して家庭に入るというパターン
しかないと思うがどうだろう.
(悪くすると,ニートやフリーターとなる.)
 
もちろん,幸せな結婚生活を手に入れてくれれば
喜ばしい限りであるが...
 
学生が全員,1人目のパターンの人間を目指す
必要もないと思うが,しかし私の考えは変わらない.
 
「選択をせよ.」
「決断をせよ.」
「自分作りに励め.」
「安息を求めてはいけない.」
 
覚悟を決めれば,高品質の人生を楽しめると思う.
 
何か能力を身に付ければ,進路は必然的に
決定されるものである.
 
最後にまた言いたい.
 
「自分探しはしてはいけない.」

「内定いただきました」

今日,職場の廊下である学生とすれ違いざま,
その学生が私の方に近寄ってきて,静かに一言.
 
「就職内定しました♪」
 
うれしさが全身からにじみ出ていた.
 
その学生とは日ごろあまり会話を交わすことは
ないのだが,よほど嬉しかったのだろう.
 
その嬉しさが私にも伝染して,
なんだか嬉しい気分になってしまった.
 
聞くと,大手のデパートから
内定をもらったとのこと.
 
その学生が就業したら,
必ずお店に会いに行こうと
今からわくわくしている.

学生からの素朴な疑問

少し前,TVで教育関連の討論みたいなことを
やっている番組を見た.
 
その中で,子供から出た質問
 
「どうして人を殺してはいけないの?」
 
答える側の大人たちが返答に窮していた.
 
大人が子供に対して高圧的にふんぞり返って
いられた時代では,そんな質問は怒鳴り声とともに
一蹴されただろう.
 
「そんな質問をするお前はなんてやつだ!」
 
で終わりであろう.
 
実は私も子供の頃は,大人を困らせる類の質問を
連発し,よく叱られたものである.
 
そんなときに子供は理不尽に思ったり,
くやしい思いをするものである.
 
思うのだが,「常識」というものを子供に押し付ける場合,
ある程度は大人の側も説得の用意をすべきだと私は思う.
 
大人の社会における「説明責任」とは意味が違うが,
全く説得力のないまま高圧的態度に出る大人も
また不甲斐ないものだと思う.
 
上に挙げたような質問が子供からでたら,
それは,「生命の尊厳」,「愛」,「美徳」などについて
語り聞かせる良い機会のはずである.
 

              • -

 
実は先日,私の研究室に学生が数名やってきて
進路決定に関する相談をした.
 
そのときに学生から出た質問
 
「就職するってどういうこと?」
「社会に出ることの意味は?」
 
当然ながら,完全な答えを即答できるわけでは
なかったが,その瞬間は「ひるまない態度」で
受け答えた.
 
私は日ごろ,私の側の準備や能力に関わらず,
とりあえずは「ひるまない態度」をとるようにしている.
その質問の直後も,いささかまことしやかな態度ではあるが,
 
「はい,いい質問ですね.」
(以後,もっともらしい説明....)
 
みたいな対応をした.
そして後日,同じ学生と「将来の夢」みたいなことを
話し合った.
 
結局,こちらから伝えたいことは,
「経済的自立」,
「社会に参加して社会を維持する責任」,
自己実現の意義深さ」
であり,それらを会話の行間にこめながら,
将来の夢について話し合った.
 
楽ではないが,先人の後続者に対する責任だと思う.