聴いてるよ。

いまお風呂に入っているのですが、部屋というか玄関というかそちらのほうで大きな音がして怖い。
今年は七草粥をつくれそうにない。寝不足で疲れていて明日も早いから。好きなことを好きなようにしているだけだけれどそうだから。そしてお正月よりも明日から三連休のほうが飽食の時代の予感がするから。つくらない、今日はもう、ほんとうに、絶対につくらないんだったら。
いろんな人のいろんな時間の流れかたについて考えてる。夢のこととか。
昨年10月の終わりから60日間カウントダウンした。どうなるのか行き先を決めないまました。10日ごとに振り返りをして今後の方針を立て直した(行き先がなくても方針は立てられる、学んだ)。何かあったかといえばあった。何か変わったのかといえば変わったとも言えるし変わらないとも言える。
年末年始、意志して帰省しなかった。
そのことだけはわりと早い段階から決めていた。

何事をも決めつけることをしない、けれ、ども、だ。

CDを聴いてる。

四ヶ月の夢。

だってもう、何に対して敬意を持てばいいのかわからない。


疲れたなと思った。何は安い、何はいくらいくらもする、何はコストパフォーマンスがいい、何は値段の割に質が良くない。その通りかもしれない、でも疲れる。次第によいところもよくわからなくなった。サイゼリヤは私も好きです。夜遅くまでやっているしね。


苦くなって、砂糖がとけた。


今年の春先、ひどい風邪をひいて二週間くらい寝込んだ。最初の一週間は会社を休み、まったく回復しないので仕事に行った。寝ていても働いていても変わらない。熱は常に38度くらいあったがインフルエンザではなかった。インフルエンザならいいのにと思った。大手を振って休めるし薬を飲めば治るし。そうこうしているうちに薬の飲み過ぎで胃がおかしくなった。結局その月はほぼ一ヶ月しんでいた。ダンスのレッスンにも数回しか行かなかった。このせいで十月に悲惨な思いをすることになるなんて夢にも思わなかった。床に敷いたお布団で寝ることに耐えられなくなりベッドを買った(何しろ家事ができないからごみとほこりに埋まる)。思えば家を出てはじめて自分用のベッドを買ったのだった。


十二月が終わると失速する。三月は一年でいちばん寒いと思う。今年は絶対に同じことにならないと決めた。


苦くなって、魔法がとけた。


何も間違ったことを言っていないけれどおそらく言い方がある。どうしようもできないことがあるということがわかった。私が間違ってた。
19:55

「わたしは毎日をエンジョイしてるのね。だからいつも幸せなの」

勢いで日記を消したのは良いけれど(いつの話をしている)、本を読んだときはどうするのか映画をみたときはどうするのかまったくわからん、決めていないし不便なことこの上ない。引用するときはどうするのだった。
返却日を延ばしておいたにもかかわらず一日延滞した。返しに行きがてらこの人の別の小説を借りようと思っていたが、月に一度の休館日だった(第三木曜日だ)。


一人ひとりの人間を、その人たちの物語バージョンとすり替えてしまわないよう、わたしはつねに自分を見張っていなければならない。p42


でも、誰と会ってもその人の直面する問題にばかり目がいってしまって他の部分がまるで見えなくなるのは、たぶんわたしのよくない癖なのかもしれなかった。p76


ドキュメンタリーなのかそうなのかと思って読んでいるとどんどんミランダが自己主張をはじめてくる。インタビュー部分はほんの少しで、映画製作のドキュメンタリーと言ったほうがいいくらい、なの、だ、けれども、だ、たったこれだけで(正直最初はもう少し書いてくれないものかと思った)この存在感はどうしたことだろう。


「今までの人生で、いちばん幸せだったのはいつですか?」という質問が胸に残る。同じことを自分に尋ねてみる。それは考えるまでもないことで、だいたいにおいて「いま」ですわたしの場合。


『ザ・フューチャー』をもういちどみたくなったので、ツタヤディスカスを申し込むか真剣に考えている。家で映画をみる暇がわたしにあるんだろっか。


あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス) 『あなたを選んでくれるもの』 ミランダ・ジュライ 岸本佐和子訳 新潮社(201508)245p 10/17-19

こんにちは12月。

11月が終わり、いちばん好きな季節が来る。


カフェインカットし始めて一年。引っ越して四ヶ月半。この一年半くらいで体重が5kg以上落ちた。毎晩土鍋で玄米を炊き、かなりしっかりしたお弁当を作って職場に持っていくことが習慣になり(なったと言って差し支えないと思う)、部屋にはほとんど何もない。
人って変わるんだとも思うし、変わらないとも思う。


今日から習慣にしたこと、したいこと。
寝る前のストレッチ、帰宅後の玄関の雑巾掛け、出かけるときは必ず口紅をする。


一人でいて、満足している。ヘアアイロンで髪を巻いている。


さびしくないかと訊かれたのでさびしくないと答えた。さびしくない。わたしの常識は他人とすり合わせることができない。そのことを理解するのに十年以上かかった。


ねえ11月、どうしてこんなに残業したと思う? 贈り物をするためだよ。近くに、あるいは遠くにいてくれる人に何かを贈りたい。自分は極限までものを持たずに生活しておきながら、贈りたい。何かないか、何かないか、探し回っている。考えているときがいちばんしあわせ。贈らなくたっていいんだ。


でも今年はあまり贈ることできない。生活が少し、苦しくて。違う、自分のことに使い過ぎて自由になるお金がない。帰りの地下鉄でほろりほろりと涙、これまでこんなことなかった。この涙を忘れないでいたい。


こんにちは新しい月。わたしの生まれた月。


24:25

真逆に振れる。

去年の九月は毎晩公園でビールを飲んで過ぎた。九月だけじゃない、十一月の終わりまで。もうやめようと思った日のことをはっきりと覚えている。その日私は夜中に一人でなく公園に行き、いつものところでおしゃべりをした。ちょっとだけ泣かせてもらった。「よく生きた」とその人は言った。「これまでよく生きてきた」と。


その間に忘れ得ぬ出会いがあり、忘れ得ぬものをみ、忘れ得ぬ音を聴いた。挫折があり再生があった。そしていま、ほぼ完全にしあわせに生きている。


一年経って何をしているか、玄米を食べています。土鍋で炊いた玄米のみを十日間。三日目が過ぎようというところ。夜遅いと寝不足になるけれど炊飯器を買うお金がなくてと笑ったら「そのくらい贈ろうか」と先生が。いやそれは、さすがに。いくら付き合いが長いと言って、先生と私は医者と患者ですから、買っていただくわけには参りません。「生き死にに関わる」関わりません、たかだか十日くらい。


痩せた。いまBMIが18.3くらい。飲みものは水かカフェインレスのお茶のみ。あとはごま、それから塩。大嫌いなスーパーに行き、お味噌をうっとりと眺める。十一日目にはお味噌汁をいただいていい。まだ買わない。冷蔵庫がないから。使いきれる量を使うときに買う。私はきっと自炊ができるようになる。そうしたらまたひとつ克服できる。身の回りに自分が、コントロールできないものがない。いらないものもないし、場合によっては必要なものもない。なければないでなんとかなるものです。


何が欠けてもここへ来られなかった。


そういえばあの夜に露出をめいっぱいあげて写真を撮ったのだった。何か写っているだろうか。