お年玉年賀はがき大当たり

さて、半年も放置していましたがこれからもきっと放置中心。
んでもまあちょっと思いついたので軽く。

ZAKZAKに載っていたこの記事。

夫婦に届いた年賀状計20枚からナ、ナント1等2枚
富山市の会社員の男性(29)と妻(28)に届いたお年玉付き年賀はがき20枚の中から、1等が2枚出ていたことが7日分かった。
       :
日本郵政公社広報部は「考えられないくらいの確率で、かなり幸運だ」と話した。

ということなんだけど、これはどのくらい珍しいことなんだろうか。

ゆうびんホームページによると今年の1等の当選本数は8218本。
一方で総務省統計局のサイトによると平成12年度の世帯数は4706万世帯だ。ちょっと古い数値だけど感覚をつかむだけのためなのでまあよしとする。
ということで、4706万世帯に8218本のあたりをランダムに配ったときに重複が出ない確率を計算すればよい。
これは同じクラスに誕生日が同じ人が一組もいない確率なんかと同じで、計算してみると割と直感より大きな数字になったりするものだ。
まあそんなに正確に計算する気がなかったのでエクセルとかにおまかせすると、だいたい重複が出ない確率は48.8%くらいということになった。
どれくらい誤差が出てるか分からないけど、表示されてる桁数からするとそれなりに十分な精度が出てる感じがするので気にしない方針で。
まあそんな感じなのでどうやら一世帯に一等が二本当たるというようなことは二年に一度くらい起きててもおかしくないみたい。

赤星神話

さきほどテレビをつけていたら、赤星の盗塁が阪神の勝利のカギだとかいう話をやっていた。
正確な数字は忘れてしまったが、赤星がホームベースを踏んだ試合の勝率は7割強なのに対して、ホームベースを踏まなかった試合の勝率は4割くらいだというのだ。
番組ではこの事実を持ってして、赤星のホームインが勝利のカギだという結論に達していた。
でもちょっと待てよ?
赤星だろうが誰だろうが、誰かがホームインしたってことは1点入ったってことだ。
だれかが得点をあげた試合はそうでない試合に比べて勝率が上がるのは当然じゃないのか?


これが赤星じゃなくて、もっと全然塁に出ない人でデータを取るとどうなるんだろうか。
めんどくさいのでデータで検証はしないけど、長打力とか走力が無い人がホームベースを踏んだ試合で統計を取ると勝率は相当高いんじゃないだろうか。
なぜかっていうと、そんな人がホームベースに帰るってことは他の人の長打で帰してもらったことが多いはずなので、そのときは同時に2点とか3点入ってる可能性が高いんじゃないかと思うからだ。
もしほんとにそうだったらホーム帰還と勝率の高さに相関があっても、必ずしもその人が勝利をもたらしているってことにはならないことになる。


ぼくは野球をまるで見ないので、もしかして根本的なとこで勘違いとかしてますか?

うるう秒の原因は

 来年元旦に「うるう秒」 地球自転とずれを調整
ということで7年ぶりのうるう秒
なんだけど、ここが引っかかった。

地球の自転と時刻の間にずれが生じるのは、自転速度が徐々に遅くなっているのが原因。

これほんと?
単に地球の1回転がかっきり24時間じゃないことが原因じゃないの?
だって徐々に遅くなってるのが原因だったらうるう秒の間隔はどんどん詰まっていくはずじゃん。
だいたい毎年0.2秒とかずれていって、誤差が積もって一秒になったら調整するんじゃないの?


なんて考えていたら実は僕も間違っていた。
実際にはこんな感じになってるらしい。
 日本標準時グループのサイト内にある国際原子時(TAI)、協定世界時(UTC)、天文時(世界時UT1)、うるう秒の関係
これを見ると地球の自転の速度は一定ではなく、かといって一方的に遅くなりつづけているわけでもないらしい。
特にここ数年は、その少し前より自転が早くなっているのが分かる。


もうちょっと調べてみると、どうやら地球の自転の速度はかなりぶれがあって予想することができないということらしい。
そのためうるう秒には1秒挿入以外に1秒削除も規定されている
なんか地球みたいに大きなものの自転の速度が一定してないってけっこう不思議。

子供にヘルメットをかぶせた方がいいのか

2ヶ月以上もお休みしていたのはひとえに夏のせい。
ちょっと出張が入ったり、週末はサイクリングとか海とかプールとかだったもんで。
なんか書かないでいたらそれも気楽だなあとか思っちゃったんだけど、気になる話も無くは無い。
そんな感じなんであんまり長文にならないようなのをボチボチ書いていくようにしてみます。
それでもめんどくさかったらまああとで考え直すような感じで。


さて、ヤフーニュース。
 幼児の96%ヘルメットなし 自転車同乗の負傷事故
とのことで、ヘルメットをかぶっていないと怪我をしやすいかのような印象を与えるタイトルになっている。
ところで本文を見ると、

保護者の95・4%が幼児用ヘルメットを着用させず

負傷した幼児の96・3%はヘルメットを着けていなかった

となっている。
ということは、全体の中でヘルメットをかぶっている幼児の割合とケガをした幼児の中でヘルメットをかぶっていた幼児の割合はそんなに変わらないってことのようにも思える。
実際に計算すると、ヘルメットをかぶっていることによって減らせるケガの割合は20%程度になるのでそんなにバカにしたもんでもないが、人数にしたら6人ばかりの差だ。


ところで同記事によると、今回の調査のサンプル数は7194人とのことだ。
事故を起こしたことがある人の割合が13.1%というのとあわせると、ヘルメットをかぶっていて怪我をした幼児はたった34人である。
このくらいの数になると、統計的にはあまり意味のない数字ということになってしまう。
また子供にヘルメットをかぶせている人は安全意識が高い人なので事故も起こしにくいという相関がでる可能性がある。
加えて、回答が任意である場合、「私はヘルメットをかぶせていたおかげで怪我をさせずに済んだ!」と信じている人は特に積極的にアンケートに答えるかもしれない。
もしそういことがあるとしたら6人程度の差には意味が無い可能性もある。


僕はもちろん子供にヘルメットをかぶせるのに反対じゃないが、ヘルメットの有効性は怪我をした割合の問題ではないような気がする。
ヘルメットの効用は頭部への致命的なケガを避けられるというところにあるわけだから、頭部へのケガに絞ったアンケートなんかをやったほうがいいんじゃないだろうか。
それと直感には反するけど、実はヘルメットをかぶっていることで首への負担が増して別の怪我をするというようなことがあるかもしれない。
そこらへんがきちんと分かるような調査をやって、データを元になにを推進すべきか考えないといけないんじゃないかなあ。

黒人に効く薬

ナイトロメド社心不全治療薬候補のバイディル(Bidil)という薬が黒人だけに選択的に効果があるかもしれないということだ。
最初この記事をZAKZAKで見たのだけれど、気になって検索してみたらBioTodayが引っかかった。
"試験の結果から確か"と書いてあるからには追試も含めて統計的に有意な差が出たということだと思うが、BioTodayにも書いてある通りこれが黒人の何に由来しているのかが分からないのが難しいところだ。
特定の遺伝子かもしれないし、黒人に比較的共通性の高い食習慣などの生活習慣や生活環境と因果関係があるのかもしれない。
そこをちゃんと調べないでやみくもに”黒人に効く”というのはちょっとまずい気がする。


という話はさておき、ZAKZAKの記事で気になったことがひとつあった。
人種を分けないで実施したテストで有効性が検出されなかったってことは、死亡率なんかは薬を使わない場合と同じくらいだったわけですよね、平均で。
それが黒人だけ取り出したら死亡率が43%も減ってると。
平均が変わらずに黒人だけ見ると改善されてるってことは、つまりほら、そういうことなんですか?

Musical Baton

最近流行のMusical Batonが回ってきてから一週間も放置してたわけですが。

*今パソコンに入っている音楽ファイルの容量
40ギガくらい
ほとんどはMTVやViewsicで録画したプロモビデオで、音楽だけのものにすると5ギガくらいかなあ

*最後に買ったCD
何年もほとんど買ってないんだけど、おそらく3年位前に買ったレディアント・シルバーガンが最後

*今聴いている曲
部屋にいるときは音楽かけてないことの方が多いので、いまもなんにもかけてません。
最近PCに向かってる時によくかけてるのはわーずわーずの魔法

*よく聞く、または特別な思い入れのある5曲

  • LEGENDARY WINGS : サンダーフォースVの一面の音楽。メインのメロディーラインがサンダーフォースIIIの曲につながるところとかかっこよくて失禁しそうです
  • URBAN TRAIL : NIGHT STRIKERの一面。コイン投入音からのつなぎがもうしびれすぎ
  • Slave To The Grind : Skid Row。これ系の曲はだいたい好きだけど、特にこの曲をカラオケで歌うと気分がいい
  • 散歩道 : Judy And Mary。自転車に乗ってる時につい口ずさむ
  • 星空のガイキング : 地上から見上げた僕らの目に流れ星に見えたのは、この平和を守るために人知れず戦っているガイキングだったという超かっこいい歌


Musical Batonではほとんどの人が「オレはこんなにマイナーな曲を聴いていて音楽にこだわりがあるぜ」という主張をしているのだけど、僕が挙げた曲はどっちかというと人に見せるのがちょっと恥ずかしいリストになってしまっている感じでこだわりとか全然感じられないので残念。
さて、バトンを渡してくれたオナカンさんは僕があずきゅんの曲を聴いているのではと思っていたようだが、あずきゅんは歌を歌っていない。
仮に歌っていたとしてもあまり聴こうという気にはならないと思う。
見た目が可愛い子は見た目が重要なので、歌なんか歌ってもしょうがないのだ。
もっともアイドルのプロモビデオはかわいく撮ることを主眼に作ってある場合が多いので、ビジュアルとしては割と見る。


ところでこのMusical Batonというのはどのような感じで波及していっているのだろうか。
僕がよく見かけるようになったのはここ一週間なんだけど、元を辿ってみた人達によると5月の半ばくらいからスタートしていると考えている人が多いようだ。
もしバトンを渡された人が全員律儀に5人に回していったとすれば、第14世代あたりで60億人に達することになるが、googleで検索したところ「Music Baton」や「Musical Baton」で引っかかってくるのはせいぜい100万件のオーダーだった。
受け取った翌日には自分の分を公開している人が多いような感じなので、1世代がほぼ1日と考えるとだいたい5月23日くらいには今の状況になっていてもおかしくないはずなのだ。
そしてそのペースでは、6月24日現在までに全人類が1000兆回くらいづつ回答しているはずである。
つまりだれかがサボっているのだ。
では回答までの平均が1日で6月24日に100万人という前提で、指名された5人のうち何人が次の人にバトンを渡しているか計算すると、だいたい1.43人ということになる。
わりと回答率低いなあ。
このペースだとすると一週間前は10万人くらいだったことになるので、観測ともあまり違和感が無い。


あ、僕は渡す相手とかいませんので、残り3.57人に含まれます。

豊かさと幸福

週末になんとなくつけたテレビでやっていた瑠璃の島を見ていたのだが、本筋と関係ないところで非常に印象的なセリフがあった。
番組を見ていない人のためにちょっとだけ解説するとこのドラマは、過疎化のすすんだ離島で、廃校寸前の小学校を救うための頭数として連れてこられた少女と周辺の人々の心のふれあいとか成長とかまあそんなあたりを描いたものだ。
主人公の瑠璃はいくつかの葛藤を乗り越え、最後には自分の意志でこの島で生きていくことを決意する。
ここでドラマとしてはだいたい完結したのだが、このあとの最後の最後に次のようなシーンが挿入されていた。
瑠璃が歩いていると、たらいに汲んだ水で農具を丁寧に洗っているおばあさんに出くわす。
おばあさんはいくつかある農具を見せながら言うのだ。
「次はこれも洗うんよ。この島にはね、水道が無かったから水は宝物だったの。何も無い島だからね、全部が宝物なんだよ。全部がね。全部。」
セリフはちょっと違っているかもしれないけど概ねこんな感じだったと思う。(セリフ後半、島ネコになりたくてさんからいただきました。)
なんか思い出しても不覚にも泣いてしまいそうなセリフだ。
よく考えたら本筋と関係ないどころか本質をするどく突いたセリフのような気がしてきた。
島で生きる決意をした瑠璃が気づいたものがこれだったってことなのかもしれない。


B.シュワルツの研究によると、ある種の人々は物質的な豊かさによって幸福感が低下するとのことだ。
もし人間を大雑把に"もっといいものがあるはずだと常に追求する人"と"適当なもので満足する人"に分けたとしたら、僕はまず間違いなく後者に属していると思う。
なにを食べてもおいしいと思うし、自分が手に入れた物よりもっといいものを後になって見つけた時にもさほど後悔することはない。
一方で、"追求する人"はびっくりドンキーのうまいハンバーグを食べていても「銀座で食べた2万円のステーキの方がうまかった」と考えてしまい目の前のハンバーグを楽しむことができない。
冒頭の瑠璃の島のおばあさんは極端に選択肢の少ない人生を生きているがゆえにひとつひとつの物が宝物になっており、それゆえに豊かな人生を生きてくることができた。
僕自身も豊かさのなかに埋もれて幸福感を見失いがちになっていることが多いが、小さい頃からあまり物質的に甘やかされずに育ってきたおかげで比較的小さなことでも喜ぶことができる。
これは非常に幸運なことだと思う。


そんな中でも、選択肢の多さによって僕の人生から間違いなく失われている幸福感がひとつある。
昔はゲーム1本買うのに半年前から開発状況のチェックをして、買ったときは嬉しすぎて家に帰るのが待ちきれずにその場で封を切って説明書を読んだりしたものだ。
いまはいつの間にか発売されていたゲームをなんとなく買ってきて、封も切らずに半年も放置してある。
ゲーム自体の品質は圧倒的に上がっているにも関わらずだ。
つまりゲームの発売本数多すぎ。